学位論文要旨



No 124430
著者(漢字) 吉見,一慶
著者(英字)
著者(カナ) ヨシミ,カズヨシ
標題(和) 電荷秩序現象における揺らぎの理論的研究
標題(洋) Fluctuations in Charge Ordering Phenomena
報告番号 124430
報告番号 甲24430
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5328号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 鹿児島,誠一
 東京大学 教授 小形,正男
 東京大学 教授 鹿野田,一司
内容要旨 要旨を表示する

低次元有機伝導体は、超伝導・磁気秩序・電荷秩序転移など様々な相転移を示す代表的な強相関物質である。有機伝導体の特徴は、1) 分子が大きく柔軟なため、圧力によるバンド幅の制御が容易であり、ドーピングによる制御を行っておらず不純物の存在しにくいクリーンな物質である、2) 分子軌道が大きく波動関数が広がっているため、オンサイトクーロンポテンシャルU が比較的小さくなっており、相対的に長距離クーロン相互作用が重要となる、の2 点にまとめられる。本研究で考察の対象とする電荷秩序転移物質の中で、最も典型的な物質はθ-(BEDT-TTF)2RbZn(SCN)4 (以下RbZn 系と呼ぶ) である。RbZn 系は180K 付近で長距離電荷秩序が生じる。電気抵抗は転移点以下で急激に上昇し絶縁体的な振る舞いを示す一方、帯磁率は転移点付近でなだらかなピークを持ち、電荷秩序相では20K 付近でスピンパイエルス転移を引き起こすまで常磁性状態を保つ。電荷秩序を示す多くの物質の帯磁率解析では、ハイゼンベルグ模型の帯磁率との比較が行われる。異なるアプローチとして、金属相のパウリ常磁性的な振る舞いを出発点にし、そこに電荷揺らぎの効果を導入する方法が考えられる。この方法では電荷秩序と磁性双方を統一的な枠組みで扱うことができるが、これまでそのような研究は行われてこなかった。さらにRbZn 系では、電荷秩序温度近傍で奇妙な物性が報告されている。転移温度以下での長距離電荷秩序自体は、X 線回折によって観測されている。その一方で局所的なプローブであるNMR の測定では、長距離秩序がない高温相においても、すでに電荷の不均一化が起こっていることが示されている。縦磁気緩和率T(-11) と横磁場緩和率T(-12) の詳しい解析から、電荷は空間的に不均一となっていることが主張され、そのダイナミクスはきわめて遅い(数kHz 以下) ことが指摘されている。同様の傾向は赤外ラマン分光の測定でも見られる。これらの結果に対応するように、電気抵抗は電荷秩序温度より高温側ですでに絶縁体的となる。類似の有機伝導体θ-(BEDT-TTF)2CsZn(SCN)4(以下CsZn系と呼ぶ) では、さらに奇妙な物性が現れる。この系では低温まで長距離電荷秩序は生じない。しかし120K 以下では、X 線回折実験から二つの異なる波数の短距離秩序が共存していることがわかる。このうちストライプ型の短距離秩序に対応するX 線の回折スポットは、温度を下げるにしたがって強度が大きくなるため、CsZn 系では低温でストライプ型の短距離電荷秩序が生じていると予想されている。さらに系に大きな電流を流すとこのストライプ型短距離電荷秩序が抑えられ、強い非線形伝導特性およびサイリスター特性が現れる。この顕著な伝導特性は多くの実験研究が行われ注目されている一方で、そもそも短距離電荷秩序がどのようなメカニズムによって生じるかは、熱平衡状態においてすらよくわかっていないのが現状である。

本研究では、長距離クーロン相互作用を最近接まで取り入れた拡張ハバード模型に基づき、有機伝導体の金属相におけるスピン・電荷感受率の理論計算を行う。電荷揺らぎ増大に伴い一様磁化率が増加することを示すとともに、電荷秩序近傍においては一様電荷感受率が負になることで均一電荷金属状態が不安定であることを示し、相分離現象により長距離秩序を伴わない電荷の空間不均一化が生じることを示す。

