No | 124408 | |
著者(漢字) | 清水,志真 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | シミズ,シマ | |
標題(和) | HERAにおける陽子縦方向構造関数 FL の測定 | |
標題(洋) | Measurement of the proton longitudinal structure function FL at HERA | |
報告番号 | 124408 | |
報告番号 | 甲24408 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5306号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 物理学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本論文では、電子・陽子衝突型加速器HERA における深非弾性散乱データをもとに、陽子縦方向構造関数F(L) の直接測定を行った。 量子色力学(QCD)の大きな特徴は、強い相互作用を媒介するグルーオンボソンがカラーチャージを持ち、他のグルーオンとも相互作用できる点にある。したがって、クォークの関係する粒子反応では、クォークからのグルーオン放出およびグルーオンからのクォーク対・グルーオン対の生成によって、断面積の計算が非常に複雑となる。短距離スケールにおいては結合定数が小さくなり摂動論が適用できる一方で、長距離スケールの計算では発散が生じる。このため、摂動論的QCD では、反応の素過程の部分は摂動論を用い、その他に相当する反応過程に依存しない部分は実験結果から導出した値を用いることで、反応断面積を計算する。 電子・陽子深非弾性散乱の包括的な断面積測定は、この摂動論的QCD のよい検証となる。ここでは、摂動論から計算されるのは仮想光子とクォークの散乱断面積であり、実験結果に基づいた値とは陽子内のクォーク・グルーオン分布(パートン分布関数)である。パートン分布関数は過去の数多くの実験から決定されてきた。 一般に、仮想光子を媒介する電子・陽子深非弾性散乱の散乱断面積は運動量移行の二乗Q(2)、ビヨルケンのx および非弾性度y を用いて と表される。F2、FL は構造関数といわれ、陽子構造を反映する関数である。摂動論的QCDではこの構造関数を陽子内のパートン分布関数と対応させることができる。特に、今回測定した縦方向構造関数は、縦波光子とクォークの散乱に起因する構造関数であり、陽子内でのグルーオン放出によってはじめて値を持つ量である。F(L) はこれまで、複数のビームエネルギーでの断面測定を必要とし、しかも後述のように大きく異なったタイプの事象間の精密な比較を必要とするといった実験的難しさから、グルーオンの豊富な小さいx 領域では測定されていなかった。今回、F(L) 直接測定により、摂動論的QCD による陽子構造の理解を検証した。これは、摂動論的QCD の枠内で考えれば、これまでF2 のQ2 依存から決定されてきたグルーオン分布の検証につながる。 HERA はドイツ、ハンブルグにある電子シンクロトロン研究所にある、1992 年から2007年まで稼動した、世界で唯一の電子・陽子衝突型加速器である。1998 年から2007 年まで、陽子エネルギー920GeV および電子または陽電子のエネルギー27.5GeV で稼動し、重心系エネルギーは318GeV であった。HERA の稼動終了直前の3 ヶ月間は陽子ビームエネルギーを下げて稼動し、重心系エネルギー225GeV、また252GeV の二種類での散乱実験を行った。 データ取得はZEUS 検出器で行った。ZEUS 検出器は飛跡検出器、カロリメータ、ミューオン検出システムを備え、衝突点から見た全立体角をほぼ覆っている。重心系エネルギー318GeV、225GeV、252GeV それぞれに対し、陽電子散乱データ32pb(-1)、14pb(-1)、7pb(-1)を取得した。 前述の式に見られるように、FL の項にはy2 がかかっている。このため、FL に感度をもつためには、高いy 領域での測定が必要である。高いy 領域での深非弾性散乱では散乱電子のエネルギーが小さい。加えて、今回の測定は比較的低いQ2(Q2~O(10)GeV2)行ったため、散乱角度も低い。このような電子は同定が難しい。したがって、本研究では散乱角度・および散乱エネルギーの低い陽電子のより正確な再構成と、終状態のハドロンを電子と誤認することによって深非弾性散乱事象と間違えられてしまう光子生成反応の理解とが重要となった。 散乱電子はカロリメータで検出した電磁シャワーをもとに再構成した。エネルギーはカロリメータで測定し、電子の位置はカロリメータのシャワーマキシマムに挿入されている約3cm 四方のシリコンパッドを用いて測定した。それぞれ、他の手法から得られるエネルギー・位置と比較し、必要な場合には補正をかけた。さらに、散乱角度の低い電子にも荷電粒子であることを要求するため、新たな手法を開発した。通常の方法では、飛跡検出器の情報が少ないために、そのような電子に対しては飛跡の再構成が難しい。新たな手法とは、再構成された散乱の起こった位置(バーテックス)、散乱電子の位置およびエネルギーを用いて、散乱電子が通った道筋を予測し、その周りで飛跡検出器中のヒットを探す方法である。この手法により、通常の飛跡を要求する場合に比べ、誤認電子によって紛れ込む事象の排除率は同等ながら、より低い角度まで深非弾性散乱事象の検出効率を保つことができた。 以上の手法を用いて再構成した散乱電子を持つ事象を、深非弾性散乱事象として選別した。散乱電子の要求以外にも、紛れ込んできた他の事象の排除や事象の運動学的領域の制限を行った。選別事象の分布は、三つのエネルギーの異なるサンプルすべてにおいて、モンテカルロを用いたシミュレーションによってよく記述されていることが確認された。 選別事象中には光子生成反応事象が依然として残っていた。このため、モンテカルロによるこれらの記述が正しいかの確認をした。光子生成反応は、電子からほぼ実である光子が生成されて陽子と反応し、電子自体はビームパイプ中を抜け、検出器内に残らない事象である。