学位論文要旨



No 124429
著者(漢字) 吉野,友崇
著者(英字)
著者(カナ) ヨシノ,トモタカ
標題(和) すざく衛星による軟X線背景放射の研究 : ジオコロナから銀河系ハローまで
標題(洋) A Study of Soft X-ray Diffuse Background with Suzaku : from the Geocorona to the Galactic Halo
報告番号 124429
報告番号 甲24429
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5327号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,智
 東京大学 教授 森,正樹
 国立天文台 教授 富阪,幸治
 東京大学 教授 尾中,敬
 東京大学 講師 中澤,知洋
内容要旨 要旨を表示する

1研究の背景

宇宙はマイクロ波からガンマ線に至る様々な波長の電磁波でほぼ一様に輝いている。その中で、2keV から約100keV までのエネルギー帯の放射は宇宙X線背景放射(CXB)とよばれる。これは、最近のチャンドラ衛星等の観測により多数の活動銀河核からのX線放射の重ね合わせであることが確実となっている。ところが、2keV 以下の軟X線背景放射(SXDB)には、活動銀河核の重ね合わせでは説明できない放射成分が存在し、0.4から1keV の範囲では、高銀緯方向でも、それが全X線強度の60%程度を占める。このような放射の存在は1970年代から知られていたが(e. g. Tanaka & Bleeker 1977)、その放射源は未だに理解されていない。1999年のマイグロカロリメータ検出器を搭載したロケット実験により炭素から酸素の輝線が初めて明確に検出され(McCammon et al, 2002)、これが100万度から200万度の高温物質からの放射を示唆する輝線放射の集まりであることは揺るぎないものとなった。しかし、そのX線放射源は何であり視線上のどの距離にあるのか、あるいは、どの距離にある放射がどれだけ寄与しているのか等の理解は進んでいない。SXDBの様相は炭素のKエッジエネルギーの上側と下側で大きく異なる。炭素のKエッジの下側(約0.15から約0.4keV のエネルギー帯を1/4keV バンド又はROSAT のエネルギーバンド名を使ってR12 バンドと呼ぶ)は、中性物質の柱密度の低い特定の方向を除いて、星間吸収により高々100pc程度の距離しか見通す事ができない。一方、炭素Kエッジの上側では、銀緯(b)10°以上であれば銀河系外まで見通す事が可能である。図1はROSAT の3/4keV バンド(ほぼ、0.41.2keV、R45バンドとも呼ばれる)の点源を取り除いた全天図である。主として銀経(|e|≦600)に存在する銀河系内のローカルな構造を除くと、放射は一様に近い。このエネルギー帯には、酸素(O VII、O VIII)、ネオン(Ne IX,NeX)のK輝線や、鉄(Fe XVIIなど)のL輝線など、重要な輝線放射が存在する。ROSAT は12分角の空間分布で全天マップを作ったが、R12とR45バンドを区別する程度のエネルギー分解能しか持たなかった。McCammon et al. 2002のロケット実験は、10 eVの高いエネルギー分解能を実現したが、空間分解能はなく1 strの広い視野からのX線を分光した。これに対して、すざく衛星に搭載されているX線CCD カメラ、その中でも背面照射型CCD を用いたXIS1 は、18分角の視野と2分角程度の空間分解能、3/4keV band における高い感度と、優れたエネルギー分解能を持つ。これによって、OVII,OVIII,NeIXなどの主要な輝線強度を、放射モデルの仮定にほとんど依存せずに決定する事が初めて可能になった1

2本研究の目的

本研究では、銀河内のlocal な強い放射構造とは離れた方向で明るいX線源を含まない様々な銀緯を含む16方向をすざく衛星で観測し、SXDBに含まれるO(VII)とO(VIII)輝線強度をかつてない高い精度と信頼性で決定する。これらの観測によって輝線強度の方向依存性を初めて明らかにし、SXDBの放射起源に対して強い制限を得る。さらに、過去の特にROSAT全天マップと比較することによって、時間変動すると考えられる太陽圏からの太陽風電荷交換反応(Heliospheric SWCX)によるX線放射に対する制限を得る。

観測データ中の2方向は論文申請者がPrincipal Investigatorとしてすざく衛星の国際公募観測による観測時間を得た観測である。他の3方向についても論文申請者はCo Investigator として観測提案に加わっている。残る観測は、サイエンスワーキングループの観測、あるいは、公開された公募観測データでを用いた。

