学位論文要旨



No 124471
著者(漢字) 野田,朱美
著者(英字)
著者(カナ) ノダ,アケミ
標題(和) GPSデータの逆解析による島弧地殻の3次元弾性-非弾性歪み場の推定
標題(洋) GPS Data Inversion to Estimate 3-D Elastic/Inelastic Strain Fields in Island-Arc Crust
報告番号 124471
報告番号 甲24471
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5369号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩,貴哉
 東京大学 教授 平田,直
 東京大学 准教授 池田,安隆
 名古屋大学 教授 鷺谷,威
 東京大学 教授 松浦,充宏
内容要旨 要旨を表示する

日本列島の地殻構造は,長期に亘る非弾性変形の累積によって形作られてきた。その根本原因がプレート収束運動にあることは疑いない。しかし,プレート収束運動が作り出す弾性変形がどのようなメカニズムで非弾性変形に変換され,累積していくのかは,不明であった。本研究では,先ず,モーメントテンソルの概念に基づく弾性歪みと非弾性歪みに関する理論的考察から総歪み量保存則を導き,島弧地殻の変形をプレート間の力学的相互作用によって作り出された弾性歪みが非弾性歪みに変換され,局所的に累積する過程として捉える新しい見方を提示した。次に,島弧地殻を多数の弱面を含む弾性体と考え,その変形の原因をモーメントテンソルで表現し,従来の幾何学的歪み解析では不可能とされてきた3次元弾性/非弾性歪み場の推定を可能とする物理的歪み解析の理論を確立した。最後に,この理論に基づき,GPS データからモーメントテンソルを介して3次元弾性/非弾性歪み場を推定する逆解析手法を定式化し,模擬データを用いたテスト解析と実観測データへの適用を通じて,その有効性を検証した。

島弧地殻の変形に関する理論的考察

GPS で観測される日本列島の地殻歪みには,プレート境界での力学的相互作用に起因する弾性歪みの他に,地殻内の脆性破壊や塑性変形に起因する非弾性歪みが含まれている(Sagiya et al., 2000) 。そこで,観測された歪みからプレート境界での力学的相互作用に起因する弾性歪みを差し引けば,永年的に蓄積される非弾性歪みが得られると考えられてきた (Mazzotti et al., 2001; Townend & Zoback, 2006) 。しかし,地殻内の非弾性歪みの発生は必然的に周辺域の弾性歪みを引き起こすので,こうした考え方は不合理である。

Backus & Mulcahy (1976a) に従えば,脆性破壊や塑性変形などの非弾性的な物理過程に伴って発生する歪みは応力と関係しない非弾性歪みであり,それに周辺弾性媒質のスティフネス・テンソル c(ijkl) を掛けるとモーメント密度テンソルが定義される。モーメント密度テンソルの空間導関数は,媒質の線形弾性を仮定した運動方程式においては,周辺弾性域を変形させる等価物体力として働く。今,微小領域 Vs で非弾性歪み δεa(kl) が生じたとし,その前後の平衡方程式の差をとって全領域 V で体積積分すると,モーメント密度テンソル m(ij) (ξ ) = c(ijkl)δεa(kl) (ξ ) の総量は周辺域に生ずる応力変化 δτ(ij)(ξ ) = c(ijkl)δεe(kl) (ξ ) の総量に等しいという関係式が導かれる。この関係式に周辺弾性媒質のコンプライアンス・テンソルs(ijkl)を作用させると,脆性破壊や塑性変形などの非弾性的な物理過程に伴って発生する非弾性歪みδεa(ij) の総量と周辺域で解放される弾性歪みΔε(ij) = -δεe(ij) の総量の和は一定に保たれるという総歪み量保存則

(1)

を得る。この保存則は,脆性破壊や塑性変形によって応力は解放されるが,歪みは弾性歪みから非弾性歪みに変換されるだけで,その総量は保存されることを意味している。

総歪み量の保存という観点から,プレート沈み込み帯での地殻変形過程は,次のように理解することができる。即ち,プレート運動が沈み込み帯周辺域に作り出す応力の殆どはプレート境界での断層すべりよって解放されるが,残りの応力は地殻内に蓄積し,やがて限界に達すると脆性破壊や塑性変形によって解放される。これは,地殻内の広域な弾性歪みが非弾性歪みに転換し,局所的に累積する過程でもある。つまり,「総歪み量保存則」は,地質学における「変形累積の法則」の定量的表現ということができる。

