学位論文要旨



No 124455
著者(漢字) 廣田,渚郎
著者(英字)
著者(カナ) ヒロタ,ナギオ
標題(和) 夏季東アジア域に見られる3極気候偏差の形成プロセスに関する研究
標題(洋) Formation processes of tripolar climate anomaly over the East Asia in summer
報告番号 124455
報告番号 甲24455
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5353号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木本,昌秀
 東京大学 教授 高橋,正明
 東京大学 教授 新野,宏
 東京大学 教授 佐藤,薫
 東京大学 准教授 中村,尚
 東京大学 准教授 升本,順夫
 東京大学 准教授 渡部,雅浩
内容要旨 要旨を表示する

夏季東アジア域には、フィリピン付近、中国・日本、東シベリア付近に正-負-正(又は負-正-負)の南北に並ぶ3 極構造を持つ変動パターンが頻繁に現れる。先行研究において、この様な3 極偏差パターンは、エルニーニョ・南方振動(ENSO)やインド洋の海面温度(SST)と関係する年々変動偏差、二酸化炭素濃度増加に対する気候応答など、様々な大気変動の外部要因と関係する偏差場として示されている。本研究では、この様な3 極構造を持つ偏差パターンを東アジア域(70°E-170 °W, 0 °-90 °N)における6-8 月の降水量と500hPa 面高度場(Z500)の年々変動偏差から作成した相関係数行列に対する特異値分解解析(SVD)の第1 モード(SVD1)として抽出した。そのスコア時系列との回帰係数として定義したZ500の偏差を図1に示した。この第1 モードの変動を説明する割合は59% と大きく、高次のモードとは統計的に有意に分離できている。また、この第1モードの年々変動はENSO、インド洋SSTや中国・日本の降水量変動との統計的な関係性が見られ、このパターンは気候学的にも非常に重要な変動パターンであると言える。類似な3 極構造を持つ偏差パターンは、降水量の経験的直交関数(EOF)、Z500 のEOF、北半球や全球での解析、季節内変動に対する解析のいずれにおいても、第1 モードとして抽出される。このパターンは全球的にも顕著な変動パターンであり、降水量やZ500 の季節内変動にも年々変動にも見られる変動パターンである。

3 極構造を持つ偏差パターンは、異なる地域のSST や二酸化炭素濃度など、様々な大気変動の外部要因と関係して現れている。また、3 極偏差パターンは変動を説明する割合の大きいパターンを抽出する手法であるEOF 解析やSVD 解析の第1 モードとして抽出された。3 極偏差パターンが大気変動の外部要因の具体的な形に関係なく現れるという結果は、このパターンが、大気の内部プロセスによって特徴付けられる出現頻度の高い、力学モード的なパターンであることを示唆する。これを示すために湿潤プロセスを考慮した線形プリミティブモデルを作成し、外部強制の具体的な水平構造に依存しない大気の内部プロセスのみと関係して頻繁に現れる変動パターンの抽出を試みた。具体的には、北半球一様に分布する206点の強制に対する線形応答を計算し、その206個の応答から頻繁に現れる応答パターンを抽出する。頻繁に現れる応答パターンの抽出方法は、観測・再解析データの解析において3極偏差パターンを最も顕著に取り出した、東アジア域における降水量とZ500の相関係数行列のSVD解析を用いた。得られた現れ易い応答パターンは、観測・再解析データの解析で得られたものと類似な3極構造を持つ。現れ易い応答パターンを東アジア域ではなく、北半球や全球のSVD解析で抽出した場合にも、東アジア域には南北に3つの偏差を持つパターンが得られた。つまり、大気変動の外部強制が北半球に一様に分布する仮想的な状況においても、大気の内部プロセスと関係して、東アジア域に3極構造を持つ変動パターンが頻繁に現れると考えられる。

