学位論文要旨



No 124405
著者(漢字) 坂口,聡志
著者(英字)
著者(カナ) サカグチ,サトシ
標題(和) 71 MeV/Aにおける偏極陽子 : 中性子過剰ヘリウム同位体弾性散乱
標題(洋) Elastic Scattering of Polarized Protons from Neutron-rich Helium Isotopes at 71 MeV/A
報告番号 124405
報告番号 甲24405
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5303号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齊藤,直人
 東京大学 教授 後藤,彰
 東京大学 講師 平野,哲文
 東京大学 特任准教授 板垣,直之
 東京大学 教授 早野,龍五
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1 序

原子核構造の微視的な研究は、1949 年にMayer とJensen が核内における強いスピン軌道結合を仮定し、原子核の閉殻性を説明することで幕を開けた。強いスピン軌道結合の存在は、Oxley やChamberlain による二回散乱の偏極データをFermi らが光学模型を用いて解析することにより実証された。以来、スピン軌道結合は原子核の構造や相互作用の理解に必要不可欠な役割を果たしている。

一方、近年の不安定核の研究において、安定核の領域で成り立っていた理解を逸脱する現象が発見されている。魔法数の消失や新魔法数の出現など、Mayer やJensen の説明した殻構造の変化を示す結果が見出された。その原因として、Dobaczevski, Lalazissis, Pudliner らは安定線から離れた核におけるスピン軌道結合の減少を示唆している。以上の背景を受けて、中性子過剰核におけるスピン軌道分離は現在大きな興味の対象となっている。スピン軌道結合は核の表面で最も強く現れる現象なので、スピン軌道ポテンシャルは核の表面構造に敏感である。従って、中性子スキンやハロー核など中性子と陽子の分布の形状の異なる核ではスピン軌道ポテンシャルが安定核と比べて大きく変化する可能性がある。

スピン軌道ポテンシャルを決定するためには、陽子弾性散乱の微分断面積のデータに加えて、スピン偏極物理量であるベクトル偏極分解能の測定が必要不可欠である。その理由は、微分断面積が光学ポテンシャルの中心項でほぼ支配されるのに対し、偏極分解能はスピン軌道ポテンシャルを直接反映する測定量であるためである。不安定核と陽子の散乱実験において偏極物理量を測定するためには、スピン偏極した陽子標的が必要である。しかしながら、不安定核ビーム実験のための偏極陽子標的を開発することは、これまで技術的に不可能であった。不安定核ビーム実験ではイベント選択のために低エネルギーの反跳陽子を検出する必要があるが、従来の偏極標的は1K以下・2.5T という非常に低温・高磁場な条件を必要とするため、反跳陽子の検出が不可能である。そこで我々は従来とは全く異なる偏極方法(光励起された芳香族分子の三重項状態における電子偏極) を用いて、100K・0.1T という高温・低磁場で動作する偏極陽子固体標的を開発してきた。この標的は2003 年に波多野らによって初のRI-beam 実験に適用された。彼らは陽子- 6He 弾性散乱のスピン依存非対称を測定した。スピン依存非対称は偏極分解能と標的偏極度の積であるが、標的偏極度が測定されなかったために、偏極分解能の絶対値が不定であった。さらに、統計量の不足や測定点が少ないことにより、スピン軌道ポテンシャル(特にその振幅) を決定することができなかった。

本研究では、陽子と6He 及び8He 間のスピン軌道ポテンシャルを決定し、安定核との比較やヘリウム同位体間での比較を通じて、中性子過剰ヘリウム同位体のスピン軌道ポテンシャルの特徴を明らかにすることを目的とした。

