No | 124351 | |
著者(漢字) | 今村,謙士 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イマムラ,ケンジ | |
標題(和) | 細胞質ダイニンの化学力学サイクル | |
標題(洋) | The chemomechanical cycle of cytoplasmic dynein | |
報告番号 | 124351 | |
報告番号 | 甲24351 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学術) | |
学位記番号 | 博総合第874号 | |
研究科 | 総合文化研究科 | |
専攻 | 広域科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景 細胞質ダイニンは、ATP加水分解によるエネルギーを利用して、微小管上をマイナス端方向に運動するモータータンパク質複合体であり、そのモーター活性は真核細胞内の様々な過程において必須の役割を持つ。細胞質ダイニン複合体のうち、モーター活性を担う重鎖はAAA+スーパーファミリー(AAA、ATPases associated with diverse cellular activities)に属し、AAA+タンパク質に特有のリング状の構造を持つ。このリング構造を頭部と呼び、ここに含まれる6つのAAA+モジュール(AAA1-AAA6)のうち、N末端側の4つ(AAA1-AAA4)にヌクレオチド結合/加水分解部位が存在すると考えられている。特にAAA1モジュールにおけるATP加水分解は主要であり、かつダイニンの運動を引き起こす上で必須であることが予測されている。頭部からは尾部およびストークと呼ばれる構造が、リングの外に向かって長く突き出している。ストークはAAA4モジュールとAAA5モジュールの間に存在し、10から15 nmに及ぶ逆平行のコイルドコイル構造からなっていて、その先端の球状領域(ストークヘッド)はダイニンの微小管結合部位として機能する。またN末端側に存在する尾部は、重鎖の多量体化や他のポリペプチドとの相互作用に寄与する。 細胞骨格系のリニアモータータンパク質としては、ダイニンの他にもミオシンとキネシンが存在し、それぞれアクチン繊維と微小管の上を運動する。ダイニンの運動機構に関する研究はミオシンやキネシンと比べて大きく遅れているが、その最大の要因はダイニンの巨大さにあり、運動機構の研究に必須な組み換え体の発現系の構築が容易でなかったためであると思われる。しかし、近年になってこの問題は克服され、出芽酵母や細胞性粘菌の系を用いてモーター活性を保持した組み換え細胞質ダイニンを発現できるようになった。このため、ダイニンの運動機構に関する研究は今後大きく進展していくことが期待される。 本研究では、細胞性粘菌の系で発現させた組み換え細胞質ダイニンを用いて、その化学力学サイクルについて調べた。ダイニンはATPを加水分解しながら微小管上を一方向に運動するが、これはATPを加水分解する一連の化学的サイクルと、運動に必要となる周期的な構造変化(尾部スウィング)や微小管との結合/解離といった力学的サイクルの共役によるものである。この現象を化学力学共役といい、共役した2つのサイクルを合わせて化学力学サイクルと呼ぶ。本論文では、ダイニンの化学サイクルおよび力学サイクルのそれぞれに関する本研究の結果を述べ、両サイクルがどのように共役して微小管上での運動を生み出すかについて論じていく。 方法 細胞性粘菌の細胞質ダイニン重鎖C末側380-kDa断片を基に作製した組み換え細胞質ダイニンを用い、以下の実験を行った。 ・微小管との共沈降実験による細胞質ダイニンの微小管親和性の決定。 ・ストップトフロー法による、前定常状態の微小管-ダイニン相互作用および尾部スウィングの解析。 ・ストークヘッドにプロテアーゼ認識配列を挿入した組み換え細胞質ダイニンを用いた、限定タンパク質分解実験。 ・蛍光標識したリン酸結合タンパク質(MDCC-PBP)を用いた、リン酸放出の測定。 結果および考察 1.複数のATP加水分解部位について 細胞質ダイニンではその配列から、AAA1、AAA3、およびAAA4モジュールにATP加水分解部位が存在することが予測されていたが、リン酸放出の測定から、これらの部位はすべて実際にATPを加水分解する活性を持つことが強く示された。 ただし、各ATP加水分解部位へのATP結合を阻害した変異体を用いて、前定常状態における微小管-ダイニン相互作用を解析した結果から、それら複数の部位のうち、微小管親和性の変化を制御するのは尾部スウィングと同様、AAA1モジュールのATP加水分解部位であることが明らかになった。 