学位論文要旨



No 124377
著者(漢字) 太田,健介
著者(英字)
著者(カナ) オオタ,ケンスケ
標題(和) 高温超伝導体固有ジョセフソン接合における位相ダイナミクスの研究
標題(洋)
報告番号 124377
報告番号 甲24377
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第900号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 准教授 深津,晋
 東京大学 准教授 北野,晴久
内容要旨 要旨を表示する

背景、目的

超伝導体と超伝導体が絶縁体などを介し弱く結合されるときクーパー対が接合間をトンネルすることができる。これをジョセフソン接合と言い、ジョセフソン接合は二つの超伝導体の巨視的波動関数の位相差γ を用いて記述される。そして、電流を印可したジョセフソン接合の位相ダイナミクスは、位相γの空間中の傾けた洗濯板状ポテンシャルにおける質点の運動に置き換えることができる。ポテンシャル井戸中に質点が捕捉された状態が電圧V = 0、そこから抜け出して転がり落ちる状態がV 6= 0に対応する。V = 0 からV 6= 0 へ脱出する過程は高温では熱ゆらぎによる熱活性型(TA) であるのに対し、十分低温にするとポテンシャル障壁をトンネルによって脱出する巨視的量子トンネリング(MQT) と呼ばれる量子力学的な振る舞いになる[1]。脱出過程においてMQT が支配的な低温では、ポテンシャル井戸中の離散化量子準位が観測される。近年この離散化量子準位を量子ビットに応用する研究が活発化している。しかし、従来超伝導体を用いた量子ビットの動作温度は希釈冷凍機等でしか到達できない10 mK 程度である。

一方、Bi2Sr2CaCu2Oy(Bi2212) などの銅酸化物高温超伝導体は超伝導層と絶縁層が交互に積層した結晶構造を持ち、多数のジョセフソン接合が固有に形成された固有ジョセフソン接合系(IJJ) とみなされる[2]。ポテンシャル井戸中にできる離散化量子準位間のエネルギーはジョセフソンプラズマ周波数に依存する。従来超伝導体で作成される接合のジョセフソンプラズマ周波数が10 GHz 程度であるのに比べ、高温超伝導体では300 GHz-2 THz であることが知られている。従って、高温超伝導体を量子ビットに用いることができればより高温で動作することが可能である。

近年、IJJ を量子ビットへ応用することを目的とし、IJJ における脱出確率τ(-1)(I) の測定が行われた[3, 4]。これらの結果では約1 KでMQT が観測され、確かに量子ビットの高温動作が可能であることが示された。しかし、多層接合系であるIJJ では複雑な位相ダイナミクスが期待される振る舞いも観測された[4]。

本研究の目的は、固有ジョセフソン接合における位相ダイナミクスを調べることである。τ (-1)(I) の測定を行い、脱出過程において何が支配的かを調べた。また、素子構造に起因したヒーティングや、準粒子注入の影響についても、実験的に調べた。

実験方法

集束イオンビームを用いてBi2212 単結晶をS 字状に微細加工した。これにより結晶のc 軸方向、すなわち、IJJ の電流電圧特性を測定が可能になる。脱出過程が素子構造に依存するかを調べるため、京都大学鈴木研においてBi2212 単結晶から電子ビーム露光を用いて作製されたメサ構造のIJJ の測定も行った。La(2-x)SrxCuO4(La214) 薄膜、La214 単結晶においても集束イオンビームを用いてS 字状の微細加工を行い同様の測定を行った。

ポテンシャルからの脱出過程は脱出確率τ (-1)(I) を測定することによって観測可能である。そして、τ (-1)(I) はスイッチング電流確率分布P(I) と次式の関係にある。

P(I) = τ(-1)(I)(dI/dt)(-1)(1-Z(I0)P(u)du) (1)

