学位論文要旨



No 124379
著者(漢字) 木田,紀行
著者(英字)
著者(カナ) キダ,ノリユキ
標題(和) 鉄混合原子価錯体における多重機能性の構築と電荷移動相転移および強磁性の研究
標題(洋) Development of Multifunctional System for Iron Mixed-Valence Complex and Study on the Charge Transfer Phase Transition and Ferromagnetism
報告番号 124379
報告番号 甲24379
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第902号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 菅原,正
 東京大学 准教授 小川,桂一郎
 東京大学 准教授 松下,信之
内容要旨 要旨を表示する

光学特性、磁性、輸送特性が互いに相関を持ち、複合した特異な物性を多重機能性と呼ぶ。近年、新規機能性物質の開発を目的として、分子集合体における多重機能性の研究が盛んに行われている。特に遷移金属錯体は、遷移金属イオンの持つ多彩な光学遷移やスピン状態と有機化合物の優れた分子性・設計性を併せ持ち、スピン、電荷、光の相乗効果による多重機能性の発現が期待できる物質群である。

金属イオンの配位子場がスピンクロスオーバー領域にある混合原子価錯体では、電荷移動遷移とスピンクロスオーバー転移が連動した特異な相転移を起こす可能性を持っており、従来のスピンオーバー錯体には見られない新現象が期待される。このような観点から、非対称配位子ジチオオキサラート(dto = C2O2S2)を架橋とする鉄混合原子価錯体 (n-C3H7)4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]が開発された。この物質の構造は、dto を架橋としてFe(II) とFe(III) が交互に結合した二次元蜂の巣層([Fe(II)Fe(III)(dto)3]-∞)と対カチオン層((n-C3H7)4N(+∞))の積層構造をとっており(図1)、TC = 7 Kで強磁性転移が観測される。近年この物質において、電荷移動相転移と呼ばれるスピンと電荷の相乗効果による一次相転移が発見された。T > 120 K では高温相(Fe(III)(S = 1/2), Fe(II)(S = 2))のスピン状態をとるが、約120 K でFe(II) のt2g 軌道からFe(III) のt2g 軌道へ電子が集団移動を起こし、そしてT < 120 K で低温相(Fe(III)(S = 5/2), Fe(II)(S = 0))のスピン状態へと変化する。この相転移は可逆的におこり、近傍の温度領域でヒステリシスを伴う磁化率の異常および抵抗率の落ち込みが観測される。この電荷移動相転移は、高温相と低温相のスピンエントロピーの差を駆動力として、系全体の自由エネルギーを最安定にするために隣接する金属イオン間で電荷を移動させてスピン状態の組み換えが起こる相転移現象である。

近年の研究により、電荷移動相転移および強磁性転移の挙動は、[Fe(II)Fe(III)(dto)3]-∞層間に挿入される対カチオンサイズに依存することが明らかになった。テトラアルキルアンモニウムカチオンのアルキル鎖長を系統的に変化させた錯体(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]では、n = 3, 4 では電荷移動相転移が生じるが、n = 5, 6 では生じず、高温相が室温から2 K まで安定である。電荷移動相転移の有無によりスピン状態が異なるために、n = 3 では低温相によるTC = 7 K の、n = 5, 6 では高温相によるTC = 20 K の強磁性転移が観測される。またn = 4 では強磁性転移温度以下まで高温相と低温相が共存しており、TC(高温相) =13 K, TC(低温相) = 7 K の二段階の強磁性転移が観測される。これは、A[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (A は対カチオン)におけるスピン状態が結晶構造と密接に相関を持つことを意味し、特に格子の膨張が高温相の安定化をもたらすことを示唆している。本博士論文ではこの鉄混合原子価錯体A[Fe(II)Fe(III)(dto)3]に注目し、基礎物性解明と、新規多重機能性物質の構築を目的として行った研究成果をまとめる。

第1 章では研究背景である分子磁性体全般について解説し、続いて鉄混合原子価錯体(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の物性を述べている。加えて、分子性物質における最近の光磁性(光照射によって磁気を制御できる性質)研究の動向を紹介している。

第2 章では、試料合成法および実験手法について記述している。

第3 章は電荷移動相転移の構造的要因に焦点をあて、軸対称性アルキルアンモニウムカチオンを用いて合成した鉄混合原子価錯体(n-CmH(2m+1))3(n-CnH(2n+1))N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]((m, n) = (2, 6), (3,5), (5, 3), (6, 2))の構造と磁性をまとめている。上記の対カチオンを用いてm+n を一定に保つことで、(n-CnH(2n+1))4N+カチオンに比べて[Fe(II)Fe(III)(dto)3]面間距離の変動を抑えつつ、面内蜂の巣状リングサイズを制御することが可能であると考えられる。

