学位論文要旨



No 124437
著者(漢字) 日下部,元彦
著者(英字)
著者(カナ) クサカベ,モトヒコ
標題(和) 宇宙初期の軽元素組成の進化と未発見粒子が始原組成に残す痕跡
標題(洋) Evolution of Light Element Abundances in the Early Universe and Possible Signature of Relic Particles in Primordial Abundances
報告番号 124437
報告番号 甲24437
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5335号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 梅田,秀之
 東京大学 教授 安藤,裕康
 東京大学 准教授 茂山,俊和
 東京大学 特任教授 野本,憲一
 東京大学 教授 川崎,雅裕
内容要旨 要旨を表示する

本論文では宇宙のリチウムの始原組成について観測値と理論値が一致しないというリチウム問題について宇宙初期に起こりうる元素合成過程の研究により原因を探求する。特に未発見粒子が宇宙初期の元素合成に寄与したという非常に興味深い可能性を評価することを目標とした。

標準ビッグバン元素合成モデルは、通常の物質を構成するバリオン(陽子と中性子)の数密度と宇宙背景放射の数密度の比というただ一つの変数で表される。WMAP衛星による宇宙マイクロ波背景放射の観測からこの比が推定されており、この値に対して標準ビッグバン元素合成モデルは宇宙初期での水素、ヘリウム、リチウムの合成量すなわち始原組成を理論的に予言する。宇宙は高温高密度の状態から膨張冷却していると考えられており、その中で微小な密度の差が次第に大きく成長し、星・銀河・銀河団・大規模構造という様様な大きさの天体が形成される。宇宙、特に我々の天の川銀河での元素組成の進化は、極初期のビッグバン元素合成による始原組成が、超新星爆発による重元素放出や超新星残骸で加速された宇宙線による星間空間での核反応を受け次第に進化する。従って、ビッグバン元素合成で作られる重水素、3He、4He、6Li、7Liの始原組成の情報は宇宙初期に形成した古い天体が持っていると考えられる。古い天体で観測される元素組成は重水素、3He、4Heについては理論予言値と一致する。しかし6Li、7Liの組成の観測値は理論予言値と一致しない。これは未知の過程によりリチウム組成が変化した可能性を示唆する。

リチウムの始原組成は天文分光観測により、銀河系初期に形成した鉄の存在度が低い星(低金属量星)に検出されている。その測定値は低金属量領域で組成一定の性質を示し、これが始原組成であると考えられている。しかし、観測値が標準ビッグバン元素合成理論予言値に対し、6Liは約1000倍多く存在し、7Liは約1/3倍程しかない。この事実はリチウム問題と呼ばれており宇宙論における1つの明確な問題である。

リチウム問題への解決策はいくつか提案されている。観測される低金属量星が形成されるまでに6Liを合成する過程としては、銀河形成前・形成時の宇宙線による核融合など、また7Liを破壊する過程としては星表面での燃焼過程などが考えられている。両方の可能性を含むものとして未発見の長寿命粒子の宇宙初期での崩壊による過程、負電荷長寿命粒子の存在による過程がある。

物理学の究極の目標である統一理論の候補、超弦理論が含む超対称性理論が予言する超対称粒子や余剰次元モデルが含むKaluza-Klein粒子の存在は未発見である。これらの理論は宇宙を構成する暗黒物質の候補を与え、物理学・天文学において重要な意味を持つ。軽元素組成に未発見の長寿命粒子の存在や崩壊が影響を与えた可能性は、このリチウム問題に取り組むことできちんと評価すべきである。そこで私はビッグバン元素合成から現在に至るまでのリチウム組成の進化を探求し、未発見粒子の存在や崩壊が元素合成に寄与した可能性を評価する研究を行った。

第2章では長寿命粒子の放射性崩壊による6Li合成の可能性の評価を行った。現在の暗黒物質の親であるような未発見粒子の崩壊に対し放射性崩壊を考え、ビッグバン元素合成コードに非熱的な放射のエネルギー損失、原子核の非熱的核反応、生成する非熱的原子核のエネルギー損失を含む計算コードを作成した。崩壊を特徴付ける変数は粒子の寿命τXと組成に関連するδX=(nX0/nγ0)Eγ0である。ここで(nX0/nγ0)はXが崩壊する前のXと光子の数比であり、Eγ0は仮定した放射性崩壊で出る光子1個のエネルギーである。放射性崩壊が引き起こす非熱的元素合成と背景放射への影響の計算結果を、軽元素組成と宇宙背景放射の観測と比較した。結果として、この過程が全観測と矛盾せず6Liを観測値以上に合成できることと、観測値の約10倍以上は合成できないことを示した。このとき、不安定な長寿命粒子の崩壊で出る放射線が宇宙に存在する4Heを分解し3Hや3Heが高エネルギーで合成される。この高エネルギーの3Hや3Heが再び他の4He原子核と反応を起こし6Liが合成される。この変数領域の一部は宇宙背景放射のエネルギー分布にある程度以上の歪みを残すため、将来の気球実験で検証可能である。