2 陽子-ヘリウム6,8 弾性散乱の偏極分解能測定

上記の目的のため、論文提出者は陽子-ヘリウム6 及びヘリウム8 弾性散乱の微分断面積及び偏極分解能を2005 年・2007 年に測定した。詳細は陽子-ヘリウム8 弾性散乱の測定についてのみ述べる。実験は、理化学研究所の加速器科学研究施設(RARF) で行った。サイクロトロンで加速したエネルギー100 MeV/A の(16)O ビームをBe 標的に照射し、入射核破砕片分離装置RIPS を用いて、エネルギー71 MeV/A の8He ビームを分離した。8He ビームの典型的な強度・純度・位置広がり・角度広がりは、二次標的上でそれぞれ1.6×10(5)pps, 70%, 11 mm (FWHM), 24 mrad(FWHM) であった。得られた8He ビームを、偏極陽子固体標的に照射した。標的物質は円盤状のナフタレン(C10H8) 結晶で、厚さ・直径は1 mm, φ14 mm であった。標的偏極度の相対値の推移はパルスNMR 法で測定した。偏極分解能の導出のためには偏極度の絶対値の決定が必要不可欠であるため、p-4He 弾性散乱のスピン依存非対称測定を行い、偏極度の絶対値を初めて決定した。得られた偏極度は、最大で15.0±3.4%・平均で11.3±2.6%であった。標的で散乱された粒子については標的下流の多芯線型ドリフトチェンバー(HI-MWDC) で散乱角度を測定し、厚さ5 mm 及び100 mm の二層のプラスチックシンチレータを用いてエネルギー損失・全エネルギーを測定した。また、弾性散乱イベントの選択のために8He 粒子の反跳を受けた陽子も同時に検出した。データの質の向上のために、反跳陽子検出器として多芯線型ドリフトチェンバー(p-MWDC) 及びCsI(Tl)シンチレーション検出器を開発した。位置及びエネルギー分解能の向上により、弾性散乱イベントの精度の良い同定が可能になった。偏極陽子固体標的及び検出器のセットアップを図1 に示す。

得られた微分断面積及び偏極分解能のデータを図2 に運動量移行q-transfer の関数として示す(赤丸: 8He, 青四角: 6He, 緑菱: 6Li, 黒三角: 4He)。微分断面積については、6He 及び8He のデータは6Li と良く似ている。これは、微分断面積の傾きが原子核の半径を反映しているためであり、ほぼ同程度の半径を持つ核の微分断面積が似ているのは自然である。一方偏極分解能については、前方では全ての核が同様に小さな正の値をとるのに対し、後方ではそれぞれ全く異なる挙動を示す。

3 考察

得られた微分断面積・偏極分解能のデータを現象論的光学模型で解析することで、陽子- 6He及び8He 間の光学ポテンシャル、特にそのスピン軌道項を初めて決定した。

安定核との比較の結果、6He 及び8He のスピン軌道ポテンシャルは(4)He, (12)C, (16)O 等の安定核と比べて著しく浅いことが見出された。スピン軌道項の動径方向依存性を図3 に示す。また、スピン軌道ポテンシャルのピーク位置の半径を「LS 半径」、ピークの振幅を「LS 振幅」と定義し、それらの分布を図4 に示す。(6)He 及び(8)He のLS 振幅は1.3, 2.0 MeV であり、安定核の系統性(〓5 MeV) と比べて非常に小さい。スピン軌道ポテンシャルの形状は一般に密度分布の微分形となるため、6He, 8He のLS 振幅の減少は、表面のぼやけた密度分布から直感的に理解される。

ヘリウム同位体間での比較からは、6He のスピン軌道ポテンシャルが最小のLS 振幅・最大のLS半径を持つことが示唆された。一般的に光学ポテンシャルは質量数によって滑らかに変化するため、これは単純には理解できない。実際にヘリウム同位体の密度分布の半径およびぼやけは質量数によって単調増加しており、LS 振幅・LS 半径の質量数依存性を説明しない。

中性子過剰ヘリウム同位体のスピン軌道ポテンシャルの形状の起源を探るために、密度分布と有効相互作用を用いてα + 2n クラスター畳み込み計算を行い、6He の光学ポテンシャルを微視的に構築した。求められたスピン軌道ポテンシャルは、p-α 間有効相互作用として計算に用いられた4He のポテンシャルに比べて非常に浅く、密度分布のぼやけが6He のLS 振幅の減少を説明することが明らかになった。また、光学ポテンシャルに対するα コアと余剰中性子の寄与を別々に評価した所、中心項に対してはα コアと同等の寄与があったのに対し、スピン軌道項に対しては全体の10%程度の非常に小さな寄与しか果たさない、という結果を得た。これは、陽子-中性子過剰ヘリウム同位体間のスピン軌道ポテンシャルの大部分の寄与を、陽子- α コア間のスピン軌道ポテンシャルが担っていることを意味する。この結果は、スピン軌道ポテンシャルの形状がαコアの分布を反映することを予言する。実験から決定された現象論的スピン軌道ポテンシャルの形状とα コアの分布を表す陽子分布半径の関係を調べた所、実際に両者の間の相関が示唆された。