磁化率測定および(57)Fe Mossbauer スペクトル測定の結果、(2, 6), (3, 5), (5, 3)の錯体ではT(CT)~ 100 K で電荷移動相転移が起こるが、TCT 以下で高温相と低温相の2 相が共存しており、TC(高温相) = 17 K およびTC(低温相) = 6 K で二段階の強磁性転移が見られた。これに対し、(6, 2)の錯体では、電荷移動相転移が起こらず、TC(高温相) = 17 K の強磁性転移が見られた。(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (n = 3-6)も含めた粉末X 線結晶構造解析から、各錯体の室温における格子定数a, d を算出した。ここで、a は[Fe(II)Fe(III)(dto)3]-∞層内の最近接Fe(II)-Fe(II) (= Fe(III)-Fe(III))に対応し、d は層間距離に対応する。図2 は、各錯体の77 K における(57)Fe Mossbauer スペクトルから見積もられる低温相の面積強度を、a およびd に対してプロットしたものである。これにより、a の増加に対し低温相が不安定化する傾向が見られ、a = 10.20 A を境界として電荷移動相転移が消失することがわかった。また、d には明確な傾向が見られないが、9.7 A を境界として電荷移動相転移が消失する可能性がある。

第4 章では光異性化分子と鉄混合原子価[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体を組み合わせた新規光応答性有機無機複合錯体(SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (SP-Me = spiropyran; 図3)の開発と、その物性測定の中で観測された特異な光誘起相転移現象を報告している。[1,2] SP は黄色い閉環体(CF)が安定であるが、紫外光を照射することにより、赤い開環体(OF)へと異性化する。逆に、可視光照射によりOF からCF へ戻る。この光異性化は固体中でも起こり、しかも大きな分子体積の変化を伴うため、[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体と組み合わせることで、SP の光異性化を介したスピン状態の制御ができる可能性がある。

(SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の吸収スペクトルから、錯体中におけるSP の可逆的な光異性化を確認した。図4 に(SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の紫外光照射前後の色と磁化率測定結果を示す。磁化率および(57)Fe Mossbauer スペクトル測定から、紫外光照射前はT(CT) ~ 90 K で電荷移動相転移が起き、T(CT) 以下で高温相と低温相の2 相が共存し、TC(高温相) = 22 K, TC(低温相) = 5 K で2 段階の強磁性転移が起きることを確認した。ところが紫外光照射後の錯体では電荷移動相転移が観測されず、TC(高温相) = 22 K の強磁性転移のみ観測された。このことはSP の光異性化に伴う結晶格子の膨張が、高温相を安定化したと解釈される。また同様の傾向は70 K における紫外光照射でも観測された。これは低温相状態の錯体へ紫外光を照射したことで、SP の光異性化を引き金としてFe(II)からFe(III)への電子の集団移動が発生し、その結果高温相が生じた(光異性化誘起電荷移動相転移)と考えられる。

第5 章ではミュオン分光法を用いた(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (n = 3-5)のスピンダイナミクス測定を報告している。[3-5] これまで電荷移動相転移のダイナミクスに関する情報は得られていなく、有効な測定方法も確立していなかった。本研究ではミュオンスピン緩和法(μSR)が局所的な内部磁場のダイナミクス測定に適し、かつ非常に広域な測定時間窓を持つことに注目した。

ゼロ磁場中のμSR 測定の結果、n = 3-5 の各々について磁化率測定と対応する温度領域で、静的な磁気秩序状態を反映したミュオンスピン緩和の変化を観測した。また、n = 3 においては、電荷移動相転移が観測される140-60 Kの温度領域で、ヒステリシスを伴うミュオンスピン緩和率の異常な増大が観測された (図5) 。この異常はn = 5 では観測されないことから、電荷移動相転移によって生じるFe(II)-Fe(III)間の「電子のキャッチボール」により生じる振動磁場を、ミュオンが感知していると結論づけた。縦磁場中のμSR 測定の結果から、この振動磁場の周波数は105 Hz のオーダーであると見積もられた。

[1] N. Kida, M. Hikita, I. Kashima, M. Okubo, M. Itoi, M. Enomoto, K. Kato, M. Takata, and N.Kojima, J. Am. Chem. Soc., in Press.[2] N. Kida, M. Hikita, I. Kashima, M. Enomoto, M. Itoi, and N. Kojima, Polyhedron, in Press[3] N. Kida, M. Enomoto, I. Watanabe, T. Suzuki, and N. Kojima, RIKEN Accelerator Progress Report 40, v (2007).[4] N. Kida, M. Enomoto, I. Watanabe, T. Suzuki, and N. Kojima, Phys. Rev. B 77, 144427 (2008).[5] M. Enomoto, N. Kida, I. Watanabe, T. Suzuki, and N. Kojima, Physica B, in Press.

