学位論文要旨



No 124422
著者(漢字) 日達,研一
著者(英字)
著者(カナ) ヒタチ,ケンイチ
標題(和) 横型単一量子ドットにおけるスピン状態とスピン緩和の検出
標題(洋) Detection of spin states and spin relaxation in a single lateral quantum dot
報告番号 124422
報告番号 甲24422
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5320号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 家,泰弘
 東京大学 准教授 島野,亮
 東京大学 准教授 秋山,英文
 東京大学 准教授 岡本,徹
 慶應大学 准教授 江藤,幹雄
内容要旨 要旨を表示する

量子ドットとは、ドブロイ波長程度の微小領域に電子を1つずつ閉じ込めることのできる人工的な構造であり、その電気的性質は、量子力学的な閉じ込めに起因するエネルギーの離散性と相互作用の効果に左右される。これを反映して、量子ドットの電気伝導特性はドットの電子配置やドットとリードとのトンネル結合、電子相関の程度に強く影響される。特に、これまで、特有のスピン配置やスピンの優れた量子性に起因して、興味深いスピン関連現象、例えば、パウリスピンプロッケードや近藤効果などが観測されてきた。

また、最近ではスピンを用いた量子情報処理を目指して、電子スピン二準位系からなる量子ビットの研究が行われている。そこでは単一の電子スピンをコヒーレントに制御、読み出すことが重要な要素とされ、これまでに、近傍の量子ポイントコンタクト(QPC)電荷計を用いた単一電子スピン読み出し、電子スピン共鳴(ESR)を原理とする電子スピンのコヒーレント操作、などが実現されている。また、量子ドットのスピンがよい量子数であることを直接示す例として、1、ないし2電子のドットでスピン緩和時間がmsec程度以上であることが確認されている。これらの結果は、量子ドットの電子スピンが、量子物性のユニークな研究対象であり、また、量子計算への応用に適することを示している。

本論文では、GaAs/AIGaAs半導体2次元電子系試料表面にショットキーゲートを配置することで作製した横型単一量子ドットにおけるスピン状態・スピン緩和の検出、および電子スピン動的性質(スピン緩和、コヒーレンス)について研究を行った。研究の前半では、比較的多電子での電子占有率が2<v<4における電子スピン状態とその磁場による遷移、電子スピン緩和、及び電気伝導との関連に焦点をあてた。その結果、量子ドットが比較的多数の電子を含む場合でも、電子スピンがよい量子数であり、またそのスピン状態が磁場と電場でよく制御できることを確認した。これらの知見に基づき、後半では、量子情報への応用を念頭において、スピンコヒーレンスを中心とする研究、即ち単一量子ドットにおける新しいESRのスピン読み出し方法の提案と近傍のQPCによる量子ドットのスピンコヒーレンスへの影響を取り上げた。なお、本研究を通して、実験は希釈冷凍機を用いて行い、電気伝導の測定には、直流および交流の電圧源をソース、ゲートに印加して、ドレインへと流れるドット電流(I(dot))、またはドット近傍に静電的に結合したQPCに流れるQPC電流(IQPC)を用いた。

まず、2種類のスピンフィルターデバイスを作製した。一つは我々が開発したもので、スピンフィルター用電極として量子細線のスピン分裂サブバンド状態(DeviceA)、他方は2次元電子ガスのスピン分裂エッジ状態の電極(DeviceB)を利用する。それぞれのデバイスで、電子占有率vが2<v<4の領域でのスピン状態を特定し、また、クーロンピークの高さが量子ドットのスピン配置に依って変化することを見出した(図1a,b)。特にDeviceAでは、量子細線をスピン分裂プラトー(n=1)およびスピン縮退プラトー(n=2)に合わせたときの結果を比較することにより、スピン状態を決定した。その結果、n=2の細線では、ピークの大小はドットの異なるランダウ軌道間の遷移を反映するのに対して(図IC)、n=1の細線では、同一のランダウ軌道の異なるスピン状態を反映することが分かった(図1d)。得られたスピン状態の遷移は、Fock-Darwin状態と交換エネルギーを考慮した解析により、電子数が奇数個のときはスピンー重項(|S>)-三重項(|T>)遷移に、偶数個のときはスピン二重項-二重項遷移に対応させることができた(図1e)。さらに、クーロンピークの高さを解析することによって電極のスピン偏極を求めることにより、各デバイスのスピンフィルター効果の特徴を抽出した。