前述のように、終状態のハドロンを電子と誤認することによって、深非弾性散乱事象として誤って再構成されてしまう。ZEUS 検出器では、ビーム衝突点から電子ビームの下流約6m のところに、小さなカロリメータがあり、この検出器により、散乱角度が非常に小さいためにビームパイプ中を抜けていく電子の直接検出が可能で、ある電子エネルギー領域の光子生成反応事象を選別することができる。このデータを用いて、光子生成反応に使用したモンテカルロ模型が、DIS として選別した事象に混入する分布の形と絶対値を記述できることを確認した。 選別した事象を用いて、三つのビームエネルギーのデータそれぞれにおいて、20 さらに、FL の直接導出を行った。前掲の式から見られるように、FL の直接導出には、同じ(x,Q2)で異なるy (= Q2 sx)を持つ断面積の比較、すなわち異なるビームエネルギーでの断面積の比較が必要となる。ここでs は重心系エネルギーの二乗である。FL の導出に最適化するため、ビンを再定義し、三つのデータ間の相対的なルミノシティ測定の差を補正するため、FL の影響をほぼ無視できる低いy 領域の断面積が等しくなるように、断面積をスケールした。三つのデータそれぞれから得られる同じ(x,Q2)での三つの断面積をフィットし、FL を得た。得られたFL を下図に示す。それぞれのQ2 でx の関数としてFL をみせており、摂動論的QCD に基づくいくつかの理論予想と比較している。測定されたFL はゼロより大きな値をもち、摂動論的QCD によってよく記述された。理論予想には、これまで主にF2 のQ2 依存性から決定された陽子内のグルーオン分布が使われており、FL の測定値との一致は、これまで用いられてきたグルーオン分布の他への有用性を支持している。 | |
審査要旨 | 本論文は8章からなる。第1章はイントロダクションであり、この研究の背景が述べられている。本論文は電子と陽子の深非弾性散乱断面積を測定することにより、量子色力学に基づいた陽子構造の理解について研究したもので、本研究はドイツ電子シンクロトロン研究所にある電子陽子衝突型加速器HERAにおいて行われた。第2章では、この研究の理論的・実験的背景が述べられている。電子・陽子深非弾性散乱および陽子構造関数について説明され、さらに量子色力学の導入がなされる。現在の陽子構造の理解では、摂動論的量子力学が大前提となっているが、さらなる検証が必要であり、本研究では縦方向陽子構造関数に注目した。量子色力学において、縦方向陽子構造関数は陽子内のグルーオンダイナミクスを直接反映していると解釈される。実験、および理論の両方におけるこれまでの縦方向陽子構造関数へのアプローチが簡単に記述され、今回の直,接測定の意義について述べられている。第3章では、本研究で用いられた実験装置の詳細な説明がなされており、HERA加速器および衝突実験を行ったZEUS検出器について述べられている。トリガーシステム、およびモンテカルロによるシミュレーションについても説明されている。第4章は、実験データの再構成に関する章である。最初に、本研究の主題である縦方向陽子構造関数の測定手法の概要が述べられる。この測定では、散乱電子のエネルギーが低く、角度も低い事象を捉えることが重要である。次に深非弾性散乱を記述する運動学的変数の再構成法について述べられる。散乱電子は電磁シャワーから再構成され、エネルギーおよび位置の求め方とその精度について議論される。電荷を持つことの要求は、バックグラウンド事象を大幅に除去する。そのため、通常はトラッキングの難しい、角度の低い散乱電子にも、再構成の際に電荷があることを確認するための新しいツールを開発した。その手法と性能の議論の後、ハドロンの四元運動量の再構成法、事象バーテックスの再構成とその分布について述べられている。第5章では、解析手順について述べられている。本研究ではHERAで得られた318 GeV、252 GeV、225 GeVの三つの重心系エネルギーのデータを解析した。電子の再構成にできるだけ頼らないトリガー選別によってデータを取得し、オフラインの事象選別において散乱電子の検出を要求し、深非弾性散乱事象を選別する。事象選別後でも、電子の誤認のため、光子生成反応事象がバックグラウンド事象として残っている。モンテカルロによるシミュレーションをもとにその量を見積もるので、光子生成反応事象での電子の誤認を記述できていることを、データを用いて確認した。その上で、事象選別後のデータの分布を見ると、深非弾性散乱および光子生成事象のモンテカルロにより、よく再現された。第6章では、選別した事象から電子・陽子深非弾性散乱断面積を三つの重心系工ネルギーそれぞれに対し導出している。HERA初期の測定よりも、縦方向陽子構造関数に感度を持つ、散乱電子エネルギーのより低い領域において深非弾性散乱断面積の測定をなされ、測定値は、摂動論的量子色力学に基づく理論予想とよく一致していた。第7章では、さらに縦方向陽子構造関数を直接導出している。測定値は有意に正の値をもち、摂動論的量子色力学に基づく理論予想とよい一致を示している。第8章は、全体のまとめとなっている。 縦方向陽子構造関数は、これまで摂動論的量子色力学に基づいて間接的に決定されてきたグルーオン分布に対し、直接感度をもつ。本研究はグルーオンの豊富な領域において、初めて、縦方向陽子構造関数をモデルによらずに直接測定した。理論予想との一致は、今回の測定領域における摂動論的量子色力学の適用性を支持する。本研究における断面積測定は、縦方向陽子構造関数の直接測定よりも広い運動領域で行われており、直接測定の結果とあわせて、どちらも今後の陽子構造および量子色力学の研究にとって重要な結果である。 なお、本論文は国際共同実験グループZEUSでの共同研究であるが、この研究に関しては論文提出者が主体となって解析しており、データの取得においてもトリガーの準備等の重要な貢献も行っているので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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