図1 (n-C3H7)4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の室温における結晶構造。

図2 (57)Fe Mossbauer スペクトル(77 K)から見積もられる低温相の面積強度と格子定数(a)a, (b) d との相関。(m, n)は(n-CmH(2m+1))3(n-CnH(2n+1))N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]のアルキル鎖長に対応。a はその値が得られたもののみを記載している。

図3 (a) (SP-Me)I の光反応。 (b) (SP-Me)I のクロロホルム溶液(左)および固体薄膜(右)の吸収スペクトル。

図4 (SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の紫外光(300 K, 350 nm, 40 mW/cm2)照射前後における (a) KBr ペレット、(b) モル磁化率×温度の温度依存性、(c) 磁化過程。fcm は磁場中冷却過程、rm は残留磁化過程、zfcm はゼロ磁場冷却過程を示す。

図5 (a) (n-C3H7)4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]および (b) (n-C5H(11))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]におけるゼロ磁場中ミュオンスピン緩和率の温度依存性。挿入図はモル磁化率×温度の温度依存性。

審査要旨 要旨を表示する

金属イオンのスピン状態がスピンクロスオーバー領域にある集積型混合原子価錯体では、電荷移動転移とスピンクロスオーバー転移が連動した特異な相転移を起こす可能性を持っており、従来のスピンクロスオーバー現象を超える新現象が期待される。近年、このような観点から非対称な配位子であるdithiooxalato (dto)を架橋とする鉄混合原子価錯体 (n-C3H7)4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]が合成され、この物質において、スピンと電荷が連動して発現する電荷移動相転移と呼ばれる新しい型の相転移が発見された。この電荷移動相転移は、高温相と低温相のスピンエントロピーの差を駆動力として、系全体の自由エネルギーを最安定にするために隣接する金属イオン間で電荷を移動させてスピン状態の組み換えが起こる全く新しい相転移現象であり、注目されてきた。

本論文は、遷移金属錯体と機能性有機分子を組み合わせた光応答性有機・無機複合錯体(SP)[Fe(II)Fe(III)(dto)3](SP = spiropyran, dto = dithiooxalato)や層間距離および面内サイズを独立に制御できる一軸性対イオンを層間にインターカレートした[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体を開発し、ミューオンスピン分光法、メスバウアー分光法、磁気測定など様々な物性測定手段を用いて、スピンと電荷の相乗効果による動的スピンクロスオーバー現象とみなすことができる電荷移動相転移の発現機構の解明、光異性化分子の構造変化を媒介として[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体の強磁性および電荷移動相転移を制御することを目的として系統的な研究を行ったものであり、本論文は6章で構成されている。

第1章では研究背景である分子磁性体全般について解説し、続いて鉄混合原子価錯体(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の物性を述べている。加えて、分子性物質における最近の光磁性(光照射によって磁気を制御できる性質)研究の動向を紹介している。

第2章では、軸対称性アルキルアンモニウムカチオンを用いた鉄混合原子価錯体(n-CmH(2m+1))3(n-CnH(2n+1))N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]((m, n) = (2, 6), (3, 5), (5, 3), (6, 2))および光異性化分子と鉄混合原子価[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体を組み合わせた新規光応答性有機無機複合錯体(SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (SP-Me = spiropyran)の試料合成法について記述している。また、本研究で必要不可欠である磁気測定、57Feメスバウアー分光法、ミューオンスピン分光法について記述している。

第3章は電荷移動相転移の構造的要因に焦点をあて、軸対称性アルキルアンモニウムカチオンを用いて合成した鉄混合原子価錯体(n-CmH(2m+1))3(n-CnH(2n+1))N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]((m, n) = (2, 6), (3, 5), (5, 3), (6, 2))の構造と磁性をまとめている。これは、上記の対カチオンを用いてm+n を一定に保つことで、(n-CnH(2n+1))4N+カチオンに比べて[Fe(II)Fe(III)(dto)3]面間距離の変動を抑えつつ、面内蜂の巣状リングサイズを制御することが可能であるという指針に基づくものである。磁化率測定および57Fe Mossbauerスペクトル測定の結果、(2, 6), (3, 5), (5, 3)の錯体ではT(CT) ~ 100 Kで電荷移動相転移が起こるが、T(CT)以下で高温相と低温相の2相が共存しており、TC(高温相) = 17 KおよびTC(低温相) = 6 Kで二段階の強磁性転移を見出している。これに対し、(6, 2)の錯体では、電荷移動相転移が起こらず、TC(高温相) = 17 Kの強磁性転移を見出している。次に、(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (n = 3-6)も含めた粉末X線結晶構造解析から、各錯体の室温における[Fe(II)Fe(III)(dto)3]-∞層内の最近接FeII-FeII距離a、層間距離dを見積り、各錯体の77 Kにおける(57)Fe Mossbauerスペクトルから見積もられる低温相の面積強度を、aおよびdに対してプロットし、電荷移動相転移の発現と結晶構造との相関関係を明らかにしている。即ち、aの増加に対し低温相が不安定化する傾向が見られ、a = 10.20 Aを境界として電荷移動相転移が消失することが明らかとなった。また、dには明確な傾向が見られないが、9.7 Aを境界として電荷移動相転移が消失する可能性を指摘している。

