学位論文要旨



No 124478
著者(漢字) 市川,俊
著者(英字)
著者(カナ) イチカワ,シュン
標題(和) ピラジノ縮環型有機ドナー分子を配位子とする新規導電性および磁性金属錯体の開発
標題(洋) Development of New Conductive and Magnetic Metal Complexes with Pyrazino-Fused Organic Donors as Ligands
報告番号 124478
報告番号 甲24478
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5376号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 森,初果
 東京大学 教授 上田,寛
 東京大学 教授 川島,隆幸
 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 准教授 錦織,紳一
内容要旨 要旨を表示する

1. 序論

近年、多機能性金属錯体が注目を集めており、センサーやスイッチングデバイスなどへの応用も検討されている。その中の一つとして、有機ドナー分子を配位子にもつ新しい金属錯体を合成し、伝導性や磁性などの機能性を発現させる試みが行われている。これまで配位子として、伝導パスを形成する有機ドナー分子、テトラチアフルバレン(TTF)とピリジンなどの配位座をもつ分子が単結合ないしは二重結合で結ばれた系が報告されている。しかし、このような配位子はTTF部分と中心金属の距離が遠いためその間に相互作用をもつことがなく、さらにドナー分子から中心金属への電子移動を起こしていない絶縁体の金属錯体を与えるのみであった(図1)。そこでドナー‐金属間の距離を最大限に縮め、その間の相互作用を誘起することで、まったく新しい構造の高伝導性または特異的な磁性をもつ金属錯体を得るためにピラジン環がTTF部分から直接縮環した「ピラジノ縮環型TTF誘導体」を配位子に用いた金属錯体を合成した。

2. [CuCl2(BP-TTF)]の開発 ‐新規金属錯体の発見‐

第一に合成の容易さからビスピラジノ‐テトラチアフルバレン (BP-TTF, 図2)を用いて銅錯体の合成を試みた結果、縮環系TTF誘導体が配位子となることを初めて示した3次元超分子型錯体、[CuCl2(BP-TTF)](1)の合成に成功した(図3)。この錯体は一次元のハイゼンベルグ型反強磁性的相互作用(2J = -7 K)をもっていたが、ドナー分子から金属への電子移動が起こっていなかったため絶縁体であった。これはドナー分子の酸化電位が高いためと考え(第一酸化電位E1 = 1.05 V vs. SCE)、より酸化電位の低いピラジノ-テトラチアフルバレン(pyra-TTF, E1 = 0.68 V vs. SCE, 図4)を用いた。

3. [CuCl2(Pyra-TTF)](2)の開発 ‐電子移動の誘起‐

pyra-TTFを用いて銅錯体を合成したところ、[CuCl2(Pyra-TTF)](2)を得ることに成功した。この錯体は平面四配位でCu(2+)イオンがドナー分子を架橋して無限鎖を形成しており、ドナー分子は折れ曲がった配座を取りながらハチの巣状の二次元シートを形成していた(図5)。伝導度測定を行った結果、室温伝導度が約1.0×10(-4) Scm(-1)の半導体であり、その活性化エネルギーは約0.33 eVであった(図6)。この錯体のESRスペクトルを低温まで測定したところ、[Cu(II)Cl2(Pyra-TTF)0]と表記できる状態が示唆されたが、高周波伝導度を測定することによりごくわずかに伝導キャリアが存在する[Cu(II-δ)Cl2(Pyra-TTF)(+δ)]という状態であることを確認した。これにより、ドナー分子のドナー性を調節することで電子移動を誘起させることができた。さらに磁化率の温度依存性を測定したところ、二次元のハイゼンベルグモデルで最適化できる反強磁性的相互作用(2J = -20 K)を持ったd-π系錯体であることが明らかとなった。

4. 結晶構造に対するドナーの酸化電位および分子構造の影響

(1)と(2)の結果からドナーの酸化電位が重要であることが示唆されたが、さらにいくつかのドナー分子で錯体の合成を試み、ドナー分子の形や酸化電位が錯体に及ぼす影響を調べた。最初にジメチルチオ‐ピラジノ‐セレナチアフルバレン (Dmt-Pyra-STF, E1 = 0.76 V, 図7)を用いて銅錯体の合成を行った。このドナー分子はセレン原子を含むSTF誘導体であり、さらに立体障害として二つのメチルチオ基をもっている。この様なSTF誘導体はSeの原子半径が大きいために配位座近傍が阻害され、配位能が低下することが予想されるが、分子軌道が広がるため伝導性の向上が期待できる。このドナーを用いた3層の垂直拡散法によりtrans-[CuCl2(Dmt-Pyra-STF)2] (3)を合成することに成功した(図8)。この錯体は(1)や(2)とは対照的に無限鎖構造は形成しておらず、ユニット内にSe…Cl-の相互作用が存在した。またドナー分子はθ型のドナー配列を形成していた。これからセレンのように大きな半径をもつ原子やメチルチオ基のような立体障害を持っていても配位構造をとることが明らかとなった。一方でこの錯体は電子移動が起こっておらず絶縁体であった。磁化率を測定した結果、ユニット構造を反映して、キュリー・ワイス法則に従うことがわかった(θ = -9 K)。次にジメチル‐ピラジノ‐テトラチアフルバレン(DM-pyra-TTF, E1 = 0.64 V)を合成し銅錯体の合成を試みたが、このドナー分子は配位構造をとらず、分離型の電荷移動錯体を形成することがわかった。Dmt-Pyra-STFの結果からこの現象はメチル基の障害によるものではないことがいえ、ドナーの酸化電位が低いため電子移動が優先されて配位が阻害されると考えられる。その他ハロゲンがBrの場合に関しても錯体の合成を試みた。その結果を表1にまとめる。これらの得られた情報から高伝導性金属錯体を開発するためにはほぼ0.75-0.68 Vの酸化電位の値をもつSTF誘導体が有望であると考えられる。

