学位論文要旨



No 124353
著者(漢字) 小山,知子
著者(英字)
著者(カナ) オヤマ,サトコ
標題(和) 統合失調症関連遺伝子dysbindin-1の機能解析
標題(洋)
報告番号 124353
報告番号 甲24353
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第876号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 准教授 奥野,誠
内容要旨 要旨を表示する

【背景と目的】

統合失調症とは、人口の約1%が罹患する精神疾患であり、幻覚や妄想などの陽性症状と意欲低下や自閉などの陰性症状を呈する深刻な疾患である。統合失調症の病因には遺伝的要因と環境的要因とが複雑に関与し、単一遺伝子による遺伝疾患ではなく、病気に罹りやすくなる感受性遺伝子が複数存在すると考えられている。それらの候補遺伝子が、統合失調症高リスク家系の連鎖解析により、いくつか同定されてきた。

その中の一つにDTNBP1 という遺伝子があり、この遺伝子内のいくつかの一塩基多型(SNPs)が統合失調症と強く連鎖することが、複数の人種で報告されている。これらのSNPs は全てイントロンに存在し、DTNBP1 がコードするタンパク質、dysbindin-1 のアミノ酸配列に変化を及ぼすものではない。しかし、dysbindin-1 と統合失調症の関連性を支持する研究として、統合失調症患者の脳内で、dysbindin-1 のmRNA、タンパク質レベルともに、低下していることが報告された。以上のことから、統合失調症と強く連鎖するイントロンのSNPs によってdysbindin-1 の発現量が下がり、このdysbindin-1 の機能低下が統合失調症の病因の一因であると考えられる。しかしながら、dysbindin-1 の機能については不明な点が多く、特に中枢神経系での生理的機能についての研究は進んでいない。

そこで私は、dysbindin-1 の生理的機能を解析することにより、統合失調症発症の分子メカニズムを解明することを目的とし、修士課程では、神経芽細胞の細胞抽出液を用いたGST-pull downスクリーニングにより、dysbindin-1 の新規結合タンパク質の同定を試みた。その結果、DNA-PKcs、PARP1、Ku80 を含む複数のタンパク質が同定された。このDNA-PKcs、PARP1、Ku80 は、Ku70も含めて、DNA-PK と呼ばれる一つのタンパク質複合体を構成している。DNA-PK 複合体はDNA二重鎖切断の修復やDNA 組み換え、転写などに関与するタンパク質複合体で、核内キナーゼとして様々な分子をリン酸化することで細胞機能を調節していることが知られている。それに対して、dysbindin-1 は核内に局在することは知られているが、核内での生理機能は全く研究されていない。

そこで本研究では、細胞内におけるdysbindin-1 とDNA-PK の結合を確認し、その結合の機能的意味を検討することで、dysbindin-1 の核内での新規機能を明らかにし、dysbindin-1 の機能欠損が起きていると考えられる統合失調症発症のメカニズムを解明することを目的とした。

【結果と考察】

・dysbindin-1 とDNA-PK の相互作用

まず、MASS で同定されたDNA-PK とdysbindin-1 が細胞内でも結合しているかを確認するため、抗dysbindin-1 抗体を作製し、内在性dysbindin-1 とDNA-PK の構成分子であるKu70/80 の共免疫沈降法を行った。その結果、SH-SY5Y 細胞内の内在性dysbindin-1 とKu70/80 が結合していることが確認された。また、細胞免疫染色と細胞分画実験により、内在性のdysbindin-1 は主には細胞質に局在しているが一部は核内にも局在していることが示されたことから、生理的条件下において核内でdysbindin-1 とDNA-PK 複合体は結合しており、何らかの機能を果たしている可能性が示唆された。

