学位論文要旨



No 124355
著者(漢字) 島,知弘
著者(英字)
著者(カナ) シマ,トモヒロ
標題(和) 細胞質ダイニンの運動機構
標題(洋)
報告番号 124355
報告番号 甲24355
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第878号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,和夫
 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 准教授 栗栖,源嗣
 東京大学 准教授 富重,道雄
内容要旨 要旨を表示する

細胞質ダイニンはATPの加水分解により生じるエネルギーを用いて、微小管のマイナス端方向へ運動するモータータンパク質である。細胞内では、さまざまな積み荷と結合して中心体の方向に滑り運動を行うことで、エンドソームやリソソームを含む膜小胞の微小管に沿った輸送、小胞体やゴルジ体および核の中心体近くへの配置、さらには有糸分裂時の染色体分離などさまざまな現象に関わっている。ダイニンはモーター活性を担う重鎖のみでも分子量500kDaを超す巨大なタンパク質であり、そのためモーター活性を保持した遺伝子組換えダイニンを発現・精製することが困難であったため、他の細胞骨格系モータータンパク質であるミオシンやキネシンと比較して運動機構の研究が遅れていた。しかし2004年に、私を含むグループがモーター活性を保持した組換えダイニンを得ることに成功し、これによってさまざまな手法でダイニンの運動機構研究を進めることが可能になった。

本研究は、組換え体を作製できる利点を生かし、細胞質ダイニンの運動機構解明を目指すものである。上述したとおりダイニンは3種類の細胞骨格系モータータンパク質の中で研究が遅れているというのみならず、進化学的な観点および構造学的な観点からも他の二つのモータータンパク質とは大きく異なる。従って、ダイニンの運動機構の解明には、一つのタンパク質の動作機構の解明というだけでなく、細胞骨格系モータータンパク質全体の動作原理への理解を深めるという意義がある。

細胞内で細胞質ダイニンは、重鎖が二量体化したものに軽鎖や中間軽鎖などが結合して、巨大な複合体として機能しているが、ダイニン全体の運動機構を知るためには、まずモーターとして機能する最小限の領域がどのようにして運動を達成しているのか知る必要がある。そこで本研究では、第一章で単量体の細胞質ダイニン重鎖モータードメインの運動機構について検証し、つづいて第二章で細胞質ダイニン分子中の2つの重鎖の運動がどのように組み合わさって、ダイニン分子全体の運動へとつながっているのか研究した。

ダイニン重鎖は、ATP加水分解活性を担うAAAリング、微小管結合部位を含むストーク、二量体形成部位や他のタンパク質との結合部位を含む尾部の3つの機能部位から構成されている。一般にATP駆動型のモータータンパク質は、ATPの結合や加水分解によって起きるヌクレオチド結合部位の微小な構造変化を、大きな動きに増幅して力を発生させており、ミオシンではレバーアーム、キネシンではネックリンカーと呼ばれる領域が、この構造変化の増幅を担っている。ダイニンでは、微小管結合部位を持つストークもしくは尾部の両機能部位のどちらかが、パワーストロークモデルにおけるレバーアームとして働き、ATP加水分解にともなって構造変化を起こし微小管上で力発生をすると予想されていた。2003年に軸糸内腕ダイニンcの負染色電子顕微鏡像の単粒子平均化解析から、ヌクレオチド状態の変化に応じて、尾部がAAAリングに対して首振り様の構造変化を起こしていることが報告され、それに基づきtail-swingモデルが提唱された。さらに溶液中においても、ヌクレオチド状態の変化に応じてこの尾部とAAAリングとの相対的な位置変化が起こっていることが、単量体の細胞質ダイニンモータードメインに2つの蛍光色素を融合させた組換え体を用いた蛍光共鳴エネルギー移動法(FRET, Forster resonance energy transfer)による実験で確認された。 Tail-swingモデルで示されるようにダイニンの尾部がパワーストロークを担う機械的なレバーとして働いているのか、それとも他の力発生機構がダイニンの運動を駆動しているのかという点を明らかにするため、私は尾部の首振り様の動きがパワーストロークへとつながらない微小管滑り運動実験システムを構築した。具体的には、ビオチンタグを単量体細胞質ダイニンモータードメインの尾部上またはAAAリング内の特定の位置に挿入し、ビオチン-アビジン結合を利用してこのダイニンをガラス表面に固定した。Tail-swingモデルに従えば、尾部末端でこのダイニンをガラスに結合させたときには、尾部の首振り様運動がAAAリングやストークを介して微小管の滑り運動を引き起こすのに対し、AAAリングでこのダイニンをガラスに結合させたときには、尾部の首振り様運動が起こっても、それによるAAAリングやストークの位置変化は起こらないはずである(図1)。そのため、これらのビオチン化ダイニンの微小管滑り運動活性を計測することで、尾部の構造変化がダイニンの運動に及ぼす影響を見積もることができる。その結果、細胞質ダイニンが速い微小管滑り運動を行うためには尾部の寄与が必要であり、尾部のパワーストロークがダイニンの主要な動作機構であることが明らかとなった。一方で、尾部のパワーストロークがAAAリングやストークの位置変化につながらない場合でも、速い運動の1/100程度の速度の微小管滑り運動を細胞質ダイニンが起こすことが明らかとなった。この遅い微小管滑り運動は、他のモータータンパク質で提唱されているようなバイアスのかかったブラウン運動、もしくはAAAリングに対するストークの突き出し方向の変化によって駆動されている可能性がある。このように細胞質ダイニンは、尾部のパワーストロークとそれ以外の二次的な機構という2つの運動機構によって駆動されていることが示され、また、どちらの運動機構も運動の方向性は一致しており、ダイニンが微小管のマイナス端方向へ進む動きを生み出していることが明らかとなった。

