学位論文要旨



No 124370
著者(漢字) 外枦保,大介
著者(英字)
著者(カナ) ソトヘボ,ダイスケ
標題(和) 企業城下町の進化過程に関する経済地理学的研究
標題(洋)
報告番号 124370
報告番号 甲24370
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第893号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 岐阜大学 教授 富樫,幸一
内容要旨 要旨を表示する

企業城下町とは,単一あるいは少数の大企業が,圧倒的な影響力を及ぼしている地域である.成熟化した企業城下町では,歴史的に構築されてきた諸事象が現在の状況に大きな影響力を有しており,その地域の発展経路を踏まえた分析なくしては地域の実態を正確に把握できない.そこで,本研究では,経路依存性を強調する進化経済学を,経済地理学に導入し方法論的刷新を図るとともに,長期的な時間軸の中で1990年代以降の企業城下町の再編を位置付け,企業城下町がどのような経路を経て進化を遂げてきたのか考察した.本研究を要約すると,以下の通りである.

第1章では,本研究の問題意識として「経済のグローバル化が進む中で,企業城下町を通じて,企業と地域との関係を検証すること」と「成熟化した企業城下町において,時間の経過によって生じた効果を分析すること」を挙げるとともに,本研究の目的を示した.

第2章では,既存研究を整理し新たな研究視角を探求した.企業城下町に関する既存研究の多くは,中核企業の動向が地域に及ぼす影響について考察しており,中核企業の動向が下請企業だけではなく,商業や市民生活,地方政治,自治体財政,都市構造など広範囲に影響を及ぼしてきたことが論じられてきた.

しかし,これらの議論は細分化されており,企業城下町を統合して捉える必要がある.そこで,本研究では,企業城下町を「システム」として捉えた.産業集積論において注目される論点である「技術」「関係」「認知」の考察に当たって,企業城下町というシステムを静態的に把握するのではなく,長期間にわたる変化を追う動態的な把握が必要であると主張し,「進化過程」に注目した企業城下町研究の刷新を試みた.

本研究では,企業城下町というシステムの変容を,進化論的枠組を用いて検討した.システムの進化過程は,システム形成のメカニズムや変異を説明する「発生論」と,システム存続の論理を説明する「機能論」とに峻別して議論する必要がある.システムが変容しているときに見出される論点(「システム存続の論理のどこに問題が生じているのか」「何を活用して変化を遂げているのか」)を説明する概念として,経路依存性が注目される.その地域的な経路依存性に大きな影響を及ぼすものの一つがロックインである.本研究では,「技術的ロックイン」「関係的ロックイン」「認知的ロックイン」に注目し,地域・企業の進化過程を考察した.

第3章では,日本の企業城下町の変化に関する統計分析を行った.まず,企業城下町を日本全国の市区町村から定量的に抽出し,全国的な分布を示すために,中核企業の従業者数に注目した方法を考案した.その方法により3時点(1960年,1981年,2001年)において企業城下町を抽出した.3時点における変化を見ると,繊維工業,次いで基礎素材型産業や造船業の企業城下町が減少する一方で,電気機械工業の企業城下町は増加していることがわかった.次に,本研究の事例研究で検討する延岡市,宇部市,南足柄市の3地域の特徴を明確にするために,新旧・業種別に代表的な企業城下町を比較した.統計分析の結果,延岡市は化学工業の衰退と代替する工業の成長,宇部市は窯業・土石工業,一般機械工業の衰退,南足柄市は2000年代に入ってからの出荷額の変化が特徴として示され,それぞれ大きな構造転換が起こっていることが推察された.

