No | 124456 | |
著者(漢字) | 松村,義正 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | マツムラ,ヨシマサ | |
標題(和) | Weddell海での棚氷水の沈降に関するモデリング研究 | |
標題(洋) | Modeling study on Ice Shelf Water descent in the Weddell Sea | |
報告番号 | 124456 | |
報告番号 | 甲24456 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5354号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 地球惑星科学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 1.はじめに 南極海沿岸では,活発な海氷生成による塩分排出を起源とする高密度水が大陸斜面を下って深層に沈み込んでおり,南極底層水の供給源となっている.このような局所的な高密度水の沈み込みによる深層水形成は全球熱塩循環を駆動する要因となっており,地球の気候形成においても重要な役割を担っている.しかし直接観測が困難なことなどから,何処で,どのような温度及び塩分の水が,どのくらいの量,どの深さまで沈み込んでいるのかといった定量的な理解は未だ十分になされていない. 海面付近で生成された高密度水が重力の作用により斜面を降る流れは一般に重力流やgravity currentと称されるが,地球の自転の影響下では高密度水は重力とコリオリカが釣り合う速度で等深線に沿って流れる傾向があるため,深層までは沈み込み難い状況にある.しかし過去の研究で海底摩擦によるEkman輸送や傾圧不安定波動による渦輸送,地形起伏の影響など,様々なプロセスがこの地衡流バランスを破り,高密度水を等深線を横切って下層へ輸送する働きを担うことが指摘されてきた.ただし重力流の流路や流量に影響を与えるこれら様々なプロセスそれぞれを個別に扱った理論的研究や,理想化した設定での数値モデルによる研究は過去に多くなされているが実際にどのプロセスがどの程度深層水形成に寄与しているのかを現実的設定での数値モデルにより定量的に議論した研究は少ない. 本研究はWeddell海での深層水形成の主な要因となっているFilchner depressionからの棚氷水の流出(以後Filchner overflowと呼ぶ)を対象に,現実的設定で高解像度の数値実験を行い,深層水形成のメカニズムを定量的に評価することを目的とする.Filchner overflowでは係留観測から,海底地形の起伏と海水の圧縮率が温度に依存するthermobaric効果が沈み込みに大きく寄与することが指摘されており,本研究でも特にこの2点に着目し,それぞれの影響をモデル結果から定量的に議論する.また上記のような計算負荷の高い数値実験を既存の計算機資源で行うことを可能とする,計算効率の高い数値モデルの開発も行った. 2.海洋非静力学モデル開発 斜面を下る重力流の振る舞いを定量的に議論する上で,鉛直シア不安定等の微小スケールプロセスの寄与は無視できない.これら微小スケールプロセスでは鉛直加速度項が重要となり,それらを扱うには既存の静水圧近似モデルでは十分でなく,非静力学モデルが必要となる.非圧縮の仮定に基づく海洋非静力学モデルではタイムステップ毎にPoisson方程式を解いて圧力場を導出する必要があるが,その解法として高速な直交関数展開は海底地形を扱えないため使用できない.また広く用いられている共役勾配法ではモデルの格子数が増加するに従い計算量が指数関数的に増加するため,高解像度実験を行うことは困難である.そこで近年工学分野で大きな成果を挙げている多重格子法等,既存のいくつかの手法を組み合わせ海洋モデルに適するように修正することにより,極めて計算効率の高いPoisson solverを開発して実装した.この手法では計算コストは総格子数に対して線形であり,また大規模並列化時にも高いスケーラビリティーを持っていることが確認できた.これにより海洋非静力学モデルの適用可能性が著しく拡大したと言える. 3.Filchner Overflowに関する数値実験 Weddell海陸棚域ではRonne Ice Shelfが海面を覆っており,氷縁部での海氷生成に伴って形成された高塩分水は棚氷下部を循環する過程で,極めて低温で特徴付けられる棚氷水と呼ばれる水塊に変質する.この棚氷水はFilchner depression内を大陸棚北端まで北上し,大陸斜面上に局所的かつ定常的に流出している.流出した棚氷水はコリオリカの影響で等深線に沿って流れるが,36°W近傍に存在する小規模な海嶺に妨げられて北向きに進路を曲げられ等深線を横切って深くまで沈み込むことが係留観測から指摘されている.このような棚氷水の沈み込み過程を数値モデルで再現するために,次のような実験を行った. モデル領域は42°W-30°W,75°S-71°S,解像度1/30°×1/120°×25mとし,初期の温位/塩分は観測に基づく鉛直プロファイルを水平一様に適用した.Filchner depression内400m以深で温以を-2℃,塩分を34.6psuにリストアすることにより,モデル内に継続的に棚氷水を供給する.