学位論文要旨



No 124426
著者(漢字) 森野,雄平
著者(英字)
著者(カナ) モリノ,ユウヘイ
標題(和) 200GeV 陽子陽子衝突におけるチャームクォークとボトムクォークの生成
標題(洋) Production of charm and bottom quarks in p+p collisions at 200GeV
報告番号 124426
報告番号 甲24426
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5324号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 櫻井,博儀
 東京大学 教授 相原,博昭
 東京大学 教授 初田,哲男
 東京大学 教授 下浦,亨
 東京大学 教授 福島,正己
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ブルックヘブン国立研究所のRHIC加速器を用いた重心系エネルギー200GeVの陽子陽子衝突における重いクォーク(チャームクォーク、ボトムクォーク)の生成についての、PHENIXおける実験的研究、それを踏まえてRHICの重イオン衝突で生成された高温高密度クォーク物質の物性研究を記述したものである。

量子色力学(QCD)はクォークとグルオンを基本構成要素とする強い相互作用を記述するゲージ理論である。運動量移行が大きい場合は、摂動論的手法によってQCDの計算を行なう事が可能である。核子核子衝突での重いクォークの生成には大きな運動量移行が必要なため、RHICにおける陽子陽子衝突における重いクォークの測定によって、摂動論的QCDの検証を行なう事ができる。

また、運動量移行の小さい領域に対しては、現象論的手法や、有力な手法として格子計算が用いられる。格子QCD計算は、エネルギー密度約1GeV/fm3以上、温度では170MeV以上という高温高密度状態ではクォークの閉じ込めが破れ,クォークとグルオンの自由度で相互作用を行なうクォークグルオンプラズマ(QGP)と呼ばれる状態への相転移を予想している。このクォークとグルオンの多体系であるQGPの性質の実験的な解明は、閉じ込めの破れの検証だけでなく、多体系QCDの性質というQCDの根本的な理解に重要である。

実験室において、QGPを実現しその性質を研究するためには、高エネルギー重イオン衝突が現在唯一の方法であり、それがRHIC加速器の主題である。重イオン衝突実験の特徴は、衝突によって生成された高温高密度物質は時間発展を行い、その時間発展の各段階で生成した粒子は、その後最終的なハドロン相を通過するまで相互作用を行なう事である。検出される粒子は相互作用の総和を反映しているため、粒子の生成された段階を知る事が重要である。

RHICにおける重いクォークの測定は、摂動論QCDの検証のみならず、重イオン衝突実験において重要な役割を持っている。重いクォークは、低い運動量であってもその重い質量の為に、衝突初期の運動量移行の大きな衝突(hard process)でしか生成されない。すなわち、重いクォークの初期状態は陽子陽子衝突での測定によって良く決定する事が可能である。そして、その後の高温高密度中を通過する。そのために、重イオン衝突と陽子陽子衝突での重いクォークの測定結果の比較により、高温高密度物質の情報が得られると期待されるからである。

PHENIX実験は、主に中心ラピディティー付近での電子、光子の測定に重点の置かれた検出器群によってRHIC加速器による衝突の測定を行なっている。

PHENIX実験において重いクォークの測定は、DBハドロンの半レプトニック崩壊によって生じる電子(単電子)の測定を通じて行なわれてきた。この測定はチャームクォーク由来の単電子とボトムクォーク由来の単電子を識別できないという欠点はあるが、約10%程度という比較的大きなD,Bハドロンの半レプトニック崩壊への分岐比と少ないバックグラウンドの為に、PHENIX実験においては有効な手段である。これまでに、摂動論的QCDはその不定性の範囲内で、陽子陽子衝突で測定された単電子の横運動量分布を再現している事、また金金衝突では、陽子陽子衝突に比べて高横運動量の単電子の収量が大きく抑制されている事、単電子の収量は反応平面からの角度に強く依存する事が確認されている。これらの発見から、より詳細な議論を行うために最も重要なのは、単電子中にどれだけボトムクォークからの寄与があるかを定量的に知る事である。陽子陽子衝突におけるボトムクォークの測定は、その大きな質量のために、チャームクォークの測定よりも正確な摂動論QCDの検証となる。特に横運動量分布での実験と理論の比較を行なう事は、破砕過程の理論的手法の検証ともなる。また、高温物質中でのチャームクォークとボトムクォークの振る舞いは、その質量の違いの為に大きく異なる事が期待されている。そのため単電子の測定結果を解釈する上では、ボトムクォークの寄与を定量的に知らなくてはならない。