P(I) はバイアス電流を単調に増加させる時に初めてV = 0 からV ≠ 0 へ電圧スイッチがおこる電流の確率分布である。すなわち、電流電圧測定を繰り返し行い、スイッチングする電流の統計分布を求めることによってP(I) は得られる。

結果及び考察

Bi2Sr2CaCu2Oy 固有ジョセフソン接合の典型的な電流電圧特性を図1(a) に示す。接合数だけ電圧スイッチが起こり、電圧分枝が現れる。図1(a) におけるゼロ電圧状態から第一電圧分枝への1st スイッチ、及び、第一電圧分枝から第二電圧分枝への2nd スイッチにおいて脱出確率の測定を行った。メサ型試料のBi2212 固有ジョセフソン接合における、1st スイッチ、及び2nd スイッチのスイッチング電流確率分布P(I) の標準偏差σ(T) を図1(b) に示す。1st スイッチにおいて、温度と共にσ(T) が減少し、約1 K以下でσ(T) が温度に依存しない振る舞いが見られる。TA による脱出確率の計算値と一致し、TA からMQT へのクロスオーバー温度の見積もりと一致することから、脱出過程がTA からMQT へ移行していることが示唆される。TA の高温領域で、温度の上昇と共にσ(T) が減少する振る舞いについてはPhase retrap により解釈することができた。1st スイッチにおいてはS 字型試料においても同様の振る舞いが観測された。MQT による脱出過程を確かめるため、マイクロ波照射下でスイッチング電流確率分布の測定を行った。基底状態と第一励起状態間のエネルギーとマイクロ波の周波数が一致すると準位間の励起が起こる。図2(a) に示したように、マイクロ波を照射すると、基底状態からのスイッチング確率のピークに加え、励起状態からのピークが観測された。また、マイクロ波の周波数とエネルギー準位間隔の計算値が一致した。以上により、MQT の観測、離散化量子準位の観測に成功したことがわかる。

2nd スイッチにおいても図1(b) で示したように、定性的には1st スイッチと同様の振る舞いが観測された。しかし、温度に依存しなくなる温度T(2nd s) は約10 K と1 桁程度大きい。1st スイッチにより電圧状態になった接合部においてエネルギー損失が生じるため、ヒーティングの影響が考えられる。しかし、熱伝導の機構が全く異なるS 字型試料、メサ型試料でT(2nd s) はほとんど同程度であり、ヒーティングの寄与だけでは説明できない。ヒーティングの寄与をさらに定量的に調べるために、バイアス電流のパルス幅を変化させて脱出確率の測定を行った。図2(b) に示すように、脱出確率はパルス幅に依存せず、ヒーティングのパワーであるバイアス電流にも脱出温度Tesc が依存しないことからヒーティングの寄与は無視できる程度であることが分かる。1st スイッチにより電圧状態になった接合部からの準粒子の寄与が考えられるが、定量的な計算結果から、準粒子による温度上昇は見込めないことが分かった。最後に、MQT の可能性が挙げられる。2nd スイッチでは、1st スイッチが電圧状態になっていることから接合間相互作用の寄与が顕著になりクロスオーバー温度が高くなったことが考えられる。T(2nds) から見積もられるエネルギー準位間隔はTHz 領域に達する。そのため、離散化量子準位の観測はTHz 波の照射を行う必要があり、今後の課題として挙げられる。

La214 のIJJ においても同様の実験を行った。La214 薄膜から作製したIJJ は薄膜試料に特有のgrain boundary の影響によりoverdamped 接合の特性になり、脱出確率の測定には適さないことが分かった。そこで、La214 単結晶から作製したIJJ においてP(I) の測定を行った。σ(T) の結果を図3 に示す。Bi2212のIJJ と同様の低温でσ(T) が温度に依存しない振る舞いが見られた。そして、TA からMQT のクロスオーバー温度の見積もりとほぼ一致した。しかし、TA における脱出確率の定量的な一致は見られなかった。これは、接合サイズがジョセフソン侵入長λJ よりも大きな接合の時に現れるlarge junction の効果が考えられる。La214 はBi2212 よりもさらに小さいλJ を持つため(λJ < 0.1 μm)、位相差γ が空間に依存するlarge junction に属する可能性がある。さらに、Bi2212 に比べ異方性が小さいLa214 では接合間の相互作用が強い系であり、接合間の相互作用によってポテンシャル構造が変わったことも考えられる。