モーメントテンソルを介した3次元歪み解析の原理

日本列島で進行中の地殻変形は,今やGPS 観測を通じて直接捉えることができる。GPSデータから水平歪み速度場を推定する最も正統的な手法は,逆解析により変形勾配テンソル成分を求める Shen et al. (1996) の方法である。しかし,GPS 観測は地表面に沿って2次元的に行われるため,変位ベクトルの鉛直勾配3成分を得ることができず,従来の幾何学的歪み解析では,水平歪み3成分しか求めることができなかった。また,観測された歪みを弾性部分と非弾性部分に分離する問題も,地殻の変形メカニズムを理解する上で本質的に重要であるにも拘わらず,未解決のままであった。そこで,これらの問題を一挙に解決するため,地殻変形の原因をモーメントテンソルで表現し,物理モデルを介した歪み解析によりGPS データから3次元弾性/非弾性速度場を推定する理論を構築した。

具体的には,先ず,地殻を多数の弱面を含む線形弾性体としてモデル化し,その弱面群の脆性破壊や塑性変形をモーメント密度テンソル m(ij)(ξ ) = c(ijkl)εa(kl)(ξ) で記述する。モーメント密度テンソルによる地表変位場は,G(ip,q)(x;ξ) を静的なグリーンテンソルの空間導関数として,以下のように理論的に計算することができる:

(2)

従って,地表変位データから地殻内のモーメント密度テンソル分布を推定する逆問題が設定できる。この逆問題を解いてモーメント密度テンソル分布 m^(pq)を求めれば,それに弾性コンプライアンス・テンソルを作用させることにより,地殻内の3次元非弾性歪み場

(3)

が直接得られる。一方,モーメント密度テンソル分布が与えられれば,地殻内の3次元弾性歪み場は, H(ijpq)(x;ξ) を単位のモーメントテンソルに対する歪み応答関数として,

(4)

と計算することができる。上記の弾性歪みと非弾性歪みを足したものが観測される歪みであり,従来の幾何学的歪み解析では分離不能であった。しかし,モーメントテンソルを介した物理的歪み解析を行えば,GPS データから弾性歪みと非弾性歪みを分離した形で3次元歪み場を推定することが可能である。

新しい逆解析手法の定式化と有効性の検証

上で述べた物理的歪み解析の考え方に基づいて逆解析手法を定式化し,模擬データを用いたテスト解析と実際のGPS データへの適用を通じて,その有効性を検証した。先ず,新潟-神戸変形集中帯を含む,水平 (¢x, y) 方向340 (2X) km×280 (2Y) km,深さ (¢z ) 方向0-40(Z) km の領域を,テスト解析及び実データ解析共通のモデル領域として設定した。地表変位データは,この領域に分布する60 のGEONET の観測点で与えられる。解析に用いるデータは,これらの観測点からドローネ三角形分割の方法で構築した三角網の辺長変化である。次に,設定したモデル領域内のモーメント密度テンソルの分布 m(pq)(x, y, z) を,水平方向には領域全体を共通基底とする規格化されたチェビシェフ多項式 Tk (x / X) 及びTl (y /Y ) ,深さ方向には1次スプライン関数 Lm (z / Z) を基底関数として

(5)

と離散化し,重ね合わせの係数 a(klm)(pq)をモデルパラメターとする線形の観測方程式

(6)

を構築した。

観測方程式の解は係数行列の特異値分解による方法 (Lanczos, 1961) で求め,最適モデルの選択には赤池の情報量規準 AIC (Akaike, 1974) を用いた。具体的には,先ず,上記の観測方程式を誤差の共分散行列 F が単位行列となるように規格化する。次に,規格化された観測方程式の係数行列 H' を特異値分解し,大きい順に選んだq個の正の固有値が作る対角行列 Λq と対応する固有ベクトルが作る行列 Uq 及び Vq を用いて線形逆演算子を定義し,それを規格化した観測データ d' に作用させれば,以下の解を得る。

(7)

この解は,規格化された係数行列の固有ベクトルを用いてモデルパラメターの線形変換を行い,固有値の大きさ順に並べた新しいパラメター群の最初のq 個を用いてモデルを構成したときの最尤解になっている。従って,モデル選択の規準として赤池の情報量規準

(8)

を適用できるので,これを最小とする ^aq を最適モデルとして採用する。

以上のように定式化した逆解析手法の有効性を確かめるために,先ず,模擬データを用いたテスト解析を行った。その結果,モーメント密度テンソルの等方成分と偏差成分への分解は充分に可能であることが分かった。また,空間分解能に関しては,GEONET の平均20 km 間隔の観測点配置でも,3次元的なモーメント密度テンソル分布の全体的特徴は捉えられることが分かった。次に,この解析手法をGPS 水平速度データ (1996-2000) に適用し,新潟-神戸変形集中帯の3次元弾性及び非弾性歪み速度場を分離して推定することに初めて成功した。解析結果は,弾性歪みと非弾性歪みを足した全歪みの地表パターンで見ると, Sagiya et al. (2000) の2次元歪み解析の結果と調和的である。しかし,3次元的に見れば,領域中央部の地表近くで弾性体積収縮が卓越しているものの,より深部の上部地殻では非弾性剪断変形が卓越していることが分かる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章から構成され,島弧地殻の非弾性変形を理論とデータ解析の両面から扱ったものである.第1章は緒言であり,これまでの研究と対比しつつ,本論文の位置づけと構成が明確に述べられている.

