学位論文要旨



No 124466
著者(漢字) 清家,弘治
著者(英字)
著者(カナ) セイケ,コウジ
標題(和) 海浜地形動態に応答した埋在性生物の挙動 : その古生態学的・古環境学的意義
標題(洋) Behaviour of burrowing organisms in response to beach morphodynamics : its palaeoecological and palaeoenvironmental implications
報告番号 124466
報告番号 甲24466
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5364号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 茅根,創
 東京大学 准教授 大路,樹生
 東京大学 准教授 佐々木,猛智
 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 棚部,一成
内容要旨 要旨を表示する

沿岸域は地圏・水圏・大気圏が交わる場所であり,地球表層環境において最も変化に富む領域である.波浪,潮汐,河川の流入などにより,沿岸域の地形は激しく変動している.沿岸域には軟体動物・多毛類・甲殻類といった多くの埋在性の底生生物が生息しており,それらは地形変動に応答した生態を持っていると考えられる.それにもかかわらず,地形変動に対して埋在性の底生生物がどのように応答しているのかはほとんど未解明である.その理由として,1)地形変動と生態学の両者を合わせた研究が非常に少ない.2)多くの底生生物は堆積物中で行動するために,自然条件下ではその生態を直接観察できない,等があげられる.

外洋に面する砂浜海岸は,波浪の影響により堆積物が常に運搬され,その地形が日々激しく変動するという極端に動的な環境である.このような環境下においても,砂浜海岸には多くの底生生物が生息しており,それらは地形変動に応答した興味深い行動様式を持つと考えられる.したがって,砂浜海岸に生息する底生生物は,地形変動に応答した行動様式を調べるためのモデル生物として適している.

多毛類のEuzonusは砂浜海岸の前浜堆積物中に生息し,移動しながら摂食行動をすることにより白色円筒状の生痕を形成する.つまり,この生痕の軌跡はEuzonusが移動した方向を示し,また生痕の存在はEuzonusの生息域を表す.したがって,砂浜海岸の地形動態と生痕とを同時に観察・比較することで,地形変動態に応答したEuzonusの生態を解明できる.さらに,Euzonusの生痕は生痕化石Macaronichnus segregatisとして地層中に存在している.つまり,現世のEuzonusの生痕について知見を得ることは,地質時代の海浜地形動態と底生生物の関係を理解することにもつながる.

本研究では,現世の砂浜海岸の地形動態とEuzonusの生痕をあわせて解析し,両者の関係を検討した.その結果,Euzonusは海浜地形動態に応答して,その行動様式および生息範囲を変化させていることが明らかとなった.さらに,その生態的特性は,地層中の生痕化石M.segregatisを詳しく調べることによって認識できた.つまり,本研究の知見を適用することで,地質時代の海浜地形変動に対する底生生物の古生態を復元することが可能である.そして,このことは波浪卓越型の砂浜海岸に,いつ埋在性の底生生物が進出したかを知る上で重要な意義を持つ.

1:現世海岸(茨城県神栖市:波崎海岸)での観察(2006年6月~12月)

現世海岸でのEuzonus sp.の生痕(現世Macaronichnis segregatis様生痕)の観察は,茨城県神栖市に位置する波崎海岸でおこなった.波崎海岸の海浜形状は,港湾空港技術研究所・沿岸土砂管理研究チームによってほぼ毎目観測されており,詳細な海浜地形動態を把握することができる.波崎海岸の海浜地形動態とEuzonus sp.の生痕の産状・産出範囲とを比較した結果,以下の生態学的知見を得た.

1)海浜地形動態に応答した多毛類Euzonus sp.の生息範囲の変化

調査期間中,波浪条件の変化を反映して,波崎海岸の前浜斜面の勾配は1/20-1/50の間で変動していた.静穏時には前浜斜面の傾斜は急になり,暴浪が卓越する時期には逆に前浜勾配は緩やかになっていた.Euzonus sp.およびその生痕の分布幅(垂直方向)は,それぞれ35-123cm,34-126cmの間で変動していた.前浜斜面勾配と,Euzonus sp.およびその生痕の垂直分布幅との間には,それぞれ負の相関が見られた:前浜斜面が急になると,Euzonus sp.およびその生痕の垂直分布幅は縮小する傾向が見られた.逆に,前浜斜面が緩やかになると,より幅広いEuzonus sp.および生痕の垂直分布が見られた.このことは,海浜形状の変化が,Euzonus sp.の分布幅-すなわち前浜堆積物中の間隙生態系の分布幅を増減させていることを示唆している.なお,生痕の分布幅は変動しているものの,その分布の中央高度は常に高潮位面付近であった.このことは,対応する生痕化石M.segregatisを用いることで,詳細な海水準復元(±50cm以下の精度)が可能になることを示唆している.

2)海浜地形動態に応答した多毛類Euzonusの行動パターンの変化

調査期間中,波崎海岸の前浜斜面は波浪条件の変化を反映して,絶えず岸-沖方向へと移動していた:静穏時には海岸線が沖側に前進し,暴浪時には海岸線は陸側に後退していた.それにもかかわらず,すべての調査時においてEuzonus sp.は前浜中部にのみ生息し,その生痕は岸-沖方向に伸びるものが卓越していた.このことは,前浜斜面の移動に伴って,Euzonus sp.が堆積物中を岸-沖方向に移動していることを示している.また,地形変化の規模(変動量)によって生痕の産状は異なっていた.地形変化が少ない静穏時には,この生痕は蛇行した形態をとり,水平断面上で比較的ランダムに配列していた.一方,浸食による地形変化が激しい暴浪時には,この生痕は水平断面上で直線的な形態をとり,岸-沖方向に激しく定向配列していた.この観察結果は,海浜地形の変化規模に応じて,Euzonus sp.がその堆積物中での行動様式を変化させていることを意味する.こうした行動生態によって,Euzonus sp.は海浜地形変動よる洗い出しや埋没を避けていると考えられる.したがって,この生痕の定方向性を地層中の生痕化石Macaronichnus segregatisに適用することで,海浜地形動態に応答した生痕化石形成者の古生態,および生痕系政治の古海岸線伸長方向の復元が可能になった.