第3章では不安定な負電荷粒子X-が存在するときのビッグバン元素合成の研究を行った。超対称性や余剰次元を含む理論の中では既知の荷電レプトン以外にも電荷をもつ素粒子が存在する。負電荷の重い粒子が存在すると、ビッグバン元素合成で合成された正電荷をもつ原子核Aと原子様の束縛状態AXを形成し、標準的には考えられていない核反応を起こしうる。観測と矛盾しないためにX-は宇宙のある時期に崩壊していると仮定した。そして、7BeXが陽子と反応し、X-粒子と8Bの原子核励起状態の間の8BX原子様基底状態を経由する共鳴反応で8BXに遷移する放射反応が7BeXを破壊する反応として存在することを提案した。未発見粒子を含むこの型の反応は初めて提案された。しかし、原子核AとX-粒子の間の束縛エネルギーに対するより現実的な計算の結果、この反応が7BeXの破壊にそれ程強く寄与しないことが明らかになった。次に膨張宇宙の中でX-粒子と普通の原子核との間の再結合、X-に束縛した原子核の再電離、それらに関連し起こりうる多くの新しい核反応を標準的なビッグバン元素合成と同時に含むボルツマン方程式を数値積分するコードを作成し軽元素組成の解を求めた。この研究での変数はX-粒子の崩壊寿命τXとバリオン組成に対する組成比YX=nX/nbである。そして、7Li過剰問題と6Li問題を同時に解決できる変数領域が存在することを示した(図1参照)。

第4章では不安定な強い相互作用をする粒子が存在するときのビッグバン元素合成の研究を行った。標準理論を越える理論の中に既知の粒子以外に色を持つ素粒子が存在し、それが長寿命を持つ可能性が考えられている。色を持つ粒子は宇宙初期では自由に存在するが宇宙が膨張し2兆度程度に下がると他の粒子と結合し強い相互作用をする粒子になると考えられる。このような重い粒子が存在すると、原子核と核力的な束縛状態を形成し、未知の核反応を起こしうる。このような核反応と、束縛状態形成反応を、標準的なビッグバン元素合成と同時に考慮し、全ての過程を同時に計算するコードを作成し数値計算を行った。この強い相互作用をする粒子と原子核との間の相互作用については陽子や中性子と原子核との間の相互作用と同じ強さであると仮定した。このモデル計算では6Li、7Li問題の解を得なかった。しかし、強い相互作用をする不安定粒子の元素合成への影響から、このような粒子の崩壊寿命τXや存在度YXに対して制限を与えた(図2参照)。

第5章では銀河形成前の超新星宇宙線による軽元素合成に関する研究を行った。6Liを宇宙初期に合成する過程の1つとして、銀河形成前の超新星爆発に伴い加速される宇宙線による核融合過程が提案されている。この過程ではリチウムを作る反応の他に宇宙線の炭素や酸素が核反応で砕けたときにベリリウムやホウ素も同時に作られるため、これら全ての軽元素組成の理論予言値を計算し、低金属量星の観測値と比較することが可能である。そこで関連する一連の核反応を含み、宇宙で加速される宇宙線の供給率を境界条件として、一様宇宙の中での宇宙線元素合成による軽元素組成の進化を計算するコードを作成した。そしてある宇宙化学進化モデルを採用し実際に数値計算を行った。結果として、低金属量星に存在する6Liが宇宙線元素合成でできたというシナリオは、ベリリウムとホウ素の計算結果を観測値と比較したときに矛盾がないことが示された。さらに6Liがこの過程を起源とするとき、今観測されている星以上に低金属量のものが、ある一定レベルのベリリウム、ホウ素を含むことが示唆される。ベリリウム、ホウ素の望遠鏡観測により宇宙初期の宇宙線元素合成の痕跡を見つけられる可能性を示した。

図1. リチウム組成の計算値を低金属量星での観測値で規格化した値の(YX, τX)平面での等高線:d(6Li)=6Li(Calc/6)Li(Obs) (実線)、d(7Li)=7Li(Calc/7)Li(Obs) (破線)。d=1の線で計算値と観測値が一致する。d=1の周りの細線は観測誤差の上限と下限に対応する。

