学位論文要旨



No 124398
著者(漢字) 加藤,雅紀
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,マサノリ
標題(和) 量子ホール領域におけるアンチドット系の電子輸送
標題(洋) Electron Transport of Antidot Systems in the Quantum Hall Regime
報告番号 124398
報告番号 甲24398
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5296号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 樽茶,清悟
 東京大学 准教授 町田,友樹
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 准教授 長田,俊人
 東京大学 准教授 岡本,徹
内容要旨 要旨を表示する

近年の半導体微細加工技術の発展により、電子をGaAs/AlGaAs半導体へテロ界面に閉じ込めた二次元電子系を作製できるようになった。二次元電子系はその次元性に特有の様々な現象を示し、二次元面に垂直な磁場をかけた際に整数量子ホール効果や分数量子ホール効果が観測されることは特に有名である。量子ホール効果は系中に含まれる局在ポテンシャルの影響を強く受けるため、試料中の電子の局在状態は量子ホール効果を調べる上で多くの関心を集めてきた。また、整数量子ホール効果は電子間相互作用を無視した一電子描像でこれまで説明されてきたが、最近になってクーロン相互作用やスピン偏極の重要性が示唆され、理論・実験共に更なる研究が望まれている。

二次元電子系にポテンシャル変調を加えたアンチドット系は、以上のような量子ホール効果の研究対象として注目されている。量子ホール状態において、ポテンシャルの山に当たるアンチドットの周りに電子は局在し、エッジ(一電子)状態を形成する。このため、アンチドット系での電子の振る舞いを調べることで、二次元電子系における局在状態の情報を得ることができる。

アンチドット周りに局在した電子は、アンチドットを貫く磁束に対応したA haronov-Bohm(AB)位相を持ち、その情報は外側のバルク状態へのトンネル現象を介して磁気抵抗として取り出すことができる。このアンチドット系において観測される磁場に周期的な(ΔB=h/eS, Sはアンチドットの面積)磁気抵抗振動はAB型 振動と呼ばれ、アンチドット周りに局在した電子状態を反映した現象として考えられている。我々は、このAB型振動に注目し、振動の観測及び起源の解明、そしてAB型振動から量子ホール領域での電子相関やスピンゼーマン効果について知見を得ることを目的として研究を行った。

本研究では、GaAs/AlGaAs 基板の表面を削ってアンチドットを作製し、それを周期的に並べたアンチドット格子(図1(a)) と金電極の間に挟んだsingle アンチドット試料(図1(b))を使用した。系の一様性が重要な場合は格子試料、アンチドット一つの振る舞いを調べる場合はsingle 試料の電気伝導を希釈冷凍器(~30mK)を用いて垂直磁場下で測定し、主に以下の3つの結果を得た。

アンチドット格子におけるAB型振動の観測

まず、測定手段となる量子ホール領域でのAB型振動の振る舞いをアンチドット格子において調べ、その起源を明らかにした。アンチドット格子におけるAB型振動は、これまで主に低磁場領域(0T付近)で調べられ、高磁場領域においてはほとんど調べられていない。この理由として、アンチドットの大きさにバラつきがあると振動が消えてしまい観測されにくいことが考えられる。そこで我々は、大きさを揃えた少数アンチドット格子を用いて高磁場での実験を行った。

図2(a)は5×5 正方格子における対角及びホール抵抗率の磁場依存性を表しており、図中のα低磁場領域、β量子ホールプラトー間遷移領域)の領域では、単位格子及びアンチドット一つの面積に対応したAB型振動がそれぞれ観測された。磁場周期の変化から、低磁場で電子が格子中をバリスティックに動き回る状況から、磁場が増えるにつれて電子が各々のアンチドットに巻きついていき、量子ホール状態ではエッジ状態を形成する様子を確認できた。また、量子ホール領域におけるAB型振動は温度と共に減衰し、図2(b)にあるようなDingle関数でフィットすることができた。これによりAB型振動はシュブニコフ-ド・ハース振動と同様に系の状態密度を反映していると考えられる。試料に取り付けたフロントゲートに電圧Vg を印加して2次元電子のフェルミ面の位置を変えながら実験を行うことで、我々はこのAB型振動がアンチドット1つの周りに形成される一電子状態によってエネルギー状態密度にできる微細構造を反映していることを明らかにした。

量子ホール領域におけるスクリーニング効果

次に、量子ホール領域で観測されたAB型振動を用いて、我々はアンチドット周りのエッジ状態のポテンシャルの傾きを求め、電子間相互作用によるスクリーニング効果について議論した。

図3(a)はv=2-3 における対角抵抗率の様子とその振動成分を磁場とゲート電圧に対してプロットしたものである。これを見るとAB型振動はB-Vg平面上に縞構造を作ることがわかる。今、アンチドット周りに局在した電子は整数本の磁束量子を囲むように(Bπr(*2)=constant)量子化され、一電子状態を作る。B-Vg平面で振動が作る縞上を微小に動くことを考えると、この移動において磁束量子の変化は無いので次式が成り立つ。