また沈降する棚氷水の流路を追跡するために,初期値を全領域で0,棚氷水リストア域で値を1にリストアするパッシブトレーサーを導入し解析に用いた.このような設定で静止状態から180日間積分を行った.以後この標準実験をCTRLと呼ぶ.CTRL実験の結果は,観測に見られる陸棚縁表層での強い西向きの流れは再現できていないものの,1850m深では水塊特性分布や流速の特徴的な6日周期振動も係留観測結果とよく一致しており,棚氷水の中深層への沈み込みは妥当に再現できていると考えられる.実験結果では等深線を横切る棚氷水の輸送は海嶺東側面での幅10km程度の強い下降流と,海嶺西側の広い範囲で生じる渦輸送が担っている.後者の渦は流れが海嶺の先端を回り込む際に生成されたものであり,低気圧性の渦度を持っている. 生地形起伏の影響に関する力学的考察 簡単のため海底摩擦を無視すると,勾配が一様な斜面上では高密度水塊はコリオリ力と重力がバランスする流速U'α/fで等深線に沿って流れる.ここでg'は高密度水塊と周囲の軽い水との密度差から求まる換算重力,αは斜面勾配,fはコリオリパラメターである.一方海嶺近傍では,等深線に沿う流れには遠心力が働くためバランスを表す式は-fU-U2/R=8'αとなる.ここでRは等深線の曲率であり,等深線が沖に向かって凸の場合を正とする.このバランスを満たすような平衡流速が存在するためには曲率半径に制限が存在する.すなわち,曲率半径が0<R<Rc≡4g'α/f2であれば,等深線に沿う流れは存在できず流線が剥離することになる.この場合,流線が剥離した先では水深が深くなるために,渦柱の伸長により(南半球では)負の渦度を獲得する.本研究で扱うFilchner overflowでの斜面勾配と典型的な換算重力の値からRCを見積もるとおよそ600mとなる.実際の海嶺先端の曲率半径は~O(1)km程度であることから,海嶺先端を迂回する際の低気圧性の渦の生成は上記の様なメカニズムによると説明できる. 一方海嶺の東側面での下降流は,曲率半径が負,すなわち遠心力が岸に押し付ける方向にはたらく谷線に沿って生じているが,ここでは等深線間隔が密集している.したがって等深線に沿う流れは,流線に沿って勾配が大きくなる領域を通過することになる.勾配の等深線に沿う方向の空間微分が十分大きいと,地衡流調節が追いつかずに下向きの重力加速度が勝り,等深線を横切って沈み込むことになる.等深線に沿う重力流がどこで等深線を横切って沈み込めるかは,地形の曲率と勾配,および惑星渦度の空間微分の大小関係から決まり,次の様に記述できる: (1) ここでsは等深線に沿う座標であり,沖を右に見る向きを正とする.Γは各座標での等深線に沿う流れの安定度を表す指標であると考えられ,これが負となる場所で等深線を横切って降る流れが存在すると予想される.実際モデル結果の時間平均した最下層流速が等深線を横切る場所は,典型的なg'を与えて地形データから計算したΓが負となる領域とよく一致した.特に本実験の設定では(1)式右辺第3項の寄与が最も大きく,高密度水が等深線を横切って斜面を下るには勾配が空間的に変化することが重要であると言える.回転の存在下での斜面上の重力流が,海嶺や海底谷の側面で強い下降流を形成することは過去に数値実験や室内実験から指摘されていたが,その成因に関しては海底摩擦によるEkman輸送に基づく議論が広くなされていた.本研究の結果は海底摩擦が存在しなくても上記のような下降流が存在し得ることを指摘し,回転存在下での重力流の流路に新たな解釈を与えるものである. 5.深層水形成量の見積り 海嶺が存在すると,その東側面での強い下降流と,西側で広い範囲で生じる渦輸送という2つの異なるメカニズムによって高密度水が等深線を横切って深層へ輸送される.CTRL実験における水平積分したトレーサー総量の鉛直分布は3600m深に鋭いピークを持ち,流入した棚氷水の一部はモデル領域の最深層である4000mまで到達している.一方,地形を平滑化して海嶺を取り除いた実験(SMOOTHケースと呼ぶ)では,トレーサーの鉛直分布は2500m深にピークを持ち,3000m以深への輸送はほとんど存在していない.海嶺が存在しない場合,棚氷水の深層海洋への輸送は主に前線で発達する傾圧不安定波動が担うと考えられるが,海嶺の存在に起因する深層への輸送は定量的にこれを大きく上回る. また,観測や理論的研究から低温で特徴付けられる棚氷水の沈降には,海水の状態方程式の非線形性により圧縮率が温度に依存する効果(thermobaric効果)が寄与することが指摘されている.すなわち,低温の水塊ほど圧縮率が大きいために,棚氷水は深く沈むにつれ周りに存在する高温高塩の水よりもより強く圧縮され,浮力を失ってより深くまで沈み込むことになる.このthermobaric効果が現実の沈み込みをどの程度強化しているのかを調べるために,モデルの状態方程式から温位と圧力を含む非線形項を取り除いた実験 (NOTHMBRCケースと呼ぶ)を行ったところ,高密度水塊の最大到達深度は3600m程度と浅くなり,深層への沈み込みが著しく減少した.トレーサーの鉛直分布は2500m近傍にピークを持ち,海嶺が存在するにもかかわらずSMOOTHケースとよく似たプロファイルであった. 以上からFilchner Depressionから流出した棚氷水は,海嶺東側面の等深線が密集し勾配の空間的変化が大きな領域で地衡流バランスが破られ等深線を横切る下降流を形成し,さらにその下降流がthermobaric効果によって強化されることで効率よく深層へ供給されていることが分かった.各ケースでの深層水形成率(ここでは73W,3000m位深の断面を横切る密度が46.12σ4以上の水の流量として定義した)を見積もると,CTRLが0.2~03Svであるのに対し,SMOOTHではおよそ0.1~0.2Sv,NOTHMBRCでは0.01Sv以下であった. | |