また、AAA3およびAAA4モジュールのATP加水分解部位におけるATPの加水分解を阻害した変異体を用いて、前定常状態における微小管-ダイニン相互作用を解析した結果から、これらの変異体ではAAA1モジュールのATP加水分解サイクルが微小管と強く結合する中間状態(たとえばD-ADP状態)にトラップされることが分かった。すなわち、AAA3およびAAA4モジュールのATP加水分解部位はAAA1モジュールのそれに対して調節的に働くことが示された。 2.AAA1モジュールにおけるATP加水分解サイクルと、微小管親和性の変化及び尾部スウィングの共役について 様々なヌクレオチドや変異を利用して、AAA1モジュールのATP加水分解部位をそのATP加水分解サイクルにおける各中間状態にトラップし、微小管との共沈降実験を行った結果、ダイニンには微小管結合に関して少なくとも2通りの状態が存在することが分かった。〓0.2 μMのKdで微小管と強く結合する状態と、>10 μMのKdで微小管と弱く結合する状態である。微小管親和性の変化は尾部スウィングと以下のように協調し、適切なパワーストローク、リカバリーストロークのサイクルを生み出す(図)。 共沈降実験の結果から、アポ状態(ヌクレオチドを結合していない状態)のダイニンは微小管と強く結合し、その尾部はポストストロークの位置にある。 ストップトフロー法による、前定常状態の微小管-ダイニン相互作用および尾部スウィングの解析から、ATPの結合(2.3μM(-1) s(-1))に伴い、ダイニンは微小管から迅速に解離し(310 s-1)、続いて尾部がポストストロークからプレストロークの位置へとスウィングすることが示された(逐次モデルでは解離後〓200 s(-1)、平行モデルではATP結合後160 s(-1)、リカバリーストローク)。 リン酸放出の測定結果から、ATPの加水分解、およびリン酸放出は速く起こることが示唆された。この後ダイニンはD*-ADP状態に入るが、この間ダイニンは微小管から解離した状態を保ち、また尾部もプレストロークの位置から動かない。 リン酸放出の測定結果、およびADP存在下における前定常状態の微小管-ダイニン相互作用の解析から見積もったADP放出速度の値から、AAA1モジュールのATP加水分解サイクルの微小管非存在下における律速段階は、リン酸放出とADP放出の間にあることが分かった。その段階とはすなわち、D*-ADP状態からもう1つのADP状態、D-ADP状態への遷移である。先行研究の結果から、この段階は微小管との結合により速められることが分かっている。つまり、D*-ADP状態にあるダイニンは微小管と結合してMT-D*-ADP状態をとり(1 μM(-1) s(-1))、さらに尾部がプレストロークからポストストロークの位置へ素早くスウィングしてMT-D-ADP状態に至る(パワーストローク)。 MT-D-ADP状態からは迅速にADPが放出され(>540 s(-1))、ダイニンはアポ状態に戻る。 3. ダイニンの微小管結合部位について ストークヘッドに点変異を導入した変異体を用いた共沈降実験、およびATP加水分解活性の微小管による活性化の結果から、ストークヘッドがヌクレオチド依存的な微小管との結合や、ATP加水分解活性の微小管による活性化を担う唯一の微小管結合部位であることが示された。 また、ストークヘッドにプロテアーゼ認識配列を挿入し、限定タンパク質分解実験を行った結果から、ストークヘッドが頭部のヌクレオチド状態に依存してその構造を変化させることが分かった。 まとめ これまでダイニンの力学サイクルに関しては、尾部スウィングサイクルの研究が微小管との結合/解離サイクルの研究に大きく先行していたが、本研究から後者のサイクルについて多くの情報が与えられ、それらによって両サイクルの協調としての力学サイクルをより深く理解できるようになった。また、ATP加水分解サイクルについても、加水分解産物の放出段階の速度論的解析により、その律速段階や力学サイクルとの関連について有益な知見が得られた。さらに、細胞骨格系の他のリニアモーター(ミオシン、キネシン)にはないダイニンの際立った特徴として、複数のATP加水分解部位を持つことと、細胞骨格結合部位がATP加水分解部位から遠く隔てられていることが挙げられるが、こうした特徴に関連した結果も、今までにない新しいものを得ることができた。 ただし、ATP加水分解サイクルに関しては、主としてATP加水分解部位が複数存在することに起因する速度論的解析の困難さのため、現状では研究の余地が大いに残されている。この分野における今後の主な研究課題は、まずAAA1モジュールにおけるATP加水分解サイクルの律速段階が、微小管の添加や二量体化に伴ってどのように変化するかを調べることであり、また、複数のATP加水分解部位間に働く相互の活性の調節がどのように行われるかを、より詳細に決定することであろう。これらのことを行うためには、実験系の根本的な改善が必要になるかもしれないが、ダイニンが細胞骨格系のリニアモーターの中で異端と言ってよい性質を持つことを考慮すれば、研究の進展が分子モーターとして他に例を見ないような動作機構の解明につながる可能性は高く、今後この分野で多くのブレークスルーが積み重ねられることが強く望まれる。 ダイニンのクロスブリッジサイクルの模式図 | |
