学位論文要旨



No 124373
著者(漢字) 與倉,豊
著者(英字)
著者(カナ) ヨクラ,ユタカ
標題(和) 産業集積・ネットワーク・イノベーションの経済地理学
標題(洋)
報告番号 124373
報告番号 甲24373
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第896号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松原,宏
 東京大学 教授 荒井,良雄
 東京大学 准教授 永田,淳嗣
 東京大学 准教授 梶田,真
 お茶の水女子大学 准教授 水野,勲
内容要旨 要旨を表示する

現在,産業集積の成長・発展メカニズムを解明するために,専門分野の枠を越えて,多くの論者が力を注いでいる.とりわけ,主流派経済学の論者たちによって理論化された新しい空間経済学は,企業レベルの規模の経済や地理的距離といった,従来の枠組みでは分析不可能であった概念を数理モデルに導入したことによって注目を集めている.しかしながら,それら成果は経済地理学の観点からみると看過できない問題も孕んでいる.

産業集積に関する別の研究潮流の特徴として,ローカル内(産業集積内)の組織間関係の分析から,ローカル外の関係性の分析へと焦点がシフトしてきていることが挙げられる.それは有形的なモノやカネがやりとりされる企業間の取引関係だけではなく,無形的な情報・知識の交換が行われる共同研究開発のような水平的な組織間関係においても当てはまる.本研究では,それら課題を検討するために「ネットワーク」と「イノベーション」の2つの観点から,産業集積に関する分析を試みた.

本研究の第1部では,経済地理学と関連諸分野におけるネットワークとイノベーションをめぐる議論の整理を行った.理論的検討の成果は以下のように4点にまとめられる.

第1に,既存研究におけるネットワークのアプローチを,「構造的パースペクティブ」からの分析と,「ガバナンスパースペクティブ」からの分析とに大別して整理した.構造的パースペクティブからの分析では,個々のアクターの構造的な位置に着目しており,アクターの活動が,ネットワークの中における他のアクターとの関係によって決定されると考える.一方,ガバナンスパースペクティブからの分析では,ネットワークの盛衰プロセスにおいて「制度」が果たす役割に着目し,不確実性の高い環境下におけるネットワークのガバナンスの手法に焦点が置かれていることを示した.本研究ではそれらの成果と課題を論じた結果,両パースペクティブに共通する課題として,空間的含意が欠落していることを指摘した.

第2に,ネットワークの構成要素であるアクターの違い(企業組織・都市)と,ネットワークが占める空間的次元(ローカル・ノンローカル・グローバル)との2つの観点から,ネットワーク形態の整理を試みた.さらに,信頼や協働・協調関係,知識フローといったネットワークの中身・質に関する新しい議論を,構造的パースペクティブとガバナンスパースペクティブから検討した.そして,ネットワーク構造に着目する社会ネットワーク分析が,組織間関係を分析する上で有効なツールであり,経済地理学の研究領域としてそれを定置する際には,空間性の導入が必要であると指摘した.

第3に,イノベーションをめぐる議論を空間的次元の違いに基づいて考察した.ローカルレベルのイノベーションを捉える1つの概念として,本研究ではインフォーマルな知識伝達を促進させる外部環境として定義される「ミリュー」を空間的単位として採用した.また,ナショナルレベルにおけるイノベーションの議論では,政策の実行主体である国民国家の枠組みが重視されており,ローカルを越えた組織間の結合を考察する際には,組織的近接性やパイプライン概念が有益であることをみた.一方,グローバルレベルにおけるイノベーションの議論では,固有の歴史や文化といった制度的枠組みが,知識移転の際に重要な役割を果たしていることを確認した.ナショナル・イノベーション・スーパーシステム(NSSI)といった,グローバルスケールを考慮した新しいイノベーションシステム概念も構築されつつあるが,理論的にも実証的にも再考の余地が大いに残されていることを明らかにした.

第4に,知識ベース(分析的・統合的・表象的)と集積の持続性(暫定的・定常的)に着目し,イノベーションの源泉となる知識形態を捉える際の新しい分析軸を提示した.その結果,産業が依存する知識ベースの特性ごとに,イノベーションプロセスが大きく異なっていることが明らかとなり,またローカル内の高度な技能を有した労働力の存在とともに,ローカルを越えた組織間の知識結合が,集積の持続的な発展を支えていることが示された.

以上のような理論的検討の成果を踏まえて,第2部では,我が国における企業間取引や共同研究開発に関する大量データベースを構築し,ネットワークの指標化・可視化や,ネットワークが生み出すパフォーマンスとの関係を検討することによって,取引や知識フローに基づくネットワークとイノベーションに関する計量的な実証分析を行った.その際に分析ツールとして社会ネットワーク分析を採用し,各アクターの構造的位置を定量化している.また,地理情報システム(GIS)を援用し,業種,研究分野別のネットワークの空間性の違いなどを抽出・可視化した点が本研究の大きな特徴である.以下,章ごとに分析結果の要旨を述べる.

第3章では,企業間取引関係を対象に,社会ネットワーク分析による取引関係の構造分析を行ったうえで,取引関係に基づくネットワークの空間的拡がりについて考察した.その際に,全国25地域が指定されている「特定産業集積(A集積)地域」を事例として用いた.企業間の取引関係構造を可視化するとともに,取引ネットワークの地理的な拡がりを検討し,A集積地域を類型化することによって,取引関係の広域化の地域的特徴を明らかにした.