5. [CuCl(1.5)(pyra-STF)](4)の開発 ‐高伝導性錯体の発見‐

これまでの研究結果を基に電気伝導度を飛躍的に向上させるため酸化電位が調節されたSTF誘導体、ピラジノ‐セレナチアフルバレン(pyra-STF, E1 = 0.71 V, 図9)を用いて銅錯体を合成した。その結果、[CuCl(1.5)(pyra-STF)](4)を得た。この錯体はCu+とCl-で構築された一次元の無限鎖構造が存在し、そのCu+部分にpyra-STFが配位していた(図10)。pyra-STFからCu(II)に電子移動が起こったためpyra-STFは+0.5に酸化されており+1価の銅カチオンに+0.5価のカチオン性ドナー分子が直接配位している新奇な錯体であった。さらにドナー分子はθ型の配列をとっており、計算から擬一次元的な電子構造が示唆された。この錯体の室温伝導度は約25 Scm(-1)と高伝導性の半導体であり、飛躍的な伝導性の向上に成功したといえる(図11)。190 K付近に変曲点が存在したが、磁化率やESRの強度の減少から一次元的な不安定性に由来する格子歪みの効果であると思われる。

6. [CuCl(0.25)Br(1.25)(pyra-TTF)](5)の開発 ‐金属相の実現‐

最後に、さらに新たな安定構造を構築するためにCl-とBr-が一つの錯体に混在した系の合成を試みた。Cl-とBr-はイオン半径が異なるので、これらを混在させることにより新たな安定相を構築できるのではないかと考えた。配位子としてpyra-TTF(図4)を選択した。このドナー分子はCuCl2のみを用いた場合Cu(II)でpyra-TTF0の錯体を与え、CuBr2のみを用いた場合はCu(I)でpyra-TTF+の錯体を与える(表1)。pyra-TTFとCuBr2/ CuBr2もしくはTBA2CuCl2Br2を用いてH型セルによる拡散法を試みた結果、[CuCl(0.25)Br(1.25)(pyra-TTF)] (5)を得ることに成功した。この錯体の結晶構造は(4)と同型であったが、Cu+とBr-で構築された一次元無限鎖のBr-部分にCl-が占有率にして0.25だけ置き換わっていることがわかった。pyra-TTFは+0.5価でありCuCl2やCuBr2のみを用いたときとは明らかに異なる酸化状態であった。この錯体の電気伝導度の温度依存性を測定したところ、室温伝導度が約200 Scm(-1)で、さらに250 K付近まで金属的挙動を示すことが明らかとなった(図12)。このような超分子型金属錯体では常圧で金属的挙動を示すものは初めてである。約250 K以下で半導体に変化し(Ea = 6 meV)、さらに185 K付近で急激に抵抗が上昇することがわかった(Ea = 68 meV)。この立ち上がりは(4)における190 Kの変曲点に相当し、やはり一次元的な格子歪みの効果であると思われる。この錯体では酸化されたドナー配位子が作り出す本質的な導電性のほかに、ハロゲンイオンの無秩序化によりエネルギーギャップを埋める準位が生じたため金属的挙動が実現されていると考えられる。

7. まとめ

本研究では、系統的に新規金属錯体の開発を行ってきた。「ピラジノ縮環型TTF誘導体」を配位子に用いることでTTF部位と金属の間の距離を縮め、相互作用や電子移動を誘起することによっていくつかの新奇な金属錯体を合成した。初めて縮環系含窒素TTF誘導体が配位子になることを明らかにした絶縁体錯体から始めて最終的には室温伝導度が約200 Scm(-1)の金属まで到達した。本研究で扱った系は困難が予想されたが、酸化電位の調節・セレンの導入・混晶作成など様々な実験手法が適用できることが明らかとなり、新たな機能性金属錯体の可能性を切り開くことができたといえる。このような系は非常に興味深い物質群であるといえ、将来の物質開発の種の一つになることが期待される。

