学位論文要旨



No 124416
著者(漢字) 武田,伸一郎
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,シンイチロウ
標題(和) 次世代ガンマ線天文学のためのSi/CdTe半導体コンプトンカメラの実証的研究
標題(洋) Experimental Study of a Si/CdTe Semiconductor Compton Camera for the Next Generation of Gamma-ray Astronomy
報告番号 124416
報告番号 甲24416
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5314号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下浦,享
 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 教授 高橋,浩之
 東京大学 准教授 中村,典雄
 東京大学 准教授 大橋,正健
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

宇宙ガンマ線観測において、数百keV からMeV にわたる帯域は、極限状態にまで加速された素粒子からの放射や、強力な重力場・電磁場におけるエネルギーの交換と解放により特徴付けられる。しかしながら、高いバックグランドと低い検出効率、イメージングの困難により、「すざく」衛星などによるX 線や「フェルミ」衛星によるGeV ガンマ線の観測に比べて、感度は著しく制限されてきた。そのため次世代の天文学において、新しい技術を用い、このエネルギー帯域における観測を一新させることが極めて重要である。

我々は、ガンマ線天文学を切り開くことを目的として、新しい概念のガンマ線望遠鏡の研究を行い、シリコン(Si) 半導体とテルル化カドミウム(CdTe) 半導体を組み合わせた、世界で初めてのSi/CdTe半導体コンプトンカメラの開発を行った(図1 左)。コンプトン散乱の断面積が60 keV という低いエネルギーから光電吸収を上回るシリコンと、高いエネルギーにまで阻止能力をもつCdTe を組み合わせることで、高いエネルギー分解能とともに検出効率の極めて高いコンパクトなコンプトンカメラが実現可能である。原子番号の小さい物質であるSi を散乱体に用いることにより、束縛された電子のもつ有限の運動量の効果による角度分解能劣化を最小限にとどめ、511 keV のガンマ線に対して、2°程度、またMeV 以上のガンマ線に対しては1°を下回る、これまでにない優れた角度分解能が実現する。Si/CdTe コンプトンカメラは、5年ほど前に我々のグループによって考案されたものである。本研究では、その実現のための基礎研究を行い、科学衛星に搭載することを前提として、試作機(図1 右)を初めて製作した。これを用い、科学観測に必要な検出器応答を、較正実験と素過程を組み込んだモンテカルロシミュレーションの結果を比較することで導きだした。また、性能実証実験として、SPring-8のシンクロトロン放射光を用いた、ガンマ線偏光観測実験を行った。本論文は、これらの結果をまとめた上で、次世代のガンマ線天文学に応用するための具体的なミッション提案を行う。

実証実験と高精度モンテカルロシミュレーターの構築

優れた角度分解能を有するSi/CdTe コンプトンカメラは、従来のシンチレーターを用いるようなコンプトンカメラでは困難であった、広がった構造をもつ天体や、隣接する天体のイメージングを可能にする。我々は非密封線源を用いて、多様な試料を製作し、イメージングの実証試験をおこなった。図2 にその一例を示す。左は逆"C" 状の広がった構造に対するもの、右は20 mm ピッチで規則的に配置した点源に対するイメージング結果である。逆"C" の広がったソースに対しては環状の構造が浮き彫りにされ、さらにギャップ構造を正しく認識することができる。隣接する点源についても、点源が正しい位置に分解できることが明らかとなった。

我々はGeant 4 をベースとして、コンプトンカメラ用のシミュレーターの構築をすすめた。光子や二次的に生成された電子のトラッキングはGeant 4 パッケージを用いておこない、出力される位置・エネルギー情報に対して、熱拡散や電荷収集効率などの検出器の応答を作用させた。個々の検出器の応答は、実験で得られた検出器のヒットパターンや、チャージシェアリング時のエネルギー分配等を手懸かりとして、実験データをよく再現するようなパラメーターを見つけ出し、シミュレーターに組み込んだ。

図3 左は、276-511 keV 帯域におけるコンプトンカメラの絶対検出効率の実験値とシミュレーション値との比較である。両者はよく一致している。これより、シミュレーターによるコンプトンカメラの絶対検出効率の計算が可能となった。右は、170 keV の100 % 偏光ビーム入射時の、散乱光子の方位角分布の比較である。-135°、-45°、45°、135°に見られる、検出器の配置に由来するギャップ構造や、素子を支持する構造物の非対称性に由来する-90°と90°における約10 % の検出効率の差を、よく再現することに成功した。