第4章では,産(企業)・学(大学,高等専門学校)・公(公設試験研究機関)の連携の事例として,経済産業省が実施する「地域新生コンソーシアム研究開発事業」を取り上げ,共同研究開発ネットワークの構造とイノベーションに関する計量的な分析を行った.研究テーマの共有に基づく組織間ネットワーク構造の可視化と指標化を行った結果,まず,地域ブロックごとにネットワーク構造が,共同研究開発先を多く有するコアが複数存在する「分散型」と,コアが限られている「集中型」とに分かれることを確認した.また,共同研究に参加する組織の中心性の高さが,事業化の達成と密接に関わることを明らかにした.さらに,共同研究開発の空間的拡がりの違いを,研究分野別・組織属性別に検討した結果,「ものづくり型」と「サイエンス型」とで大きく特徴が異なること,大学や高等専門学校が遠距離との共同研究開発において中心的役割を担っていることを示した.

第5章では,産業集積・ネットワーク・イノベーションといった3つの論点に基づく実証研究のまとめとして,地域新生コンソーシアム研究開発事業におけるイノベーション(事業化)に関する決定要因の分析を行った.「産業集積」がイノベーションに与える効果は,3種類の動学的外部性(地域特化の経済,多様性の経済,市場の競争性)によって理論的に捉えられてきた.本研究では,広域市町村圏ごとに動学的外部性の値を算出し,さらに共同研究開発の実施データをもとに,主体間のネットワークを域外・域内と区別して定量化することによって「ネットワーク」がイノベーションに与える効果の推定を行った.その際に本研究では,説明変数を精査した上でポアソン回帰モデルを採用することによって,既存研究で多くみられた多重共線性や被説明変数の非正規性の問題を克服している.分析の結果,産業集積がイノベーションに与える効果は,多様性の経済が主であり,地域特化の経済と市場の競争性の効果はみられないこと,域内の密なネットワークとともに域外の組織との接触もイノベーションに正の影響を与えること,研究分野別にイノベーションの決定要因において異なる特徴がみられることを明らかにした.

審査要旨 要旨を表示する

1980年代後半以降,グローバル化が進行する一方で,ローカルな地域経済や地域社会のあり様が注目を集めてきた。なかでも,同一産業が比較的狭い地域に集まる産業集積については,ポール・クルーグマンらの新しい空間経済学,マイケル・ポーターのクラスター論をはじめ,非常に多くの研究成果が蓄積されてきている。しかしながら,産業や企業のダイナミズムを既存の集積論のみから説明するには無理がある。企業間の取引関係に目を移せば,産業集積内部にとどまらず広域的なネットワークが形成され,また産業集積地域の硬直性や衰退を回避するためには,イノベーションによる刷新が求められてくる。本論文は,ネットワークとイノベーションの2つの観点に注目することで,産業集積論の一層の発展を意図したもので,とりわけ地理的観点を導入した社会ネットワーク分析により,産業集積とネットワーク,イノベーションの相互関係を検討した点に意義がある。

本論文は,序章,5つの章と終章から成る。まず序章では,産業集積の研究に関して,大きく異なる2つのアプローチ,すなわち従来からの経済地理学と新しい空間経済学の双方の主張と批判・反批判が紹介されている。これに対し本論文では,両アプローチの相互補完的な関係を構築しうることが主張され,以下の章でその具体的な検討がなされている。第1章では,ネットワークに関する諸研究が手際よく整理され,ネットワークの構成要素であるアクターの違いとネットワークが占める空間的次元との2つの軸からネットワークの形態が類型化されている。続く第2章では,イノベーションに関する内外の研究成果が整理され,産業が依存する知識体系の特性ごとに,イノベーションプロセスが大きく異なることが明らかになり,ローカル内の高度な技能を有した労働力の存在とともに,ローカルを越えた組織間の知識結合が,集積の持続的な発展を支えていることが示されている。

前半の理論的検討の各章と対応するように,後半の第2部では実証分析の章が配されている。第3章では,経済産業省の「特定産業集積地域」25地域における企業間取引関係のデータを用い,取引関係にもとづくネットワークの空間的特徴が社会ネットワーク分析により検討されている。分析の結果,取引ネットワーク構造は「スケールフリー・ネットワーク」の特徴を有していることが明らかになった。続く第4章では,経済産業省の「地域新生コンソーシアム研究開発事業」の採択プロジェクト991のデータを用い,同様の社会ネットワーク分析による検討がなされている。分析の結果,北海道,関東,近畿,中部では「集中型」のネットワーク構造を示すのに対し,その他の地方ブロック圏域では「分散型」のネットワーク構造を示すこと,「ものづくり型」と「サイエンス型」とで共同研究主体間の関係性の空間的拡がりが異なることが明らかにされた。第5章では,実証分析のまとめとして,「地域新生コンソーシアム研究開発事業」におけるイノベーションに関する決定要因の分析が行われている。その結果,産業集積がイノベーションに与える効果は,多様性の経済が主であり,地域特化の経済と市場の競争性の効果はみられないこと,ローカル内の密なネットワークとともにローカル外の組織との接触もイノベーションに正の影響を与えること,研究分野別にイノベーションの決定要因において異なる特徴がみられることが指摘された。

終章では,これまでの知見が整理されるとともに,今後の研究課題として,実証分析におけるイノベーション指標の拡張,動学的視点の充実等の諸点があげられている。

以上のように本論文は,産業集積の形成・発展モデルに関する理解を,ネットワークの側面とイノベーションの両側面から進展させたもので,空間的社会ネットワーク分析を用いた新しい経済地理学の研究成果として高く評価することができる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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