学位論文要旨



No 124472
著者(漢字) 長谷川,精
著者(英字)
著者(カナ) ハセガワ,ヒトシ
標題(和) アジア内陸の砂漠堆積物から見る白亜紀"温室期"における大気循環システムの変動
標題(洋) Reconstruction of atmospheric circulation system during the Cretaceous "greenhouse" period - insights from desert record in the Asian interior
報告番号 124472
報告番号 甲24472
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5370号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 阿部,彩子
 東京大学 教授 川幡,穂高
 東京大学 准教授 田近,英一
 東京大学 准教授 大路,樹生
 東京大学 教授 多田,隆治
内容要旨 要旨を表示する

顕生代史上最も温暖化が進んだ時代の一つである白亜紀は,大気CO2濃度が現在の4-10倍に達し,極域にも氷床がなく,緯度方向(赤道~極)の温度傾度が著しく小さかった事で特徴付けられる,典型的"温室期"として知られる.この低い緯度方向の温度傾度は,この時代に赤道から極域への熱輸送システムが強化されていた可能性を示唆しており,熱輸送を担う大気や海洋の循環システムが現在とは著しく異なっていた可能性が高い.しかし,白亜紀"温室期"において実際に大気循環システムがどのようであったかを示す直接的証拠は,これまで示されていなかった.

そこで本研究では,過去の大気循環システム変動を最も直接的に記録する砂漠堆積物に注目した.現在の砂漠地帯は,大気循環の下降域(ハドレー循環の下降域)である亜熱帯高圧帯下(北緯・南緯20-30°)に発達する.その為,北半球では,砂漠の北部では偏西風が,南部では北東貿易風が卓越する.一方,砂漠内の風成砂丘は,風下側に砂丘が移動することで堆積が進む為,地層中に残される大型斜交層理は堆積時の卓越地表風系を記録する.従って,砂漠堆積物の分布および卓越地表風系を解析することで,過去の亜熱帯高圧帯の緯度分布の変遷(特にハドレー循環の幅の変遷)を復元することが可能となる.

本研究では,アジア内陸の低~中緯度に分布する陸成堆積物盆地(モンゴル南部ゴビ盆地,中国南西部四川盆地,タイ北部コラート盆地など)において詳細な野外調査および古地磁気層序確立による編年を行い,白亜紀を通じたアジア内陸の砂漠分布や卓越地表風系の時空変遷を復元した.そして亜熱帯高圧帯の緯度分布の変遷を復元することにより,白亜紀を通した大気循環システムの変動を復元した.

モンゴル南部ゴビ盆地に露出する上部白亜系陸成層(下位より,Bayanshiree層,Djadokhta層,Barungoyot層,Nemegt層,Dzunmod層)を広域的に調査して,古地磁気層序確立による年代対比と,堆積相解析による古環境変遷の復元を行った.その結果,モンゴル地域は後期白亜紀において蛇行河川及び氾濫原の卓越する環境(Bayanshiree層; Cenomanian-Santonian)から砂漠環境(Djadokhta,Barungoyot層; Campanian)へと変化し,一時的に蛇行河川及び氾濫原の卓越する環境(Nemegt層; early Maastrichtian)へ変わった後に再び砂漠環境(Dzunmod層; middle Maastrichtian)へ変化した事が明らかになった.また古風向パターンの解析により,同地域(N40-45°)は白亜紀後期において偏西風帯に属していた事が明らかになった.

タイ東北部コラート盆地に露出する,これまで時代未詳の砂漠堆積物(Phu Thok層)を詳細に調査し,古地磁気層序確立による年代決定と同地域の古風向パターンの復元を行った.その結果,Phu Thok層は白亜紀中期(Aptian-Turonian)に対比され,古風向パターンの解析から同地域は主に北東貿易風帯に属しており,一時的にタイ東北部(N20°-25°)まで亜熱帯高圧帯の軸部が南下した事が明らかになった.

モンゴルやタイにおける野外調査および古地磁気層序の結果に加え,共同研究者のJiang博士により既に公表されていた中国のデータも含め,アジア内陸盆地全体の砂漠堆積物記録を総合的に解析した.その結果,白亜紀を通じてアジア内陸の砂漠堆積物の分布が緯度方向に大きくシフトしていた事が明らかになった.すなわち,前期白亜紀には砂漠堆積物は中緯度域(中国北部のオルドス盆地やタリム盆地など: N30-40°)に分布していたが,中期白亜紀には低緯度域(タイ北部のコラート盆地や中国南部の四川盆地: N20-30°)に分布域がシフトし,後期白亜紀には再び中緯度域(モンゴル南部のゴビ盆地や中国北部のオルドス盆地など: N30-45°)へとシフトしていた.更に,古風向パターンから復元される偏西風帯と北東貿易風帯の境界位置(亜熱帯高圧帯の軸部)の分布変動も,砂漠分布から復元される亜熱帯高圧帯の分布変動と調和的な結果を示した.