第2章は,島弧の地殻変形についての理論が展開されている.従来,永年的に蓄積される非弾性歪みを求めるには,観測歪みからプレート境界での力学的相互作用に起因する弾性歪みを差し引けばよいとされてきた.しかし,非弾性歪みの発生は周辺域に弾性歪みを引き起こすので,この考えは明らかに不合理である.本章では,その不合理性を指摘し,新しい考え方を提示した.具体的には,先ず,Backus&Mulcahyの定義式に基づいて,脆性破壊や塑性変形に伴う非弾性歪みの発生がモーメントテンソルの物理的実体であることを示した.次に,非弾性歪みが発生する前後の平衡方程式の差を取って全領域で積分することにより,脆性破壊や塑性変形に伴って発生する非弾性歪みの総量は周辺域で解放される弾性歪みの総量に等しいという"総歪み量保存則"を導いた.そして,島弧地殻の変形をプレート運動に起因する広域弾性歪みが脆性破壊や塑性変形によって局所的非弾性歪みに変次換される過程として捉える見方を提示した.総歪み量保存則は,地質学における"変形累積の法則"を物理的・定量的に表現したものに他ならず,地質学的調査と地球物理学的観測を仲介する極めて重要な法則で,その導出の意義は極めて大きい.

第3章では,モーメントテンソルを介したGPSデータの3次元歪み解析の原理について述べられている.従来の幾何学的歪み解析では,水平歪み3成分しか求めることができず,また観測された歪みを弾性部分と非弾性部分に分離することも不可能であった.本章では,これらの問題を一挙に解決するため,地殻変形の原因をモーメントテンソルで表現し,物理モデルを介した歪み解析によって3次元弾性ノ非弾性歪み速度場を分離して推定する理論を構築している.即ち~地殻を多数の弱面を含む線型弾性体とし,そこで生ずる脆性破壊や塑性変形をモーメントテンソル分布として記述すると,それによる地表変位場は理論的に計算されるので,観測変位データからモーメントテンソル分布を推定する逆問題が設定できる.モーメントテンソル分布が求まれば,それによる弾性歪み場は理論的に計算できる.一方,非弾性歪み場は,モーメントテンソル分布に弾性コンプライアンステンソルを作用させることで,直接得られる。こうして,従来は不可能であった弾性歪みと非弾性歪みの分離が可能になる。この章においては,従来の手法の問題点を的確に捉え,それを克服する独創性の高い理論を構築した.

第4章では,第3章の理論に基づいた逆解析手法を定式化し,模擬データによるテストと実際のデータへの適用を行い,その有効性を定量的に検証している.具体的には,先ず,モーメントテンソル分布を基底関数の重ね合わせで表現し,その係数をモデルパラメータとした観測方程式を導いている.逆解析は,観測方程式を規格化した上で,Lanczosの特異値分解の方法を適用して行っている.この方法は,係数行列の固有値問題に帰着するが,ゼロに近い固有値をどこで打ち切るかに任意性が残されていた.本章では,規格化された観測方程式のLanczos逆行列による解が最尤解であることを証明し,客観的モデル選択の規準として赤池の情報基準(AIC)が適用できることを示した.模擬データによるテスト解析では,モーメントテンソルの等方成分と偏差成分への分解が十分可能で,現在のGPS観測網でも3次元的非弾性歪みの全体的特徴が捉えられることがわかった.実データによる解析は,中部日本の新潟-神戸変形集中帯に対して行われた.その結果,弾性体積収縮が地表近くに集中するのに対し,非弾性剪断変形が上部地殻深部で進行しているという結果を得た.これは,解析領域のテクトニクスとも対応した,興味深い成果として大いに評価すべきであろう.

第5章は,議論に当てられ,先ず,垂直変動データを加えた場合の逆解析手法の拡張性について考察している.更に,中部日本の新潟-神戸変形集中帯の解析から得られた弾性/非弾性歪み場を用いて実効剛性率を求め,それが地殻の平均剛性率に較べて極めて小さいことから,この地域の上部地殻では剪断変形が支配的であることを示した.

最後に,第6章はまとめであり,本論文の成果を簡潔に要約している.

尚,本論文の第2章及び第3・4章は,東京大学大学院理学系研究科・教授・松浦充宏氏の指導の下での研究であるが,論文提出者が主体となって理論構築及び解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分と判断する.

よって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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