図1. 微小管滑り運動活性測定の模式図。

(A)切断した尾部末端にビオチンが挿入された組換えダイニンをガラス表面に固定した場合の、ダイニンと微小管の立体配置を予想した模式図。この場合、尾部の運動がAAAリングやストークの位置を変化させるため、微小管滑り運動が観察されると予想される。(B)AAAリングにビオチンが挿入された組換えダイニンをガラス表面に固定した場合の、ダイニンの立体配置予想図。この場合、尾部の首振り様運動はAAAリングやストークの位置変化を起こさないため、尾部の運動がダイニンを駆動しているとすると、このときには微小管滑り運動は観察されないと予想される。

細胞内での細胞質ダイニンは二量体を形成して機能しているので、第二章では、単量体細胞質ダイニンとしての運動がどのように組み合わさり、二量体ダイニンとしての運動を達成しているのか、という点について研究を進めた。二量体化した細胞質ダイニン一分子は、微小管から解離することなく百ステップ以上進むことができる。従って、両方の重鎖が同時に微小管から解離することがないよう、何らかの制御が二つの重鎖にかかっているはずである。この制御の仕組みとしては、ATP加水分解の特定の過程の速度を変化させる制御、もしくは二つの重鎖が結合している尾部を介した張力による制御といったものが考えられる。そこで一方の重鎖のATP加水分解過程を停止させ、ATP加水分解過程の変化による制御を受けないようにしたヘテロ二量体や、尾部末端に柔軟なリンカーを挿入し、尾部末端を介した張力が影響しない二量体を作製し、これらの二量体の一分子運動を解析することで、二つの重鎖間の制御機構を明らかにしようとした。

これまで、細胞質ダイニンは二つの重鎖が交互に力発生して微小管上を進んでいると考えられてきた。しかしダイニンの主要なATP加水分解部位であるAAA1モジュールのWalkerAモチーフにK/T変異を導入したP1T変異体重鎖と野生型重鎖を結合させた野生型/P1Tヘテロ二量体は、一方の重鎖が力発生を全く行わないにもかかわらずプロセッシブに運動した。力発生を行わない重鎖であるP1T変異体は自立的に微小管から解離せず、ヌクレオチド状態も変化させることができないため、野生型重鎖の力発生に伴ってP1T変異体に機械的な張力がかかり、その力によってP1T変異体が微小管から解離していると考えられる。したがって二量体細胞質ダイニンのプロセッシブな運動を駆動する仕組みとして、分子内の二つの重鎖間での機械的な張力が関与していることが示唆された。この機械的な張力の伝達部位としては、二つのダイニン重鎖が結合している尾部末端が最も可能性が高いと考えられていた。しかし尾部末端に柔軟なリンカーを挿入し、尾部末端を介した張力が大幅に低減されるよう設計した二量体組換えダイニンが、リンカーを挿入していないものと同様にプロセッシブに運動することが確認された。この結果は、ダイニン重鎖の尾部末端以外の領域に、機械的な張力を伝達できる程度の強い重鎖間相互作用を示す部位が存在することを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ATPの加水分解により生じるエネルギーを用いて微小管のマイナス端方向へ運動するモータータンパク質である細胞質ダイニンの作動機構を、ダイニン組換え体を用いて明らかにすることを目指したものである。

ダイニン重鎖は、ATP加水分解活性を担うAAAリングからストークおよび尾部と呼ばれる2つの機能部位が突出した構造をとっている。ストークの先端には微小管結合部位であるストークヘッドが存在し、尾部には二量体形成部位や他のタンパク質との結合部位が存在している。一般にATP駆動型のモータータンパク質は、ATPの結合や加水分解によって起きるヌクレオチド結合部位の微小な構造変化を、大きな動きに増幅して力を発生させている。ダイニンでは、微小管結合部位を持つストークもしくは尾部の両機能部位のどちらかが、このような構造変化の増幅を起こす機械的なレバーのように働くことで、微小管上での力発生を行うという"tail swing"モデルが提唱されている。さらに溶液中においても、ヌクレオチド状態の変化に応じて、この尾部とAAAリングとの相対的な位置変化が起こっていることが、2つの蛍光色素を融合させた単量体細胞質ダイニン重鎖を用いた蛍光共鳴エネルギー移動法(FRET, Forster resonance energy transfer)による実験で確認された。しかしこの尾部のスイング様の動きが、実際にダイニンの運動を駆動しているのかという点については明らかでなかった。

