学位論文要旨



No 124381
著者(漢字) 比嘉,百夏
著者(英字)
著者(カナ) ヒガ,モモカ
標題(和) 有機擬2次元導体β"-(DODHT)2PF6の電子状態 : 電荷秩序と超伝導
標題(洋)
報告番号 124381
報告番号 甲24381
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第904号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小島,憲道
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 教授 鹿野田,一司
 東京大学 教授 小形,正男
内容要旨 要旨を表示する

1.本研究の目的

新たな超伝導機構である「電荷揺らぎ」超伝導の可能性を持つと考える有機二次元導体β"-(DODHT)2PF6の物性測定を基に、電荷秩序-超伝導系物質の相図の確立と、電荷秩序の安定化に寄与する構造パラメターの決定を目指した。さらに、電荷秩序相と超伝導相の中間に存在する電子相は、金属でも絶縁体でもない曖昧な挙動を示すため、近年まで、試料の質が悪いとして省みられてこなかったが、この中間電子相が、なんらかの電荷秩序の影響を残した「電荷揺らぎ相」とでも呼ぶべき電子相であり、電荷秩序と超伝導の関係を調べる上で鍵を握る相であると考え、この電子状態について新たな知見を得るべく測定を行った。

有機導体の電子状態の中で、超伝導状態はその発現機構をめぐって多くの謎を秘めており、酸化物高温超伝導体と対比しつつ、精力的な研究が進められている。超伝導の発現機構としては、よく知られているフォノン機構に続き、酸化物や有機導体において確立されてきたスピン揺らぎ機構があるが、新機構として電荷揺らぎ超伝導の発見が期待されている。その上で注目すべき物質は、電荷秩序相と超伝導相の両方を持ち、その間に「電荷揺らぎ相」と呼ぶべき、金属でも絶縁体でもない電子相を持つ物質群である。それは、擬二次元有機導体の中でもβ", α, θ型分子配列を持つ物質群であり、これらの電荷秩序相と超伝導相の関係を調べることによって新たな超伝導機構の発見が期待できる。なかでも単位格子内に独立な分子が1個のみ存在するβ"型塩、特に静水圧によって電荷秩序相と超伝導相の出現を制御できるβ"-(DODHT)2PF6は、両者の関係に直接迫り、中間電子相である「電荷揺らぎ相」が具体的にはどのような電子状態であるか調べるに適した物質であるといえる。

常圧下で電荷秩序絶縁体であるβ"-(DODHT)2PF6に対する圧力の効果は図1に示す電気抵抗の温度依存性を基にした温度-圧力相図として得られている[1]。本研究では圧力領域を3つの領域、(1)明確な絶縁体転移が残っている低圧力域、(2)絶縁体転移が抑圧され、幾つかの抵抗異常がある中間圧力域、(3)金属的挙動を示し超伝導転移が観測される高圧力域、に分け、それぞれの電子状態について議論した。

2.実験方法

測定に用いたβ"-(DODHT)2PF6の作成は電解結晶化法を用いて行った。物性制御に必要な圧力を得るため、全ての測定は最大圧力1.9GPaまでの圧力セル内で行っている。

X線測定:MoKa線をX線源とし、0.7GPaまでのクランプ型圧力セルを用いた超格子測定と、同じくクランプ型圧力セルを用いた0.75GPa下、ダイアモンドアンビルセルを用いた1.9GPa下の結晶構造解析を行った。

伝導測定:クランプ型圧力セルを用い、1.9GPaまでの伝導測定を行った。直流四端子法による電気抵抗測定、12Tまでの磁気抵抗測定、パルス法による抵抗測定、1MHzまでの四端子対法による交流インピーダンス測定を行った。

3.実験結果と考察

1.で挙げた3つの圧力域のうち(1)の低圧力域の絶縁相は図2に示すようにX線超格子測定から確かに電荷秩序相であり、(3)の高圧力域の金属相では、シュブニコフ・ド・ハース振動は観測されないものの、図3に示すような擬一次元フェルミ面が原因の角度依存磁気抵抗振動が観測される金属状態であることがわかった。

また、X線結晶構造解析によって、高圧力域までの構造パラメターの変化を追い、図4のような電子構造を得た。電荷秩序状態が不安定化し、金属化するときの条件として、バンド幅の増加に加えて電荷秩序ストライプに垂直な方向のトランスファー積分(バンド幅増加への寄与は小さい)が圧力とともに大きくなることを指摘した。これは同じ電子構造を持つ金属β"-ET塩と比較しても妥当な結果であり、β"型2対1塩の相図として図5のような電荷秩序-「電荷揺らぎ」-超伝導-金属、電荷密度波相図を提案した。