ガンマ線の偏光観測実験

ガンマ線の偏光観測により、天体近傍の磁場や物質の構造を知る手懸かりを得ることができる。しかしながら測定の困難のために未だ実現されていない。我々はSPring-8 において170 keV の100% 偏光シンクロトロンビームを入射させ、偏光ベクトルの決定精度に関して調査した。検出器からみた偏光ベクトルφ0 の方向が異なる7 種類のセットアップから得られたモジュレーションカーブを、図4 にしめす。カーブの中で測定点が欠けている、-135°、-45°、45°、135°方向は、吸収体のCdTe が配置されていない方向である。散乱方向異方性が最大となる方向にCdTe が無い不利な条件であっても(図中φ0=45) 偏光ベクトルが正しく決定できることがわかった。

高感度ガンマ線天文学に向けたコンプトンカメラの設計

実証実験を経て高精度化されたモンテカルロシミュレーターを用いて、高感度ガンマ線天文学に向けたコンプトンカメラの設計と、軌道上における性能評価をすすめた。まず、検出効率と角度分解能の点からSi、CdTe 検出器の配置について最適化を図った。96 層にスタックしたSi/CdTe 半導体コンプトンカメラにおいて、Si とCdTe の混合比が(1) Si:CdTe=3:1、(2) Si:CdTe=1:1、(3) Si:CdTe=1:3の3 つのケースについて計算をおこなった。その結果、(1) のとき角度分解能が最大(1.6°@511 keV,1.8 °@1.8 MeV) となり、(1)(2) の時ほぼ同等の効率最大値を得た。この結果より、(1) を選択し衛星軌道における性能評価をおこなった。実際の衛星軌道における観測感度を決定するのは、信号に対する検出効率に加え、バックグランドの強度・除去方法である。ガンマ線や電子線の他、中性子による弾性散乱や陽子による放射化成分を評価することが重要である。そこで、Geant 4 のハドロンの素過程を用いたモンテカルロシミュレーションやMGGPOD による検出器の放射化成分のシミュレーションを行った。その結果、コンプトンイメージングにより、中性子や放射化成分が低減され、宇宙X 線背景放射や地球大気ガンマ線が主要な成分となることがわかった。図5 に、低高度赤道軌道におけるバックグランドをシミュレートして得た、連続成分とライン(511 keV、847 keV ((56)Co)、1157 keV ((44)Ti)、1809 keV ((26)Al) ) とに対する予想感度を、数100 keV 、MeV 帯域で過去最大の感度を達成しているINTEGRAL 衛星SPI 検出器、CGRO 衛星COMPTEL 検出器の感度とともに示す。連続成分に関して、1 MeV 以下の帯域でSPI 検出器を優に5 倍上回る感度を持つことがわかる。コンプトンカメラの広い視野を生かせば、3-5 年程度で有効観測時間3×107(1 年) を達成することができる。その場合、感度は1 mCrab に達し、過去の衛星を一桁上回ることができる。ラインガンマ線に対しても、Ge 検出器を用いているSPI 検出器を上回る感度を有することがわかる。最後に図6 に、Anti Galactic Region Sky をシミュレートした結果をしめす。ここでは、100 MeV 帯域で得られたEGRET 3rd catalog に基づいて、ベキをそのまま500 keV - 10 MeV 帯域に外挿した。観測時間は67 ksec で、バックグランドもモンテカルロシミュレーションで見積もり混入させてある。コンプトンイメージングにより、数10 mCrab に対応する天体を認識することができる。

まとめ

本研究では、Si/CdTe コンプトンカメラという新しい検出器を完成させ、高い位置分解能とエネルギー分解能に基づく、優れたイメージング能力・偏光測定能力を実験的に示した。高精度化したモンテカルロシミュレーターを駆使し、Si/CdTe コンプトンカメラの最適化を図った。軌道バックグランドをシミュレーションし、数百keV からMeV にわたる帯域での全天サーベイ観測で、過去の如何なる検出器よりも、1 桁以上優れた感度を達成できることを示した。

Figure 1: 左図:Si/CdTe コンプトンカメラの概念図、右図: 1 層の両面シリコンストリップ検出器(DSSD) と4層のCdTe ピクセル検出器を組み合わせた、性能評価用のコンプトンカメラ。2 mm の間隔で積層した半導体検出器、合計1152 チャンネルを18 個の低ノイズアナログLSI を使って読み出した。

Figure 2: コンプトンカメラによって得られた(131)I 364 keV のイメージ、左は逆"C" 型の広がったターゲット、右は20 mm ピッチで等間隔に配置したもの。

Figure 3: 左図: コンプトンカメラの絶対検出効率。実験値のエラーは、実験に用いたRI 強度の不定性に由来する10 % のエラーである。右図: 100 % 偏光ビームに対する散乱光子の方位角分布。いずれの場合も実験値とシミュレーション値をよく一致させることができた。