以上の目的のために、本研究では重心系エネルギー200GeVの陽子陽子衝突において単電子の横運動量分布を測定し、その上で、D->e+K-X崩壊の部分再構成を応用した新しい解析手法の開発を行い、単電子中のボトムクォークの寄与の決定を行なった。

本研究では、まずカクテル法とコンバーター法という二つの独立した方法によって、重心エネルギー200GeVでの陽子陽子衝突において生成された重いクォークの半レプトニック崩壊からの単電子の横運動量分布が得られる。この二つの独立した方法で互いに一致した結果を得られた。これは金金衝突での単電子の振る舞いを議論する際の基礎を与える物である。次にPHENIX実験において初の試みである、チャームクォーク由来の単電子の収量とボトムクォークの単電子の収量の比の測定を陽子陽子衝突において行なった。この測定の根本はD->e+K-X崩壊におけるe+K-の部分再構成である。具体的には、D°崩壊からのe+K-間の強い相関に着目し、単電子と反対に荷電したハドロンをが測定される確率を評価する事によって、全体の単電子に対するチャームクォーク由来の単電子の割合を決定している。この測定により、RHICにおいて初めてチャームクォーク由来の単電子、ボトムクォーク由来の単電子の横運動量分布が得られた。その結果を図1に示す。収量分布において、実験結果と摂動論QCDの比はチャームクォークで約2、ボトムクォークで約1である。この値はTevatronにおける重いクォークの測定結果と摂動論QCDの比と一致している。この横運動量分布から重心エネルギー200GeVでの陽子陽子衝突におけるボトムクォークの生成断面積が得られた。摂動論QCDを用いたボトムクォークの生成断面積の計算結果は、得られた実験結果と矛盾しない事が判明した。これにより、ボトムクォークの生成について、摂動論QCD、及び破砕過程の理論手法の有用性が確認された。

次に、得られたチャームクォーク由来の単電子の収量とボトムクォークの単電子の収量の比に基づいて、金金衝突で生成される高温物質中での重いクォークの振る舞いに対する理解が試みられた。前述のように、金金衝突においても、重いクォークは初期の核子衝突でのみ生成されるので、陽子陽子衝突で得られた結果を元に議論する事が可能である。本研究において決定されたボトムクォークの寄与を考慮すると、チャームクォークだけでなく、ボトムクォークが高温物質中でそのエネルギーを損失している事が判明した。また、測定されたボトムクォークの寄与を考慮した上で、金金衝突実験での単電子の測定結果を再現するLangevin方程式に基づいた現象論的な理論模型の結果は、金金衝突において測定

図1、チャームクォーク(▲)、ボトムクォーク(■)由来の単電子の横運動量分布される単電子は横運動量3GeV/c以上ではボトム由来が主になる事を示している。これは3GeV/c以上の横運動量を持つ単電子の収量の反応平面依存性から、ボトムクォークの物質中での運動の研究が可能である事を意味し、本研究はそのための基礎を提供した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、7章からなり、第1章の序文に続き、第2章では本論文の物理的背景が理論・実験の両側面から詳細に述べられている。これまで得られた実験結果に関するレビューとその理論的解釈を中心にして、クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)研究での重いクォーク観測の重要性に焦点をあてている。第3章では、本研究で用いた、ブルックヘブン国立研究所・相対論的重イオン衝突加速器RHICの構成と概要、PHENIX実験の装置概要と検出器群・回路系の詳細が述べられている。第4章では、具体的なデータの取得条件やデータ量等が示されている。第5章ではデータ解析に関する詳しい記述があり、検出効率、系統誤差についても定量的な議論を展開している。第6章では、解析によって得られた、陽子陽子衝突でのチャーム、ボトムクォークの生成量についてその結果をまとめている。これら第3章から第6章の4章が本論文の中心である。第7章では、本研究で得られた実験値と従来の実験値・理論値との比較ならびに本成果の将来への波及効果などが議論・考察され、第8章では結論が述べられている。この他、付録として、データ表、実験データとシュミレーションデータとの比較、電子とハドロンの相関関数、などが収録されている。