4 まとめ

陽子-中性子過剰ヘリウム同位体(6He, 8He) 間のスピン軌道ポテンシャルを初めて決定した。これらのポテンシャルは、安定核と比べて著しく浅い形状を持つことが見出された。微視的計算から、スピン軌道ポテンシャルの振幅の減少が中性子過剰核のぼやけた密度分布に起因することが明らかになった。また、陽子-中性子過剰ヘリウム同位体間のスピン軌道ポテンシャルには、陽子とα コアの間のスピン軌道ポテンシャルが大部分の寄与を果たすことが示された。

図1: 偏極標的及び検出器のセットアップ

図2: (上) 微分断面積・(下) 偏極分解能

図3: スピン軌道ポテンシャルの動径方向依存性

図4: LS 半径とLS 振幅

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章はイントロダクションで、原子核構造を理解する上でスピン軌道相互作用の導入が如何に重要であったかを振り返り、その研究を不安定核に拡張していくことの重要性が述べられている。スピン軌道相互作用についての知見を得るには、偏極分解能を測定することが有効な手段であり、そのためには偏極陽子標的の開発が重要であることが述べられ、第2章へと続く。

第2章は偏極陽子標的の詳細について記述されていて、論文提出者の細部に至る貢献が伺える。不安定核と陽子の弾性散乱実験ではイベント選択のためた低エネルギーの反跳陽子を検出する必要があるが、従来の偏極標的は1K以下・2.5T という非常に低温・高磁場な条件を必要とするため、反跳陽子の検出が不可能であった。論文提出者らは光励起された芳香族分子の三重項状態における電子偏極を用いて、100K・0.1T という高温・低磁場で動作する偏極陽子固体標的を開発してきた。この標的は2003年に波多野らによって初のRI-beam実験に適用されたが、彼らは陽子-6He弾性散乱のスピン依存非対称を測定したものの、標的偏極度が測定されなかったために、偏極分解能の絶対値は不定であった。本論文では、後述の方法で初めて絶対値が決定できたことは特筆に値する。

第3章では、実験セットアップの詳細と実験の遂行状況について述べられている。論文提出者は、反跳陽子検出器として多芯線型ドリフトチェンバー(p-MWDC)及びCsI(Tl)シンチレーション検出器を開発した。結果として、位置及びエネルギー分解能の向上により、弾性散乱イベントの精度の良い同定が可能になっている。

第4章では、データ解析とその結果について述べられている。標的偏極度の相対値の推移はパルスNMR法で測定された。偏極分解能の導出のためには偏極度の絶対値の決定が必要不可欠であるため、陽子-4He 弾性散乱のスピン依存非対称測定を行い、偏極度の絶対値を初めて決定している。第5章では、光学模型を用いて、スピン軌道ポテンシャルの抽出とその起源の考察が行われている。本研究で得られた微分断面積・偏極分解能のデータを「現象論的光学模型」で解析することで、陽子-6He及び8He間の光学ポテンシャル、特にそのスピン軌道項を初めて決定することが出来ている。安定核との比較の結果、6He 及び8Heのスピン軌道ポテンシャルは4He,(12)C,(16)O等の安定核と比べて著しく浅いことが見出された。更に、中性子過剰ヘリウム同位体のスピン軌道ポテンシャルの形状の起源を探るために、密度分布と有効相互作用を用いて6Heの光学ポテンシャルを微視的に構築している。求められたスピン軌道ポテンシャルは4Heのポテンシャルに比べて非常に浅く、密度分布のぼやけが6HeのLS振幅の減少を説明することが明らかになったと考えられる。

第6章で結論が述べられ、本論では触れられなかった実験の詳細についてappendixで補われている。

本論文の研究は、論文提出者の貢献なくしては実現しなかったものであり、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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