結論

Bi2Sr2CaCu2Oy 固有ジョセフソン接合、及び、La(2-x)SrxCuO4 固有ジョセフソン接合において、脱出確率τ (-1)(I) の測定を行った。Bi2Sr2CaCu2Oy 固有ジョセフソン接合の1st スイッチにおいて脱出過程がTA からMQT に移行する振る舞いが観測され、マイクロ波照射による離散化量子準位の観測にも成功した。そして、素子の構造によらず、定量的にも一致が見られたことから、1st スイッチにおいては単一接合のモデルで理解することができることがわかった。2nd スイッチにおいては1st スイッチと定性的には同様の振る舞いが観測されたが、温度に依存しなくなる温度は1st スイッチの温度、及び単一接合から見積もられるクロスオーバー温度よりも高温となった。実験的な検証からヒーティングではないことが確認された。準粒子の可能性も低いことが分かり、MQT の可能性が示唆され、今後の研究の指針を示す結果となった。La214 においても脱出確率の測定を行った。Bi2212 と同様の振る舞いが観測されたが、定量的な不一致が見られた。これはlarge junction の効果、及び接合間相互作用の効果が示唆された。

[1] R. F. Voss and R. A.Webb, Phys. Rev. Lett. 47, 265 (1981).[2] R. Kleiner and P. M¨uller, Phys. Rev. Lett. 49, 1327 (1994).[3] K. Inomata et al., Phys. Rev. Lett. 95, 107005 (2005); X. Y. Jin et al., Phys. Rev. Lett.96, 177003 (2006).[4] X. Y. Jin et al., Phys. Rev. Lett. 96, 177003 (2006).

図1: (a) IJJ の電流電圧特性, (b) 1st スイッチ、2nd スイッチにおけるP(I) の標準偏差σ(T) の温度依存性。点が実験値、実線が計算値を示す。

図2: (a) 1st スイッチのマイクロ波照射下におけるP(I)の測定結果, (b) 2nd スイッチの脱出確率τ (-1)(I) のパルス幅依存性

図3: La214 固有ジョセフソン接合におけるP(I) の標準偏差σ(T) の温度依存性。点が実験値、実線が計算値を示す。

審査要旨 要旨を表示する

次世代の超並列計算機として期待される量子コンピュータが注目を集めている。その中で集積化が容易な固体素子である超伝導量子ビットは有力な候補として挙げられる。しかし、これまでに研究されている超伝導量子ビットは従来超伝導体で作製されているため、極低温環境が必要であり、実用化に大きな障害となる。一方エネルギースケールが大きい高温超伝導体で形成される、固有ジョセフソン接合を量子ビットに用いることができればより高温で動作可能だと考えられる。

本論文は固有ジョセフソン接合を量子ビットへ応用可能かどうかを調べることを目的とし、その位相ダイナミクスについての研究を報告している。

第1章は、研究の背景、及び研究の目的についての記述である。ジョセフソン接合についての概説と、ジョセフソン接合を記述する位相空間中のポテンシャル井戸からの脱出レートについて記述されている。そして、本研究の対象である高温超伝導体、及び固有ジョセフソン接合について説明され、近年の他の研究グループによる固有ジョセフソン接合の脱出レートの研究が報告されている。最後に、研究の動機をまとめ目的が記述されている。