審査要旨 | 本論文は、細胞性粘菌の系で発現させた組み換え細胞質ダイニンを用いて、その化学力学サイクルを明らかにしたものである。ダイニンはATPを加水分解しながら微小管上を一方向に運動するが、これはATPを加水分解する一連の化学的サイクルと、運動に必要となる周期的な構造変化(尾部スウィング)や微小管との結合/解離といった力学的サイクルの共役によるものである。この現象を化学力学共役といい、共役した2つのサイクルを合わせて化学力学サイクルと呼ぶ。本論文では、ダイニンの化学サイクルおよび力学サイクルのそれぞれに関する本研究の結果を述べ、両サイクルがどのように共役して微小管上での運動を生み出すかについて論じた。 まず、複数のATP加水分解部位について検討した。細胞質ダイニンではその配列から、AAA1、AAA3、およびAAA4モジュールにATP加水分解部位が存在することが予測されていたが、リン酸放出の測定から、これらの部位はすべて実際にATPを加水分解する活性を持つことが強く示された。ただし、各ATP加水分解部位へのATP結合を阻害した変異体を用いて、前定常状態における微小管-ダイニン相互作用を解析した結果から、それら複数の部位のうち、微小管親和性の変化を制御するのは尾部スウィングと同様、AAA1モジュールのATP加水分解部位であることが明らかになった。また、AAA3およびAAA4モジュールのATP加水分解部位におけるATPの加水分解を阻害した変異体を用いて、前定常状態における微小管-ダイニン相互作用を解析した結果から、これらの変異体ではAAA1モジュールのATP加水分解サイクルが微小管と強く結合する中間状態(たとえばD-ADP状態)にトラップされることが分かった。すなわち、AAA3およびAAA4モジュールのATP加水分解部位はAAA1モジュールのそれに対して調節的に働くことが示された。 次に、AAA1モジュールにおけるATP加水分解サイクルと、微小管親和性の変化及び尾部スウィングの共役について検討した。様々なヌクレオチドや変異を利用して、AAA1モジュールのATP加水分解部位をそのATP加水分解サイクルにおける各中間状態にトラップし、微小管との共沈降実験を行った結果、ダイニンには微小管結合に関して少なくとも2通りの状態が存在することが分かった。0.2μMのKdで微小管と強く結合する状態と、>10μMのKdで微小管と弱く結合する状態である。微小管親和性の変化は尾部スウィングと協調し、適切なパワーストローク、リカバリーストロークのサイクルを生み出すことがあきらかとなった。共沈降実験の結果から、アポ状態(ヌクレオチドを結合していない状態)のダイニンは微小管と強く結合し、その尾部はポストストロークの位置にある。ストップトフロー法による、前定常状態の微小管-ダイニン相互作用および尾部スウィングの解析から、ATPの結合(2.3 μM(-1) s(-1))に伴い、ダイニンは微小管から迅速に解離し(310 s-1)、続いて尾部がポストストロークからプレストロークの位置へとスウィングすることが示された。 さらに、リン酸結合タンパク質を用いたリン酸放出の測定結果から、ATPの加水分解、およびリン酸放出は速く起こることが示唆された。この後ダイニンはD*-ADP状態に入るが、この間ダイニンは微小管から解離した状態を保ち、また尾部もプレストロークの位置から動かない。リン酸放出の測定結果、およびADP存在下における前定常状態の微小管-ダイニン相互作用の解析から見積もったADP放出速度の値から、AAA1モジュールのATP加水分解サイクルの微小管非存在下における律速段階は、リン酸放出とADP放出の間にあり、D*-ADP状態からもう1つのADP状態、D-ADP状態への遷移であることが分かった。 これまでダイニンの力学サイクルに関しては、尾部スウィングサイクルの研究が微小管との結合/解離サイクルの研究に大きく先行していたが、本研究から後者のサイクルについて多くの情報が与えられ、それらによって両サイクルの協調としての力学サイクルをより深く理解できるようになった。 このように、本論文は細胞質ダイニンの化学力学サイクルの解明に大きく寄与するものである.したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。 | |
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