次に我々はv=2付近でN電子(N=10程度)における|T>からlS>への緩和時間を実時間QPC電流により測定した。まず|S>と|T>が交差する磁場領域においてトンネル障壁を透過する電子の時間的挙動を測定し、|T>のトンネル時間が|S>のトンネル時間の11倍程度となることを確認した。次に、この結果を踏まえて、ポンプアンドプローブ法によって単一電子スピンの同定および緩和時間の測定を行った。|S>が基底状態、|T>が励起状態となる磁場領域(1.25T<B<1.29T)で、励起状態に上向きスピンとして入った電子が待ち時間(t(wait))の後に、スピン緩和をして|S>から下向きスピンとして抜けるか、緩和をせずに|T>から上向きスピンとして抜けるかを調べた(図2a)。同図で0msecのステップに続く電流の変化は終状態が|S>の場合に現れる(図2b)。このような時間分解測定の平均を取ると、ステップ後のQPC電流の変化分は指数関数的に減少する(図2c)。この指数関数を0msecに外挿して得られる値(図中A)を様々なtwaitについて測定することにより、プロットすることにより、|T>からIS>への緩和時間を0.3msecと見積もった(図2d)。この結果は、比較的電子数が多い場合でも電子スピンがよい量子数であることを示す(従来のスピン緩和の実験は電子数1,2が中心)。このT1は|S>と|T>のエネルギー間隔Δ(ST)が大きくなるとともに減少する。その振る舞いはスピン軌道相互作用と結合したフォノン密度の増加で説明できることが分かった。

以上の知見に基づき、我々はスピンのコヒーレンス問題に着手した。従来量子ドットの電子スピンのESRの検出には二重量子ドットのパウリスピンプロッケードが利用されていた。我々は単一量子ドットを用いた、より簡便なESRの検出法を提案した。そのための基礎実験として、まず基底状態(GS)と励起状態(ES)の2状態が関与するときの有限バイアス下での電気伝導特性を上記DeviceBと同様な試料を用いて調べた。スピン上向き(下向き)のエッジチャネルがドットと大きく(小さく)トンネル結合しているとき(図3a,b)、我々はa図のように、伝導ウィンドー内にESが入ると、GSのみ入った時と比べて電流が減少する負性微分磁気コンダクタンス(NDC)が現れることを確認した(図3c)。さらにNDCの条件は、エッジ状態だけでなく、左右のトンネル結合の比に依ることを明らかにした。これらの知見をもとに理論計算を行い、GSとESが電極と非対称に結合しているときほど(s>1)、NDCがESRによって解除することを示した(図3d)。

最後にドット近傍のQPCに電圧を加えたときのドット中の電子のコヒーレンスへの影響について、近藤効果を用いて調べた。QPCはドットの単一電荷、スピンを検出するのに頻繁に使われるが、一方で高電圧を印加することによる弊害も報告されている。我々はまずトンネル結合の小さいドットでクーロン振動を測定し、クーロンピークのFWHMから、QPCに電圧を印加すると電子温度が上昇することを見出した。またQPC電圧(V(QPC))が|V(QPC)|>1mVでクーロンピークの高エネルギー側に小さいピークが(これについては既報)、|V(QPC)|>3mVではクーロンプロッケード内で余剰電流が出現することを観測した。これらはすべて、QPCからの光子放出によるドット-電極間での光子介在トンネルで説明できる。次にトンネル結合の大きい場合のクーロン振動と近藤効果を測定し、非近藤谷でコンダクタンス(G)の上昇(1)と、近藤谷でGの減少(2)をそれぞれ観測した(図4a)。この結果をクーロン振動の熱浴温度依存性(図4b)と比較して、QPC電圧をかけたときの温度上昇を定量的に見積もり、近藤谷のGの減少がQPC電圧による電子温度Te'の上昇で説明できることを示した(図4c)。これはQPC電圧による近藤コヒーレンスの減少をはじめて明らかにした実験である。

図1,量子細線を用いたスピンフィルター効果(a)DeviceA,(b)DeviceB。(c)n=2,(d)n=1のときのクーロン振動のゲート電圧(Vp)および磁場に対する依存性のカラープロット。(e)2<v<4でのスピン配置の模式図。

図2.(a),ポンプアンドプローブ法を模式的に示した図。(b),(c)スピンの読み出し。readoutでのQPC電流の変化(b)と512個のdataの平均(c)。(d)ステップの大きさAのt(wait)依存性。実線はT1を変えたときの計算結果。