3地球近傍の太陽風電荷交換反応によるX線放射の除去

太陽風の高電離イオンと中性物質との電荷交換反応によるX線放射(SWCX)がSXDBに無視できない寄与を持つことが認識されたのは比較的最近である。SWCX は、地球磁気圏の水素原子を主とする中性物質からの放射(Geocoronal SWCX)と惑星間空間の中性物質からの放射(Helispheric SWCX)の2成分からなると考えられている。Geocoronal SWCX強度は地球周辺の太陽風強度と、観測方向と地球磁場の関係に強く依存する。そこで、本論文では、これらを利用する事でSXDB に比べてGeocoronal SWCXが無視できない強度となる時間帯を極力除去する工夫を行った。具体的には、(1)地球近傍(L1点など)で太陽風をモニタしているACE 衛星やWIND衛星のデータを用いて、太陽風flux によってデータをソートして、太陽風fluxに相関したスペクトルの変化が見られないかを調べる、(2)惑星間空間磁場を考慮した地球磁場シミュレーションを行い、観測視線上で太陽風が入り込み得る高さが最も低い位置を計算し、その地球中心から距離を用いてデータをソートし、その距離に相関したスペクトルの変化がないかを調べる、(3)これらの結果、スペクトルに変化が見られた場合は、X線強度の増加したデータを除去する、というデータ処理方法を確立した。この結果、全てのデータについて、本論文のSXDBの解析に影響を与えるようなGeocoronal SWCXは取り除く事ができた。

一方、Heliospheric SWCXも数日(太陽風の惑星間空間内の伝搬に起因)から数年(太陽活動に依存)の時間変動を持つと考えられ、本論文の1-2日単位の観測で時間変動を検出する事は不可能である。したがって、Heliospheric SWCXはSXDB の主要な成分の一つと認識される。本論文の観測は太陽活動が極端に低い時期に行われている。これは本観測結果を解釈する上で重要である。

SXDBの研究では、SWCXに加えて太陽X線の地球大気による散乱と中性酸素による再放出も問題になる。本論文では、太陽活動による大気の膨張を考慮した大気モデルを用いて、太陽X線に照らされた視線方向の酸素柱密度を計算し、0.4-0.7keV のcount rateとの相関を調べ、すざく衛星のデータ解析の標準的な基準でdata screaningを行ったデータで強度変動は無く散乱の影響は無いことを確認した。

4酸素輝線強度

16方向のスペクトルにはO(VII)輝線(0.56keV)やO(VIII)輝線(0.65keV)の構造が明確に検出された(図2)。これらの輝線強度を決定する事を目的として、系外からのcosmic X-ray background放射(CXB)と、異なる温度を持つ二つの熱的放射からなるモデルを仮定しX線スペクトルのフィッティングを行った。これをmodel1と呼ぶ。model 1の2つ熱的放射成分は、それぞれ太陽系内とLocal Hot Bubbleと呼ばれる太陽系を取り囲む半径100pc程度の領域からの放射の和(SWCX+LHB)、および、LHBよりも遠方に存在する高温星間物質からの放射である可能性を念頭においている。このため前者は星間吸収の影響は受けないのに対して、後者は21cm電波観測から決定されたその方向の全中性ガスの吸収の影響を受けると仮定した。後者は、Kuntz & Snowden 2000が、TransAbsorption Emission (TAE)と呼んだ放射に相当する。model 1は統計の範囲でよく観測スペクトルを再現することができ、SWCX+LHBの温度は0.1-0.15keV、TAEの温度は0.2-0.5keV の範囲であった。次に、SWCX+LHB とTAEの温度をbestfitの値に固定して酸素のアバンダンスを0に設定し、そのかわりにO(VII)輝線、O(VIII)輝線に対応する輝線をGaussian関数で加えたモデルでfitし、best fitのGaussian 関数のnormalization からO(VII)、O(VIII)輝線の強度を決定した。

O(VII)とO(VIII)輝線強度決定に対するシステマティック誤差としては、XISのCCDの上部にあるoptical blocking filterに付着した不純物の厚みと荷電粒子バックグランドの不確定性、2keV 以下のCXB放射の形の不確定性、検出器のエネルギー分解能のcalibration の不定性が挙げられるが、これらすべてを考慮した結果、O(VII)、O(VIII)輝線強度は全ての観測で統計誤差の範囲内にあることを確認した。