中間圧力域については3つの異なる挙動を示す温度領域に分けることが可能である。

(1)高温域(直流抵抗の温度変化が小さい):パルス応答もインピーダンスも目立った特徴を見せない。

(2)肩状に直流抵抗が上昇した直下の低温域:パルス応答では電流-電圧に関して線形の応答が見られた。また、交流インピーダンス測定より数10kHz以下の低周波域では抵抗が低温に向かって著しく増大し始める温度付近において、誘電性に異常が見られるが、1MHzまでの高周波域では特に異常は見られない。

(3)抵抗が急上昇する極低温域:パルス応答、交流インピーダンスとも高周波までの絶縁性を示し、パルス測定では非線形性が見られる。このときの電子状態は、多かれ少なかれ、電荷秩序状態が長距離秩序を持ち始めている状態であろうと考えられる。

中間圧力域の「電荷揺らぎ」状態の具体的な電子状態についてはまだまだわからない点も多く、今後、ミクロスコピックな測定や、理論も含めた具体的な電子状態の解明が必要であろう。

[1] H. Nishikawa, Y. Sato, K. Kikuchi, T. Kodama, I. Ikemoto, J. Yamada, H. Oshio, R. Kondo, and S. Kagoshima: Phys. Rev. B 72 (2005) 052510.

図1 β"-(DODHT)2PF6の圧力下電気抵抗[1]。

図2 超格子反射強度の圧力、温度依存性。

図3 1.9GPa下の角度依存磁気抵抗振動。

図4 正方格子にマップした1.9GPa下のフェルミ面とバンド構造。

図5 β"型塩の相図。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,表題の有機導体における電子状態の温度-圧力相図を確立するための実験研究の結果を報告し,その結果を2つの類縁物質と比較しつつさまざまな角度から考察,吟味したものである。さらに,電荷揺らぎ機構による超伝導発現の可能性を探ることも試みている。実験方法は,試料作製,高圧・低温での電気伝導の直流・パルス・交流インピーダンス測定,磁気抵抗測定およびX線回折・散乱測定である。これらの実験によって,低圧力域での電荷秩序絶縁相の相図における範囲と性質を初めて明確にするとともに,高圧力域での金属相の存在を直接的に証拠立てることに成功した。さらに中間圧力域において,絶縁相と金属・超伝導相の中間的な振る舞いを発見してその概略を明らかにした。この中間圧力状態の挙動と,高圧域での超伝導発現とを結びつけ,超伝導が電荷揺らぎ機構によるあらたな超伝導である可能性を示唆した。

本論文は4章から構成されている。第1章では序論として,研究の背景と狙い,この研究で取り上げる物質に関する従来の知見,および本研究の問題設定と目的を述べている。第2章では,実験装置と方法が説明されている。第3章では,圧力域を低圧力,高圧力および中間圧力域に3区分し,それぞれの圧力域で得た実験結果に基づいて,それぞれの電子状態を議論するとともに,圧力による電荷秩序絶縁相から金属相への移行のメカニズムを考察している。また,中間圧力域における電子状態に関する実験結果をもとに,電子状態の本性を検討しつつ,高圧力域の超伝導の発現機構を探っている。第4章は,以上の結果のまとめと今後の研究の展望にあてられている。

まず第1章においては,有機導体・超伝導体の特徴,電荷秩序と超伝導の関係をめぐる研究の流れ,およびこの研究で対象とする表題物質の特徴とこの物質を取り上げる意義を述べ,この物質について今までに得られている知見を紹介している。この研究以前に,表題の物質について明らかにされていたことは,常圧・250K以下で絶縁相に転移するとともに,常圧でのX線回折で超格子反射が見出されることから,その絶縁機構が電荷秩序によるものであること,および1.3GPa程度以上の高圧力下では臨界温度2.5Kの超伝導が発見されていたことである。また,電気抵抗の温度依存性の振る舞いから,温度-圧力相図の低圧力域における電荷秩序絶縁相の領域が推定されていた。しかしながら,中間圧力域では電気抵抗の温度依存性は絶縁相とも金属相とも言い難いふるまいを示し,極低温では結局,絶縁化に向かう挙動が発見されていた。

