学位論文要旨



No 124365
著者(漢字) サルツバーグ,クリストファー
著者(英字) SALZBERG,Christpher
著者(カナ) サルツバーグ,クリストファー
標題(和) オンライン多言語環境の中でのコミュニティ翻訳 : ケーススタディと理論的枠組み
標題(洋) Community Translation in a Multilingual Online Environment : Case Study and Theoretical Framework
報告番号 124365
報告番号 甲24365
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第888号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池上,高志
 東京大学 准教授 藤垣,裕子
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 教授 HONES,SHEILA
 東京大学 准教授 影浦,峡
内容要旨 要旨を表示する

ここ数年間、インターネットの普及は人々が世の中の情報を受け取る方法に大きな影響を与えてきた。中央集権的なマスメディアの従来型モデルは急速に変化 し、特に新聞業界は近年大規模な縮小を余儀なくされている。ブログやウィキ(wiki)など、いわゆる参加型メディアの競争に直面した報道業界は、利益を 維持するためにニュースの内容を地域やコミュニティ規模に移行しているという研究結果が出されている。その一方で、このローカルレベルへの転換が進むとともに、グローバルニュースの中で異文化理解を脅かす報道のギャップが広がっている。

そこで本研究は、ケーススタディ研究から生まれる理論的枠組みを通じて、「コミュニティ翻訳」という概念に基づいたネットメディアによるグローバルニュー スの発信についての異なる視点を提示する。研究の第一対象として、「グローバル・ボイス・オンライン(Global Voices Online)」という市民メディアネットワークに注目する。グローバル・ボイス・オンラインは国境、言語、文化を越えて世界中から数百人のブロガー、ジャーナリスト、翻訳家が参加し、ネット上で交わされる会話を集約するメディアプロジェクトである。特に本研究は、英語から10ヶ国語以上で、ローカルブロガーの視点を世界中の言語コミュニティに伝える「プロジェクト・リングア」という翻訳プロジェクトに焦点を当てる。

本研究はケーススタディという方法論を採用している。グローバル・ボイスのメンバーとして、研究者が団体の中の議論に参加して、翻訳家と会って、それからアンケートやインタビューなどという調査を行った。ケーススタディ対象のプロジェクト・リングアと直接関連する資料以外にも、翻訳コミュニティのためのソフト開発者、また別の翻訳コミュニティとのインタビューも分析資料の一部として含まれる。

本研究ではさまざまな分野の研究を取り入れている。翻訳学(Translation Studies)という枠組みの中では、ここ数年間で今までほとんど研究されていなかった通信社内の翻訳、その過程や背景などについてさまざまな研究が行われてきた。通信社で翻訳された文章は、言語コミュニティに伝えられる際に大幅に組み替えられる、ということが分析の結果証明された。本研究は、グローバル・ボイスという団体内において、世界中の読者に向けて発信するために引用するブログエントリーを選択、文脈付け、整理をし、ニュースを集めるという過程を、通信社での内容を組み替える作業に関連付ける。一方で、プロジェクト・リングアのチームの翻訳方法は、音声・映像翻訳の分野で研究されているアニメの 字幕翻訳を行うファン翻訳(fan translation)コミュニティに類似しているようである。より広い意味で本研究は、「翻訳コミュニティ」を一つの実態として捉え、バーチャル・コミュニティの研究から生まれた類型を用いて、分類し特徴付ける。

本研究ではケーススタディの結果を用いて、メディアによる国際ニュースの報道と、グローバル・ボイスのコミュニティ翻訳による情報発信との違いを強調する。特に、従来のメディアの「ニュース翻訳者」(ローカル)と「海外特派員」(グロバール)との違いが、このケーススタディの場合ではリングアの翻訳者とグローバルボイスのオーサーの違いに相当する。国際通信社の場合は、この違いが作業の厳密な区分によって維持されるのに比べて、グローバル・ボイスの場合はこの作業の区別は厳密では なく、役割が機能的に重複することもある。最後に、共通の関心を有するコミュニティを通じ、言語や文化の境界を越えた情報の伝達を表現する枠組みを提案して、翻訳の役割をより幅広く組み入れるよう具体的な推薦を提言する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、インターネットのオンラインで多言語環境の解析を、ネット上の翻訳コミュニティーに関するケーススタディーから初めて行ったものである。特にこのケーススタディーの実体を、その統計的性質とインタビューとサーベイを通じて詳細に報告するものである。

まず第一章では、本論文のケーススタディの位置づけを、インターネットという場における「コミュニティ翻訳」で定義し、コミュニティメディアとの関係を説明している。その中で、とくに非営利メディアプロジェクトであるグローバル・ボイス(Global Voices)と、その翻訳コミュニティであるプロジェクト・リングア(Project Lingua) をケーススタディとして取り上げ、そして本論文の構造を概説する。

第二章では、背景として関連する参加型メディアと、多言語インターネットの状況について紹介している。前半は、国際ニュースの構造的および経済的な変化に関して、ザカマン(Zuckerman) 氏のグローバル・メディア・アテンション(Global Media Attention) について、またオストガード(Ostgaard) 氏のニュースフローについての研究などを紹介している。

このレビューに基づいて、言語的、文化的、国際的な境界を越える、"ブリッジブログ(bridgeblog)"というブログを紹介し、そこでの翻訳活動という観点から、本研究のケーススタディであるグローバルボイスという団体を紹介する。章の後半はメディア環境として非常に特徴的な「多言語インターネット」についての研究を概説している。

第三章ではまず始めに、ケーススタディ研究という方法論そのものを説明し、「バーチャルコミュニティ」(仮想共同体) という概念に基づいて「翻訳コミュニティ」を定義し、いくつかの翻訳コミュニティの例を挙げている。さらに、プロジェクト・リングアの歴史と組織構造を説明し、用いる研究資料の詳細を説明している。

第四章で具体的なケーススタディの考察と分析が行われている。まず、インタビューの結果を参考にして、プロジェクト・リングアの翻訳者のバックグラウンドと参加動機を解説する。さらに、個人のブログからグローバル・ボイスへ、そしてグローバル・ボイスからプロジェクト・リングアへのコンテンツの動きを説明し、その文脈における翻訳記事の選択過程と、プロジェクト内部のコミュニケーションを分析している。翻訳者の人数や翻訳記事の地理的分布についても定量的分析を行っている。

第五章では、第四章の結果をもとに、プロジェクト・リングアとグローバル・ボイスを、「翻訳学(Translation Studies)」、「ジャーナリズム学」および「情報社会研究」という3 つの枠組みの中で位置付ける。

第六章では、まず本研究の結果をまとめ、翻訳の役割をより幅広く組み入れるようグローバル・ボイスに具体的な提言をする。とくに、翻訳のための技術的提言だけではなく、いかに翻訳のコミュニティーの個人と団体が機能しているかの重要性について提言している。

以上のように論文提出者の研究は、オンライン多言語翻訳社会について、初めて定性的および定量的に調べた研究として高く評価できる。この研究論文は、今後のネットワーク社会における言語のあり方に関する研究として、きわめて重要な寄与をなすものと考えられる。したがって、本審査会は博士(学術) の学位を与えるのにふさわしいものと認定する。

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