第4章では,旭化成の企業城下町である宮崎県延岡市を事例として,企業文化と地方政治に注目し,長期間にわたる中核企業と地域との関係の変化を検証した.第1に中核企業の立地戦略の変化およびそれと企業文化との関係に焦点を当てた.1980年代以降,旭化成は繊維事業の再編を継続する一方で,医療機器やコンタクトレンズ,LSIなどの新規事業に進出した.この要因として,固定資産や資源,技術蓄積,製品輸送のほかに,企業文化を再生産する重要な「場所」として,創業地延岡を認知する旭化成の企業文化の存在を指摘した.第2に地方政治や産業政策をめぐる主体と主体間関係の変化に焦点を当てた.1950~1960年代に,旭化成は生産拠点を拡散させる一方で,繊維事業を主力とする同社延岡地区は事業の縮小・再編を余儀なくされた.このころ延岡市において,労働組合・旭化成・下請企業の協力関係を基盤とした政治活動が活発化し,市政に強い発言力を持っていたため,旭化成を優遇する産業政策がとられた.1970~1980年代に,旭化成延岡地区は構造不況により縮小・再編が相次ぎ,下請企業は深刻な影響を被った.その後,構造不況対策として企業誘致条例が制定された.1990年代以降,旭化成の新規事業の進展に対応した産業政策に変わり,旭化成とそのグループ企業の条例適用が相次いでいる.下請企業や労働組合といった支持組織の弱体化などに伴い旭化成の政治的影響力は低下しており,1950~1960年代とは状況が異なる.以上の分析から,旭化成と地域との関係は,かつて企業城下町の城主として地域経済,社会,政治に影響力を有していた状況から,企業文化の再生産にとって創業地を重要な場所と認識し,新規事業に対して再投資する状況へと大きく転換を遂げていることがわかった.

第5章では,宇部興産の企業城下町である山口県宇部市を事例として,主体間関係を変容させている産学官連携の進展について考察した.宇部市は,石炭産業の衰退以後,化学工業が地域産業の牽引役となってきた.地元資本により設立された宇部興産は,高度経済成長期以降,生産拠点の拡散や本社機能の東京移転によって「宇部からの離陸」を進めてきたが,現在でも宇部市を重要な生産・研究開発拠点としている.宇部市では,宇部興産を核に中小企業がその下請仕事に従事するという企業間関係が構築されてきた.下請企業はこの関係に長期間に渡り安住してきたため,情報獲得力や営業力の欠如等の問題を抱えている.こうした問題は,1990年代後半の宇部興産の業績悪化に伴い,顕在化した.このため,地域全体で危機感が形成されていった.一方,第1に1940年前後に,宇部市に現在の山口大学の前身となる学校が設立されたこと,第2に1950年代に産学官が連携して公害対策に取り組んだこと,第3に1980年代にテクノポリスに指定され,学術・研究機関の充実化が図られるとともに,大学と地元企業との交流が始まったことが,今日の産学官連携の基盤となった.

1990年代以降の産学官連携の進展により,従来の宇部興産に加えて,山口大学が主体間関係の中核になっている.宇部興産は,大学との連携強化によって,製品開発の高付加価値化を進めている.一方,中小企業は産学官連携の進展により技術や取引相手・共同研究相手を獲得することで,従来の企業間関係を維持しながら取引相手を拡大させている.特に宇部興産の下請企業にとって産学官連携は,脱下請化を促す可能性がある.このように宇部市における産学官連携は,従来の宇部興産とその下請企業から構成される垂直的な構造から,域内・域外の企業や大学,公設試等と,取引や共同研究の関係を構築する水平的な構造へ転換させる役割がある.

第6章では,富士フイルムの企業城下町である神奈川県南足柄市を事例として,イノヴェーションに注目し,2000年代の中核企業の事業再構築とその地域的影響を考察した.2000年代に,富士フイルムは,不振に陥った写真感光材料事業の再編を推進した.足柄工場は,創業以来,その主力生産拠点であったため,大幅な再編に迫られた.一方,富士フイルムは写真感光材料事業の縮小とともに,2つの事業再構築を進めている.第1に,写真用フィルム事業で培われた技術を応用し,液晶部材の生産拠点として整備している.第2に研究所を新設し研究開発機能の強化を図っている.足柄地域の拠点は,従来,主力事業の生産を担うという意味で企業の核であった,しかし,そこは現在,高付加価値な製品を創出する生産拠点・研究開発拠点という意味で企業の核となっている.富士フイルムにとって,そこは一貫してマザー工場であり続けるものの,2000年代の事業再構築により,その意味が質的に変容しつつある.

