学位論文要旨



No 124481
著者(漢字) 小簑,剛
著者(英字)
著者(カナ) コミノ,タケシ
標題(和) 有機薄膜における分子配向変化と電気特性の同時測定
標題(洋) Simultaneous Measurement of Molecular Orientation Change and Electric Characteristics in Organic Thin Films
報告番号 124481
報告番号 甲24481
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5379号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 田島,裕之
 東京大学 教授 吉信,淳
 東京大学 教授 斉木,幸一朗
 東京大学 准教授 島田,敏宏
 東京大学 教授 岩澤,康裕
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序

1980年代以降、有機電界発光素子、有機薄膜太陽電池、有機トランジスタを主なターゲットとして、有機薄膜素子の研究が非常に盛んに行われた。これらの研究の結果、現在では、有機薄膜は、分子性材料の一つとして認識されている。しかしながら、有機薄膜には、まだ十分に理解がなされていない現象が多くある。たとえば、有機薄膜の異常な電気特性 (ヒステリシスやスイッチング現象) は、それらの現象の一つである。異常な電気特性は、メモリーデバイスや論理回路への応用を目的として活発に研究が行われており、その起源は、電荷のトラップ、分子の酸化・還元、分子配座や配向の変化であると考えられている。しかしながら、これらの機構と、異常な電気特性の関係を直接的に示した報告はない。従って、異常な電気特性の機構を理解することは、新規な有機薄膜素子の動作機構を理解する上で重要であり、有機薄膜における基礎物性研究においても、チャレンジングな課題であると考えることができる。

第2章 分子配向変化と電気特性の同時測定手法の開発

一般に、有機薄膜における分子配向は、偏光吸収スペクトル測定のような分子内電子遷移の偏光依存性により調べることができる。そこで、この原理を利用して、電気特性と分子配向変化を同時に測定する装置を開発した。この装置を異常な電気特性を示す有機薄膜に応用し、分子配向変化と電気特性の関係を明らかにすることを試みた。

開発した装置を図1に示す。この装置は、任意の入射角でpおよびs偏光を試料薄膜に照射し、両偏光の透過光強度の差 (ΔI) と和 (I) および電気特性を同時に測定するものである。図2は、この測定における試料薄膜への偏光入射を表した摸式図である。

仮に、対象分子が棒状であれば、ΔIとIの関係は、以下の式 (1) および (2) で与えられる。

(1)

(2)

ここで、I0はIの初期値である。図2に示すように、θ、β、d、α、は、それぞれ入射角、吸収係数、膜厚、配向角であり、A(θ, α)、B(θ, α) は、正の値をとる量である。ΔI/Iおよび1 - I/I0は、実験で決めることができる。仮にθ = 45゜の場合で考えると、比 (ΔI/I)/(1 - I/I0) は、配向の変化 (Δ(βb)が無視できるときは、1より小さくなる。一方で、スペクトル変化 (Δ(βd)) が無視できるときは、3となる。このことを利用することにより、出現した変化が、配向変化によるものか、それともスペクトルの変化によるものかを調べることができる。

Poly(3-hexylthiophene) (図3; P3HT) は、分子の配向状態と電気伝導性についてよく研究されており、電気容量-電圧特性にヒステリシスループが現れることが報告されている。P3HT薄膜を用いて、電流-電圧特性または電気容量-電圧特性の測定と偏光透過光強度の同時測定を行った。電流-電圧特性および電気容量-電圧特性の測定のために、それぞれindium tin oxide (ITO)/P3HT/AlおよびITO/Al2O3/P3HT/Auの薄膜接合を作製した。P3HT薄膜はスピンコート法により製膜した。どちらの測定においても、ポリマー主鎖に沿って存在するπ-π*遷移に対応する光 (550 nm) を励起光として使用し、偏光入射角は45゜で測定行った。