3 極偏差パターンに関わる大気の内部プロセスをデータ解析や様々な数値実験から調べた。その模式図を図2に示す。東アジア域の低・中緯度には気候場の水蒸気量が多く、フィリピン付近や中国・日本の循環場偏差は統計的に有意な降水量偏差を伴う。降水量偏差と対応する凝結加熱は鉛直流と熱力学的にバランスし、その鉛直流は気柱の伸縮を通して(伸縮項)、大気下層の循環場偏差を強化する。東アジア域において、気候場の水平風は、大気下層でフィリピン付近から日本付近を、上層で東シベリア付近から南東を向く。更に、これらの地域にはロスビー波の導波管的な渦位の水平構造が見られた。この様な気候場の特徴と関係して、3極構造を持つ偏差場において、ロスビー波の伝播を示す波の活動度フラックスは(WAF) は、下層で北向き、上層で南東を向く。また、大気上層の渦度収支解析、及び非線形渦度強制に対する線形モデルによる応答実験の結果から、東シベリア付近の高気圧偏差に対して非線形プロセスが重要な役割を果たしている可能性が示唆された。つまり、3ヶ月より短い周期の擾乱が、偏差の形状の特徴によって決まる非線形の渦度フラックスの収束を伴い、3ヶ月平均場に対する渦度強制として働く可能性がある。実際、東シベリア付近に高気圧性な年々変動偏差が存在する年には、低気圧性の偏差が存在する年に比べ、東シベリア付近において、9.2 日より短い周期の移動性擾乱の活動が不活発であり、9.2 日から3ヶ月程度の周期を持つ準定常ロスビー波の砕波がより顕著に見られた。また、それらの短周期擾乱の形状は、東シベリア付近に高気圧性の年々変動偏差が存在する時、南西から北東に伸びた構造を持ちやすい。気候場から偏差場への力学的なエネルギー変換は、気候場の特徴によって決まる特定の位置で、偏差にエネルギーを供給する。フィリピン付近では、気候場下層の東西風の東西傾度が強い地域で東西に伸びた偏差が気候場から順圧的にエネルギーに受け取る。東シベリア付近においては、気候場の南北温度傾度の強い地域で、傾圧的にエネルギーが変換される。また、日本の北東には、気候場水平風の南北傾度と関係する順圧エネルギー変換が見られ、日本上空ではジェットの傾圧的な構造と関係する傾圧エネルギー変換が見られる。

これらの東アジアの夏季気候場(水蒸気量、水平風、気温) の特徴と関係して働く大気の内部プロセスは3 極偏差パターンの位置、構造、発達に関わっていると考えられる。気候場から偏差場へのエネルギー変換や湿潤プロセスは、気候場の特徴によって決まる特定の位置のみで効率的に働き、その地域の偏差の振幅、発達に寄与する。下層の北向き、上層の南東向きのロスビー波は、これらの各地域の偏差に伴う変動のエネルギーを波動的に伝播させる。3 極偏差パターンは、これらの内部プロセスによって、東アジア域において振幅が大きくなり、南北の広い地域に影響するため、観測・再解析データにおけるSVD 解析や、一様強制実験におけるSVD 解析によって、変動を説明する割合が大きい第1 モードとして抽出されるのだと考えられる。

線形モデルによる強制の地域的な切り分け実験を行うと、前述の大気の内部プロセスは高緯度からの影響に関係するものと、低緯度からの影響に関係するものに分離して解釈することができた。フィリピン付近のみの強制に対する湿潤の線形応答では、WAF がフィリピン付近下層から北を向き、フィリピン付近と日本付近に逆符号の循環場偏差が現れた。これらはKosaka and Nakamura (2006) が述べるPJ パターンの特徴として知られている。更にこの応答においては、日本の北に、特に下層で顕著な高気圧性の循環場偏差が現れる。この偏差を渦度収支解析とω方程式を用いた解析から調べると、この高気圧性の偏差には、大気下層の気候場南西風による気温と渦度の水平移流が関わる伸縮項が寄与することが分かった。フィリピン付近に何らかの擾乱(偏差) が見られるとき、この様なプロセスを通して、正-負-正(又は負-正-負) の構造が現れて、日本の北へまで影響すると考えられる。一方、東シベリアのみの強制に対する応答では、東シベリア付近のエネルギー変換、東シベリア上空から南東向きのWAF が見られ、渦度応答は東シベリアから南東に負-正-負と並ぶ。

前述の低緯度からと高緯度からの2つのプロセスは、共に東アジア域に南北に並ぶZ500 や渦度の偏差を形成するが、エネルギー変換やWAF の様子に共通する部分があまり無く、別々に働くプロセスである可能性が高いと考えている。これは、観測・再解析データの解析において、偏差が北西から南東に並ぶ1984 年の年々変動偏差と南西から北東に並ぶ1998 年の偏差の、3 極構造を持つSVD1 に対する寄与が、解析した27 年間の中で最も大きい2 年であったことからも裏付けられる。低緯度と高緯度からの影響が同じ様な構造を持ち、1 つのSVD モードに寄与することには、湿潤プロセスが重要な役割を果たしていると考えられる。実際、フィリピン付近強制実験と東シベリア付近強制実験における、中国・日本下層の東西に長い渦度偏差は乾燥応答よりも湿潤応答でより明瞭に現れる。また、乾燥の一様強制実験においては、頻繁に現れる応答パターンの偏差は北西から南東に並び、湿潤のものに比べて下層の渦度偏差が弱い。湿潤プロセスは、南北に並ぶ偏差の位置や強さに対して重要であると考えられる。

本研究では、東アジア域に3 極構造を持つ主要な気候変動パターンを、大気の内部プロセスと関係して頻繁に現れる力学モード的なパターンとして解釈した。先行研究で示された、ENSO やインド洋SST の年々変動や二酸化炭素濃度の増加などと関係する3 極構造を持つ偏差場は、大気変動の外部要因による3 極パターンの励起として解釈できる。

