学位論文要旨



No 124476
著者(漢字) 山口,飛鳥
著者(英字)
著者(カナ) ヤマグチ,アスカ
標題(和) 沈み込み帯地震発生帯における断層運動・流体移動・地震発生の相互作用
標題(洋) Linkage between faulting, fluid flow and earthquake generation in seismogenic subduction zones
報告番号 124476
報告番号 甲24476
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5374号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐野,有司
 東京大学 教授 木村,学
 東京大学 教授 瀬野,徹三
 東京大学 教授 鳥海,光弘
 東京大学 准教授 芦,寿一郎
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

沈み込み帯を特徴づける,断層運動・流体移動・地震発生という3つの現象は,岩石-流体相互作用の枠組みの中で統一的に捉えることができる.すなわち,岩石の破壊・変形に伴う流路の形成や粒子の細粒化は,流体移動,および岩石-流体間の反応・鉱物沈殿を促し,それによって生じる物理化学条件の変化が再び岩石の破壊・変形に影響を与えるというフィードバックプロセスが考えられる.本研究では沈み込み帯地震発生帯を対象にその実態を解明すべく,九州・アラスカの陸上付加体中に見られる大規模な低角衝上断層について岩石-流体相互作用の様式を検討した.以下にそれぞれの結果の概要を示し,沈み込み帯における岩石-流体相互作用の多様性とそれを生み出す要因について考察する.

断層運動時の還元流体:九州四万十帯延岡衝上断層

四万十付加体中の大規模なOut-of-sequence thrustである延岡衝上断層の周囲には,鉱物脈の濃集帯が見られる.これらを,剪断面を充填する脈(Fault vein),および開口クラックを充填する脈(Extension vein)に二分し,それぞれの主要・微量元素組成をEPMA・(LA)ICP-MSにより測定した.その結果,Fault veinはアンケライトCa(Fe, Mg)(CO3)2からなり,アンケライト中のFe濃度は脈の成長とともに減少すること,脈内の場所によらず正のEu異常をもつことが判明した.一方,Extension veinはFeを含まない方解石CaCO3と石英からなり,Eu異常も見られない.この結果は,Fault vein形成時の流体中ではEu(2+)が常に多量に存在した一方でFe(2+)の濃度は徐々に減少したこと,Extension vein形成時の流体中ではEu(2+)・Fe(2+)ともに低濃度であったことを示している.Fault vein,Extension veinそれぞれの形成条件を鉱物共生と熱力学計算から推定したところ,Fault veinは中性~アルカリ性で酸素分圧が低く二酸化炭素分圧が高い条件下で沈殿し,Extension veinは中性で酸素分圧が比較的高い条件下で沈殿したことが明らかになった.

断層面上のみ局所的に還元環境が生じた原因として,既知のものでは鉱物の新鮮な破断面で生じるラジカル反応による水素ガスの発生

2(≡Si・) + 2H2O → 2(≡SiOH) + H2

(Kita et al., 1982; Kameda et al., 2003) の寄与が考えられるが,1回の地震での水素ガス発生量は1m2の断層面あたり3~40mmolと計算され,アンケライト脈中のFe(2+)の量よりも明らかに不足している.よって,粉砕に伴う水素ガスの発生のみならず,鉱物からのFe(2+)の直接放出,断層を通しての深部からの還元流体の移動などのメカニズムが複合することにより効果的に還元環境が形成されたことが示唆される.