図4aに電流-電圧特性を示す。電流-電圧特性にはヒステリシスループが現れた。図4b, 4cのように、ヒステリシスループはΔI/Iおよび1 - I/I0にも現れた。(ΔI/I)/(1 - I/I0) 〓 3であることから、この変化は配向変化によるものであることが分かる。配向変化はΔI/Iに比例するので [式 (1)]、この結果は、P3HT薄膜において、印加電圧を上げる (または下げる) ことでP3HTの主鎖が基板に対して立つ (または寝る) 方向に配向を変化させることを示唆する。P3HTの伝導性は、分子配向状態に依存するので、電流-電圧特性に現れるヒステリシスループは、分子配向の変化に起因していると推測できる。

図5aに電気容量-電圧特性を示す。電気容量-電圧特性にも、ヒステリシスループが現れた。しかしながら、このとき、ΔI/Iおよび1 - I/I0に変化は現れなかった (図5c, 5d)。このことから、電気容量-電圧特性に現れるヒステリシスループには分子配向変化の寄与がないことが明らかになった。

第3章 Heminにおける異常な電流-電圧特性と電圧誘起スピン転移

鉄ポルフィリンを含む低分子であるhemin の分子構造を図3に示す。図7a (7d) のように、ITO/hemin/Al接合の電流-電圧特性には、4.5 V付近に非可逆的なピークが現れる。さらに、このとき、電界発光スペクトル (図6) と外部量子効率も著しく変化する。(以下、転移前と転移後の状態を、それぞれlow-voltage (LV) state、high-voltage (HV) stateと呼ぶことにする。) この電圧誘起転移にheminの分子配向変化が関与している可能性を考え、ITO/hemin/Al接合を使って、電流-電圧特性の測定と偏光透過光強度の同時測定を行った。この測定では、heminの分子面上にあるπ-π*遷移に対応する光 (400 nm) を励起光として使用し、偏光入射角は45゜とした。

図7b (7e), 7c (7f) にΔI/Iと1 - I/I0の電圧特性を示す。図7b (7e), 7c (7f) のように、ΔI/Iと1 - I/I0の値は、電流-電圧特性にピークが現れるのと同時に、非可逆的に変化した。(ΔI/I)/(1 - I/I0) 〓 3であることから、この変化は配向変化によるものであることが分かる。式 (1) のように、配向変化はΔI/Iに比例するので、これは、heminの分子面が基板に対して立つ方向に変化することを示唆する。この結果から、ITO/hemin/Al接合における電圧誘起転移には、分子配向変化が関係していることが考えられる。

さらに、X線吸収分光測定 (Fe-L XANES) により、heminの中心金属であるFe(III) のスピン状態を調べた。その結果、heminのFe(III)は、LVでは高スピン状態、HVでは低スピン状態であることを見出した。この結果から、電圧印加によりFe(III)のスピン状態が非可逆的に変化することが明らかになった。これは、初めて電圧誘起型のスピン転移を示した例として重要である。この電圧誘起スピン転移は、分子配向変化に起因して、heminの軸配位子の配位子場が変化したために起こると推測している。

第4章 生体ポルフィリンの電界発光スペクトルにおけるAC周波数依存性と電極依存性

Heminは、光励起発光が観測できないほど微弱であるにもかかわらず、電界発光を示す。しかしながら、この発光の起源はまだ明らかでない。そこで、ITO/hemin/Al接合の電界発光における電極の効果を調べた。その結果、hemin (HV)では、電極の種類に依存した電界発光スペクトルが観測された。このことは、hemin (HV) の電界発光が、heminに本質的な発光ではないことを示唆する。補足的な実験から、hemin (HV)で観測される電界発光は、ITOからの発光とhot electronが励起するプラズモンの失活に由来する発光が混ざったものであることが明らかになった。尚、hemin (LV) の電界発光は、heminに本質的な発光である。

ITO/hemin (HV)/Al接合の電界発光スペクトルは、heminに本質的なものでないことが示されたが、このことは、この接合における電圧誘起転移に、分子配向変化とスピン転移が関係していることを否定するものではない。