次に、dysbindin-1 とDNA-PK 複合体の相互作用の機能を明らかにするべく、in vitro においてDNA-PK 複合体がdysbindin-1 をリン酸化する可能性を検証した。その結果、DNA-PK 複合体はdysbindin-1 と結合し、dysbindin-1 をリン酸化することが明らかとなった。さらに、Phos-tag SDS-PAGE 法により、細胞内においてもdysbindin-1 がリン酸化されていることが明らかとなり、DNA-PK 複合体がdysbindin-1 に結合してリン酸化するという両者の機能的相互作用関係が証明された。

・dysbindin-1 のisoform 間の違い

ヒトのdysbindin-1 にはNCBI データベースに3 つのisoform(isoform A、B、C)が報告されているが、これまでにisoform 間の機能の違いについては全く知られていなかった。そこで、本研究ではisoform 間の機能的多様性の可能性についても検討した。

各isoform とKu70/80 との結合を共免疫沈降法で、それぞれの細胞内局在を細胞分画で調べた。その結果、isoform A とB は核内に局在し、Ku70/80 と結合するが、C は核内には局在せず、Ku70/80とも結合しないことがわかった。また、DNA-PK によるリン酸化についてもisoform 間で違いがあるかをin vitro キナーゼアッセイによって検討した。すると意外なことに、全てのisoform がリン酸化されることがわかった。実際に、予測DNA-PK リン酸化部位それぞれの変異体を用いたin vitroキナーゼアッセイによって、DNA-PK によるリン酸化部位は3 つのisoform に共通する配列であることがわかった。つまり、DNA-PK 複合体との相互作用自体はどのisoform も可能であると考えられ、したがって、isoform 間の細胞内におけるDNA-PK 複合体との結合性の違いは、結合ドメインの有無ではなく核内への局在の有無に起因すると考えられた。さらに、細胞内におけるリン酸化状態のisoform 間での違いを比較したところ、結合型isoform A とB のリン酸化状態は高く、非結合型isoform C のリン酸化状態は低いことがわかった。以上のことからdysbindin-1 の3つのisoformは、機能的に2つに分類できると考えられた。一つは、核内に局在してDNA-PK 複合体と機能的に相互作用し、リン酸化レベルの高いisoform A とB の核内機能型dysbindin-1、そしてもう一つは、核に局在せずDNA-PK 複合体と相互作用しないisoform C の核内機能欠損型である。

・dysbindin-1 とHDAC3 の相互作用

HDAC とはヒストン脱アセチル化酵素で、HDAC の阻害剤は統合失調症の治療薬として広く使用されている。そのHDAC の一種であるHDAC3 がDNA-PK と相互作用することで活性が上昇することが最近報告されたことから、本研究ではdysbindin-1 がDNA-PK を介してHDAC3 の活性に影響を与えている可能性を検討した。dysbindin-1 もHDAC3 もDNA-PK にリン酸化されることから、両者が基質として競合する可能性を考え、dysbindin-1 とHDAC3 を共に発現させたときのHDAC3のリン酸化状態を検討した。するとdysbindin-1 のisoform A、B と共発現させたときにはHDAC3のリン酸化状態が落ちるが、isoform C と共発現させてもリン酸化状態に変化がないことがわかり、DNA-PK 結合型のdysbindin-1 isoform の発現がHDAC3 のリン酸化を抑制することが示唆された。さらに、dysbindin-1 とHDAC3 の共免疫沈降法の結果から、isoform A とB はHDAC3 と複合体を形成するが、isoform C は形成しないことがわかった。このように、DNA-PK とdysbindin-1、HDAC3とdysbindin-1 の相互作用のisoform 選択性が完全に一致することから、dysbindin-1 がHDAC3 のリン酸化レベルに与える影響はDNA-PK との相互作用を介している可能性が高いと考えられた。

このように、統合失調症との家系連鎖解析によって統合失調症原因遺伝子であると考えられているdysbindin-1 と、古くから薬理学的にその阻害剤が統合失調症に有効であるとされてきたHDACが機能的に相互作用することが本研究によって明らかとなった。

