学位論文要旨



No 124371
著者(漢字) 中嶋,浩平
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,コウヘイ
標題(和) センサーモーター協調に基づく能動的認知システムの理論的研究
標題(洋) Theory of Active Cognition Based on Sensorimotor Coupling System
報告番号 124371
報告番号 甲24371
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第894号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 池上,高志
 東京大学 准教授 植田,一博
 東京大学 准教授 開,一夫
 東京大学 教授 多賀,厳太郎
 理化学研究所 チームリーグ 谷,淳
内容要旨 要旨を表示する

我々の知覚は動的な過程である。我々は環境の中を探索しながら、環境に存在する様々な事物をダイナミックに分節していく。つまり、事物は我々と環境との相互作用によって、ダイナミカルに姿を現す。逆にそれらの事物を見出し、使用する我々自身もまた世界の中でその都度、新たに分節され、姿を現し続ける。認知の局面においては環境における事物も我々もあらかじめ与えられているものではなく、相互の関係性によって定義されているというべきであろう。これらの関係性により担われる我々の認知は、それ自体時々刻々質的な変化に開かれつつ、これらの関係性に参与しない様々な次元からの影響に対して頑健に維持される認知システムである。このような動的な認知描像をこの論文では、能動的認知と呼ぶ。こういった認知過程を表現するため、現在世界的に様々な認知システムが考案されている。また近年、脳科学の進展に伴い認知における様々な実験事実が明らかになってきている。この論文では認知における動性を示すモデルを二つ紹介した。いずれのモデルも認知システムにおける、身体という概念をキーワードにセンサーモーターカップリング(SMC)システムに基づいて議論を行った。

1章では、まず、動的な認知過程をとらえる二つのアポローチ、生態学的なアプローチ、SMCのアプローチの現在の進展を概観した。生態学的なアプローチでは近年、認知における自律性、能動性の表現として、認知システムの構成要素が循環的に定義されている必要があるという議論がA. Chemeroらによってなされている。逆に、SMCにおいてはシステムの構造がシステム設計者によって固定的にあらかじめ与えられているがために、自律性、能動性を表現するのが非常に難しくなっている。SMCにおけるこれらの問題を解決するため、本論文では身体という概念を捉えなおすことで自律性や能動性を表現する方法を模索した。まず、この章において確認したことは、二つのアプローチのいずれもが、動物あるいはエージェントの機能、そしてそれと相補的な環境との間の関係性において認知システムをとらえているということである。例えば、パソコンにおける計算過程を想像してもらえば良い。ここで、計算に対応するものは、先の機能であり、計算機使用者の問いが計算に対する環境と考えられる。この状況において、身体とは何か。計算を実装するハードウェアであろうか。もちろんそれも身体と言ってよいであろう。ハードウェアを変えれば、それに応じてソフトウェアも変わり、環境との相互作用様態は変わってくるであろう。この例は、まさに現在のSMCシステムの発展状況をよく表しているといえるであろう。しかし、我々はここで、計算が世界において実装されるには必ず何らかの媒体を通してしか実現することができないことを確認すればよい。そのことで、たとえばあらゆる計算が下位からの未定義ビットの影響を受ける危険性にさらされているように、計算、機能、情報は時々刻々フレーム拡張の危険にさらされている。つまり、世界における計算、あるいは機能は常に不完全な形で成立している。本論文で扱う身体とは、このように、機能を可能にし、かつ時々刻々フレーム拡張にさらしてしまうという二重の役割を担うものとして描いた。この点は主に3章において展開されている。

2章では、山本、北澤らの実験により示された腕交差時の両手への継時的刺激の時間順序判断逆転現象を力学系を用いて描いた。特に時間的な側面に着目することで、認知における身体の様態を考察した。この実験では、被験者は目をつぶり両手に交互に一発ずつ、様々な時間間隔で刺激をうける。そして、どちらの手が先に刺激を受けたかを答えなければならない。その際、被験者が腕を交差しているとき、していない時で同様の実験に対する返答を解析すると、腕非交差時では、刺激の時間間隔を短くしてもほぼ確実に正答できるが、腕交差時においては、刺激の時間間隔が300ms以内のとき、判断を逆転してしまうというものである。我々はこの状況をリカレントニューラルネットワークを搭載したエージェントにおいて遺伝的アルゴリズムを用いて再現し、時間順序判断逆転現象を力学系に翻訳することで、逆転がいかなるメカニズムにおいて引き起こされるかを解析した。その結果、エージェントは内部ダイナミクスにおいて時間窓を形成しており、窓を裁断するようなタイミングで刺激が入るとその判断を逆転してしまうということが明らかになった。腕の交差、非交差はこの時間窓の幅の長短によって表現された。さらに、この時間窓内部に刺激応答に対する異なる特徴を示す領域があることを示し、分類を行った。また、これらの時間窓が、subcriticalなpitchfork bifurcationの臨界現象によって制御されていることも明らかにした。次に、ここで構築したエージェントを用いて新たな時間順序判断逆転現象を予測した。ここにおいても、逆転の様態には時間窓の構造が強く反映されることを示し、この問題に理論的にアプローチする方法を提案した。

