学位論文要旨



No 124361
著者(漢字) 班目,春彦
著者(英字)
著者(カナ) マダラメ,ハルヒコ
標題(和) 血流制限下のレジスタンストレーニングにおける筋肥大効果の転移
標題(洋) Cross-transfer of muscle hypertrophy in resistance training with blood flow restriction
報告番号 124361
報告番号 甲24361
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第884号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 久保田,俊一郎
 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 准教授 八田,秀雄
 東京大学 准教授 村越,隆之
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

レジスタンストレーニングを行うことで,トレーニングを行った筋群だけでなく,トレーニングを行わなかった筋群にも筋力増加が生じること(筋力増加の効果転移)は良く知られている.この筋力増加の効果転移は,神経系の適応のみによって生じ,筋肥大の効果転移は生じないものと考えられてきた.しかし,蛋白同化作用を持つ内分泌因子の血中濃度を上昇させるようなトレーニングを行うことで,内分泌因子の全身的な作用による筋肥大の効果転移を生じる可能性が考えられる.

近年の研究から,血流制限下でレジスタンストレーニングを行うこと(血流制限トレーニング)で,低負荷のトレーニングでも筋肥大を生じることが明らかとなっている.この血流制限トレーニングによる筋肥大の要因の一つとして,内分泌活性の亢進による一過的な血中ホルモン濃度の上昇が考えられている.そこで,本博士論文では,血流制限トレーニングが,血流制限下でトレーニングを行った筋群以外の筋群に与える影響を検討し,そのメカニズムを探ることを目的として研究を行った.

【研究1】血流制限トレーニングに対する内分泌応答:上肢運動と下肢運動の比較

血流制限下で運動を行うことで内分泌活性が亢進し,血中ホルモン濃度の一過的な上昇が生じることは明らかとなっている.しかし,運動に参加した筋群の違いが内分泌応答へ与える影響は明らかとなっていない.そこで,研究1では,長期的なトレーニング実験のプロトコルを作成する際の参考にするために,血流制限トレーニングに対する一過的な内分泌応答を上肢の運動と下肢の運動で比較する実験を行った.

若年男性9名を被験者として,1週間の間隔を空けて上肢の運動と下肢の運動を1回ずつ行った.上肢の運動はダンベルカールとプレスダウン,下肢の運動はレッグエクステンションとレッグカールとした.上肢の運動の際は両上腕基部に,下肢の運動の際は両大腿基部にベルトで適度に圧迫を加えて血流を制限した.採血を運動開始前,運動終了直後,15分後,30分後の計4回行い,乳酸,ノルアドレナリン,成長ホルモン,テストステロン,コルチゾール,及びインスリン様成長因子の血中濃度を測定した.その結果,乳酸,ノルアドレナリン,テストステロン,及びインスリン様成長因子の血中濃度は,上肢の運動と下肢の運動で同程度上昇したが,成長ホルモンの血中濃度-時間曲線下面積(AUC)は,上肢の運動に比べて下肢の運動で有意に高値を示した(図1).

【研究2】下肢の血流制限トレーニングが上肢の筋群に与える影響

研究1の結果から,上肢の運動に比べて下肢の運動で,より大きな内分泌応答を生じることが示唆された.そこで,研究2では,下肢の血流制限トレーニングが,全くトレーニング行わなかった上肢の筋群,及び血流を制限せずに低負荷のトレーニングを行った上肢の筋群に与える影響を調べることを目的として長期トレーニング実験を行った.