【今後の展望】

今後は、dysbindin-1A の発現によりHDAC3 のリン酸化が抑制されることで、その酵素活性が減弱することを、直接HDAC 活性を測定することで明らかにしたい。さらには、他のisoform B やCを発現させたときに、dysbindin-1 をノックダウンしたとき、またはdysbindin-1 のリン酸化部位変異体を発現させたとき、HDAC 活性がどのように変化するかを検討していこうと考えている。そして、dysbindin-1 とDNA-PK 複合体の相互作用がHDAC3 活性を制御するメカニズムの全貌を明らかにできればと考えている。

最終的には、dysbindin-1 欠損マウス脳内においてリン酸化HDAC3 量の上昇やHDAC 活性の亢進が起きていることを確認し、さらに、そのマウスの統合失調症様表現型をHDAC 阻害剤によって改善することができるかを検討したい。HDAC 阻害剤のdysbindin-1 欠損マウス行動異常改善作用が示されれば、dysbindin-1 の発現低下を原因とした統合失調症発症メカニズムの概要が明らかになると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

統合失調症とは、人口の約1%が罹患する精神疾患であり、幻覚や妄想などの陽性症状と意欲低下や自閉などの陰性症状を呈する深刻な疾患である。統合失調症の病因には遺伝的要因と環境的要因とが複雑に関与し、単一遺伝子による遺伝疾患ではなく、病気に罹りやすくなる感受性遺伝子が複数存在すると考えられている。それらの候補遺伝子が、統合失調症高リスク家系の連鎖解析により、いくつか同定されてきた。

その中の一つにDTNBP1 という遺伝子があり、この遺伝子内のいくつかの一塩基多型(SNPs)が統合失調症と強く連鎖することが、複数の人種で報告されている。これらのSNPs は全てイントロンに存在し、DTNBP1 がコードするタンパク質、dysbindin-1 のアミノ酸配列に変化を及ぼすものではない。しかし、dysbindin-1 と統合失調症の関連性を支持する研究として、統合失調症患者の脳内で、dysbindin-1 のmRNA、タンパク質レベルともに、低下していることが報告された。以上のことから、統合失調症と強く連鎖するイントロンのSNPs によってdysbindin-1 の発現量が下がり、このdysbindin-1 の機能低下が統合失調症の病因の一因であると考えられる。しかしながら、dysbindin-1 の機能については不明な点が多く、特に中枢神経系での生理的機能についての研究は進んでいない。

そこで、本論文提出者は、dysbindin-1 の生理的機能を解析することにより、統合失調症発症の分子メカニズムを解明することを目的とし、修士課程の研究でdysbindin-1結合タンパク質としてスクリーニングされた、DNA-PK 複合体とdysbindin-1 の相互作用に着目して本研究を進めた。DNA-PK 複合体はDNA 二重鎖切断の修復やDNA 組み換え、転写などに関与するタンパク質複合体で、核内キナーゼとして様々な分子をリン酸化することで細胞機能を調節していることが知られている。それに対して、dysbindin-1 は核内に局在することは知られているが、核内での生理機能は全く研究されていない。

そこで本研究では、細胞内におけるdysbindin-1 とDNA-PK の結合を確認し、その結合の機能的意味を検討することで、dysbindin-1 の核内での新規機能を明らかにし、dysbindin-1 の機能欠損が起きていると考えられる統合失調症発症のメカニズムを解明することを目的とした。

本論文の前半では、まず、MASS で同定されたDNA-PK とdysbindin-1 が細胞内でも結合しているかを確認するため、抗dysbindin-1 抗体を作製し、内在性dysbindin-1 とDNA-PK の構成分子であるKu70/80 の共免疫沈降法を行った。その結果、SH-SY5Y 細胞内の内在性dysbindin-1 とKu70/80 が結合していることが確認された。また、細胞免疫染色と細胞分画実験により、内在性のdysbindin-1 は主には細胞質に局在しているが一部は核内にも局在していることが示されたことから、生理的条件下において核内でdysbindin-1 とDNA-PK 複合体は結合しており、何らかの機能を果たしている可能性が示唆された。