まずスピン感受率に対する電荷揺らぎの効果を調べた。通常用いられる乱雑位相近似(RPA) では、電荷揺らぎの効果は一様スピン感受率に反映されない。この効果は、RPA を超えてバーテックス補正の効果をとりこむことにより初めて現れる。そこで、一般の拡張ハバード模型に対して逐次的にワード恒等式を満たす近似理論を生成する方法論を構築した。この方法に従うと、最初の近似をRPA としたとき、次に生成される近似は真木-トンプソン(MT) タイプおよびアスマラゾフ-ラーキン(AL) タイプのダイアグラムを含むことがわかる。この近似の重要な点は、応答関数のq-極限が一様感受率に一致するという総和則を満足することである。このワード恒等式を満たす近似(以下vertex-corrected RPA, VCRPA と呼ぶ) を用いて、隣接サイト間クーロン相互作用V をもつ拡張ハバード模型の静的電荷応答関数を計算し、電荷秩序の相図を得た。RPA と比べVCRPA では電荷秩序が抑えられるが、低温相で再び金属相となるリエントラント転移は残ることがわかった。また電荷秩序転移近傍で発達した電荷揺らぎがバーテックス補正を通じて一様スピン感受率を増加させることを初めて示した。摂動展開による解析的な議論により、MTタイプのバーテックス補正は少なくともV の最低次では転移点に向けて増加する。有効相互作用に対する同様の議論により、AL タイプのバーテックス補正も転移点に向けて増大することがわかる。これらの議論から、VCRPAの範囲内で、一般に一様スピン感受率は電荷揺らぎに伴って増大することを示した。この結果は、RbZn 系やβ-(meso-DMBEDT-TTF)2PF6 などで見られる電荷秩序転移温度付近の一様スピン感受率の増大を説明すると考えられる。一方、一様電荷感受率はRPA の段階でハートリー項によって抑制されることがわかる。バーテックス補正は電荷感受率を増大させる方向に働くが、VCRPA ではその効果がハートリー項に比べて小さいため、やはり一様電荷感受率は抑制される。しかしながらVCRPAでは電荷揺らぎの増大に伴う相関長の発散が、有効相互作用に正しくフィードバックされていない。そのため、このフィードバック効果をとりこんだ場合、転移点のごく近傍においてバーテックス補正が十分大きくなり、ハートリー項を凌駕する可能性がある。

そこで電荷揺らぎの増大を有効相互作用に反映させるために、Shielded Interaction Approximation(SIA) に基づく計算を行った。これはベイムとカダノフによって提案された保存近似の一種であり、RPA 型の有効相互作用とその一次までの自己エネルギーによる自己無撞着方程式によって、一体のグリーン関数を求めるものである。得られた1 体のグリーン関数からそのままRPA 型の感受率を計算するとRenormalizedRPA(RRPA) となるが、これはバーテックス補正を含まない。しかし実際にハミルトニアン中に外場を導入してSIA の計算を行い、微分によって一様感受率を求めると、SIA の枠内ですべてのバーテックス補正を含む感受率が求められる。以下、後者の近似を単にSIA とする。まずRRPA により、3/4-filled の正方格子拡張ハバード模型を解析し、RPAにくらべRRPA では電荷秩序相はやや抑えられるが依然として存在することを示した。次に磁気不安定性から十分離れたオンサイト相互作用Uの値をとって固定し、隣接サイト間相互作用V を増加させて金属相側から電荷秩序転移に近づけていったときの感受率をSIA によって計算した。その結果、一様スピン感受率は電荷秩序転移に向かって増大し、かつ電荷秩序近傍においても有限のままにとどまることがわかった。また一様電荷感受率は、電荷秩序から十分遠く電荷揺らぎが小さい場合には、電荷秩序転移に向かって感受率が抑えられることがわかる。ここまではVCRPA の結果と同じである。しかし電荷秩序のごく近傍では一様電荷感受率は増大に転じ、電荷秩序転移点の直前で発散することがわかった。これは一様電荷感受率の逆数が正から負へと連続的に変化することによる。負の電荷感受率は、空間的に一様な金属状態が不安定化することを示しており、隣接サイト間相互作用を持つ拡張ハバード模型の範囲内で系が相分離を起こすことを示している。さらにU 一定のもとで、温度と互作用V を変えて一様電荷感受率を計算し、電荷感受率の発散するラインを求めた。その結果、V -T 相図上のある一点に相分離のエンドポイントがあり、それより高温側では一様電荷感受率の発散がみられないことがわかった。このエンドポイントより十分低温側では、V の増大により金属状態から相分離状態を経て電荷秩序状態が形成されると期待されるが、V -T 相図上でこれらの転移ラインを決めるには電荷秩序相を考察する必要があり、今後の課題となっている。ここで得られた相分離現象は、RbZn 系でみられる一様な金属状態から空間的な電荷不均一状態への遷移の起源になると推測される。またCsZn 系のストライプ型短距離秩序がどのような状態であるかを考える出発点になると期待される。