15名の若年男性を下肢血流制限トレーニング群(OCC)と下肢通常トレーニング群(NOR)の2群に分け,週に2回のトレーニングを10週間実施した.トレーニング種目は,上肢はダンベルカール,下肢はレッグエクステンション及びレッグカールとした.上肢のトレーニングは,両群とも血流を制限せずに片側のみ最大挙上重量(1RM)の50%の負荷強度で行い(OCC-T, NOR-T),対側肢はトレーニングを行わなかった(OCC-C, NOR-C).下肢のトレーニングは,30%1RMの負荷強度を用いて,OCCは両大腿基部に圧迫を加え血流制限下で行い,NORは血流を制限せずに行った.トレーニング期間の前後で筋力及び筋断面積を測定した.その結果,上肢ではOCC-Tにおいてのみ筋力及び筋断面積の有意な増加が生じ(図2),筋断面積の増加率は他群に比して有意に高値を示した.この結果から,血流制限トレーニングによる内分泌活性の亢進が,全身的な作用によって,血流を制限せずに低負荷のトレーニングを行った筋群の肥大を増強することが示唆された.そこで,筋肥大を生じた内分泌因子を調べるために,10名の被験者を対象として,1回当たりのトレーニングと同じ条件で一過的な血中ホルモン濃度の変動を測定した.その結果,成長ホルモンとテストステロンでは群間差が認められなかったが,ノルアドレナリンではトレーニング後にOCCがNORに比して有意に高値を示した.この結果から,先行研究において筋肥大への貢献が示唆されていた成長ホルモンは主要因ではない可能性が示された.また,その作用幾序は未解明であるが,ノルアドレナリンの筋肥大への関与が示唆された.

【研究3】下肢の血流制限トレーニングが高負荷トレーニングを行った上肢の筋群に与える影響

研究2の結果から,血流制限トレーニングによる内分泌活性の亢進が,全身的な作用によって,血流を制限せずに低負荷のトレーニングを行った筋群の肥大を増強することが示唆された.しかし,血流制限トレーニングが,血流を制限せずに高負荷のトレーニングを行った筋群に対しても同様に筋肥大の増強効果を生じるか否かは明らかとなっていない.そこで,研究3では,下肢の血流制限トレーニングが,血流を制限せずに高負荷のトレーニングを行った上肢の筋群に与える影響を調べることを目的としてトレーニング実験を行った.

17名の若年男性を下肢血流制限トレーニング群(OCC)と下肢通常トレーニング群(NOR)の2群に分け,週に2回のトレーニングを10週間実施した.トレーニング種目は,上肢はマシンベンチプレス,下肢はマシンスクワットとした.上肢のトレーニングは,両群とも血流を制限せずに3RMの負荷強度で行った.下肢のトレーニングは,30%1RMの負荷強度を用いて,OCCは両大腿基部に圧迫を加え血流制限下で行い,NORは血流を制限せずに行った.トレーニング期間の前後で筋力及び筋断面積を測定した.その結果,上肢ではOCCとNORの両群において筋力及び筋断面積が有意に増加し(図3),その増加率に群間差は認められなかった.また,5名の被験者を対象に,1回当たりのトレーニングと同じ条件で一過的な血中ホルモン濃度の変動を測定した.その結果,成長ホルモンでは群間差が認められなかったが,ノルアドレナリンとテストステロンではトレーニング後にOCCがNORに比して有意に高値を示した.これらの結果から,血流制限トレーニングによる内分泌活性の亢進は,血流を制限せずに高負荷のトレーニングを行った筋群の肥大を増強しないことが示唆された.

【まとめ】

本研究により,血流制限トレーニングは,(1)血流を制限せずに低負荷のトレーニングを行った筋群の肥大を増強すること,(2)全くトレーニングを行わなかった筋群には筋肥大の効果転移を生じないこと,(3)血流を制限せずに高負荷のトレーニングを行った筋群の肥大を増強しないこと,が示された.これらの結果から,筋肥大における第一要因は筋に対する局所的刺激であるが,局所的刺激の強度が低く,単独では筋肥大を生じない場合でも,内分泌因子などの全身的な作用が加味されることにより筋肥大を生じることが示唆された.また,筋肥大を生じた内分泌因子については,先行研究において筋肥大への貢献が示唆されてきた成長ホルモンでは血流制限の有無による差が見られず,主要因ではない可能性が示された.一方,その作用幾序は未解明であるが,ノルアドレナリンの筋肥大への関与が示唆された.

本研究により得られた知見は,骨格筋肥大のメカニズム解明の一助となるものである.また,四肢の血流制限トレーニングを行うことで,体幹部の筋群等,血流制限を適用できない部位のトレーニング効果が増強される可能性が考えられ,リハビリテーションや高齢者の筋萎縮予防のための効果的なトレーニング処方の開発に寄与するものであると考えられる.

図1 成長ホルモンの血中濃度-時間曲線下面積 (AUC)上肢の運動 (□) に比べて下肢の運動 (■)で有意に高値を示した (P < 0.05).