図3.(a),(b)GS,ESとエッジ状態の結合関係を示した図。(c)ドット電流の励起スペクトル。NDCは電流ストライプ中の電流値の減少として観測される。(d)ESRが起きた時の電流変化を左右のバリアの非対称性κおよび結合の非対称性を表すパラメータsの関数としたときの計算結果。

図4.(a)QPC電圧を-0,4mVから-4.0mVまで変化させたときのGの測定。電圧印加とともに近藤谷(▲)のG減少、非近藤谷(▲)のG上昇が観測される。これは(b)近藤効果の温度依存性のグラフと一致。(c)見積もられた電子温度Te'に対する(a),(b)での近藤谷のGの変化。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は横型単一量子ドットにおけるスピン状態の解明とスピン緩和の検出にある.本論文は7章からなる.第1章は序論で,研究の背景と目的が述べられている.第2章では研究の背景となる基礎理論と実験手法が述べられている.第3章から第6章が本論分の主要部分で,4つのテーマについて実験結果とその考察が述べられている。第7章はまとめと結論に充てられている.

量子ドットは少数個の電子を狭い空間に閉じ込めた構造であり,エネルギー準位の離散性や電子相関効果に起因する多彩な現象の舞台となる.本研究では半導体2次元電子系試料にショットキーゲート電極を配することによって形成される横型量子ドットを用いて,電子スピンが関与する現象を探求している.得られた主要な研究成果は以下のとおりである.

(1)スピンフィルターを用いた基底状態のスペクトロスコピー(第3章)

スピンフィルター素子として,量子細線のコンダクタンスプラトーを用いるものと,量子ホールエッジ状態を用いるものの2種類を作製し,ランダウ準位占有率v=2~4の領域における電子スピン状態と磁場掃引によるその遷移の様子を調べた.リードとドットの間のトンネル確率がスピンの向きによって異なる場合,スピン3重項および1重項状態の出現がクーロンピークの高さの変調として観測されることをもとに,クーロンピークの高さの解析からスピンフィルター効果を抽出した。

(2)ポンプアンドプローブ法によるスピン緩和の測定(第4章)

量子ドットに併置した量子ポイントコンタクト(QPC)によってドットへの電子の出入りを観測する手法を用いて,スピン緩和の測定を行った.基底準位(GS)および励起準位(ES)の2準位が伝導に関与する状況において,ゲート電極にパルス電圧を印加して励起状態に上向きスピンとして入った電子が,待ち時間の間にスピン緩和をして基底状態から抜けるか,緩和せずにそのまま励起状態から抜けるかを調べる手法(ポンプアンドプローブ法)よってスピン3重項状態から1重項状態への緩和時間を0.3msecと見積もった.

(3)負のコンダクタンス現象の起源の解明とそれを用いた電子スピン共鳴の提案(第5章)

スピン分離した2つのエッジチャンネルが,量子ドットとのトンネル結合の強さを大きく異にする場合の有限バイアス下での伝導特性を調べた.ゲートバイアスを変化させて伝導ウィンドウにGSのみならずESも入るようにすると量子ドットを通した電流が減少するという負の微分コンダクタンス(NDC)を観測した.NDCの出現条件が左右の電極と量子ドットのトンネル結合の強さの比に依り非対称性が大きいほどスピン状態への敏感性が高いことを,モデル計算から明らかにした.さらに,この現象を電子スピン共鳴(ESR)測定に応用する可能性を指摘した.

(4)ドットに併置した量子ポイントコンタクト検出器によるデコヒーレンスの評価(第6章)

量子ドットへの電子の出入りをドット近傍に併置したQPCによって検出する手法において,QPCのバイアス電圧を大きくしたときにデコヒーレンスが引き起こされる現象について調べた.トンネル結合が弱い系ではクーロンピークの幅の変化から,またトンネル結合が強くて近藤効果が観測される系では近藤効果によるゼロバイアス・コンダクタンスの変化から,QPCバイアスによって実効電子温度が上昇することを結論した.このデコヒーレンス現象はQPCから放出された光子による光子介在トンネリングの機構に帰せられる.

以上のように,本研究は単一量子ドットにおけるスピン状態の性質を詳細に調べ,量子情報処理への応用において重要となるスピン緩和やデコヒーレンスに関して重要な知見を得たものと認められる.本論文の中核をなす第3章から第6章の研究内容は指導教員らとの共著論文として学術誌に印刷公表されているが,実験の遂行および結果の解析の大部分は論文提出者が主体となって行なったものと判断される.したがって博士(理学)の学位授与に値するものと認める.

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