また、電圧印加をパルス矩形波で行った場合、hemin (HV) の電界発光スペクトルにおいて、ITOからの発光とプラズモンの発光の強度比に、AC周波数依存性が現れることを発見した。さらに、AC周波数依存性が現れるかどうかは、注入された電子が、エネルギーを失活せずにITOに到達するかどうかに依存することを見出した。

第5章 結論

有機薄膜接合における電気特性と分子配向変化を同時に測定する実験手法を開発し、異常な電気特性を示すいくつかの有機薄膜接合に応用した。

ITO/P3HT/Al接合の場合、電流-電圧特性にヒステリシスループが現れるのと同時に、P3HTの分子配向が変化していることを見出した。一方、ITO/hemin/Al接合の場合、約4.5 Vの電圧を印加したとき、電流-電圧特性にピークが現れるのと同時に、分子配向が非可逆的に変化することを見出した。これらの結果は、分子配向変化と電気特性の同時測定手法の有用性を示すものである。

図1 偏光透過測定装置 V, 電圧計; PA, プリアンプ; LA, ロックインアンプ; PMT, 光電子増倍管; OF, 光ファイバー; S, 試料薄膜; HM, ハーフミラー; P, 偏光子; L, レンズ; LED, 発光ダイオード; FG, 関数発生装置. この図においては、電流-電圧特性測定用の回路も同時に示している.

図2 薄膜における分子配向の模式図. θ, 偏光入射角; n; 基板の法線; μ, 遷移双極子; α, nとμとがなす角; d, 膜厚.

図3 (左) P3HTおよび (右) heminの分子構造. 矢印は、遷移双極子ベクトルの方向を表している.

図4 ITO/P3HT/Alの (a) 電流電圧特性と偏光透過光強度の差 (ΔI) と和 (I) の変化 (b), (c). 3回の電圧スイープを重ねて示してある.

図5 ITO/Al2O3/P3HT/Auの (a) 電気容量-電圧特性と偏光透過光強度の差 (ΔI) と和 (I) の変化 (c), (d). 2回の電圧スイープを重ねて示してある.

図6 ITO/Hm/Alにおける、転移前後の電界発光スペクトル.

図7 ITO/Hm/Alの (a and d) 電流電圧特性と偏光透過光強度の差 (ΔI) と和 (I) の変化 (b and e), (c and f).

審査要旨 要旨を表示する

本論文は五章からなる。

第一章は序論であり、有機半導体および有機薄膜デバイスの概論、本論文の研究動機に関係した、ある種の有機薄膜デバイスで観測される「異常な電流-電圧特性」に関する過去の研究例、について述べられている。

第二章では本論文の主題である、「分子配向と電流-電圧特性の同時測定」に関する実験手法の詳細、理論的なバックグラウンドの詳細が最初に述べられている。ついで、その手法をpoly(3-hexylthiophene)およびcoumarine6 -doped poly(N-vinylcarbazole)に適用した結果が、述べられている。この章の内容は、論文提出者が第一著者としてChemistry Letter誌およびThin Solid Film誌に公表している。

第三章では「分子配向と電流-電圧特性の同時測定」を生体関連物質heminに対して適用した結果が詳述されている。またこの章においては、heminに関する電界発光スペクトルの測定、XANESを用いたスピン状態の推定も記載されている。

第四章では、電界発光スペクトルが高周波印加によって変化する現象について記載されている。

第五章においては、本学位論文で得た結果のまとめが述べられている。

本論文の主題は、電流-電圧特性と分子配向変化の同時測定により、これまで明らかでなかったサンドイッチ型有機薄膜デバイスで観測される「異常な電流-電圧特性」の起源を明らかにしたことにある。この実験手法は、申請者が新しく開発したものであり、分子配向変化が引き起こす「異常な電流-電圧特性」の存在が、本研究により初めて実験的に確認された。このことは、学問的に高く評価できる。

なお本論文第二章および三章は、田島裕之、松田真生との共同研究、第四章は田島裕之、縞谷和宏、松田真生、池田真吾、安東頼子、秋山英文との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

UTokyo Repositoryリンク