また,富士フイルムの事業再構築による地域的影響についても検討した.下請企業では,労働集約的な業務を中心に下請仕事が減少し,脱下請に向けた取り組みが模索されている.一方,南足柄市は,法人市民税が大幅に減少するなど,その影響を強く受けているため,新たな税収確保の取り組みとして,「足柄産業集積ビレッジ構想」を策定した.神奈川県は研究機関の集積を促進するために,「インベスト神奈川」を推進し,この政策により富士フイルムの生産拠点・研究開発拠点の誘致が促され,その事業再構築の進展に寄与している.

最後に第7章では,議論をまとめ結論とした.事例研究で取り上げた地域は,いずれも,企業戦略の中に,それぞれの企業城下町が重みを持って位置付けられている.企業がグローバルな生産供給体制を構築する中で,こうした動向は一見不可思議に感じるが,フットルースな状況だからこそ,逆に本拠地がより重要性を増していると考えられる.本拠地としての企業城下町は,その企業にとって,技術や人材をインキュベーションするマザー工場として機能するだけではなく,企業文化を再生産し組織にポジティヴな慣性を働かせる機能も有しており,競争力の源泉ともなっていると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

少数の大企業が圧倒的な影響力を発揮して成長を遂げてきた日本の企業城下町は,現在転換期にある。グローバル化の下で生産機能が海外に移転し,中核企業の従業者数が減少し,企業城下町の「体質転換」が求められている。とはいえ,歴史的に構築されてきた発展経路を踏まえた分析なくしては,地域の今後の方向性を展望することはできない。本研究は,1990年代以降の企業城下町の構造変容を企業と地域との相互関係に注目して考察したもので,経路依存性を強調する進化経済学を経済地理学に導入し,研究の方法論的刷新を図ろうとした点に意義がある。

本論文は,7つの章から成る。まず第1章序論では,グローバル化が進む中で,企業城下町を通じて,企業と地域との関係を検証するという問題意識が提示され,進化経済地理学という枠組みの下で,企業城下町の進化過程を考察するという本論文全体の目的が示される。

第2章では,企業城下町に関する膨大な研究成果が整理された後,企業城下町の動態的な把握に関して,進化経済学等の議論が検討され,過去からの蓄積や組織の硬直性などの影響に着目し,経路依存性と「ロックイン」という概念を用いた分析枠組みが提示されている。

これに対し第3章では,日本の企業城下町の変化に関する統計分析がなされている。1960年代以降の歴史的変化の中で,繊維工業,次いで基礎素材型産業や造船業の企業城下町が減少する一方で,電気機械工業などの新興の企業城下町が増加していること,またそれぞれの企業城下町では大きな構造転換が起こっていることが指摘されている。

続く第4章~第6章の事例研究では,宮崎県延岡市,山口県宇部市,神奈川県南足柄市が対象地域とされ,企業城下町の長期的な変化に関する詳細な分析がなされている。まず第4章では,創業の地を重視する企業文化と企業城下町特有の地方政治に焦点があてられ,1990年代以降の旭化成による延岡での再投資の動きと,自治体による地域産業政策の変化が明らかにされている。また第5章では,宇部興産と宇部市との関係の変化が多角的に分析されるとともに,産学官連携の歴史に力点が置かれている。そこでは,これまでの中核企業と下請企業との関係が弱まる中で,山口大学の医工連携を軸にした産学官の関係が重要性を増してきていることが示唆されている。さらに南足柄市を対象地域にした第6章では,2000年代の中核企業の事業再構築とその地域的影響が考察されている。富士フイルム南足柄工場では,デジタルカメラの普及によって,写真感光材料事業が縮小する一方で,液晶パネル向けの新製品への事業転換が進むとともに,近接した場所に研究所が新設され,研究開発機能の強化が図られていることが明らかにされている。

最後の第7章では,3つの対象地域での知見が整理されるとともに,欧米での「ロックイン」に関する議論との関係が検討され,今後に残された研究課題が指摘されている。

以上のように本論文は,企業城下町における企業と地域との相互関係の解明において,進化経済学の概念を導入した先駆的な経済地理学の成果として高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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