図3に示すO(VII)とO(VIII)輝線強度の関係には大きな2つの特徴が見てとれる。1つはO(VII)輝線強度に~2 LUの"floor"が存在することである。図には解析した観測点に加え、銀河面の観測であるMP235(Masui et. al. 2009)と分子雲MBM12(Smith et. al. 2007, Masui et, al. 2009)の方向の観測であるM12onのデータもplot してある。これら2方向とLL10とラベルした方向は水素柱密度が大きく、O(VII)は、数100pc以内からの放射である。ゆえに、これらの方向のO(VII)の放射は近傍のSWCX+LHB成分のみを表しているといえる。

2つ目の特徴は、高銀緯方向の観測点のO(VIII)輝線強度がfloorを差し引いたO(VII)輝線強度に、(O(VIII) intensity)~0.5×((O(VII) intensity)-2 LU)のように、強く相関していることである。ここで、2 LUは"floor"の強度である。図3に書き加えたモデルの線から、"floor"を超えた分の放射の視線方向に平均した温度はkT=0.19から0.23keV の狭い範囲にあることを示している。

以上から、SWCX+LHB成分のO (VII)輝線強度は、どの方向についても~2 LU程度で、そこからの増分(上記モデルではTAEの放射に相当する)は0-7 LUの大きな強度変化を示すのもかかわらず、O(VII)とO(VIII)の強度比で決まる温度は、0.2keV 付近の狭い範囲に分布している、と結論することができる。

しかし、model 1のフィット結果は、SWCX+LHB成分の強度は一定でなく、TAE成分の温度も大きくばらついている。これはFe-LおよびNe-K の放射影響であると考え、SWCX+LHBのパラメータを固定し、TAEのFe,Ne 存在比をfree parameterにする(model 2)、またはTAEの重元素比は固定したまま、より高温の成分を加える(model 3)ことでフィットを行った。この結果、これらのモデルで観測スペクトルの形と酸素輝線の性質をよく再現できることがわかうた。

図3において、NEP 1、NEP 2とラベルした点は観測時期が異なる同じNorth Ecliptic Pole方向の観測であるが、そのO (VII)輝線強度は~1 LU異なっている。これは、Heliospheric SWCXによるO VII輝線強度には~1 LUの時間変動があることを示唆する。また、floorの値は~2-3 LUに分布しており、やはり1 LU程度の方向依存性あるいは時間変動があることを示唆する。これを考慮すると、TAEの平均温度には士0.04keV のシステマティック誤差が含まれることになる。

5ROSAT衛星との比較

各観測方向について、ROSAT all sky surveyのR45 band のcount rateと本観測ですざくで得られたモデルからの予想カウントを比較した。その結果、点源の除去感度の違いを考慮すると両者は統計誤差の範囲で一致した。ROSATの観測は、solar maximumで行われたことを考えると、太陽活動によって、Heliospheric SWCX の O (VII)強度は高々2 LU程度しかかわらないことが示唆される。

6遠方成分(TAE)

遠方の放射成分に含まれるO VII強度は、0-7 LUの範囲で大きく変動する。特に二つのLockman hole方向の観測は0,42°しか離れていないにもかかわらず、統計的に有意な1.6 LUの違いがあった。これに対して、O (VII)とO (VIII)比で決まる温度は、1観測方向を除いて、0.19から0.23keV の狭い範囲に分布していた。Yao et al.(2009)は、Chandra衛星によりLMC の連星X線源、LMC X-3、のX線スペクトル中に観測されたO (VII)とO (VIII)の吸収線と、すざく衛星が観測したLMC X-3から30'離れた方向からのO (VII)、O (VIII)輝線放射は、等温の高温ガスでは同時に説明できないことを示した。O (VII)強度の強い方向依存性が示唆するpatchyな空間分布、少なくとも見かけ上方向依存性の小さな温度、さらに視線に沿っては温度は一定ではありえない、という観測結果はどのようにすれば両立するのであろうか?Yao et al.(2009)は1.4ξkpcおよび2.8ξkpcのスケール高で密度と温度がexponential に減少するthick disk modelを提案した(ξは体積filling factor)。このようなplane parallelなconfigurationであれば、視線方向に温度勾配があっても、方向依存性の小さな状況を再現できる。TAE成分のemission measure は、明確な1/sinb依存性を示さないが、これはpatchyな分布によるばらつきの可能性もあるであろう。これを検証するには、さらにデータ点を増やす必要がある。