これらの結果から,白亜紀を通じて亜熱帯高圧帯の分布が緯度方向に大きくシフトしていた事が明らかになった.すなわち,白亜紀前期および後期には,亜熱帯高圧帯が現在よりも高緯度側(N30-40°)にシフトしており,一方,白亜紀中期には亜熱帯高圧帯が現在よりも低緯度側(N20-30°)にシフトしていた.北半球の場合,亜熱帯高圧帯はハドレー循環の北縁に発達するため,アジア内陸における亜熱帯高圧帯の緯度方向のシフトは,ハドレー循環の幅の変遷と見ることができる.白亜紀における古気候指標堆積物(石炭やボーキサイト,蒸発岩など)のグローバルな分布変遷を見ても,白亜紀中期における亜熱帯高圧帯の低緯度側へのシフトおよび白亜紀後期における同帯の高緯度側へのシフトは北米大陸や南半球でも認められ,全球的な現象である事が示唆された.

このアジア内陸における亜熱帯高圧帯の緯度方向のシフトのタイミングは,白亜紀を通じた全球的な気候変動と同調しており,現在よりやや温暖であった白亜紀前期および後期には,ハドレー循環は現在よりも高緯度側に拡大していた.一方,更に温暖であった白亜紀中期"最温室期"には,ハドレー循環は逆に赤道側に縮小していた.最近の研究によると,大気CO2濃度の上昇に伴う全球的な温暖化の進行につれ,ハドレー循環は極側へ拡大しつつある事が示されており,白亜紀前期及び後期にハドレー循環が高緯度側に拡大したとする観測事実は,大気CO2濃度の上昇に伴う温暖化の進行につれ同循環が徐々に極側に拡大するという考えと調和的である.一方,白亜紀中期"最温室期"にハドレー循環が低緯度側に縮小するという観測事実は,大気CO2濃度がある閾値を超えてしまうと,ハドレー循環は逆に縮小してしまう可能性を示す.

白亜紀中期"最温室期"にはストーム強度が増大していたという証拠や,北米の中緯度域が湿潤化していた(潜熱輸送の増大)という証拠を併せて考慮すると,白亜紀中期"最温室期"における赤道~極の熱輸送は,特に中緯度域においてハドレー循環を介した熱輸送システム(顕熱輸送)に代わって,温帯低気圧の活発化に伴う水循環の強化(潜熱輸送)が担っていた可能性が示唆される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,5章、三部構成からなっている.

第1章は,全体を通じた序論である.そこでは,白亜紀"温室期"における地球システム復元に関する近年の研究動向とその未解決課題を述べ,その解決のために本論文で着目した砂漠堆積物の,過去の大気循環様式を復元する上での有用性を指摘している.そして,砂漠堆積物を用いて白亜紀"温室期"の亜熱帯高圧帯の緯度分布変動を復元する上で,アジア内陸の堆積盆地が最も適していることを示し,実際にモンゴル,タイ,中国において野外地質調査および古地磁気層序確立を行った事,などの本論文の研究背景,目的および戦略が記述されている.

第2章は,第一部に当たり,白亜紀後期においてアジア内陸の砂漠分布が最も高緯度側に拡がった際の記録を有するモンゴル南部ゴビ盆地における地質調査,および古地磁気層序確立に関する記述が行なわれている.第1節では,序論として,ゴビ盆地の上部白亜系陸成層の年代層序が未だ確立されていない現状と問題点が指摘され,古地磁気層序確立の重要性が記述されている.第2節では,モンゴル上部白亜系に関する先行研究と,調査対象の説明がなされている.第3節では,モンゴル上部白亜系から採取された試料の古地磁気測定の結果と,それに基づく層序復元結果が示されている.第4節では,堆積相解析によるモンゴル上部白亜系の古環境変遷の復元について,記述されている.第5節では,第3節で確立されたモンゴル上部白亜系の古地磁気変動曲線を基に,先行研究による生層序や火山岩のK-Ar年代なども考慮に入れ,白亜系標準古地磁気層序(GPTS)との対比考察を行っている.そして,モンゴル地域では砂漠環境がカンパニアン中期に始まり,少なくともマストリヒト期中期まで拡がっていた事を示し,亜熱帯高圧帯が白亜紀後期には現在よりも高緯度側にシフトしていたと結論している.