式(1)より、縞構造の傾きΔVg/ΔBとそこでの周期から求めた電子の実効的な軌道半径r* から、我々はアンチドット周りのポテンシャル勾配dE/drが~105eV/m という値になることを得た。これは生のポテンシャルから予想される値よりも1桁程度小さいものであった。

このことはスクリーニング効果によってフェルミ面近傍のポテンシャルが緩やかになっていることを示唆している。逆に考えると、ポテンシャル勾配から2次元電子のスクリーニング効果を調べることができる。図3(b)はv=6付近におけるAB型振動の作る縞構造を表しており、温度が高くなるにつれてB-Vg 平面における傾きは急になっている。図4(a) は各磁場位置におけるポテンシャル勾配の温度変化をプロットしたもので、どの磁場位置でも温度が高くなるにつれてポテンシャルの傾きは図4(b)のように急になっている。これは、量子ホール領域において電子のスクリーニング効果が温度上昇と共に弱まる様子を直接的に示唆した初めての実験結果である。

v=2付近におけるAB型振動とゼーマン効果

最後に、スピン分離したエッジ状態が1本ずつアンチドットの周りに局在しているv=2量子ホール状態近傍においてAB(型)振動のゼーマンエネルギー依存性を調べ、アンチドット周りに作られる電子状態について議論した。我々はsingleアンチドット試料を用いた傾斜磁場の実験を初めて行った。試料を磁場中で傾けることで、垂直磁場成分B⊥ を一定に保ちながら全磁場Bを変えることができ、アンチドットに関していえば、他のエネルギースケールを変えずにゼーマンエネルギーだけを変化させることが可能になった。

図5(a)はv=2の低磁場側において観測されたコンダクタンスGのピーク構造と、試料にDCバイアスV(SD)を印加した時に得られる微分コンダクタンスダイアモンド構造:dG/dV(SD) vs B-V(SD)の様子を表している。各試料回転角θにおいてダイアモンドから求めたエネルギーを全磁場に対してプロットしたところ、図5(b)のような結果を得た。低磁場側(上図) が強い全磁場依存性を示すのに対し、高磁場(下図)は回転角を変えても大きな違いを示さなかった。これは、v=2の低磁場側におけるAB(型)振動はスピン分離したエッジ状態が作る一電子描像で説明できるのに対し、v=2のランダウ準位が非局在化を始める高磁場側では、ゼーマンエネルギーが顕には現れず、一電子描像が成り立たないことを示唆している。さらに我々は、v=2の高磁場側において、ゼーマンエネルギーによってエッジチャンネル間の距離が変化する様子を観測することができた。

図1:(a)アンチドット格子のAFM画像と次元電子が感じるポテンシャルの概念図。(b)アンチドット一つをゲート電極で挟んだsingleアンチドット試料の !画像。明るい所がAi-Tiサイドゲート。

図2:(a)アンチドット格子(周期α=1μm,半径r=350nm における対角抵抗率ρ(xx) とホール抵抗率ρ(xy) の磁場依存性、及びα、β でのρ(xx)の拡大図。ρ(xx)には周期的な振動が見られ、その周期は、α:ΔB~h/ea2、β:ΔB~h/eπr(*2)(r*=450nm)は電子の追い出し領域を考慮した実効半径)にそれぞれ一致した。(b)量子ホール領域におけるAB型振動の振幅の温度依存性。丸印は実験値、点線はDingle関数によるフィット。

図3:(a)5×5正方格子のv=2-3における対角抵抗率とその振動成分をB-Vg平面にプロットしたもの。a-dにある非周期な抵抗揺らぎの上に周期的なAB型振動が現れている。この二つの振動はB-Vg平面における傾きの変化から区別することができる。(b)v=6付近でのAB型振動が作る縞構造の温度変化。明るい所が抵抗の高い所(ピーク) を表している。図中の白丸・黒丸はVg=0,-6mVにおけるピーク位置。

図4:(a)各磁場位置におけるポテンシャル勾配の温度依存性。(b)低温(左)及び高温(右)時において、フェルミ面(EF)近傍でアンチドット周りに形成されるランダウ準位の模式図。丸印は一電子状態を表し、黒色・白色・灰色は電子の占有・非占有・部分的な占有状態を示している。