本研究では有機伝導体を金属相からの摂動論による視点で考察した。この視点では、帯磁率の増大や一様金属状態の不安定化はバーテックス補正によって記述される電荷秩序近傍の臨界揺らぎによって誘起される。この帯磁率の増大及び負の一様電荷感受率による相分離、すなわち金属と電荷秩序状態の共存相の存在は、電荷秩序をもつ多くの有機伝導体に共通する普遍的な現象であると期待される。本研究の結果は、本来「クリーンな」有機伝導体において、電子系の不均一化を起源とした「ダーティな」電子状態が実現される新しい機構を提案している。現実の有機伝導体の実験と比較する際にはより現実的なクーロン相互作用パラメータやフォノンの効果を考える必要がある。特に本研究で考察しなかった隣接サイト以上の長距離クーロン相互作用の効果を考慮に入れると、マクロな相分離は生じず、ミクロのレベルで電荷が不均一になった状態が実現されると推測される。本研究で示された一様な金属状態の不安定化の結果、最終的にどのような状態が実現されているかを調べることは今後の重要な課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本学位論文は5章からなり、1章は有機導体における電荷秩序についての序論、および本論文の概要、2章は有機導体における電荷秩序についての実験と理論の概観、3章は電荷秩序転移近傍でのスピン帯磁率の増大についての序、およびバーテックス補正の効果をとりこみながら逐次的にワード恒等式を満たす近似理論を生成する方法論で得られた理論的結果、4章はベイム・カダノフの保存近似に基づいた自己エネルギーに対する自己無撞着方程式により得られた理論的結果、5章は本論文の結論を述べている。

物性物理学において近年最も重要な分野の一つとして確立しつつあるのが強相関電子系の物理である。これは、1980 年代に銅酸化物において高温超伝導が発見されたことに発し、遷移金属酸化物においては関与する電子軌道が空間的に局在したものであり、電子間クーロン斥力相互作用が大きいので、現在では強相関電子系と呼ばれる。その後、強相関電子系には様々なカテゴリーが存在することが認識され、本論文で特に着目したのは、その中でも興味深いカテゴリーである有機導体である。有機導体では、超伝導、磁性などの物性を示すものが多く発見されており、これらが電子相関に起因するのではないか、ということが精力的に研究されている。特に、無機物の強相関電子系と対比させると、有機導体は(i) 比較的大きな分子の上に電子の波動関数が乗っているために、電子間には比較的長距離のクーロン斥力相互作用が働く、これと関連して、(ii) 系がとる様々な秩序状態のなかに、電荷が空間的に秩序化した「電荷秩序」状態をとる物質(典型的にθ-(BEDT-TTF)2 RbZn(SCN)4)が存在する、という特徴をもつ。電荷秩序については膨大な研究があるが、一つの未解明な点として、電荷秩序が生じると系は絶縁体となるが、この相転移の近傍で、単純に考えれば無関係と思われるスピンの挙動も変更を受ける(スピン帯磁率がなだらかに増大する)という現象が観測されており、謎となっている。