断層運動時の高温流体:アラスカ州Kodiak付加体Pasagshak Point

米国アラスカ州Kodiak付加体Pasagshak Pointでは,Ghost Rocks Formationのテクトニックメランジュ中に大規模な断層帯が発達する.ここでは,厚さ30-50mの連続性の良い砂岩層の直下に厚さ5-10cm程度の黒色細粒緻密なウルトラカタクレーサイトが見られ,その下位に厚さ5-20mのカタクレーサイトが続き,弱変形の泥岩へと漸移する.ウルトラカタクレーサイトと周囲のカタクレーサイトとの境界は直線状あるいは指交状である.ウルトラカタクレーサイト内部には形成時の形状を保持しているものと,再び変形に巻き込まれたものとがあり,それらが幅2mm程度の層状構造をなしている.SEM観察によればウルトラカタクレーサイトはμmオーダーまでの粉砕・細粒化が進行するが,摩擦熔融の痕跡は認められない.

この断層岩の微量元素分析からは,ウルトラカタクレーサイトはSrに富む一方でRb・Csに乏しく,岩石と熱水との反応で元素の移動が生じた可能性が示された.岩石中の元素濃度Csは,流体中の元素濃度Cfおよび分配係数D =Cs/Cf,水/岩石比Rを用いて,質量保存より

Cs=D(Cs0+RCf0)/(R+D)

と表せる.You et al. (1996) の水熱実験により得られたDの値,およびC(f0)としてIshikawa et al. (2008) の台湾車籠埔断層の流体の値を用いると,ウルトラカタクレーサイトの微量元素濃度分布は300-350℃の熱水と岩石が反応して形成されたことが推定された.母岩の最高被熱温度(230-260℃)と比較して約100℃の温度上昇が,断層面での摩擦発熱によるものだとすると,断層にかかる剪断応力はτf =0.005MPa(変位量D=10mの場合)~0.5MPa(D=10cmの場合)と大変低く,静岩圧に近い流体圧のもとで断層運動が行われたことを示唆する.

まとめ・議論

延岡衝上断層・Pasagshak Pointの断層の双方とも,特異な流体の関与(還元流体・高温流体)が示された.これらはいずれも地震時の岩石-流体反応の痕跡であると考えられる.

両者の顕著な差異は炭酸塩鉱物脈の有無である.炭酸塩鉱物の溶解度は(1)温度の上昇,(2)CO2分圧の減少,(3)pHの増加,が起こったときに減少し,沈殿を引き起こす.両者ともに炭酸塩に過飽和な流体のもと,250℃付近で断層運動が起こったとすると,(1)は,Pasagshak Pointにおいて温度が上昇しているにも関わらず沈殿が生じていないことを説明できない.また(3)は脈内の石英の存在(pH減少で沈殿)を説明できない.よって(2)のCO2分圧の減少が最も妥当な沈殿メカニズムである.高圧下では沸騰によるCO2の脱ガスは考えにくく,流体圧自体が効果的に下がるか否かが重要だと考えられるので,沈殿の有無は地震直後に流体圧減少が効果的に起こるか否かに依存する.Pasagshak Pointではウルトラカタクレーサイトの直上に厚い砂岩があり,これが低浸透率のcap rockとなって高流体圧を保持していると考えられる.このことは断層岩の解析から得られた低い剪断応力とも調和的である.

Pasagshak Pointの断層岩の諸々の産状は,ウルトラカタクレーサイトの固結がすぐには行われず,また断層帯の発達過程において常に同じ場所が弱面として機能したことを示しているが,延岡衝上断層では対照的に,一つの剪断面を数回のすべりで放棄し,下方に伝播している.この差は鉱物脈形成による断層面のシーリングの有無を反映していると考えられる.すなわち,断層近傍における物質の分布が断層帯の浸透率構造を規定し,それによって規定される岩石-流体相互作用の様式が,断層帯の発達過程や地震サイクル内での強度回復過程にも重要な影響を与えている可能性が高い.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章は、イントロダクションであり、沈み込み帯で発生する地震の特性についてまとめ、断層活動における流体の挙動と役割について、これまでの研究を詳細にレビューしている。また、地震断層の地質学および地球化学的研究の重要性について述べている。実際の研究対象は九州地方の四万十帯延岡衝上断層と米国アラスカ州のKodiak付加体のPasagshak Pointの2ヶ所であると記している。最後に本研究の目的が「沈み込み帯の地震発生帯で起こる岩石-流体相互作用の多様性とそれを生み出す要因を明らかにすることにある」と簡潔に記述している。全般にイントロダクションとして良くまとめられている。

