学位論文要旨



No 124359
著者(漢字) 團野,宏樹
著者(英字)
著者(カナ) ダンノ,ヒロキ
標題(和) 神経の発生と遺伝病に関わる転写プログラム
標題(洋) Transcriptional programs in neural development and diseases
報告番号 124359
報告番号 甲24359
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第882号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 渡邊,雄一郎
 東京大学 准教授 奥野,誠
 東京大学 准教授 松田,良一
 東京大学 特任教授 浅島,誠
内容要旨 要旨を表示する

研究1. 眼形成不全の原因遺伝子間の分子的関係

我々脊椎動物は, 外界の情報を得るために眼という神経性の器官を発達させてきた。眼は,明るさ, 色, 濃淡, 形など, 様々な外部情報の受容と伝達の役割を担う, 複雑な機能と構造を有する器官である。そのため, 眼は秩序ある発生プログラムによって形成される必要がある。発生段階において, 予定脳領域の一部が左右に突出し, 表皮と相互作用することにより眼胞が形成される。眼胞は成長因子などの細胞外環境の受容と, 様々な転写因子の発現による細胞内状態の変化によって, 眼胞内でのさらなる領域化と発生運命の決定を行う。そのような複雑な発生プログラムになんらかの異常が起こると, 眼の形成不全が引き起こされる。ヒトの重篤な先天性眼形成不全として, 小眼球症と無眼球症が知られており, 約5000 人に1 人の割合で認められる。これらの原因遺伝子として, 高度に保存された転写因子コード遺伝子Sox2, Otx2, Rax などが同定されている。しかし, 原因遺伝子同士がどのような関係をもって眼の発生を制御しているのかは不明であった。そこで私は, ヒト眼形成不全の原因遺伝子間の分子的な関係を探ることによって, ヒトの眼の発生プログラムの一端を明らかにすることを目指した(図1A)。

私は最初に, Rax 遺伝子の上流制御に注目して比較ゲノム解析を行った。Rax 遺伝子周辺ゲノムをヒト, イヌ, ネズミ, ニワトリ, カエルなどで比較したところ, 転写開始点の約2000 塩基対上流に, 遺伝子をコードしないにも関わらず保存された配列CNS(conserved noncoding sequence, 以下CNS1)が存在していた。アフリカツメガエルを用いた二種類のレポーターアッセイにより, CNS1 は予定眼領域でRax の転写を誘導するシス制御活性を有することが明らかとなった。

より詳細に見ると, CNS1 は特に保存された35 塩基対の配列を含んでいた。この配列の中には完全に保存されたOtx 結合予想配列とSox 結合予想配列が存在していた。ヒトの眼の形成不全の原因遺伝子として, Rax, Otx2, Sox2 がこれまでに同定されていたことから, 私は, 「Otx2とSox2 タンパク質がCNS1 へ直接結合することによりRax の転写を制御する」という仮説をたてた。

まずゲルシフトアッセイにより, in vitro でOtx2 とSox2 タンパク質がCNS1 中の結合予想配列に結合することを確かめた。さらに, in vivo でこれらのタンパク質がCNS1 に結合しているのかを調査するために, Otx2 とSox2 タンパク質に対する抗体を用いて, ツメガエルの神経胚頭部領域からのクロマチン免疫沈降アッセイを行った。その結果, 胚発生において, 内在性のOtx2 とSox2 タンパク質がCNS1 に実際に結合していることが明らかになった。

次に, ツメガエルの細胞とヒト腎臓由来培養細胞HEK293T を用いたルシフェラーゼアッセイを行ったところ, Otx2 単独又はSox2 単独の過剰発現はRax レポーターの転写を誘導しないが, Otx2 とSox2 の両方の同時過剰発現はRax レポーターの転写を活性化することが明らかとなった。

Otx2 とSox2 タンパク質がRax の転写活性化に関して協調性を有していたことと, CNS1 におけるOtx 結合配列とSox 結合配列の間の距離が短く(6 塩基対) また距離が脊椎動物間で保存されていることから, Otx2 とSox2 タンパク質が複合体を形成することが予想された。GSTプルダウンアッセイと共免疫沈降法により, in vitro とin vivo で, Otx2 とSox2 が生化学的に相互作用することが明らかとなった。また, ヒトで同定された眼形成不全の原因となるSox2 のミスセンス変異は, Sox2 とOtx2 によるRax の制御に影響を与えることが確かめられた。

ここまでの結果により, 「Otx2 とSox2 タンパク質が互いに直接相互作用し, シス制御配列であるCNS1 を介して相互依存的にRax の転写を活性化する」という, ヒトを含む脊椎動物で保存された遺伝子とシス制御配列からなる眼の発生プログラムが明らかになった(図1B)。

