学位論文要旨



No 124393
著者(漢字) 泉名,健
著者(英字)
著者(カナ) イズミナ,ケン
標題(和) 一本の回転細円筒容器中の超流動ヘリウム3
標題(洋) Superfluid 3 He in a rotating small cylinder
報告番号 124393
報告番号 甲24393
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5291号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,正仁
 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 榊原,俊郎
 東京大学 准教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

ヘリウム原子は希ガスであるために原子間のvan der Waals引力が弱く,加えて,質量が小さいために零点振動のエネルギーが大きい.このため,常圧下では絶対零度まで固化せず,量子液体と呼ばれる状態が実現されている.ヘリウム原子の安定同位体の1つであるヘリウム3原子は,核スピン1/2を持つFermi粒子であり,約1 KでFermi縮退する.さらに,冷却すると2 mK程度の超低温下でCooper対を形成し超流動状態となる.ただし,そのCooper対の対称性は,従来のs波状態とは異なり,p波スピン3重項状態であるので,超流動ヘリウム3の状態を記述する秩序変数は軌道部分とスピン部分の自由度を持つ.このように,秩序変数が自由度を持つので,破れる対称性の異なった複数の秩序相(A相,B相,A1相)が存在し,さらに,それぞれの秩序変数の中にも自由度が残るという「内部自由度のある超流動」が実現している.その内部自由度の存在により,超流動状態を記述する秩序変数が空間構造を持つことが可能になり,その空間構造は,織目構造(texture)と呼ばれている.この織目構造は,磁場・境界条件・速度場などの外部変数によって制御可能であり,実に多彩な物理をまさにその言葉どおり織り成している.そして,この織目構造を核磁気共鳴(NMR)によって直接観測することが可能であることも,この系の持つ大きな特徴である.

近年,「伝導電子系の超伝導」や「原子気体BEC」などの分野で,超流動ヘリウム3と同じp波状態の探索・研究が盛んに行われている.こうした中で,超流動ヘリウム3は,極低温まで液体状態を保つので高純度化が容易であり,さらに,系を形成する原子自体が超流体となる複雑なポテンシャルの影響を考えなくてよい,という利点を持つ.このように,超流動ヘリウム3は,最も精密な測定が可能な物質の1つであり,超伝導系・原子気体BEC系を含んだp波Cooper対の物性研究において、モデル物質となることが期待される.

こうした背景の中で,回転下における超流動ヘリウム3の振舞いに興味が持たれてきた.一般的に,超流動体に回転を加えるということは,超伝導体に磁場を印加することに対応する.超伝導体でフラクソイドが量子化されるのに対し,超流動体では,回転流に関連する「循環」とよばれる物理量が量子化され,量子渦が形成される.超流動ヘリウム3-A相では,その豊富な内部自由度を反映して,「特異芯を持たない多種類の量子渦」の存在が確認されている[1].回転下における超流動ヘリウム3-A 相の実験は,1981年以降,Helsinki工科大学,Manchester大学,California大学Berkeley校,東京大学物性研究所で行われてきた[1-4].しかし,境界条件・磁場などの外場を用いて織目構造を制御した上での量子渦観測には,毎秒1回転程度の高速回転が必要であり,研究可能な施設が限られるため,その報告例は少ない.細円筒容器内における回転下の超流動ヘリウム3-A相という対象では,以前に,石黒らが東京大学物性研究所において回転下核磁気共鳴測定を行い,円筒容器内に侵入する量子渦の観測に成功した[4].しかし,彼らの測定では信号強度を増やすために,150本の円筒容器を用いたため,各円筒容器内における現象のばらつきを排除することができず,いくつかの問題が残ってしまった[5].

本論文は,制限空間を用いることによって織目構造(texture)を制御し,その制御された織目構造の中に侵入する量子渦について研究した報告である.具体的には,世界最高回転角速度を持つ回転核断熱消磁冷凍機を用いて,直径230 μmの1本の細円筒容器内における超流動ヘリウム3-A相に対して回転下核磁気共鳴測定を行った.1本の円筒容器を用いることで,本当にただ1本の量子渦,織目構造を観測することが可能になる.しかし,その反面,サンプルの絶対量を減らすことにつながるため,信号強度確保のために,「サンプル充填率の高い測定セルの設計」,「測定精度の向上」が必須となる.

以上に留意したセル作成の結果,

・以前と変わらない信号強度を持つ( S/N ~ 130 )

・円筒容器内のみを観測している

・円筒容器内に大きな温度差のない( ΔT < 10 μK )

という測定セルを作成できた.なお,以上の点はすべて,本研究における核磁気共鳴測定によって確認した.また,これらと並行して,回転核断熱冷凍機の最高角速度の改良も行った.直径200 μm程度の円筒容器では,毎秒2/3回転程度の回転角速度で1本目の量子渦が侵入することが知られているので[4,5],最高回転角速度を以前の毎秒1回転から毎秒2回転に改良することによって,3本程度の量子渦の侵入が期待される.そこで,高速用の回転駆動サーボモーターを用い,回転機構を改良することによって,最高回転角速度を2倍に伸ばすことに成功した.

以上に示した回転冷凍機と測定セルを用いて,回転下核磁気共鳴測定を行った.その結果,1本の円筒容器内に3本の量子渦が順番に侵入していく様子を観測することができた.図1に核磁気共鳴スペクトルの回転依存性を示す.縦軸は吸収強度、横軸はLarmor周波数からの周波数シフトを表す.

図1より,角速度の上昇に伴って,Δf = + 5.5 kHz付近にあるメインピークが減少し,それと相補的に,Δf = + 1.8 kHz付近にサテライトピークが出現・増大していることが確認できる.このサテライトピークの回転依存性をより詳しく解析するために,図2にサテライト信号の積分強度の回転依存性をプロットする.縦軸はサテライトピークの積分強度を,横軸は回転角速度を示す.