第3章は第二部に当たり,アジア内陸の砂漠分布が最も低緯度側にシフトした際の記録を有する,タイ北部コラート盆地に露出する時代未詳の砂漠堆積物の地質調査,古地磁気層序の再検討に関する記述が行なわれている.第1節では,第二部の序論として,白亜紀にアジア内陸低緯度域に砂漠が拡がっていた可能性を述べるとともに,それを証明するために,問題となる砂漠堆積物の年代決定がいかに重要であるかが記述されている.第2節では,タイ北部の地質概説と,岩相層序に関する説明がなされている.第3節では,既存の古地磁気測定データを再検討して古地磁気層序を復元し直した結果が示されている.第4節では,タイ北部に広域的に分布する砂漠堆積物を用いた古風向パターンの復元結果について,記述されている.第5節では,第3節で確立された古地磁気層序を基に,先行研究による生層序などを考慮に入れた上での,白亜系標準古地磁気層序(GPTS)との対比考察を行っている.その結果,タイ北部では砂漠環境がアルビアン初期に始まり,チューロニアン期まで拡がっていた事を明らかにし,亜熱帯高圧帯が白亜紀中期には現在よりも低緯度側にシフトしていたと結論している.

第4章は第三部に当たり,第一,二部で行ったモンゴルやタイにおける野外調査および古地磁気層序の結果に,共同研究者のJiang博士により既に公表された中国のデータを加え,アジア内陸盆地全体の砂漠堆積物記録を総合的に解析した結果とその解釈が詳述されている.第1節では,アジア内陸の砂漠堆積物記録を総合的に解析した結果と,本研究全体の目的である白亜紀を通じた亜熱帯高圧帯の緯度分布の変遷の復元に関して記述されている.第2節では,本研究の結果から,白亜紀を通じてアジア内陸の亜熱帯高圧帯の分布が緯度方向に大きくシフトしていた事が明らかになった事,そして白亜紀における古気候指標堆積物のグローバルな分布変遷から,それが全球的な現象である可能性が指摘されている.また,アジア内陸における亜熱帯高圧帯の緯度方向のシフトのタイミングが白亜紀を通じた全球的な気候変動と同調している事と最近の観測事実とを併せて考慮し,大気CO2濃度の上昇に伴う全球的な温暖化の進行につれ,ハドレー循環が徐々に極側へ拡大するが,大気CO2濃度がある閾値(白亜紀中期"最温室期"のレベル)を超えるほど温暖化が進行すると,ハドレー循環は逆に縮小してしまう可能性が示されている.さらに,白亜紀中期"最温室期"にはストーム強度が増大していたという証拠や,陸域の中緯度域が湿潤化していたという証拠を併せて考えることにより,白亜紀中期"最温室期"における赤道~中緯度への熱輸送は,ハドレー循環を介した熱輸送システムに代わって,温帯(あるいは熱帯)低気圧の活発化に伴う水循環の強化が担っていた可能性がある事が記述されている.

最後に第5章では,本研究で初めて明らかになった白亜紀"温室期"における大気循環システムの変動に関してのまとめがなされ,全球的な温暖化および大気CO2濃度の上昇に伴う大気循環システムの急激な変化の可能性と更なる検証の必要性が指摘されている.

本委員会は,論文提出者に対し,平成21年1月14日に学位論文の内容および関連事項について,口頭試験を行なった)委員会は,本論文で砂漠堆積物が過去の大気循環様式を復元に利用した着想性を評価するとともに,実際にアジア内陸の低~中緯度に分布する砂漠堆積物の詳細な野外調査および古地磁気層序による編年を行って白亜紀を通じた亜熱帯高圧帯の緯度分布の変遷を復元し、それが大きく変動し得る事を示した成果を,古気候学における重要な発見であると判断し,審査委員全員一致で合格と判定した.

なお,本論文の第一部は,菅沼裕介,清家弘治,多田隆治,Ichilmorov N,Badamgarav D.,Khand Yとの,第二部は,Imsamut S.,Charusiri P.,多田隆治との,第三部は,多田隆治,Jiang X.,菅沼裕介,Imsamut,S.,Charusiri,P.,Ichimorov,N.,&Khand,Yとの共同研究であるが,全て論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

従って,博士(理学)の学位を授与できるものと認める.

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