3章では、より一般的な見地からSMCにおける身体の役割を考察した。身体とは認知システムにおけるエージェントの境界である一方、エージェントはその身体を通して環境に開かれている。そのため、エージェントの境界は時々刻々変質を伴いながら、維持されているはずである。これらの役割を担う概念として身体を考え、SMフローの内因性の構造変動を誘導するものとしてとらえた。この変動はカテゴリー論を用いて形式化した。そして、こういった内因性の構造変動を搭載したビークルのクラスをBraitenberg's Vehicle NO.0と定義し、その環境との相互作用様態を解析した。解析は、通常のビークル(NV)そして内因性構造変動を搭載したビークル(GV)を比較して行った。項目としては、ビークルのモーションパターン、外的摂動と内的構造変動の違い、適応能に着目して行った。まず、一つ目の項目に関して、GVはNVの特徴をある程度維持しつつも多様なモーションパターンを示すことが明らかになった。その原因はGVの構造変動に伴うSMフローの制御パラメータの変化にあり、変化量の出現確率はべき的な特性を有することが明らかになった。次に、NVのフローの制御パラメータ、そしてインプットに各時間ステップ毎にノイズを加えたものとGVのタスクパフォーマンスの違いを比較した結果、GVはNVに外的な摂動を与えたものとは明らかに異なる挙動を示していることが示唆された。そして、最後の項目、適応能に関してはタスクパフォーマンスに対して、効率性、万能性の指標を定義してやり、システム全体の特性を評価した。一般的に、通常のプログラム可能なシステムは効率性と万能性に対して、トレードオフの原理が成り立つと考えられている。本研究においてもNVにおいてはトレードオフを反映するような相関が効率性、万能性について得られた。逆に、GVにおいては効率性が高い値を示しつつもほどほどに高い万能性を維持するような相関が得られた。結果として、GVはNVのトレードオフの相関を変化させていることが示され、内的な構造変動はシステムに高い適応能を与えていることが示唆された。これは、システムの能動性、自律性の表現と考えられるものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、神経回路網のモデルを用いた認知現象の理論をテーマとし、具体的には北澤らの腕交差実験の再現と、移動型ロボットの行動決定に関し、新しく理論的基礎づけを論じたものである。

第1章では、まず、動的な認知過程をとらえる二つのアプローチ、1) 生態学的なアプローチと、2) センサーとモーターの結合から考えるアプローチ、の2つを概観した。近年は特に、認知過程における自律性と能動性という観点が注目されている。これらの問題に対し、本論文では、2)のアプローチを用いて「身体性」という概念を理論的に捉えなおすことで、自律性や能動性を具体的に表現する方法を提案する。その概略が本章では説明される。

第2章では、まず北澤らの実験によって明らかとなった、腕交差時における時間順序判断(右か左のどちらの指に先に刺激が入ったか、を判断)をモデル化する。この実験では刺激の入る時間間隔が狭いと、前後の判断がほとんど逆転してしまうことが知られている。この逆転現象を再帰的ニューラルネットのモデルを用いてコンピュータの実験として再現した。その結果、逆転現象を示すネットワークは固有の「時間窓」を形成し、窓を横断するようなタイミングで刺激が入ると、その判断が逆転してしまうということが見いだされた。腕の交差、非交差の状態変化は、この時間窓の幅の長短が変化する問題として表現されている。これまでの研究とは異なり、力学系の分岐現象としてこの問題を再現していることは評価できる。同じモデルを用いて、可能な新しい刺激逆転現象も予測し、この問題に力学系的にアプローチするための方法を提案した。

第3章では、より一般的な見地から身体の役割を考察した。身体とは認知的なシステムにおけるエージェントの境界を設定するものであり、その身体は時々刻々揺らぎながら維持されていると考える。というのがこの章でのアイディアである。

本章ではこの揺らぎ方をカテゴリー論を用いて形式化し、それを搭載した移動型ロボットモデル(以後ビークルとよぶ)に搭載して議論した。通常のビークル(NV)とここでの新しいビークル(GV)を比較してシミュレーション実験を行った結果、GV はNV の特徴である目的論的な運動をある程度維持しつつも、多様な運動パターンを作り出せることが示された。本論文ではその原因を、システムのメタレベルな「パラメータの変化」にあるとし、GVの行動変化の出現確率はべき則に従うこと(したがって単に揺らいでいるのではないこと)などを報告している。さらにGVはその適応能である行為の効率性と万能性に関し、特徴的なトレードオフの関係を示していることが見いだされた。つまり、GVは高い適応能を与えていることが示唆され、このことをシステムの能動性あるいは自律性の表現であると、本論文は結論づけている。

第4 章は全体のまとめであり、ここで行ったモデルの意味付けと認知科学としての貢献を簡単に総括してある。またアペンディックスにおいて、第3章の内容に関する補足的な定義と証明が乗せてある。

以上のように論文提出者の研究は、身体と運動をベースに認知現象を考察する身体性認知科学の分野に、新しいアプローチと新規性を持った概念を持つ込むことで、重要な寄与をなしうるものと考えられる。したがって、本審査会は博士(学術) の学位を与えるのにふさわしいものと認定する。

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