この論文で設定された研究目的は,従来の知見を手掛かりにして,(1)この物質の相図の全容を解明するとともに,電子構造の圧力依存性を実験的に明らかにし,圧力とともに電荷秩序から金属状態へ移行するメカニズムを解明すること,および,(2)中間圧力域の電子状態の性質を探ることを通じて,高圧力域での超伝導の引力機構が電荷揺らぎという未踏の機構である可能性を探ることである。

第2章では実験装置と方法が述べられている。単結晶試料は,電気化学的方法によって作成されている。1.9GPaまでの静水圧力を発生して電気伝導測定を行うためのクランプセルの詳細が説明され,低温・高圧力下でのX線回折・散乱実験のためのクランプセルとダイヤモンドアンビルセルの詳細が述べられている。次いで,伝導測定のための,4端子測定装置,パルス伝導測定装置,1MHzまでの交流インピーダンス測定装置が説明されている。

第3章では上述の3つの圧力域に分けて電子状態に関する実験結果がまとめられ,それらに関する議論がなされている。まず0.7GPaまでの低圧力域でX線回折散乱実験を行い,圧力が増すとともに電荷秩序による超格子反射の出現温度が低下するとともに強度が減少すること,および,その電荷秩序状態は長距離秩序をもつことを発見した。これによって,電気抵抗から推定されていた電荷秩序相は,少なくとも0.7GPaまでは確実に電荷秩序相であることを初めて証拠立てた。次に常温で常圧および0.75GPa,1.9GPaの静水圧力のもとにおいてX線構造解析をおこない,拡張ヒュッケル法と強束縛モデルのバンド計算を行い,電子構造とフェルミ面形状を初めて明らかにした。電子構造パラメタの圧力依存性をもとにして隣接サイト間のクーロン相関エネルギーVとバンド幅Wの比を考察し,圧力とともに電子相関による電荷秩序相が不安定化して金属相に至るという実験事実を説明することに成功した。高圧力域では1.9GPa,1.5Kにおける磁気抵抗測定によって角度依存磁気抵抗振動を発見し,それが擬1次元フェルミ面の存在を証明するものであることを明らかにし,高圧力下では確かにフェルミ面をもつ金属相が存在することを初めて実証した。

中間圧力域においてはパルス伝導の振る舞いと1MHzまでの交流インピーダンス測定を行い,電荷秩序の長距離秩序の有無にかかわらず,低温に向かって電気抵抗が急増すると試料の誘電率が減少することを明らかにした。しかしながら,高圧で特に低温下でのインピーダンス測定には技術的困難が多く,周波数依存性などについて明確な結論を提示するには至らなかった。この電子状態の本性の解明は今後の課題として残された。極低温域では非線形伝導が起こっていることを発見した。これは振幅が小さいか,層間距離が短い電荷秩序の存在を示唆するものと推定し,その本性の解明は今後に残された。

このようにして得られた表題物質の温度-圧力相図に,電荷密度波状態を持つ類縁物質を位置づけると,圧力の増加とともに電荷秩序相,中間相,金属・超伝導相,さらに電荷密度波相と並ぶことを指摘した。このような電子相の関係は,超伝導状態では電子スピンがあらわな役割を演じないと考えられることを指摘し,超伝導が電荷揺らぎに起因する可能性があることを示唆した。

第4章では以上の実験結果と考察の結論がまとめられている。まず電荷秩序-超伝導系物質である表題物質の相図を確立したことがまとめられ,次いで,電荷秩序相と超伝導相の中間に位置する電子状態については,その本性に迫ることで電荷揺らぎによる超伝導の可能性を追求したことがまとめられている。中間圧力域の電子状態を確定するには至っていないので,それを追求するための今後の方向として,誘電性の明確化と非線形伝導のメカニズムの解明が提案されている。

このように本論文は,超伝導と電荷秩序の関係において興味が持たれている表題物質の高圧力下の電子構造を初めて解明し,電荷秩序相と金属・超伝導相をそれぞれ安定化する機構を説明することに成功したものである。さらに,低圧力域の電荷秩序相の領域を初めて明確に決定するとともに,高圧力域における金属相の存在を実験結果に基づいて実証した。さらに,中間圧力域における中間的な電子状態の振る舞いを探り,類縁物質との関係を視野に入れつつ,表題物質の超伝導が電荷揺らぎによるものである可能性を指摘した。

以上の研究は,低温・高圧という実験条件下で困難な実験を成功させたもので独創性が高い。得られた研究成果は,今後の有機導体の電子物性の研究にとってきわめて有用で価値の高いものと判断される。

よって、本論文は博士(学術)の学位申請論文として合格と認められる。

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