学位論文要旨



No 124363
著者(漢字) 濱田,博之
著者(英字)
著者(カナ) ハマダ,ヒロユキ
標題(和) 日本工業の立地調整に関する数量経済地理学的研究
標題(洋)
報告番号 124363
報告番号 甲24363
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第886号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 広島大学 教授 友澤,和夫
内容要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、これまで用いられることの少なかった数量的データの積極的な活用を提案し、その具体的な利用について示すことにある。既存統計にように集計されたデータではなく、個票に近いデータを数多く収集し、それを独自に集計分析することで、既存統計を用いた手法では不可能だった点について明らかにしようと試みる手法である。本研究では安定成長期における工業地域構造の把握を例にとり、その有用性について検討した。新設工場の動きを追えば全体を代表できた高度成長期とは異なり、安定成長期においては再編の要素が相対的に強くなっている。そのため新設ばかりではなく、閉鎖や移転といった要素についても把握していかなくては、正確に実態を明らかにすることはできない。このような立地調整については既存統計からでは明らかにできない点も多く、数量的データの活用が重要となる。

序章では既存の手法による工業地域構造の把握には限界があったことを指摘し、それを補うものとして立地調整の概念の導入、および数量的データの利用を提案した。特に安定成長期の検討にあたっては立地調整の概念が有用であり、数量的データの重要度も増している。

第1章では既存統計を用いて工業地域構造の把握を試みた。ただし静態的な把握に留まらぬよう、いくつかの手法を組み合わせている。シフトシェア分析から地域毎の成長の要因を産業構造要因と地域特殊要因とに分解し、いずれの影響によって成長したのかを明らかにし、さらに業種ごとの寄与率を組み合わせることで業種ごとの与えた影響についても検討した。ジニ係数の分析からは、ほぼすべての業種が分散する傾向にあるが、その度合いは業種によって大きく異なっていることが明らかとなった。このように既存の手法からでも明らかにできることは多いが、これらはすべて二時点間における純増減をもとに議論しているという決定的な弱点を持つ。

そこで立地調整の議論を導入し、地域毎の従業者数の成長を例にとり「新設」「閉鎖」「増強・縮小」の要素に分解した。その結果として事業所数や従業者数の増加率が等しい場合でも、その内容には地域によって大きな差がみられることを示した。このことは単純な純増減や増減率のみによって現状を把握しようという試みには限界があることを示している。立地調整の概念は有効ではあるが、利用できる資料に限界があるという欠点も持つ。これらの欠点は既存の統計資料を用いる限り乗り越えることはできず、数量的データを利用する他に克服する道はない。数量的データを必要に応じて集計することにより、既存統計からでは得られなかった立地調整の要素についても、鮮やかに描き出すことが可能となる。また必要であれば個票データに戻り、個々の主体の動きを追うことで変動の要因を特定することも可能である。数量的データの有用性を明らかにしたところで、第2章以降では立地調整の各要素についての把握を試みた。

第2章は新設についての検討である。新設は立地調整の要素のうちもっとも基礎的ともいえる。既存研究を概観したところ、距離などの位置関係が新設に与える影響と、資本所在地ごとの地方工業化に与えた影響についての検討が課題として浮かび上がった。このうち前者については、既存統計の事業所・企業統計を詳細に検討することで一定の成果を得ることができた。後者については既存統計からの把握は難しく、数量的データの特定工場設置届出を用いることで明らかにした。新設工場の資本所在地についてみてみると、多くの地域では自県資本がもっとも多かったが、東京資本や大阪資本も自県資本に次いで存在しており、強い影響を与えていた。これら資本所在地の影響力は基本的に近隣の県ほど強く、距離が離れるに従って逓減する傾向にある。他県に影響を与えている地域としては、東京都、愛知県、大阪府、福岡県が抽出され、この4県を中心に全国が区分されていた。さらに大手電機メーカーを事例として生産子会社についても検討した。数量的データを利用することで、グループごとに立地戦略が大きく異なっていることを明らかにできた。

第3章は閉鎖についての検討である。閉鎖は新設と対となる要素で、立地調整のうちではもっとも重要なものの一つであるにも関わらず、これまでの研究では重視されてこなかった。しかし安定成長期に移行した近年では閉鎖の持つ重要性は格段に増しており、閉鎖の要因や跡地利用などより注目していく必要がある。まず全国的な閉鎖の動向について明らかにするため、日経DBを用い1980年代以降の工場閉鎖動向について数量的な把握を試みた。その結果として閉鎖の類型や跡地利用には地域差が存在することなど、既存研究では明らかにされることのなかった点について数量的に把握することが可能となった。また閉鎖件数や跡地利用の年次比較についても、多摩川流域の大規模工場を対象として検討し、住宅地図を利用した調査により把握することが可能であることを示した。