図2から,サテライトピークの強度が回転に対して不連続に変化していることわかる(図中矢印部分).これは,円筒容器内に量子渦が3本,順に侵入していることに対応すると考えられる.このとき,積分強度の増分が約2倍,3倍となっていることも,これを裏付ける.さらに,数値計算との比較[6]により,3本のContinuous Unlocked Vortexと呼ばれる非等方的な渦心を持つ量子渦が侵入していることを確かめた.他にも,1本目の量子渦の侵入過程に着目し,円筒軸方向の1次の勾配磁場を用いた1次元核磁気共鳴画像法(1D-MRI)によって,渦端が円筒容器内を下から上へと,まさに進行する様子を観測した.

以上の測定から,よく制御された系に侵入する1本の量子渦の詳細な観測に成功したことがわかる.本研究は,1本の細円筒容器と高速回転冷凍機なくしては実現し得ない.これらの成果は,新たな量子渦研究の可能性を切り開いたと期待される.

[1] O.V.Lounasmaa and E.Thuneberg, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 96 (1999) 7760.[2] T.D.bevan et al., J. Low Temp. phys. 109 (1997) 423.[3] R.J.Zieve et al., J. Low Temp. phys. 91 (1993) 315.[4] R.Ishiguro et al., Phys. Rev. Lett. 93 (2004) 125301.[5] R.Ishiguro, Ph.D Thesis, Kyoto Univ. (2004).[6] T.Takagi, JPS meeting and Private Communication (2008).

図1:核磁気共鳴スペクトルの回転依存性

図2:サテライトピークの積分強度の回転依存性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「一本の回転細円筒容器中の超流動ヘリウム3」(Superfluid 3He in a rotating small cylinder)と題し、8章からなる。第1章はイントロダクションであり、研究の背景および本論文の主目的について述べている。第2章では後の議論に必要な超流動ヘリウム3のA相の物理を概観している。第3章は、1本の円筒容器による実験がなぜ必要かを以前のデータと比較することで議論し、本論文の研究の目的が、1本の円筒容器からなる実験セルを作製し、その中での織目構造の観測と量子渦の観測にあることを述べている。第4章は、測定に用いられた装置である回転冷凍機、測定セル、および、核磁気共鳴測定法について述べている。4.1節では、本研究で用いた3He-4He希釈冷凍機とCu核断熱消磁冷凍機の特性を記述している。特に、回転冷凍機特有の問題として、磁場中で金属を回転させた際の熱の発生をCuバンドルに多数のスリットを入れ、かつ、地球磁場を打ち消すために外部磁場を印加することにより解決したことを述べている。42節では、円筒容器セルの作製について述べている。このセルは、ピックアップコイル内のサンプル量が0.17μl程度と非常に少ないが、セルの作製手順を工夫することによって従来とほとんど変わらない数%のコイル内の充填率を実現している。4.3節では、核磁気共鳴測定法のためのブロックダイアグラムを説明し、信号のS/N比を改善するために取った具体的な方策について述べている。第5節では、サンプル条件と核磁気共鳴測定条件のそれぞれについて、実験で用いた具体的な数値を記述している。第6章では、静止下における超流動3Heに対するcw-NMR測定の結果を述べている。6.1節では、本研究で作製した1本の円筒容器セルを常流動3HeのNMRスペクトルにより評価し、150本をまとめて測定した以前のデータに比べて、NMR信号の線幅が1/10程度に狭くなっていることを報告している。他方、サンプル数が150本から1本へ減少したにもかかわらず、ピックアップコイルの配置を工夫することにより以前と同じS/N比を確保することに成功している。NMR信号は、複数のピークを示しているが、3He-4He混合系でなされたデータを参照することで、ピークの原因がスピン波励起によるものであると推測している。次に、冷却時のNMRスペクトルの温度依存性を測定し、ピーク位置の周波数の温度依存性が1-T/Tcに比例していることを指摘している。また、スペクトルの線幅は低温ほど広がっているが、この線幅はLeggett-Takagi機構の緩和よりも広く、円筒容器内の織目構造を反映するものと結論付けている。62節では、回転下でTc以下へと冷却することにより均一な織目構造を持った初期状態が準備できることを指摘している。また、冷却速度を変えて測定することによりNMR信号のサテライトの強度が連続的に変化することを見出し、これがJc通過時にドメイン構造が形成されたことで理解できることを指摘している。第7章では、高速回転下での測定結果を述べている。従来の2倍の最高回転速度12.0rad/sを達成し、最高回転下でも以前とほぼ同じ熱流入に抑えつつ回転度の安定化に成功している。サテライト積分信号強度を回転速度の関数として表示することにより、量子渦が1本、2本、3本と侵入することの観測に成功し、サテライト信号の規格化共鳴周波数からその渦が、continuous unlocked vortex(CUV)と呼ばれているものであることを同定している。さらに、この同定がNMRスペクトルに関するTakagiによる数値計算とコンシステントであることを議論している。7.2節では、1本目の量子渦の侵入過程を、1次元核磁気共鳴画像法を用いて解析している。回転速度の関数として、1本の量子渦の侵入過程の様子を、MRI測定によって初めて観測することに成功した。さらに、測定時間を短縮する工夫をすることにより、容器内の渦の運動を実時間で捉えることに成功している。これにより、臨界周波数付近で回転周波数を固定した状態で、渦が容器内を数時間というスケールで運動していることが初めて明らかにされた。第8章では、本研究で得られた結果を要約している。

なお、第6章と第7章の研究は、久保田実氏、佐々木豊氏、石川修六氏、高木丈夫氏、石黒亮輔氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できるものと認める。

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