図5:(a)図singleアンチドット試料におけるv=2付近(低磁場側)でのコンダクタンスGの磁場依存性。(下図)上図の振動成分をB⊥、V(SD)に対してプロットした時に見られるダイアモンド構造。白色部はGの大きな所(ピーク)を表している。(b)v=2の低磁場側(上図) と高磁場側(下図) において、試料を磁場に対して角度θで傾けた時のダイアモンドの高さから求めたエネルギー間隔を全磁場B(ゼーマンエネルギーEz)に対してプロットしたもの。上図の直線フィット(破線)から求めたg因子はバルクのGaAsと同じ値になった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなり、第1章では研究対象とする半導体2次元電子系アンチドット構造の磁気電気伝導に関して、従来の報告と本研究の目的と概要が説明されている。二次元電子ガスの量子ホール系では、ランダムポテンシャルによる電子局在が重要な役割を果たす。最近、この問題に対する電子相関とスピン偏極の影響が理論的に議論されているが、実験は殆ど進んでいない。アンチドットは、人工的に作られた局在ポテンシャルで、電子局在の理想的な研究対象と考えられる。本研究では、高品質なアンチドット構造を作成し、各アンチドットの周りに局在するエッジ状態に関係する新しい磁気抵抗振動(AB型振動)を観測し、それに関連して、スクリーニング効果の減少、帯電効果による振動周期の変化、顕なゼーマンエネルギーの消失などを明らかにした。これらは、いずれも局在エッジ状態に特有の現象であり、その物理について妥当な議論がなされている。本章では、この研究のシナリオが簡潔にまとめられている。

第2章では、2次元電子系量子ホール効果とエッジ状態、アンチドット格子によるポテンシャルの変調、従来観測されている整合的磁気抵抗ピーク、電子局在の情報が電気抵抗に表れる機構など、本論文を理解する上で必要な事柄が説明されている。

第3章は試料と測定系の章で、まず、GaAs/AlGaAsヘテロ構造内のアンチドット格子、及び単一のアンチドットの作成が説明されている。従来のアンチドット格子は、アンチドットの大きさにバラつきがあってAB振動が良く見えなかった。本実験では、比較的大きいアンチドットを少数並べた格子を作ることによって一様性を高め、その結果、AB型振動を明瞭に観測できたことが説明されている。本研究の成果は、この試料作成の工夫に依るところが大きく、そのことが要領よく纏められている。測定法については、電気抵抗測定、回転試料ホルダーを利用した磁場回転法などが紹介されている。

第4-6章は、本論文の中心的な章で、それぞれ、新しいAB型振動、アンチドットの周りのエッジ状態に特有なスクリーニング効果、v=2の量子ホール領域におけるゼーマン分離効果について書かれている。4章では、従来観測されていた低磁場側のAB型振動の他に高磁場側でも明瞭な振動が観測され、その要因が各アンチドットの周りにできる1電子状態密度の微細構造であることが述べられている。また、v=2の両磁場端に周期が通常と異なるAB型振動を観測し、これがクーロンブロケード、及びエッジ状態の変形に起因することが議論されている。これらは従来議論されてきた描像と明らかに異なるもので、アンチドット格子独特の量子現象として興味深い。

第5章では、量子ホール領域のAB型振動のゲート電圧依存性からアンチドット周りのポテンシャル勾配を求め、それが、従来試料端で知られているような強い平坦性をもたないことが指摘されている。さらに、この指摘はスクリーニング効果の温度依存性の測定によって裏付けられている。この弱められたスクリーニングは、やはりアンチドット格子特有のもので、アンチドット間に形成される電子チャネルの幅が有限であることに起因することが指摘されている。以上の結果は、予測の範囲内ではあるが、実験で示した初めての例であり、アンチドット格子の特徴を良く捉えている。

第6章では、単一のアンチドットの周りのスピン分離エッジ状態が関与するAB型振動に対して、試料回転を利用してゼーマンエネルギーの寄与を調べ、v=2の量子ホール領域の高磁場側に1電子のゼーマンエネルギーの寄与が顕に見られないことが示されている。その原因として、この磁場領域ではエッジ状態が非局在になり始め、それに伴って帯電効果やスクリーニングが変化することが指摘されている。これは、まだ推論の域をでないが、電子相関の動的な性質を反映する現象として興味深い。

第7章では研究結果が簡潔にまとめられている。

以上、各章を紹介しながら本論文の物理学への貢献点を解説した。本研究は、試料を工夫することによって、アンチドットの局在的なエッジ状態の関与するAB型振動を調べ、この系に特有のスピン効果、スクリーニング効果、電子相関の知見を抽出し、物理を究明しようとするもので、独自性が高い。また、本研究全体を通して精度の高い実験が行われていて、信頼すべき物理データを提供している。これらをまとめた本論文は、当該分野に対して学術的に優れた寄与をしており、学位論文として充分な水準にあることが審査員全員によって認められ、博士論文として合格であると判定された。なお、本論文の内容は、Physica E、とPhysical Review B、J.Phys.Soc.Jpn.など7件の論文(1件投稿中)にまとめられている。これらの論文の内容は第一著者である論文提出者が中心に研究した結果であり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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