第2章は、九州・四万十帯・延岡衝上断層における野外地質調査、採取した岩石・鉱物試料の主成分および微量元素分析、その結果を説明するための岩石-流体相互作用による熱力学的解釈が中心になっている。野外調査においては、断層の周囲に存在する鉱物脈の濃集帯を発見した。さらに、詳細な調査の結果、この濃集帯は断層剪断面を充填する鉱物脈(Fault vein)と開口クラックを充填する鉱物脈(Extension vein)に2分されることを示した。これは野外地質調査の重要な成果である。各鉱物脈から試料を採取し、空間分解能の高い電子線プローブマイクロアナライザー(EPMA)およびレーザーアブレーション-高周波誘導結合プラズマ-質量分析計(LA-ICP-MS)を用いて、主成分および微量成分元素を高精度で分析した。その結果、Fault veinはアンケライト[Ca(Fe,Mg)(CO3)2]から構成され、鉄濃度が鉱物脈の成長とともに減少すること、希土類元素の存在度パターンにおいてユーロピウム(Eu)の正の濃度異常が一般的に見られることを発見した。一方、Extension veinは鉄を含まない方解石[CaCO3]と石英[SiO2]からなり、Euの濃度異常がないことを見つけた。これらの結果をもとに熱力学的計算を行い、Fault veinが中性~塩基性で酸素分圧が低く、二酸化炭素分圧が高い条件下で沈殿したこと、一方、Extension veinは中性で酸素分圧が比較的高い条件下で沈殿したことを明らかにした。この研究は断層面だけに局所的に還元的な環境が現れることを示唆する重要な発見であり、地震に係わる固体地球化学に大きく寄与するものである。

第3章は、米国アラスカ州Kodiak付加体のPasagshak Pointにおける野外地質調査、採取した岩石・鉱物試料の主成分および微量元素分析、その結果に基づく断層運動と岩石-流体相互作用の解釈が中心である。野外調査においては、Ghost Rocks Formationの大規模な断層帯において、厚さ30-50mの砂岩層の直下に、厚さ5-10cmのウルトラ・カタクレーサイト(断層岩のうち基質と岩片が固結しており、破砕岩片の割合が10%以下のもの)、その下に厚さ5-20mのカタクレーサイト(破砕岩片が10~50%のもの)、さらに下に弱変形の泥岩の層序を発見した。これは野外地質調査の重要な成果である。各層から試料を採取し、主成分・微量成分元素を分析するとともに電子顕微鏡により岩片の形状をμmスケールで観察した。その結果、鉱物の摩擦熔融が起きていないこと、微量元素濃度分布からこの断層における岩石-流体相互作用の温度を300~350℃と推定した。さらにこの温度は母岩の被った温度より100℃高く、断層面での摩擦発熱と仮定して剪断応力を推定した。この研究は微量元素から断層運動の温度に制約を与えるだけでなく、剪断応力にまで議論を進める意欲的で斬新なアイデアを含んでおり高く評価できる。

第4章は、第2章で扱った九州・四万十帯・延岡衝上断層と第3章で扱った米国アラスカ州Kodiak付加体のPasagshak Pointにおける地震時の岩石-流体相互作用とその結果として生成する岩石・鉱物の地球化学的変化の内容を解りやすく比較検討している。

第5章は全体のまとめと沈み込み帯における地震発生の理解、そして将来への展望が検討されている。

なお、本論文の第2章と第3章は木村学氏らとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって調査、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、論文提出者は、地球惑星科学特に固体地球科学について博士(理学)の学位を受けるにふさわしいと審査委員全員が一致して認める。

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