図2. (τX, YX)平面での軽元素組成の計算値に対して天文観測からの制限を等高線(実線)として与えた図。重水素組成の上限から制限される領域がD(up)の等高線で囲まれた領域である。他の等高線に対して線よりも上側の領域が各軽元素に対する組成への上限(up)と下限(low)から制限される。6Li(obs)の破線は低金属量星での観測値に対応する。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章からなる。第1章はイントロダクションであり、標準的なビッグバン元素合成理論では6Li と7Li の計算値と観測値が一致しないというリチウム問題があることを説明している。また、その問題の原因を探求するために、宇宙初期に起こりうる元素合成過程、特にそれへの未発見粒子の存在の影響を研究することが本論文の主目的であることが述べられている。

第2章は長寿命粒子の放射性崩壊による6Li 合成を計算している。そして、6Li を観測値以上に合成し、かつ他の元素が観測値と矛盾しないような粒子の寿命と存在比の範囲を明らかにし、その範囲での6Li の合成量を初めて詳細に調べている。この研究では、先行研究で調べられていなかった、非熱的な1次核反応で合成されるD,T, 3He, 6Li の2 次核反応での破壊の効果が最終組成に与える効果を調べた。結果として、この過程が全観測と矛盾せず6Li を観測値以上に合成できることと、観測値の約10 倍以上は合成できないことを初めて示した。また、2 次核反応でのD,T, 3He, 6Li の破壊が最終組成に与える効果は0.1%以下であることを示した。6Li が合成されるパラメータ領域では、不安定な長寿命粒子の崩壊で出る放射線が宇宙背景放射のエネルギー分布にある程度以上の歪みを残すため、将来の気球実験で検証可能であることを示した。

第3章は不安定な負荷電粒子X-が存在するときのビッグバン元素合成を調べている。X-が存在するとX-は原子核と束縛状態を形成し、標準的には考えられていない核反応を起こしうる。この研究では、この束縛エネルギーの現実的な計算を行い、有効な共鳴反応の捜査を初めて一貫して行った。特に、X-と7Be の束縛状態7Bex が陽子と反応し、8Bx という原子様基底状態を経由する共鳴反応が7Bex を破壊する反応として存在することを初めて提案した。この型の反応は未発見粒子が存在することにより初めて可能になる反応である。この研究では膨張宇宙の中でX-粒子と普通の原子核との間の再結合、X-に束縛した原子核の再電離、それらに関連し起こりうる多くの新しい核反応を標準的なビッグバン元素合成と同時に解くネットワーク計算コードを開発した。また、量子三体計算で得られている最新の反応率を用いて反応ネットワーク計算を行い、これまでで最も現実的な結果を示した。その結果から、誤差の大きい反応率を用いて計算された先行研究とは異なる変数領域に、6Li と7Li の問題を同時に解決できる範囲が求まった。

第4章では不安定な強い相互作用をする粒子(強粒子)が存在するときのビッグバン元素合成が初めて研究されている。この粒子と原子核の束縛状態形成をビッグバン元素合成と同時に解くコードを開発し、このような計算を初めて行った。先行研究として安定な強粒子が存在する場合の元素合成の計算は成されていたが、不安定な強粒子が存在する場合の元素合成結果は全く異なり、重い原子核が合成される可能性が示された。このシナリオでは6Li、7Li 問題の解は得られなかったが、このような粒子の崩壊寿命や存在度に対して制限を与えることができた。

第5章では、銀河形成前の超新星宇宙線による6Li の合成が研究されている。この研究では6Li とともにBe、B の合成量を初めて計算し、更に宇宙化学進化モデルを適用することにより、低金属星の組成観測と比較した。その結果、6Li がこの過程を起源とするというシナリオはBe とB の観測値と矛盾がないことを示した。この結果は現在観測されている星よりも低金属の星は、ある一定レベルのBe とB を含むことを示し、今後の観測により、この過程の痕跡を明らかに出来ることを示した。

第6章はまとめである。以上、第3章において7Bex が陽子と反応し、8Bx という原子様基底状態を経由する共鳴反応が7Bex を破壊する反応として存在することを初めて提案するなどし、これまでで最も現実的な結果を示したこと、第4章で不安定な強粒子が存在するときのビッグバン元素合成計算を初めて行ったことや第5章で低金属星におけるBe とB の組成から超新星宇宙線による6Li の合成モデルの検証が行えることを示した点は特に高く評価できる。なお本論文2章は梶野敏貴、G. J. Mathews と、3章は梶野敏貴、R. N.Boyd、吉田敬、G. J. Mathews、との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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