本学位論文のテーマは、これに対して、電荷の自由度とスピンの自由度、ならびに両者の相互作用を取り込める一般的な理論的枠組みを先ず構築し、電荷秩序相転移の近傍でスピンがどのように振舞うかという点を明らかにすることである。一般に、電荷自由度とスピン自由度が強相関系においてどの様に絡むか、というのは興味深い問題であり、上記の謎に関しては、電荷秩序転移の高温側(金属側)においては長距離秩序は無いが、実験(NMR、ラマン分光)の測定によれば電荷の揺らぎは存在することが示されている。従って、問題は、このような電荷揺らぎが、スピン状態(帯磁率)にどのような影響を与えるか、ということになる。本研究ではこれを、長距離クーロン相互作用を最近接分子間まで取り入れた2次元拡張ハバード模型に基づき、2段階のアプローチにより調べた。

第一のアプローチは以下の様である。電荷揺らぎのスピン感受率への影響を見るには通常用いられる乱雑位相近似(RPA) を超える(相互作用過程を表すファインマン・ダイアグラムの言葉でいえば、バーテックス補正と呼ばれるものを取り込む)ことが必要になる。そこで、拡張ハバード模型に対して、逐次的に、しかも電荷の保存を保つように近似理論を生成する方法論が構築された。最低次で生成される項は真木・トンプソン(MT) タイプおよびアスマラゾフ・ラーキン(AL)タイプとよばれる揺らぎダイアグラムを含む。この近似に基づいて電荷秩序の相図を求めると、電荷秩序転移近傍で発達した電荷揺らぎがバーテックス補正を通じてスピン感受率を増加させることが初めて示された。しかし、以上の近似では、電荷揺らぎの増大に伴う相関長の発散が有効相互作用に正しくフィードバックされていないために、近似の信頼性は必ずしも明らかでない。

そこで第二のアプローチとして、電荷揺らぎの増大を有効相互作用に反映させる、shielded interaction approximation(SIA) に基づく計算が行われた。これはベイムとカダノフによって提案された保存近似の一種であり、RPA 型の有効相互作用とその一次までの自己エネルギーに対する自己無撞着方程式から一体のグリーン関数を求める枠組みである。ハミルトニアン中に外場を導入してSIA を行い、微分によって一様感受率を求めると、SIA の枠内ですべてのバーテックス補正を含む感受率が求められる。この結果、隣接サイト間相互作用V を増加させて金属相側から電荷秩序転移に近づけるにつれて、一様スピン感受率は電荷秩序転移に向かって増大し、かつ電荷秩序近傍においても有限にとどまることがわかった。また一様電荷感受率は、電荷秩序から十分遠く電荷揺らぎが小さい場合には、第一のアプローチと同様に電荷秩序転移に向かって抑えられるが、電荷秩序のごく近傍では一様電荷感受率は増大に転じ、電荷秩序転移点の直前で発散することがわかった。この後に続く議論においては、この発散の後でどのような状態になるかの可能性の一つとして、電荷感受率の逆数が正から負に変わり相分離を起こすことが示唆された。

以上のように、本学位論文は、一般に電子間相互作用に対する拡張ハバード模型に対して、電荷自由度とスピン自由度、ならびに両者の相互作用を取り込める理論的枠組みの一つを、摂動論による視点から構築した。結果として、電荷秩序相の近傍でスピン自由度も影響を受けることが分かった。この結果が、具体的な有機導体にどの様に適用されるか、また有機導体に対してどの程度普遍的な現象であるか、という点は今後の研究をまつ必要があると思われるが、本学位論文で得られた成果は、相関電子系における電荷自由度とスピン自由度の理解に重要な貢献をするだけでなく、将来的にも、圧力や分子種に応じて結晶構造・電子構造を制御できる自由度が高い有機導体の物理の発展にも資することが期待される。

なお、本論文の一部は加藤岳生准教授および、前橋英明氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

したがって、審査員全員により、博士(理学)を授与できると認める。

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