研究2. 転写因子Otx2 に支配される眼と脳の転写プログラムの同定

研究1 により, 転写因子Otx2 が眼の発生と遺伝病に関わる転写プログラムを上流で制御していることが明らかになったが, Otx2 の変異は眼の形成不全だけでなく, 脳の形成不全, 双極性障害, 学習不全などを引き起こすことが知られていることから, Otx2 は脳の発生と遺伝病に関わる転写プログラムをも制御していると考えられた。そこで私は研究2 において, 脳におけるOtx2 の標的遺伝子を包括的解析技術により同定することを目指した。同様のアプローチにより, 眼の発生と遺伝病に関わる, Rax 以外の標的遺伝子の同定も行うことができると考えられる。

私はOtx2 を哺乳類の神経前駆細胞に過剰発現させ, その細胞の遺伝子発現の変化をマイクロアレイによって解析することにした。発生中の哺乳類胚の予定神経細胞に時空間的に統制して遺伝子の過剰発現を行い, そこから精度の高い遺伝子発現プロファイルを得るのは技術的に困難である。そこで私は, in vitro で神経の前駆細胞に分化させたマウス胚性幹細胞に, Otx2を薬剤誘導により過剰発現させるという方法を用いた。

定量的PCR 法によるマウス胚性幹細胞の無血清培養条件のスクリーニングの結果, 培養液に白血病抑制因子, レチノイン酸および繊維芽細胞成長因子のいずれも含まれない無血清培地中においてラミニン上で培養した胚性幹細胞は, 神経の前駆細胞に分化運命が方向付けられることがわかった。

また, 時間的にOtx2 の過剰発現を制御するために, テトラサイクリンの除去でOtx2 の転写発現を制御可能な胚性幹細胞株を樹立した。この細胞を選定した培養条件で神経の前駆細胞に分化誘導し, 4 日間の培養後, テトラサイクリンの存在化または非存在化でさらに2 日間培養し, RNA を抽出した。本マイクロアレイ解析においては2 回の生物学的反復及び2 回の技術的反復を行っている。線形モデルと経験ベイズ法を用いた解析から, 複数のOtx2 の標的遺伝子候補が見出された。標的遺伝子候補のうち12 個については定量的PCR 法により, Otx2による遺伝子発現誘導に確証を与えた。また, これらの遺伝子は有意に脳や眼に関係する機能アノテーションが関連付けられていたことから, 本探索の有効性が示された。標的遺伝子の第1 候補となったNr2e1 は, Otx2 とともにその変異が双極性障害の危険因子として二つの独立した先行研究にて見出されていたことから, 本研究で同定された転写制御関係が双極性障害に深く関わっている可能性が考えられる。さらに, 得られたマイクロアレイデータを用いて, その変異が眼の形成不全の原因であることが示されている, または可能性が考えられている合計12 個の遺伝子の発現がOtx2 によっていかに制御されているかについても調査し, 研究1 で明らかとなった転写制御関係をより拡張することに成功した。

In vitro 分化系, 薬剤誘導性過剰発現系, 及びマイクロアレイ解析を組み合わせた本研究は,時空間的な統制を行ったin vitro 実験系と, そこから得られる定量的データの統計解析が, 発生や遺伝病などに関わるin vivo の遺伝子プログラムの同定と解析に有用であることを示している。この戦略により, 転写因子Otx2 が眼と脳の発生とその遺伝病に関わる転写プログラムをいかに支配しているかが明らかになった。

図1: (A) ヒトの眼の形成不全の原因遺伝子として複数の遺伝子が同定されてきた。しかし, それらの関係は明らかでない。私はヒトの眼の形成不全の原因遺伝子間の関係を探ることによって, ヒトの眼の発生と遺伝病の分子プログラムを明らかにすることを目指した。(B) ヒトの遺伝病の知見, カエル胚を用いた操作性の高い実験, そして比較ゲノム解析を組み合わせることによって明らかになったヒト眼形成不全原因遺伝子間の分子的関係。転写因子Otx2 とSox2 が互いに相互作用し, 進化的に保存されたシス制御配列であるCNS1 を介して相互依存的にRaxの転写を活性化する。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は大きく分けて2つの研究から成り立っている。研究1では眼の発生と遺伝病に関する転写プログラムの同定を行い, 研究2では包括的解析を行うことにより, 研究1から明らかになった転写プログラムを拡張している。