第4章では光異性化分子と鉄混合原子価[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体を組み合わせた新規光応答性有機無機複合錯体(SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (SP-Me = spiropyran)の開発と、その物性測定の中で観測された特異な光誘起相転移現象を報告している。SPは黄色い閉環体(CF)が安定であるが、紫外光を照射することにより、赤い開環体(OF)へと異性化し、可視光照射によりOFからCFへ戻る光応答性有機分子であるが、この光異性化は固体中でも起こり、しかも大きな分子体積の変化を伴うため、[Fe(II)Fe(III)(dto)3]錯体と組み合わせることにより、SPの光異性化を介したスピン状態の制御に実現を目指しておこなった研究である。

申請者は、(SP-Me)[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の吸収スペクトルから、錯体中におけるSPの可逆的な光異性化を確認している。また磁化率および(57)Fe Mossbauerスペクトル測定から、紫外光照射前はT(CT) ~ 90 Kで電荷移動相転移が起き、T(CT)以下で高温相と低温相の2相が共存し、TC(高温相) = 22 K, TC(低温相) = 5 Kで2段階の強磁性転移が起きることを確認している。ところが、紫外光照射後の錯体では電荷移動相転移が観測されず、TC(高温相) = 22 Kの強磁性転移のみ観測されていることから、SPの光異性化に伴う結晶格子の膨張が、低温相を不安定化させ、高温相を安定化したと結論している。また同様の傾向は70 Kにおける紫外光照射でも観測している。これは低温相状態の錯体へ紫外光を照射したことで、SPの光異性化を引き金としてFe(II)からFe(III)への電子の集団移動が発生し、その結果高温相が生じた(光異性化誘起電荷移動相転移)と結論付けている。

第5章ではミュオン分光法を用いた(n-CnH(2n+1))4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3] (n = 3-5)のスピンダイナミクス測定を報告している。これまで電荷移動相転移のダイナミクスに関する情報は得られていなく、有効な測定方法も確立していなかったが、本研究では、ミュオンスピン緩和法(μSR)が局所的な内部磁場のダイナミクス測定に適し、かつ非常に広域な測定時間窓を持つことに注目して研究を行ったものである。

申請者は、ゼロ磁場中のμSR測定の結果、n = 3-5の各々について磁化率測定と対応する温度領域で、静的な磁気秩序状態を反映したミュオンスピン緩和の変化を観測している。また、n = 3においては、電荷移動相転移が観測される140-60 Kの温度領域で、ヒステリシスを伴うミュオンスピン緩和率の異常な増大が観測している。この異常はn = 5では観測されないことから、電荷移動相転移によって生じるFe(II)-Fe(III)間の「電子のキャッチボール」により生じる振動磁場を、ミュオンが感知していると結論づけている。また、縦磁場中のμSR測定の結果から、この振動磁場の周波数は105 Hzのオーダーであることを明らかにした。

第6章は、第2章から第5章における特筆すべき重要な成果をまとめて、今後の展望について述べている。

以上のように、本論文は、光・スピン・電荷の相乗効果により発現する光磁気多重機能性の研究を[Fe(II)Fe(III)(dto)3](dto = C2O2S2)錯体を対象として研究したものであり、ミューオンスピン分光法を用いて(C3H7)4N[Fe(II)Fe(III)(dto)3]でFe(II)からFe(III)のサイトに電子が一斉に集団移動する電荷移動相転移の動的挙動を初めて発見したこと、鉄混合原子価錯体[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の層間にインターカレートしたスピロピランの光異性化をスイッチング機能として作用させ、光照射により[Fe(II)Fe(III)(dto)3]の中でFe(II)からFe(III)のサイトに電子が一斉に集団移動する現象を発見したことなど、分子磁性をはじめとする関連分野への貢献は多大なものがある。なお、本論文中の研究は全ての章にわたって論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断できる。

よって、本論文は博士(学術)の学位申請論文として合格と認められる。

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