そこで、論文の第一章では、"tail swingモデル"で示されるようにダイニンの尾部が力発生を担う機械的なレバーとして働いているのか、それとも他の力発生機構がダイニンの運動を駆動しているのかという点を明らかにするため、尾部の動きが微小管上でのダイニンの運動へとつながらない微小管すべり運動実験システムを構築した。具体的には、ビオチンタグを単量体細胞質ダイニン重鎖の尾部上またはAAAリング内の特定の位置に挿入し、ビオチン-アビジン結合を利用してこのダイニンをガラス表面に固定した。Tail swingモデルに従えば、尾部末端でこのダイニンをガラスに結合させたときには、尾部の運動がAAAリングやストークを介して微小管のすべり運動を引き起こすのに対し、AAAリングでこのダイニンをガラスに結合させたときには、尾部のスイング様運動が起こっても、それによるAAAリングやストークの位置変化は起こらないはずである。そのため、これらのビオチン化ダイニンの微小管すべり運動活性を計測することで、尾部の構造変化がダイニンの運動に及ぼす影響を見積もることができる。その結果、細胞質ダイニンが速い微小管すべり運動を行うためには尾部の寄与が必要であり、尾部のスイングがダイニンの主要な作動機構であることが明らかとなった。一方、尾部の運動がAAAリングやストークの位置変化につながらない場合でも、速い運動の1/50程度の速度で微小管すべり運動を細胞質ダイニンが起こすことが明らかとなった。この遅い微小管すべり運動は、他のモータータンパク質で提唱されているようなバイアスのかかったブラウン運動、もしくはAAAリングに対するストークの突き出し方向の変化によって駆動されている可能性がある。このように細胞質ダイニンは、尾部のスイング様運動とそれ以外の二次的な機構という2つの運動機構によって駆動されていることが示され、また、どちらの運動機構も運動の方向性は一致しており、ダイニンが微小管のマイナス端方向へ進む動きを生み出していることが明らかとなった。

第二章では、単量体細胞質ダイニン重鎖の運動がどのように組み合わさり、二量体ダイニンとしての運動を達成しているのか、という点について研究を進めた。二量体化した細胞質ダイニン一分子は、微小管から解離することなく百ステップ以上連続的に進むことができる。従って、両方の重鎖が同時に微小管から解離することがないよう、何らかの制御が二つの重鎖にかかっているはずである。この制御の仕組みとしては、ATP加水分解の特定の過程の速度を変化させる制御、もしくは二つの重鎖が結合している尾部を介した張力による制御といったものが考えられる。そこで一方の重鎖のATP加水分解過程を停止させ、ATP加水分解過程の変化による制御を受けないようにしたヘテロ二量体や、尾部末端に柔軟なリンカーを挿入し、尾部末端を介した張力が影響しない二量体を作成し、これらの二量体の一分子運動を解析することで、二つの重鎖間の制御機構を明らかにしようとした。

これまで、細胞質ダイニンは二つの重鎖が交互に力発生して微小管上を進んでいると考えられてきた。しかしダイニンの主要なATP加水分解部位であるAAA1モジュールのWalkerAモチーフにK/T変異を導入したP1T変異体重鎖と野生型重鎖を結合させた野生型/P1Tヘテロ二量体は、一方の重鎖が力発生を全く行わないにもかかわらず、微小管上を連続的に運動した。力発生を行わない重鎖であるP1T変異体は自立的に微小管から解離せず、ヌクレオチド状態も変化させることができないため、野生型重鎖の力発生に伴ってP1T変異体に機械的な張力がかかり、その力によってP1T変異体が微小管から解離していると考えられる。したがって二量体細胞質ダイニンの連続的な運動を駆動する仕組みとして、分子内の二つの重鎖間での機械的な張力が関与していることが示唆された。この機械的な張力の伝達部位としては、二つのダイニン重鎖が結合している尾部末端が最も可能性が高いと考えられていた。しかし尾部末端に柔軟なリンカーを挿入し、尾部末端を介した張力が伝わらないよう設計した二量体組換えダイニンが、リンカーを挿入していないものと同様に連続的に運動した。このことから、ダイニン重鎖の尾部末端以外の領域、たとえばAAA+リング間に機械的な張力を伝達する部位が存在し、二量体間の情報伝達を担っている可能性が示された。

本論文の結果は、細胞質ダイニンの作動機構の解明に寄与するところが大きい。したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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