第2章は、試料の作製方法、加工方法、及び測定方法についての記述である。高温超伝導体の結晶構造自体が形成する固有ジョセフソン接合を測定するため微細に加工する方法が記されている。本論文では素子構造を比較するためにS 字型に加工した素子とメサ型に加工した素子の二つが作製されたので、それぞれについて加工方法が記されている。測定方法は脱出レートの測定方法について述べられた後、自作した測定用クライオスタットを含む測定系について記述されている。特に外来ノイズの除去の方法、3He を用いた0.4 K までの低温環境の構築について詳細に述べられている。

第3章は、Bi2Sr2CaCu2Oy 固有ジョセフソン接合についての実験結果と考察の記述である。固有ジョセフソン接合は多数の接合が直列に連なっているが、ゼロボルト状態から第一電圧ブランチへの第一スイッチングと第一電圧ブランチから第二電圧ブランチへの第二スイッチングについて、S 字型試料、及びメサ型試料において系統的に測定した結果が述べられている。そして、第一スイッチングにおいて、素子構造によらず1 K 以下の低温で脱出レートが温度に依存しない振る舞いを示し、熱活性(TA)から巨視的量子トンネリング(MQT)へのクロスオーバー温度とほぼ一致することから、MQT の観測に成功したと報告している。また、最低温においてマイクロ波を照射し、離散化量子準位の観測も成功したことを記している。第二スイッチングは第一スイッチングと定性的には同様の振る舞いを観測したが、脱出レートが温度に依存しなくなる温度Ts第二が約10 K と、第一スイッチングの時より高温で、かつ見積もられるクロスオーバー温度よりも高温であることが記述されている。第一スイッチングが電圧状態になったことによりヒーティングの可能性が考えられるが、T(s 第二)が素子構造によらないこと、そしてパルス幅を変えても脱出レートが変わらないことからヒーティングの寄与は無視できる程度であるという明確な結論を述べている。また、準粒子注入による温度上昇の可能性についても定量的な見積もりを行い、その可能性が低いことを示している。最後にMQT の可能性を考察し、それを確かめるためにはTHz 波を照射した離散化量子準位の観測を行う必要があるという提案がされている。また、脱出過程がMQTだとするとクロスオーバー温度の見積もりとの不一致は接合間の相互作用によるものだと考察されている。

第4章は、La(2-x)SrxCuO4 固有ジョセフソン接合についての実験結果と考察の記述である。La(2-x)SrxCuO4 薄膜から作製した固有ジョセフソン接合はGrain Boundary の影響によりOverdamped 接合になってしまい、脱出レートの測定に適さないことが明らかされた。La(2-x)SrxCuO4 単結晶から作製した固有ジョセフソン接合において脱出レートの測定を行い、定性的にはBi2Sr2CaCu2Oy 固有ジョセフソン接合の第一スイッチングと同様の振る舞いを観測されたことを述べている。しかし、TA 領域、MQT 領域ともに計算値と一致しないことを記している。そして、この不一致は接合間の相互作用によるもので、Bi 系に比べ接合間相互作用が強いLa 系で顕著に現れたと考察されている。

第5章は本論文のまとめ、及び今後の展望の記述である。第3章、第4章で得られた結果と考察をまとめ、固有ジョセフソン接合における脱出レートの研究についての今後の展望が述べられている。

以上まとめると、本論文では、Bi2Sr2CaCu2Oy 固有ジョセフソン接合については脱出レートを異なる素子構造について比較し、第一スイッチングに対しては素子構造によらずMQT の観測に成功し、第二スイッチングについてはジュール・ヒーティングの寄与が無視できる程度であるという新しい結論を得ている。また、La(2-x)SrxCuO4 固有ジョセフソン接合についても同様の研究を行い接合間相互作用が重要であるという新たな提案もされており、評価できる内容である。

なお、本論文における研究成果は、本学大学院総合文化研究科の前田京剛氏、青山学院大学理工学部の北野晴久氏、京都大学工学研究科の鈴木実氏、濱田憲治氏、竹村亮太氏、大牧正幸氏、超電導工学研究所の田辺圭一氏、町敬人氏との共同研究であるが、論文の提出者が主体となって遂行したもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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