第4章は移転についての検討である。移転は新設や閉鎖に比べると副次的な要素ではあるが、その影響は単純な件数以上に大きいと考えられる。全国的な移転動向については既存統計である工場立地動向調査からある程度の把握ができるものの、詳細な検討は難しく、数量的データを利用する余地は大きかった。そこで東京大都市圏南西部を事例として、全国工場通覧を数量的データとして用いることで、工場の移転動向が時代によってどのように変化してきたのかを検討した。その結果、郊外地域は工業化の進展と同時に都心部との結びつきを弱め、郊外地域のみで完結した工業空間を形成する傾向にあることが示唆された。かつてはほとんど交流のみられなかった東京多摩と神奈川内陸の関わりが強まっていることが明らかとなり、「広域多摩」などの新しい枠組みによって地域を捉えていく必要性を指摘した。

終章では、前章までに立地調整の各要素について数量的データを用いて接近を試みた結果をまとめ、既存研究の手法では資料上の制約もあり検討できなかった点についても、数量的なデータを用いることで明らかにできた点が多くあることを示した。このことから数量的データの利用は経済地理学においても有効な手法であることが明らかになったといえる。既存統計からの把握では不明瞭だった部分を照らし出すことができた意義は大きいものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

工業地域の形成や変動を論じるにあたり,経済の成長期においては,工場の新設を主たる研究対象とすればよかったが,成熟期さらには景気後退期においては,工場の縮小や閉鎖,移転といった再編の要素が強くなってくる。ところが,工業統計表に代表される既存統計では,新設から閉鎖や移転を差し引いたネットの数値しか示されず,変化の要因分析は不十分な状態にとどまっていた。本論文では,工場の新設,閉鎖,移転,増強・縮小・機能転換といった変化の構成要素について,大量の個別的データを収集し,それらを新しい枠組みによって集計し直し,さらにGIS(地理情報システム)を活用することにより,日本工業の立地調整を実証的に明らかにしようとしたもので,数量経済地理学という新しい研究領域を開拓した点に意義がある。

本論文は,序章,4つの章と終章から成る。まず序章では,工業地域構造に関する既存研究が整理されるとともに,既存の手法による工業地域構造把握の限界が指摘され,これに代わる立地調整の概念の導入および数量経済地理学の分析視角が示される。

第1章では,工業統計表や事業所・企業統計といった既存統計を用いつつ,日本工業の地域構造の長期的変化が描き出されている。しかも,シフトシェア分析,ジニ係数を用いた分析がなされ,地域ごとの成長の要因や産業別の集中・分散の傾向が示されている。その上で立地調整の概念が導入され,地域別の従業者数の増減が,新設,閉鎖,増強・縮小の各要素に分解され,説明がなされている。

第2章以下は,立地調整に関わる変化の構成要素のそれぞれについて,数量的データを用いた詳細な分析がなされている。まず第2章では,工場の新設が取り上げられ,新設率の地域差について議論がなされている。その上で,「特定工場設置届」の個別データにもとづいて,新設工場に関わる地域的特徴が明らかにされている。企業本社所在地の影響力は,近隣の県ほど強く,距離が離れるに従って逓減する傾向をモデル化するとともに,東京,大阪,愛知,福岡の4都府県に本社を置く企業により日本全国が各勢力圏に区分される状態が示されている。

第3章では,工場の閉鎖が取り上げられている。既存研究では特定の業種や企業,特定の地域に限られていたのに対し,本研究では「日本経済新聞」データベースを使い,長期間にわたるマクロ的な分析が行われている。そこでは,「移転による閉鎖」,「集約による閉鎖」, 廃業,撤退といった類型化がなされ,1990年代以降「移転による閉鎖」が減少し,代わって「集約による閉鎖」が増えてきている点など,興味深い結果が指摘されている。また後半では,多摩川流域での大規模工場の閉鎖・機能転換や跡地利用の実態が,「住宅地図」の経年変化の分析とGISによる地図作成およびアンケート調査結果を用いて明らかにされている。

第4章では,工場の移転が取り上げられているが,この点に関しても既存研究では産業や地域を限定した分析にとどまっていた。本研究では,「工場立地動向調査」をもとに全国スケールでの移動分析を行うとともに,「全国工場通覧」の個別データをもとにデータセットを構築し,GISにより地図化することにより,東京大都市圏スケールでの移動分析がなされている。そこでは,1970年代の東京区部から郊外地域へ向かう移転が1980年代以降弱まり,1990年代には東京多摩から神奈川内陸に向かう流れなど郊外地域での移転が強まる傾向が指摘され,東京西郊での工業空間の自立化という興味深い事態が示唆されている。

終章では,これまでの知見が整理されるとともに,ミクロとマクロをつなぐ数量経済地理学の今後の研究課題が示されている。

以上のように本論文は,立地調整に関わる個別データの数量的分析とGISを使用した地理的分析により,工業地理学の新たな立地分析手法の可能性を開拓した研究成果として高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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