図2 肘屈筋の横断面積 (CSA)下肢血流制限トレーニング群のトレーニング側 (OCC-T) のみトレーニング前 (□) に比べてトレーニング後 (■)で有意に高値を示した (P < 0.05).

図3 肘伸筋の横断面積 (CSA)両群ともトレーニング前 (□) に比べてトレーニング後 (■) で有意に高値を示したが (P < 0.05),群間差は認められなかった.

審査要旨 要旨を表示する

筋力トレーニング(レジスタンストレーニング)による筋力増強効果は、直接トレーニングの対象としていない筋群にも発現することがあり、「筋力増強の効果転移」(Cross-transfer)と呼ばれている。この場合、効果転移が生じた筋には筋肥大は起こらず、筋力増強は、筋力発揮のための神経系の学習効果によるものと考えられており、「交叉学習」(Cross-education)とも呼ばれる。一方、トレーニングの方法によっては、筋肥大効果そのものが他の筋に転移する可能性も考えられる。特に、近年開発された「筋血流制限下でのレジスタンストレーニング」(加圧トレーニング)のように、局所的な筋肥大効果が大きく、さらに交感神経系や内分泌系を強く活性化する方法を用いれば、その全身的作用によって筋肥大効果にも転移が生じて不思議ではない。本論文は、筋血流制限下でのレジスタンストレーニングによる筋肥大効果が、条件によっては他の筋に転移しうることを初めて実証し、そのメカニズムについて考察したものである。

本論文は5章からなり、第1章は序論、第2章は血流制限トレーニングに対する内分泌応答の上肢運動と下肢運動での比較、第3章は下肢の血流制限トレーニングが上肢の筋群に与える影響、第4章は下肢の血流制限トレーニングが高負荷トレーニングを行った上肢の筋群に与える影響について論じ、第5章は総括論議となっている。

第2章では、第3章以降の実験条件を設定するために、運動直後の内分泌応答の大小について、上肢の血流制限トレーニングと下肢の血流トレーニングの間で比較し、下肢の血流制限トレーニングの方が、成長ホルモンの分泌を活性化する効果が大きいことが示されている。

第3章では、第2章の実験結果をふまえ、下肢の血流制限トレーニングを長期的に行なった場合に、その筋肥大効果が上肢の筋に転移するかを詳細に検討している。その結果として、1)単独では筋肥大も筋力増強も引き起こさない低負荷の通常トレーニングを上肢筋に対して行ない、下肢の血流制限トレーニングと組み合わせると、上肢筋にも筋肥大と筋力増強が生じること、2)一方、運動を全く行なわない上肢筋に対しては、このような転移効果が生じないこと、などの興味深い成果が得られている。

第4章では、下肢の血流制限トレーニングが、血流を制限せずに高負荷のトレーニングを行った上肢の筋群に与える影響を調べ、下肢の血流制限トレーニングによって内分泌活性の亢進は認められるものの,高負荷トレーニングを行なった上肢筋群の肥大を増強しないことが示されている。

第2章~第4章で述べられている実験結果から、血流制限トレーニングによる内分泌活性の亢進が、その全身的な作用によって、血流を制限せずに低負荷のトレーニングを行った筋群の肥大を増強することが示唆された。一方、上肢筋に対して全くトレーニングを行なわなかった場合にはこうした効果は見られず、逆に十分に筋肥大が生じるトレーニングを上肢筋に負荷した場合には筋肥大の増強効果が見られないことも示された。

第1章の序論および第5章の総括論議でも述べられている通り、本論文が扱っているテーマは、障害のリハビリテーションや、低体力者のための筋力トレーニング処方という見地からきわめて重要と考えられる。残念ながら、筋肥大の効果転移のメカニズムについては、本論文における内分泌反応に一貫性が見られないこと、in vitro系などを用いた実験が行なわれていないことから、今後さらに検討していく必要があろう。しかしながら、本論文は、筋力トレーニングによる筋肥大効果が他の筋に転移する可能性を世界で初めて実証したものであり、そのメカニズムの解明に向けた研究を刺激するばかりでなく、運動指導の現場でもきわめて有用な知見を提供している点でも意義の高いものと評価される。

なお、本論文の第3章は、仲里浩一、越智英輔(以上日本体育大学)、禰屋光男、松林武生(以上東京大学大学院総合文化研究科)、佐藤義昭(東京大学大学院医学系研究科)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク