学位論文要旨



No 124474
著者(漢字) 本郷,宙軌
著者(英字)
著者(カナ) ホンゴウ,チュウキ
標題(和) 西太平洋における完新世サンゴ礁の堆積学的・生態学的形成過程
標題(洋) Sedimentological and ecological formation process of Holocene coral reefs in the western Pacific
報告番号 124474
報告番号 甲24474
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5372号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 東京大学 教授 棚部,一成
 東京大学 准教授 大路,樹生
 東京大学 准教授 横山,祐典
 東京大学 教授 茅根,創
 国立環境研究所 主任研究員 山野,博哉
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

生態系は生物と環境の相互作用系である.生態系における生物群集の分布パターンは,周囲の生息環境からの影響を受け,また生物群集の構造は,周囲の生息環境を変化させる.生物群集と生息環境の関連性を明らかにする研究は,近年急速に注目されつつある.とくに,21世紀の重要課題である,地球環境問題や生物多様性の問題と,深く関係することがその背景にある.従来の生態系の理解は,過去数十年の観察事実や,実験に基づくため,数年から数十年スケールの変動についての知見は豊富である.しかし,将来予測される,急速でダイナミックな,地球規模変動が及ぼす環境変化と,生物の応答特性の解明を行うには,短時間スケールの現象を理解するだけでは困難である.また現存する生態系の,維持形成メカニズムを把握するためにも,より長時間スケール(数百年から数千年)の現象を理解することが必要となってきている.

サンゴ礁は,地球を代表する生態系であり,過去数千年間にわたり,海面変動を代表とする地球規模変動と,サンゴを代表とする生物の相互作用によって,その構造が形成されてきたことが明らかとなっている.しかしながら,従来の研究は,ボーリングコアから産するサンゴの同定が困難であったことと,海面変動を代表とする詳細な環境変化の復元が難しい問題点があったため,サンゴ群集の属名や形状レベルでの応答に関しての知見しか明らかとなっていない.そのため,生態系の基本単位である種・群集レベルでの,構成や分布パターン,またその時間変遷および地域差については,これまで明らかではない.

そこで,本研究は,西太平洋に分布する石垣島,パラオ共和国,沖ノ鳥島のサンゴ礁を対象として,以下の3つの課題に取り組むことで,数百年から数千年スケールを対象とした,種・群集レベルでの環境応答を明らかにして,完新世のサンゴ礁形成史の解明を行う.

(1)ボーリングコアから産する化石サンゴの種名決定

完新世の環境変化に対する,サンゴの種レベル応答を,明らかにするために,ボーリングコアから産する,化石サンゴの種名を決定する.さらに,その同定手順と課題を示すことで,汎用性の高い同定基準を提案する.さらに,コアサンプルの代表性を検証するため,現生サンゴ礁において,サンゴ被度調査と生態学的解析を行う.

(2)環境変化に対するサンゴの種レベル応答の解明

完新世の環境変化に対する,サンゴの種レベル応答を解明するための,アナロジーとして,現在のサンゴ礁における,詳細なフィールド観察を行う.とくに,種・群集の分布パターン,生息地形,生息水深,底質等の環境変化を解明する.さらに,サンゴ礁形成に大きな影響を及ぼした環境変化として知られる,海水準変動の詳細復元を行う.とくに,種ごとの生息水深幅の差に注目して,従来の±2.5mの生息水深幅の推定から,±1mまで詳細に復元する.

(3)種多様性データの導入

サンゴ礁形成過程における,ローカルおよびグローバルなサンゴの種数・群集構造の分布パターンの変化を解明するために,生態学的解析に基づいた種多様性データ(Shannon-Weaver's Index: H')を導入する.種多様性データは,定量的なサンゴの種数データおよび被度データに基づくものであり,地域間の種数比較や群集構成の平面構造を解明できる.

化石サンゴの種名決定

現生サンゴ標本および露頭から採取した標本と,コアから産するサンゴの骨格形態比較を行った結果,化石サンゴ13属54種を対象に,種の同定基準を設定した.現生サンゴから化石サンゴになる過程において,化学的浸食や物理的浸食を受けているが,growth-form,3mm以上の莢,出芽形態,莢壁,隔壁,共骨の骨格構造は保存されているため,種の同定が可能であった.一方で,3mm以下の黄を持つサンゴや,莢の中に存在する微細骨格構造である,軸柱,隔壁上の棘,杭状葉は保存状態が悪いため,それらの特徴が種同定に必要なサンゴに関しては,1種に限定するのが困難であり,3種程度の候補を挙げることが限界と分かった.

石垣島において,コアから産するサンゴの地域代表性を検証したところ,石垣島広域に分布する4種(Acropora digitifera, Acropora hyacinthus, Goniastrea retiformis, and Platygyra ryukyuensis)を含む優占種が,コアから産することが判明したため,コアサンプルは,その範囲を代表している可能性が高いことを示した.

環境変化に対するサンゴの種レベル応答の解明

石垣島伊原間サンゴ礁では,44種のサンゴが生息し,石垣島吹通サンゴ礁では61種,沖ノ鳥島のサンゴ礁では,33種のサンゴが生息していることが判明した.優占種であるサンゴは,種ごとに地形や水深に対応した帯状構造をしていることが判明した.

優占種を対象としたクラスター解析の結果から,調査地域のサンゴは5つの群集(1: corymbose coral community, 2: encrusting and massive coral community, 3: massive coral community, 4: arborescent coral community, 5: corymbose and massive coral community)に区分することができ,地形や水深との対応関係が判明した.このことから,コアから産出したサンゴを用いて,当時の種・群集構成や平面分布を推定できる可能性が高いことを示した.

また,石垣島伊原間サンゴ礁および石垣島吹通サンゴ礁の,礁嶺から礁斜面に生息する,10種類のサンゴを対象に,その生息水深を計測したところ,生息水深幅が±1mであることが判明したため,詳細な海面変動復元に有効であることが判明した.一方で,対象としたサンゴの生息水深データから,加重平均値を用いて,調査地域間の比較を行ったところ,2-3m程度の差が生じることが判明した.この事実は,グローバルな海水準変動を復元する際には,ローカルな生息環境を,十分に考慮する必要があることを示唆している.

種多様性データの導入

コアから産するサンゴを用いて,サンゴ礁形成当時のサンゴの種数,群集,平面分布を理解するために,現生サンゴ礁において,種多様性データ(Shannon-Weaver's Index: H')を算出した.その結果,H'の大きかった,石垣島の礁嶺や礁斜面(H'=1.6-2.2)は,種数や被度が大きく,一方で,H'が小さかった,石垣島の浅礁湖(H'=0.6)や沖ノ鳥島(H'=0,7)は,種数や被度が小さいことが判明した.

さらにH'の小さい,石垣島の浅礁湖はmassive coral communityから構成されるが,沖ノ鳥島は,corymbose and massive coral communityによって,構成されることが判明した.このことは,西太平洋の中でも,石垣島と沖ノ鳥島では,地理的分布が異なり,それぞれ独自のサンゴ礁形成史があることを示唆する.

長時間スケールの完新世サンゴ礁形成史

現生サンゴ礁における現地調査と,ボーリングコアの解析結果から,完新世に大きく変化し,サンゴ礁の生息環境に影響を及ぼしたと考えられる海水準変動に対する,サンゴの種・群集の応答と,それに伴うサンゴ礁形成史が明らかとなった.コアの解析結果から,調査地域のサンゴ礁の浅礁湖部は,堆積物で形成しているため,とりわけ,サンゴ礁形成過程において重要なのは,礁嶺部にサンゴが生息し続け,その地形を維持構築することである.その維持構築過程において,長期間スケールで変化応答するサンゴ種・群集と,変化しないケースがあることが明らかとなった.

石垣島サンゴ礁は,8000年前から,Acropora digitifera, Acropora hyacinthusを優占種とする多数のサンゴが,現在と同様に生息していたことで,高い種多様性を維持していた.これらの種・群集は,数百年~数千年スケールで,サンゴ礁の形成維持ができると判明した.

パラオ共和国サンゴ礁は,8000年前から,Acropora formosa, Acropora nobilisを優占種とする,少数のサンゴ(低い種多様性)によって,1000年間程度形成していた.その後は,石垣島と同様にA. digitifera, A. hyacinthusを優占種とする,多数のサンゴが,長期間生息することで,サンゴ礁の維持形成に貢献したことが判明した.A. formosa, A. nobilisを優占種とする群集は,数百年スケールでは,礁形成に貢献できるが,数千年スケールでは貢献できない可能性が高い.

西太平洋の孤島である沖ノ鳥島サンゴ礁は,8000年前から,Pocillopora verrucosaを優占種とする,少数の種によって形成しており,その種構成および分布パターンは現在と変わらなかった可能性が高い.このことは,種数が少なくとも,数百年~数千年スケールで,サンゴ礁の形成維持ができると判明した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は8章からなる.第1章は序論であり,サンゴの種多様性とサンゴ礁の形成について,従来の研究とその問題点が述べられている.第2章は,本研究の調査地である石垣島,パラオ諸島,沖ノ鳥島のサンゴ礁と,解析対象であるコアについて紹介し,第3章では,現在の環境要因と現生サンゴの群集構造の対応を,調査結果に基づいてまとめている.第4章では,掘削コア中のサンゴ化石を種レベルまで同定する手法を確立し,第5章では海面変動史の復元について議論している.第6章では,完新世のサンゴ礁形成に伴うサンゴの種構成の変遷を明らかにして,第7章では,論文で得られた成果をまとめて,サンゴの多様性とサンゴ礁形成の関係を議論し,最後の第8章では今後の課題について述べている.

現在のサンゴの種分布は最近ようやくまとめられ,熱帯西太平洋でもっとも種多様性が高いことが明らかにされている.一方,こうした多様性の成立過程について,その時間的変遷を復元した研究はほとんどなかった.地形としてのサンゴ礁は,後氷期の海面上昇に応答して作られたことはわかっているが,サンゴ礁の形成に伴ってサンゴの種構成や多様性がどのように変化したのかは不明であった.これは,サンゴ礁掘削コア中のサンゴの同定方法が確立していなかったためである.コアの解析によるサンゴ礁の形成過程は,主に地学的なアプローチによって行われていたために,生態学的な視点からのアプローチが不十分であった.

こうした中で本論文では,最初に現在のサンゴ群集と環境要因との関係を明らかにした上で,現生サンゴの形態的な同定に基づいて,掘削コア中のサンゴ化石を種レベルまで同定して,コアから過去のサンゴ種構成や多様性を復元する方法を確立した.これによって,完新世サンゴ礁の掘削コア試料に基づいて,サンゴ群集と多様性の時間的変遷を復元し,海面変動など長期的な環境変動サンゴの種構成や多様性との関係を議論することに成功した.

その結果,完新世という数千年の時間スケールでサンゴ群集の多様性が安定して維持されていたこと,多様性が必ずしもサンゴ礁形成に結びつかないことを明らかにした.とくにサンゴ礁が海面上昇に追いついて上方に成長してサンゴ礁地形を作る時期には,ごく限られた種がサンゴ礁形成に寄与していることが明らかにされた.こうした結果は,多様性が様々な擾乱によって長い時間スケールでは大きく変動するという見方や,サンゴ礁の形成はサンゴの多様性が高いところでサンゴ礁の形成がもっとも活発であるという,これまでの漠然とした考えが誤っていたことを,定量的に示すものである.

さらに,サンゴを種レベルまで同定することによって,より精細に過去の環境変動を復元することが可能になった.これまでもサンゴ礁コアは古海面変動復元の効果的なツールであったが,コア中のサンゴの同定は属レベルと形態に留まっており,古海面復元の精度は5m程度あった.本研究によって,コア中のサンゴ種構成を同定することによって,それらの生息水深の情報に基づいて,より精細な海面の位置をその誤差まで含めて復元することができることが明らかになった.さらに,濁度など他の環境要因と密接に関係するサンゴ種をコア中で同定することによって,様々な環境情報を読み取る道が拓けた.

さらに,サンゴ礁形成に必要なサンゴ種を特定したことや,多様性の低いサンゴ礁では,サンゴ礁形成に寄与するサンゴの種構成が交代することを明らかにしたことは,今後サンゴ礁の再生や保全を進める上で,どのようなサンゴ種に着目すべきかという点で生態学アプローチでは得られない重要な情報を与える.

本研究によって,はじめてサンゴ礁の形成という地学的な時間スケールに,生態学的な視点をいれて多様性や環境応答を議論することが可能となった.さらに,古海洋学,生物地理学,サンゴ礁保全など,様々な分野への寄与も期待される.

本論文の1部は茅根創との共同研究(その一部をSedimentary Geology誌に印刷公表)であるが,いずれも論文提出者が主体となって調査と結果の解析を行ない,筆頭著者として論文をまとめたもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

上記の点を鑑みて,本論文は地球惑星科学,とくに地球システム科学の発展に寄与するものと認め,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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