図1: 東アジア域(70°E-170 °W, 0 °-90 °N)におけるJJA降水量とZ500のSVD1とZ500の回帰係数[m]。灰色の線は95%の統計的な有意水準。

図2: 3極偏差パターンに関わる力学・湿潤プロセスの模式図。

審査要旨 要旨を表示する

猛暑・冷夏や洪水・干ばつをもたらし、農業を初め、社会的に大きな影響を与える夏季東アジアの天候変動は、梅雨前線やそれに関わるオホーツク海高気圧、小笠原高気圧の変動と複雑かつ密接に関係していることが古くから知られてきたが、その実態、変動要因、さらに予測可能性の気候力学的理解は未だ十分とは言えない。

申請者は、夏季東アジアの天候の年々変動がしばしば特徴的な広域循環偏差パターンを伴って現れることに着目し、この「3極偏差」パターンの形成維持メカニズムについての研究を行った。3極偏差パターンは、フィリピン付近、中国~日本、東シベリア付近の3箇所に正一負一正(又は負-正-負)の南北に並ぶ上空の気圧偏差パターンで特徴付けられ、中国~日本の低圧偏差は梅雨前線帯の降雨偏差と密接に関係している。

第1章において、これまでの夏季東アジア域の気候変動研究についてのレビューが行われた。この領域での年々変動の偏差場の統計解析においてしばしば上記の3極偏差パターンが現れており、また、過去の数十年規模の長期変化傾向や将来の気候変化モデル実験でも類似のパターンが現れていることが指摘される。3極偏差のうち、中緯度と南方の2極での気圧偏差の共変動は、太平洋-日本パターン(PJパターン)と呼ばれ、形成力学について詳細な解析も行われつつある。北方東シベリアと中緯度日本域の関連もいくつかの先行研究において指摘されてきたが、3極構造を包括的に扱い、そのパターン形成力学を論じた研究はまだ無い。本研究では、3極偏差パターンを、外部からの多様な励起要因に対してこの地域の夏季気候平均場のもとで特徴的な応答として現れやすい、力学モード的なパターンであるとの立場でその形成力学が論じられる。

第2章において用いた観測データが説明されたのち、第3章において、東アジア域の年々変動の偏差パターンの抽出が行われた。3極偏差パターンは、東アジア域での夏季(6-8月)平均の500hPa面高度場と降水量偏差の共変動の主要変動パターンとして統計的に抽出できるが、解析変数や領域、季節、時間スケールへの依存性も調べられ、解析手法の詳細によらず抽出できる統計的にロバストなパターンであることが示される。

第4章では、抽出した3極偏差パターンの形成過程が、観測データに基づく力学、水収支解析から明らかにされる。3極パターンに伴う梅雨前線帯と西太平洋フィリピン付近の降水偏差が循環偏差と励起してパターンの維持に貢献している可能性が指摘され、力学的には、中緯度亜熱帯ジェットおよび高緯度の極前線ジェット気流の存在や日本の南方でのモンスーン西風と貿易風の収束等、この地域における特徴的な気候平均場のもとで、南方および北方からの波列伝搬を含む偏差パターンが効率的にエネルギーを得ていることが明らかにされた。

引き続き第5章においては、2極偏差パターンが、水蒸気量、水平風、気温等、この地域の気候学的平均場の特徴を反映した大気の内部力学により、外部励起要因の詳細によらず成り立っているパターンであるという仮説が、湿潤線形力学モデルを用いた実験によって検証される。この実験では、湿潤線形大気力学系に対する外部強制が地理的分布をもたない一様なものとして与えられ、その多数例の応答の主変動パターンとして、観測されたのと同様の3極偏差パターンが抽出され、上記の力学モード的解釈が支持された。すなわち、気候平均場から偏差場へのエネルギー変換や湿潤プロセスは、気候場の特徴によって決まる特定の位置のみで効率的に働き、その地域の偏差の振幅、発達に寄与する。また、これら各地域の偏差に伴う変動のエネルギーは波動が他地域に効率的に伝搬させる。3極偏差パターンは、このような大気プロセスによって、東アジア域において振幅が大きくなり、南北の広い地域に影響するため、観測データにおける統計解析や、一様強制実験によって、変動を説明する割合が大きい主要モードとして抽出されると解釈された。

このように本研究は、東アジアの天候変動についての3極偏差パターンの重要性を明らかにし、その構造と力学モード的な形成力学を提示したものである。励起プロセスの詳細、とくに高低緯度からの強制間の関係や予測可能性等、今後さらに明らかにすべき課題も残っているが、湿潤過程も含めた力学モードとしての主変動パターンの形成力学の提示ができた意義は大きく、今後の気候変動研究に重要な貢献を為したと考えられる。

なお、本論文第3、4、5章は、高橋正明氏との共著論文の結果を含んでいるが、論文提出者が主体となって計算及び解析をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

よって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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