Patchy thick hot disk modelを簡略化して、TAEの全光度を見積もると1×1039ergs-1と見積もられ、hot haloが観測されている系外銀河の通常銀河のluminosityとconsistentである。この高温ガスの放射冷却時間は0.5G 年程度と見積もられ、高温プラズマにエネルギーがこの時間尺度で供給されている必要がある。このプラズマ加熱源の候補としてSupernovaeが考えられる。TAE放射の平均温度は、我々の銀河系のビリアル温度に近いことから、Supemovaeで加熱されたビリアル温度以上のプラズマは銀河の重力ポテンシャルから銀河間空間へ逃げてゆくことで、温度がkT=0.2keV 程度に制御されているというシナリオが考えられる。

図1:ROSAT All Sky Surveyの全天マップ。点源は取り除いてあり~0.4-1.2keV の軟X線背景放射を表している。白丸は本論文で解析したすざくの観測方向。

図2:本研究で得られたすざくXIS1による典型的な軟X線背景放射のスペクトル((e,b)=(86°,-21°)方向)。O (VII)とO (VIII)輝線が明確に分離されている。

図3:本研究の16方向+銀河面方向と分子雲MBM 12方向の観測で得られたO (VII)とO (VIII)輝線強度の関係。両者の間には基本的に比例関係があるが、O (VII)輝線強度は、~2 LU付近で下げ止まり"floor"が存在する。

図4:3/4keVバンドのSXDBの放射起源の位置関係。

審査要旨 要旨を表示する

X線で宇宙を観測すると、種々の起源の点状放射源の他に、空間的に広がった成分が見られる。これを宇宙X線背景放射と呼ぶ。その中で、エネルギーが2 keV 以上の硬X線領域のものについては、多数の活動銀河核の寄与の重ね合わせであることが、チャンドラ衛星による観測でわかってきた。しかし、エネルギーが0.1-2 keV の軟X線領域の背景放射は、硬X線領域でのスペクトルを外挿しただけでは説明がつかず、その起源については諸説が混在する状況であった。そもそも軟X線領域の背景放射は1970年代からの謎であり、その解明は宇宙物理学の課題の一つであった。

本論文はこの軟X線背景放射の起源に、すざく衛星を使った観測で迫ろうとしたものである。本論文は全体で7章から成る。第1章のイントロダクションの後、第2章で軟X線背景放射についてのレビューを行っている。第3章は観測に用いたすざく衛星の装置の概略、および太陽風モニターに利用したACE 衛星、WIND 衛星の概略についてまとめている。第4章は観測とデータ処理、第5章はその解析についてまとめられており、ここで、軟X線背景放射の起源として銀河系ハロー成分であることを示している。第6章は、その結果についての議論であり、銀河系ハロー成分の構造、物理状態について議論していいる。最後に、第7章には論文の結論がまとめられている。

本論文では、すざく衛星を用いて観測された16方向のスペクトルを解析している。視野の中に含まれるX線点源(活動銀河核など)の除去、太陽風に含まれる荷電粒子と地球近傍磁気圏にある中性物質との電荷交換反応による寄与(SWCX成分)の除去・低減など、注意深いデータ処理を行った後、軟X線背景放射のスペクトルを得た。特に、申請者は主に0.5-0.7 keV にあるOVII と OVIII の輝線成分に着目して解析を進めた。その結果、OVIIIの輝線はOVII輝線がある強度以上でないと存在しないこと(即ち、OVII輝線強度にフロアーが存在すること)、および、フロアー以上の領域でOVII 輝線と OVIII 輝線が強く相関することを見出した。フロアー成分はSWCXあるいはLocal Hot Bubble といった太陽系あるいは太陽系近傍の寄与を意味しており、その寄与は2 LU程度である。一方、OVII輝線とOVIII輝線が相関する部分については、銀河ハロー成分(TransAbsorption Emission)と解釈される。そして、その温度はモデルフィットから0.19-0.23 keV の狭い範囲にあることがわかった。このようにOVII 輝線とOVIII 輝線に着目することにより、軟X線背景放射の重要な起源が銀河ハロー成分であることが明らかになり、その物理状態をはじめて明らかにすることができた。これは、軟X線背景放射の起源の理解を大きく前進させるものであり、高い学術的価値があると判断される。また、この研究は、指導教員および多くの共同研究者の協力を得ながらも、すべて申請者本人が着想、実行して纏め上げたものであり、論文における申請者の寄与は十分であると判断される。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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