本論文は、原子核物理学で問題となっている、高温・高密度核物質に現れる新しい相状態に関連した実験研究である。核子や中間子といった強い相互作用をする粒子「ハドロン」は、クォークとグルーオンで構成されており、クォークとグルーオンの運動を記述する基本理論「量子色力学(QCD)」に従うと考えられている。QCDによれば核物質の核子密度、温度を上げていくと、ハドロンの自由度が支配するハドロン相から、クォーク・グルーオンが自由に動き回る新たな相「クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)相」に相転移すると予想されている。実験的にQGP相を生成する試みは重イオン同士の衝突実験によって行われており、米国・ブルックヘブン研究所の相対論的重イオン衝突加速器RHICでは核子あたり100GeVでの金原子核同士の衝突によって高温状態の核物質を生成し、QGP生成の決定的な証拠を得ることができると期待されている。

QGP相を実験的に捉えるための様々な観測量や現象が理論的に提案されているが、現在最も期待されているプローブの一つとして重いクォークを挙げることができる。チャームやボトムといった重いクォークは、その重さのため衝突初期にのみ造られるため、高温高密度物質を通過する際の物質効果を受け、QGPに関する情報を担っていると期待されている。物質効果などを議論する際に必須となるのは陽子陽子衝突での重いクォーク生成についてのデータである。現在、RHICのエネルギーではデータがなく、実測データが求められている。また、チャームとボトムの質量差が極めて大きいことから、物質効果の質量依存性を議論するためにも、チャームとボトムの生成量をそれぞれ個別に導出することが要求されていた。

以上の観点から、論文提出者らは重心系200GeVでの陽子陽子衝突実験を行い、チャーム、ボトム生成の観測を行った。チャーム、ボトムを含むD、Bハドロンの半レプトン崩壊によって生じる電子(陽電子)をPHENIX実験装置で測定し、チャーム、ボトムの生成断面積、横運動量分布などを調べた。チャームとボトム成分を分離するための新しい解析手法を開発している。D崩壊時のレプトン-ハドロン間の強い相関に着目し、(陽)電子と符号の異なる電荷をもつハドロンの測定確率を評価することによって、チャーム起源の電子の割合を初めて決定した。また、チャーム、ボトム起源の電子の横運動量分布をそれぞれ取得し、ボトムの生成断面積を得ている。

ボトム起源の電子の横運動量分布やボトムの生成断面積、エネルギー依存性は摂動論QCDを用いた計算結果と矛盾しないことがわかり、摂動論QCDの有用性が確認された。また、本研究で得られたデータと金同士衝突のデータから、金同士衝突でボトムが何らかの物質効果を受けていることを示唆していることも見出した。将来、金同士衝突のデータでチャームとボトムの寄与が分けられ、高統計データが得られるようになると、より詳細な議論が可能になる。

以上の成果はQGP探査を行うための基礎的かつ重要な情報であり、Physical Review誌に掲載を予定している。

なお、本論文は共同研究であるが、論文提出者が主体となって、電子識別に不可欠なRICH検出器のメンテナンスなどのハード面での貢献とともに、陽子陽子衝突での重いクォーク生成量の決定に関わる全てのデータ解析と新しいデータ解析法の開発を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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