図1従来型と縮環型の違い

図2

図3(1)の構造

図4

図5(2)の横造

図6(2)の高周波伝導度

図7

図8(3)の構造

図9

図10(4)の横造

図11(4)のアレニウスプロット

図12(5)の電気抵抗率の温度依存性

表1 ドナー分子の酸化電位と錯体の構造の関連性

審査要旨 要旨を表示する

本論文は7章からなる。第1章は、本研究の背景として、機能性有機配位子を有する金属錯体他について解説されている。さらに、本研究の目的として、特異な結晶構造、伝導性、磁性を有する機能性金属錯体を開発するために、レドックス機能性をもつピラジノ縮環型TTF(テトラチアフルバレン)誘導体を配位子とした金属錯体を作製・機能性評価することが述べられている。この金属錯体は、金属イオンとドナー配位子の距離が近くなるよう設計され、磁性を担う金属イオンと伝導性・磁性を有するドナー配位子間に強い相互作用が期待できると記述されている。

第2章は、ピラジノ縮環型ドナーが金属配位子となることを初めて示した銅錯体である[Cu(II)Cl2(BP-TTF)] [(1)、BP(ビスピラジノ)-TTF]について、その作製、結晶構造、磁性について述べられている。(1)は超分子構造をもち、Cu(II)のスピン間に、ドナー配位子を介した1次元的反強磁性的相互作用を有するd-π系錯体であり、酸化電位(E1)が高いために、ドナー配位子はCu(II)に酸化されず、絶縁体であることが記述されている。

第3章は、前章をふまえて、ドナー配位子にレドックス性を付与するために、ドナー性がより高い配位子Pyra(ピラジノ)-TTFを用いた銅錯体[Cu(II-δ)Cl2(Pyra-TTFδ+)] (2)、(Pyra-TTF(0.5+)) 2[Cu(I)3Cl4(Pyra-TTF0)] (3)の作製、伝導性、誘電性、磁性について述べられている。(2)は、僅かではあるが、Cu(II)によるドナー配位子の酸化でキャリアが生成され、室温で10(-4) Scmの半導体であること、また、Cu(II)のスピン間にドナー配位子を介して2次元的反強磁性的相互作用を有することが述べられている。(2)と(3)より、ドナー配位子Pyra-TTFはレドックス性および金属配位能を有し、そのような金属錯体を与えるためにはE1の制御が重要であることが記述されている。

第4章は、前章をふまえて、ドナー配位子のE1および分子構造が金属錯体形成に与える効果について記述されている。本章では、E1 が0.64 - 1.05 Vのピラジノ縮環型ドナー配位子について、その銅錯体作製、結晶構造、伝導性、磁性が述べられている。その結果、E1が0.68-0.75 Vであるピラジノ縮環系ドナー配位子は、レドックス性と金属配位能の両者を示す金属錯体を与えること、また、ピラジノ環の隣に大きな軌道をもつセレン原子が存在しても配位能が失われないこと、メチルチオ基など立体障害を有するドナーも金属配位能をもつことを記述されている。さらに金属錯体の伝導性を向上させるためには、ドナー配位子のE1制御、およびセレン原子の導入が重要であることが述べられている。

第5章は、前章の結論をふまえて、ドナー配位子としてE1が0.71 Vで、セレン原子を含むpyra-STF(セレナチアフルバレン)を用いて、超分子型銅錯体[Cu(I)Cl(1.5)(pyra-STF)] (13)が作製され、室温で高伝導性25 Scm(-1)を示すことが記述されている。また、190 Kで観測される伝導性、磁性の異常は低次元不安定性に起因するが、硬い超分子鎖[CuCl(1.5)]nがこの変化を抑えていることが述べられている。

第6章は、前章で述べた(13)と結晶学的に同型のハロゲノアニオン混晶金属錯体[CuCl(0.25)Br(1.25)(pyra-TTF)] (15)を作製したところ、室温で高伝導性250 Scm(-1)を示し、250 Kまで金属的挙動を与え、ドナー配位子金属錯体としては初めて金属性を示すことが記述されている。(15)はCl(0.25)Br(1.25)が無秩序化しているため、ドナー配位子の二量化が抑えられ、金属化していると述べられている。第7章では、まとめが述べられている。

以上、論文提出者は、特異な結晶構造、伝導性、磁性を与える金属錯体の開発を目指して、伝導性・磁性を担うドナー配位子と磁性を担いうる金属イオン間の相互作用を強めるよう設計した、ピラジノ縮環型ドナーが配位する銅錯体の開拓を行った。ピラジノ縮環型ドナーが配位子になることを初めて(1)で示し、配位子E1の制御、大きな軌道をもつセレン原子の導入、ハロゲノアニオンの混晶化が重要な制御因子であることを明らかにし、金属性を有するドナー配位子金属錯体 (15)を初めて見出した意義は大きく、今後の物質開発に大きな指針を与えたといえる。

なお、本論文第2-6章は、木村伸也、森初果、吉田剛介、田島裕之、高橋一志、真鍋雄一、松田真生、山浦淳一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって合成、測定、及び検証を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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