2:海浜堆積物中の生痕化石Macaronichnus segregatisの観察(完新統および更新統)

研究対象とした完新統海浜堆積物は,九十九里平野(千葉県),仙台平野(宮城県),および天竜川付近(静岡県)の浜堤列平野で得られたボーリング試料である.更新統の海浜堆積物については,香取層(千葉県)・脇本層(秋田県)において露頭調査を実施した.これらの海浜堆積物中に見られる生痕化石Macaronichnus segregatisの形態・層厚を観察し,同時に詳細な堆積相解析をおこなった.その結果,地質記録中の生痕化石M.segregatisにおいても,現世海岸で得られた上記の2つの生態学的情報を認識できることが判明した.すなわち,M.segregatisの形成者もまた,海浜地形変化に応答してその行動様式および分布幅(垂直方向)を変化させていたことがわかった.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,波浪卓越型砂浜海岸に分布する埋在性のオフェリアゴカイ科多毛類Euzonus未記載種をモデル生物として,堆積物中での動物とそれが残した摂食痕(生痕)の空間分布の解析に基づいて海浜地形変動に対する現世および過去の埋在性底生生物の応答様式を明らかにした独創的な研究である。

沿岸域は地圏・水圏・大気圏が交わる場所で,地球表層環境において最も変化に富む領域である。そのため,波浪,潮汐,河川の流入などにより,沿岸域の地形は激しく変動している。沿岸域には軟体動物・多毛類・甲殻類といった多くの埋在性の底生生物が生息しており,それらは地形変動に応答した生態を持っていると考えられる。しかしながら,自然条件下では,地表面下の生物の行動を直接的に観察することは極めて難しい。そのため,埋在性底生生物が地形変動に対してどのように応答しているかは,ほとんど未解明であった。

そこで,論文申請者は,生物が堆積物に残した痕跡,すなわち生痕に着目した。生痕を解析することで,地表面下に隠された生痕形成者の行動様式を読み取ることができる。また,地質時代の埋在性底生生物の行動は,生痕化石として地層中に保存されている。したがって,生痕を研究することで,現在および過去の埋在性底生生物の行動様式およびその変遷(進化)を解明することが可能となると考えられる。以上の視点から,論文提出者は,最も激しい地形変化が起こる海浜環境に生息するEuzonusの行動生態を,その生痕の解析を通じて明らかにし,埋在性底生生物の生態-地形変動作用の関係について多くの知見を得ることに成功した。

本論文は5章から構成されている。第1章では,波浪卓越型砂浜海岸の地形動態およびEuzonusおよびその生痕についてのレビューと本研究の目的が示されている。第2章では,海浜地形動態に呼応したEuzonusの生息幅変化についてまとめられている。本章の重要な成果として,海浜勾配に対して,Euzonusおよびその生痕の分布幅が負の相関を持つことを確認したことが挙げられる。すなわち,前浜斜面が急になると,Euzonusおよびその生痕の分布幅は縮小する傾向が見られた。逆に,前浜斜面が緩やかになると,より幅広いEuzonusおよび生痕の分布が見られた。これらの事実から,海浜形状の変化がEuzonusの分布幅,すなわち前浜堆積物中の間隙生態系の分布幅を増減させていることが示唆された。

第3章では,海浜地形動態に応答したEuzonusの行動生態についてまとめられている。生痕の解析によって,堆積物中でのEuzonusの行動パターンを読みとることができる。さらに,生痕の分布様式と地形変動量との比較から,地形変化に応答したその行動様式を知ることができる。生痕の解析の結果,地形変化が少ない静穏時には,この生痕は蛇行した形態をとり,水平断面上で比較的ランダムに配列していた。一方,浸食による地形変化が激しい暴浪時には,この生痕は水平断面上で直線的な形態をとり,岸-沖方向に激しく定向配列していた。これらの事実から,海浜地形の変化規模に応じて,Euzonusがその堆積物中での行動様式を変化させていることが示された。

第4章では,Euzonusの生痕に対応する生痕化石Macaronichnus segregatisについての研究結果がまとめられている。論文申請者は,地質時代(更新世および完新世)の海浜堆積物の堆積相解析,およびその中に見られるM. segregatisの形態の解析と層厚の測定をおこなった。その結果,地質記録中のM. segregatisにおいても,現世海岸で得られた上記の2つの生態学的情報を認識できることが明らかになった。すなわち,地質時代のM. segregatisの形成者もまた,海浜地形変化に応答してその行動様式および分布幅を変化させていたことが示唆された。

本論文の独創性は,生痕を用いて,埋在性底生生物の行動生態を解析する手法を確立するとともに,その行動生態学的特性が地形変動作用に応答していることを世界で初めて明らかにした点である。この手法は他の埋在性底生生物および生痕化石に広く適用できるため,過去から現世にわたる生物-地形変動作用の因果関係の解明に貢献できると考えられる。

なお,本論文のうち第4章は白井正明,高川智博および田村 亨との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析し考察を行なったものであることから,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

これらの点を鑑み、審査委員全員は本論文の独創性・萌芽性と今後の生物-環境相互作用の研究への新たな前途を開拓した点を高く評価し,本論文を博士(理学)の学位に受けるに値すると判断した。

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