研究1ではヒトの眼の発生と遺伝病に関わる転写プログラムを同定することを目指し, 重篤な眼の形成不全である無眼球症の原因遺伝子間の関係を探った。まず, 無眼球症の原因遺伝子の一つであるRax遺伝子の発現制御機構を明らかにするために比較ゲノム解析を用いている。脊椎動物間でRax遺伝子周辺についての配列類似性を調査したところ, Rax遺伝子の上流に遺伝子をコードしないが保存された配列CNS1 (Conserved Noncoding Sequence 1) が見出された。このような配列はシス制御活性を有していることが期待されたため, ツメガエル胚を用いたルシフェラーゼアッセイとトランスジェニックアッセイを行ったところ, CNS1がRax遺伝子の発現を調節するシス制御配列であることが明らかにされた。

CNS1にはなんらかの転写因子が結合することが考えられた。そこでCNS1についてのphylogenetic footprintingを行ったところ, CNS1中には保存されたOTX型転写因子結合配列とSOX型転写因子結合配列が存在していた。ヒトの無眼球症の原因遺伝子としてRax, Otx2とSox2が同定されていたこと, また, これらが脊椎動物の予定眼領域で共発現していたことなどに基づき, 論文提出者はOtx2とSox2タンパク質がCNS1に結合することによってRaxの転写を調節するという仮説をたて, 検証を行った。

EMSA (Electrophoretic mobility shift assay) により, in vitroでOtx2とSox2タンパク質がCNS1配列に結合することが確かめられた。さらに, 胚の予定眼領域において内在性のOtx2とSox2タンパク質がCNS1に結合していることがクロマチン免疫沈降法により明らかになった。次に, ツメガエルの細胞を用いたルシフェラーゼアッセイにより, Otx2とSox2の両方がRaxの転写活性化に必要であることがわかった。また, ヒトの培養細胞を用いた再構成実験の結果, Raxレポーターの活性化には, Otx2とSox2の共過剰発現で十分であることが明らかになった。この両者の間に転写活性化についての相互依存関係が見出されたことから, Otx2とSox2タンパク質間で生化学的相互作用があることが予想され, プルダウン法と共免疫沈降法によりそれが確かめられた。

研究2では, 研究1から明らかとなった転写プログラムを拡張することを試みている。Otx2とSox2は予定眼領域だけでなく, 予定脳領域でも発現が重なっていたこと, また, Otx2やSox2のヒトにおける変異は, 無眼球症という眼の形成不全だけでなく, 脳機能障害なども引き起こすことが知られていたことから, Otx2とSox2とによる転写制御支配は予定眼領域だけでなく, 予定脳領域にも存在していると考えられた。そこで, Sox2が発現している予定神経細胞においてOtx2を過剰発現することにより変動した遺伝子発現を包括的に解析することにした。理想的にはin vivoにおける遺伝子発現を解析することが考えられる。しかし, 胚中のごく少量の予定神経細胞において遺伝子の過剰発現を行い, その結果生じた発現変動を精度よく調査するのは困難であることから, 論文提出者はマウス胚性幹 (ES) 細胞を用いたin vitro神経発生系を構築し, この困難を克服した。同定した神経前駆細胞誘導条件にて, テトラサイクリン除去によるOtx2の過剰発現を行い, その結果生じた遺伝子発現変化をマイクロアレイにより解析したところ, 複数の遺伝子の発現が有意に変動していることが明らかとなった。これら遺伝子に有意に脳や眼の発生についての機能アノテーションがつけられていたことは, 本ストラテジーの有効性を示している。また, これら遺伝子とOtx2との新規の関係が明らかになったことに加え, 変動遺伝子中の未知の遺伝子と眼や脳の発生と遺伝病との関係を期待させる。

研究1においては, ヒト遺伝学からの知見, ツメガエル胚を用いた操作性の高い実験と, 比較ゲノム解析とを組み合わせることにより, Otx2とSox2とによるRaxの正制御という保存された転写プログラムが明らかになった。この転写プログラムの構成要素であるOtx2タンパク質, Sox2タンパク質, Rax遺伝子, そしてシス制御配列CNS1は全て保存されたものであることから, この転写プログラムはヒトを含む脊椎動物で保存されたものであると言える。

研究2においては, in vitro分化系, 制御可能な過剰発現系と, マイクロアレイによる包括的発現解析とを組み合わせることにより, 研究1で明らかになった転写プログラムの拡張として, Otx2によって支配される眼と脳の転写プログラムの全体像が明らかにされた。

本研究は, 眼と脳の発生と遺伝病に関わる転写プログラムを明らかにしたことから, 生物学的知見の蓄積という点で評価される。さらに, 本研究で構築されたストラテジーは, 眼や脳といった特定の器官だけにその適用範囲が限られるものではない。従って, 本研究の成功はストラテジーの応用可能性を示したという点でも評価できる。

これらは道上達男, 常陸圭介, 雪田聡, 石浦章一, 浅島誠との共同研究であるが, 論文提出者が主体となって研究計画, 実験及びその解析を行ったものであり, 論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って, 本審査委員会は博士 (学術) の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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