審査要旨 | 深層海洋大循環の起源となる深層水形成は、冷却や結氷の結果として高密度化された海水が周囲の海水と混合して変質しながら沈降する過程であり、世界海洋の極めて限られた海域のみにみられる現象である。南極沿岸は主要な深層水形成領域のひとつであり、その実態を定量的に記述するとともに、それを支配する物理過程を明らかにすることは、現在の海洋大循環の成因を解き明かすのみではなく、地球温暖化に代表される大規模気候変動を議論する上でも重要である。南極沿岸の深層水形成については、極めて局所性が高い現象であることや、氷海域であるために冬季の現場観測が困難であることなどにより、これまでの観測的研究では十分な知見は得られていない。また、数値モデリングの試みもこれまでに存在するが、微小スケールの物理プロセスを適切に表現しながら深層水の形成過程全体を取り扱うことは、これまでの数値モデルおよび計算機資源のもとでは大きな困難が伴っていたため、大幅に理想化された枠組みでしか行われていない。本論文は、南極沿岸で生じる深層水形成のうち、特にウェッデル海において棚氷水と呼ばれる高密度水が沈降する過程について、研究に必要とされる数値モデルの開発、および、数値シミュレーションの結果に基づく定量的評価と支配的な物理過程の解明を行ったものである。 本論文は全5章と補遺1章からなる。第1章は序章であり、南極沿岸における深層水形成に関する研究の海洋科学および気候科学における重要性、本研究が対象とするウェッデル海の棚氷水に関するこれまでの観測的知見、高密度水の沈降・変質過程に関する力学的背景、および、深層水形成過程の数値モデリングにおいて克服すべき課題が述べられ、本研究の位置づけと目的が記述されている。 第2章では、本研究で開発・使用される3次元非静力学海洋モデルの概要が記述されている。3次元非静力学海洋モデルでは3次元ポワソン方程式の数値計算効率がモデル全体の計算効率を大きく左右する。本研究では、海底地形という複雑な境界条件の存在や領域の縦横比が非常に大きいことなど、現実的な海洋シミュレーションに特有な問題設定に対して、マルチグリッド法を前処理とする共役勾配法を最適化することにより、高い計算効率を実現した。これにより計算負荷が静力学海洋モデルと同程度にとどまる非静力学海洋モデルが実現され、従来に比べてその適用性が格段に高められた。なお、このモデルの定式化や数値計算手法の詳細については補遺で述べられている。 第3章では、ウェッデル海における棚氷水の沈降過程に関する数値シミュレーション結果とその力学的な解釈が記述されている。大陸棚から大陸斜面へ供給された棚氷水は、コリオリカの作用によって斜面上の等深線を沿うように流れる傾向があり、その沈降には前線不安定・海底摩擦・海底地形の起伏など、地衡流の制約を破る要素の作用が必要とされる。このうちの海底地形の起伏について、理想化された問題設定のもとで沈降が生じる一般的な力学的条件を導き、ウェッデル海の棚氷水の沈降においてそれが確かに主要因となっていることを数値シミュレーションの結果から確認した。さらに、設定を変えたいくつかの仮想的な数値実験を通して、ウェッデル海における高密度水の4000m以深への沈降においては、前線不安定や海底摩擦ではなく、小規模な海底起伏の作用とサーモバリック効果(海水圧縮率の温度依存性)が本質的に重要であることを明らかにした。 第4章では、第3章で得られた結果に関する議論が述べられている。特に、エントレインメント過程と呼ばれる、高密度水と周囲の海水との混合過程の重要性に関する議論がなされ、これに関する今後の研究の必要性が述べられている。また、本研究で得られた知見を海洋大循環の数値モデリングに適用するためのパラメタリゼーションの可能性についても議論されている。 第5章は結論であり、本論文全体をまとめ、深層水形成過程の数値モデリング研究に関する今後の展望が述べられている。 以上、本論文は、新規的な数値モデルの開発によって海洋中の物理過程の研究に新たな展望を切り拓いた点、およびその数値モデルを現実的問題に適用することで南極沿岸での深層水形成過程に関して新たな力学的知見を得たという点で、高く評価できる。また、この研究成果および開発された数値モデルは、今後の海洋物理学研究において大きなインパクトを持つものと期待される。 なお、本論文は指導教員である羽角博康准教授との共同研究であるが、論文提出者が主体となって数値モデル開発・数値実験・結果解析を行ったものであり、その寄与が十分であると判断できる。 したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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