Figure 4: SPring-8 における偏光実証実験で得られたモジュレーションカーブ。偏光ベクトルの方向に対して検出器を0°、15°、22.5°、30°、45°、9°、180° の刻みで回転させた。

Figure 5: 左: 連続成分に対する3σ 感度。右: ラインに対する3σ 感度。COMPTEL は9 年間通算の成果である。

Figure 6: コンプトンカメラによる500 keV 以上の帯域におけるAnti Galactic Region のシミュレーション。67 ksec の短い観測で数10 mCrab に対応する天体を認識することができる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は10章からなり、その研究内容は、高エネルギー宇宙現象に起因するガンマ線観測の感度を飛躍的に増大させるための測定器としてコンプトンカメラを設計、製作、評価し、次世代ガンマ線天文学への応用のため、具体的ミッション提案を行ったものである。

第1章(序章)では、高エネルギー宇宙現象の解明のための硬X線およびガンマ線観測の現状が述べられ、この領域における観測装置の感度を飛躍的に高めることの重要性が論じられている。第2章では、粒子加速による非熱的放射が支配的なエネルギー帯域の高エネルギー宇宙現象を解明するため期待されている、星の重力崩壊プロセスを知る手懸かりとなる核ガンマ線、および銀河中心方向から来るポジトロン由来の511keV線の観測が議論され、さらに、偏光測定による研究展開が述べられている。第3章では、コンプトンカメラの基本原理が述べられ、コンプトン運動学に基づく測定精度が定量的に議論されている。荷電粒子イベント・検出器の放射化によるバックグランドから天体からの信号とを区別を可能とするこの運動学を用いることで、サブMeVからMeV領域の感度を高められること、および偏光測定という新たな展開の可能性が論じられている。第4章では、コンプトンカメラの構成として位置検知型のSiおよびCdTe半導体検出器を用いることの優位性の議論、その構成の最適化、開発項目の分析がなされている。また、次世代ミッションへの応用が例示されている。これらの4章で、本研究の具体的内容であるSi/CdTe半導体検出器によるコンプトンカメラの開発とその実証研究の背景と位置づけが明確に示され、論文提出者の科学的視点の高さが評価される。

第5章では、本研究のテーマであるコンプトンカメラの開発内容が述べられている。開発目標を、X線観測との連続性から数10keVから数MeVまでカバーし、ΔE/E~2%のエネルギー分解能およびドップラー限界までの角度分解能をもち、偏光観測が可能で、衛星搭載が容易な動作環境な検出器と定め、両面ストリップ型Si半導体検出器とピクセル型CdTe半導体検出器で構成されるコンプトンカメラを設計、製作している。これらの検出器単独の性能を評価し、ASICを用いた低ノイズ回路を設計・製作し、天体観測にむけた実証実験が可能なコンプトンカメラシステムを世界で始めて確立し、以下の第6~8章で具体的に述べられるように設定した開発目標を満たす測定器を開発した論文提出者の能力は非常に高く評価される。

第6章では、製作したコンプトンカメラの基本性能である検出効率の評価およびカメラの応答関数を再現する高精度モンテカルロシミュレータが示されている。半導体検出器の不感領域および電荷キャリア移動に関する考察に基づいた現実的な応答関数の導出に論文提出者の独創性が現れていると判断される。

第7章では、コンプトン運動学に基づくイメージング能力を、様々な形状のガンマ線源を用いて実証されている。コンプトンカメラの位置検出能力に加え、ヒットの順序の解析および画像構築のアルゴリズムの開発により、画像再現性の高さが示されている。

第8章では、放射光施設Spring-8による偏光した170keVのガンマ線を用いて、コンプトンカメラの偏光測定に関する感度の検証が行われている。無偏光ガンマ線の測定および偏光ガンマ線の測定の比は、予言通りの角度依存性が示され、偏光軸が1度の精度で決定できることが示された。

第9章では、これまでに評価されたコンプトンカメラの性能に基づき、次世代ミッションとして100kg級コンプトンカメラのシミュレーションがなされ、それにより、MeV領域の感度がこれまでの1桁以上向上させることが可能であることが示され、ガンマ線天文学の新たな展開が議論されている。

これらの内容は、第10章にまとめられ、あわせて、将来のガンマ線天文学の展望が述べられている。

以上のように本研究は、サブMeVからMeV領域のガンマ線観測のため、Si/CdTeコンプトンカメラを製作し、その有用性を定量的に実証したものであり、次世代衛星ミッションによるガンマ線天文学研究に大きく貢献するものである。

なお、本論文は共同研究であるが、論文提出者が主体となって開発、実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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