次に、dysbindin-1 とDNA-PK 複合体の相互作用の機能を明らかにするべく、in vitroにおいてDNA-PK 複合体がdysbindin-1 をリン酸化する可能性を検証した。その結果、DNA-PK 複合体はdysbindin-1 と結合し、dysbindin-1 をリン酸化することが明らかとなった。さらに、Phos-tag SDS-PAGE 法により、細胞内においてもdysbindin-1 がリン酸化されていることが明らかとなり、DNA-PK 複合体がdysbindin-1 に結合してリン酸化するという両者の機能的相互作用関係が証明された。

次に、ヒトのdysbindin-1 にはNCBI データベースに3 つのisoform(isoform A、B、C)が報告されているが、これまでにisoform 間の機能の違いについては全く知られていなかった。そこで、本研究ではisoform 間の機能的多様性の可能性についても検討した。

各isoform とKu70/80 との結合を共免疫沈降法で、それぞれの細胞内局在を細胞分画で調べた。その結果、isoform A とB は核内に局在し、Ku70/80 と結合するが、C は核内には局在せず、Ku70/80 とも結合しないことがわかった。また、DNA-PK によるリン酸化についてもisoform 間で違いがあるかをin vitro キナーゼアッセイによって検討した。すると意外なことに、全てのisoform がリン酸化されることがわかった。実際に、予測DNA-PK リン酸化部位それぞれの変異体を用いたin vitro キナーゼアッセイによって、DNA-PK によるリン酸化部位は3 つのisoform に共通する配列であることがわかった。つまり、DNA-PK 複合体との相互作用自体はどのisoform も可能であると考えられ、したがって、isoform 間の細胞内におけるDNA-PK 複合体との結合性の違いは、結合ドメインの有無ではなく核内への局在の有無に起因すると考えられた。さらに、細胞内におけるリン酸化状態のisoform 間での違いを比較したところ、結合型isoform A とB のリン酸化状態は高く、非結合型isoform C のリン酸化状態は低いことがわかった。以上のことからdysbindin-1 の3つのisoform は、機能的に2つに分類できると考えられた。一つは、核内に局在してDNA-PK 複合体と機能的に相互作用し、リン酸化レベルの高いisoform A とB の核内機能型dysbindin-1、そしてもう一つは、核に局在せずDNA-PK複合体と相互作用しないisoform C の核内機能欠損型である。

HDAC とはヒストン脱アセチル化酵素で、HDAC の阻害剤は統合失調症の治療薬として広く使用されている。そのHDAC の一種であるHDAC3 がDNA-PK と相互作用することで活性が上昇することが最近報告されたことから、本論文の後半ではdysbindin-1 がDNA-PK を介してHDAC3 の活性に影響を与えている可能性を検討した。dysbindin-1 もHDAC3 もDNA-PK にリン酸化されることから、両者が基質として競合する可能性を考え、dysbindin-1 とHDAC3 を共に発現させたときのHDAC3 のリン酸化状態を検討した。するとdysbindin-1 のisoform A、B と共発現させたときにはHDAC3のリン酸化状態が落ちるが、isoform C と共発現させてもリン酸化状態に変化がないことがわかり、DNA-PK 結合型のdysbindin-1 isoform の発現がHDAC3 のリン酸化を抑制することが示唆された。さらに、dysbindin-1 とHDAC3 の共免疫沈降法の結果から、isoform A とB はHDAC3 と複合体を形成するが、isoform C は形成しないことがわかった。このように、DNA-PK とdysbindin-1、HDAC3 とdysbindin-1 の相互作用のisoform選択性が完全に一致することから、dysbindin-1 がHDAC3 のリン酸化レベルに与える影響はDNA-PK との相互作用を介している可能性が高いと考えられた。

このように、統合失調症との家系連鎖解析によって統合失調症原因遺伝子であると考えられているdysbindin-1 と、古くから薬理学的にその阻害剤が統合失調症に有効であるとされてきたHDAC が機能的に相互作用することが本研究によって明らかとなった。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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