学位論文要旨



No 124485
著者(漢字) 邨次,智
著者(英字)
著者(カナ) ムラツグ,サトシ
標題(和) 新規レドックス多核遷移金属錯体の創製と核間電子相互作用の制御
標題(洋) Creation of Novel Redox-active Multinuclear Transition Metal Complexes and Manipulation of their Internuclear Electronic Interaction
報告番号 124485
報告番号 甲24485
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5383号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,寛
 東京大学 教授 長谷川,哲也
 東京大学 教授 野津,憲治
 東京大学 准教授 小川,桂一郎
 東京大学 准教授 森,初果
内容要旨 要旨を表示する

本論文はレドックス核間の電子的相互作用の発現および制御が可能な多核遷移金属錯体についての研究を記述したものであり、以下の5章からなる。

【第1章:緒言】電子移動反応は生体内における光合成システム、導電性ポリマーなどの機能性分子や多電子触媒反応など様々な化学系において重要な役割を果たしている。電子移動の研究では、MarcusやHushの理論やTaubeの混合原子価錯体(M-B-M+)における原子価間電子移動の研究、ドナ-アクセプター接合系(D-B-A)、光誘起電子移動、電極電子移動(1電子移動(SET)、多電子移動(MET))など多岐にわたり、架橋部位Bの性質に注目が集まっている。種々の分子構造の架橋部位Bの導入による、電子移動を支配する因子やメカニズムの研究は数多く行われている。電子移動を制御する試みもなされ始めているが、架橋部位Bの性質自体を変化させることで電子移動制御を行う例は殆ど知られていない。

本研究では、分子内電子移動の能動的制御を目指し、電子の動きに摂動を与えることが可能な架橋部位(active briding unit)を組み込んだレドックス多核遷移金属錯体系を新規に創製した。第2章では、モリブデンカルボニル基をactive briding unitとして組み込んだメタラジチオレン異種金属錯体を創製し、中心金属に依存した錯体の基礎物性を解明し、ジチオレン錯体間の電子的相互作用を電極電子移動(SET、MET)の変化として調べた。第3章、第4章では、フォトクロミック分子、ジメチルジヒドロピレンをactive briding unitとして組み込んだ新規錯体を創製してその基礎物性を解明し、光によるレドックス核間の電子的相互作用の可逆変換を調べた。

【第2章:ジチオラト架橋異種金属三核錯体[M2Mo](M= Co, Rh)のレドックス特性とカルボニル基の架橋構造変化】 本研究ではレドックス核にコバルタジチオレン(3)及びロダジチオレン(4)、架橋部位として遷移金属原子であるモリブデンカルボニル錯体を用い、カルボニル基の柔軟な配位形式がactive briding unitとなることを期待した異種金属三核錯体[(C5Me5)2Co2Mo(CO)2(S2C6H4)2]([Co2Mo], 1)および[(C5Me5)2Rh2Mo(CO)2(S2C6H4)2]([Rh2Mo], 2)を新規に創製した(図1)。1, 2の構造、物性の解明、特に金属-金属結合、金属-カルボニル結合の詳細な評価、種々の支持電解質-溶媒系におけるレドックス反応とそれに伴う混合原子価状態の安定性、電極電子移動(SET、MET)の変化とそれに伴う錯体の架橋部位の構造、電子状態変化について詳細に検討した。単結晶X線構造解析より1, 2(図2)は金属原子M (M = Co, Rh)とMo原子の間に2本のM-Mo結合を有する類似構造をとることがわかり、また2本のカルボニル基(C≡O)はSemibridging構造をとることが分かった。Moと2本のC≡Oとの結合長は2のほうが短く、したがって2ではM-Mo結合を介したMoからMへの電子供与が1より小さく、MoからC≡Oへの電子供与が1より大きいことが分かった。MとC≡Oの距離も2のほうが短く、Mからの電子逆供与が大きいことが分かった。これはIRのC≡O伸縮振動数、及び(13)C NMRの電子密度からも示された。

2のCVでは、用いた支持電解質-溶媒によらず1段階の2電子還元再酸化波が観測され、CVのシミュレーションでは第一、第二酸化還元電位E0'1, E0'2の値の大小が逆転し、ΔE0'は負の値をとることがわかった(図3a,b)。2(2-)のDFT計算による最安定構造(図4a)はカルボニル基がBridging C≡Oで、基底三重項状態と求められた。2(2-)が生成する電位を印加した電気化学還元IRスペクトルにおける2本のC≡O伸縮振動の低波数シフト(図4b)、及び2(2-)のESRスペクトルのRh(II)由来のg = 2のシグナル、及びg = 4の禁制遷移シグナルから実験的に支持された。したがって2ではRh(III)→Rh(II)の1段階2電子還元に連動してC≡OのSemibridgingからBridgingへの構造変化及び基底スピン状態変化が起こることがわかった(スキーム1)。

一方、1の支持電解質-溶媒を変えたCV(図3c-f)では、 ΔE0'が正である1電子ずつ2段階の2電子還元再酸化波において、支持電解質のカチオンサイズを小さく、溶媒の極性を小さくするほどΔE0'の値の減少傾向が観測され、2と同様、ΔE0'が負となる場合も見出された(図3f)。したがって、1は支持電解質-溶媒系によりΔE0'を正から負の値まで自在に変化できることが示され、どちらの場合にも電気化学還元IRスペクトルにおいてC≡OのSemibridgingからBridgingへの構造変化が関与していることが明らかとなった。

【第3章:ジメチルジヒドロピレンを架橋部位として用いた配位子および遷移金属錯体の光化学、電気化学特性】 ジメチルジヒドロピレン(DHP)類は可逆な光異性化により自身のレドックス活性[フェロセン (Fc)と近接した1電子酸化還元電位]のOn/Offができる。本研究ではこの性質を持つDHP(5)をactive briding unitとして利用し、5の4,9位にテルピリジン部位を有する新規配位子6, 7、ルテニウム(ビス)テルピリジン複核錯体8, 9、フェロセニルエチニル基を有する複核錯体10を新規に創製し、光異性化により架橋部位のレドックスOn/Offによる電子的相互作用の可逆変換を目指した。6, 7ではUV-visスペクトルの帰属を5と比較して行った。6は可視光(470-700 nm)照射による光異性化が観測されなかったが7では光異性化が観測された。また6は7より強度の高い蛍光が観測された。錯体8, 9, 10はいずれも光異性化を示さなかったが、8は室温において発光特性を有し、励起スペクトルとの対応からDHP部位からの蛍光であることがわかった。10はCV測定において2個のフェロセン(Fc)部位由来のブロードな2電子酸化還元波を示し、酸化還元電位差ΔE0'(= E0'2 - E0'1)は62 mVと求まった(図6)。DHPはFc間の電子的相互作用を発現する有用な架橋部位であることが示された。

【第4章:ビス(フェロセニル)ベンゾジメチルジヒドロピレンのフェロセン間電子的相互作用制御及びフェロセン酸化誘起閉環反応】 DHPを利用したフェロセン間電子的相互作用発現及び光異性化による可逆制御を目指すため、本研究では架橋部位に光異性化の量子収率が高いベンゾジメチルジヒドロピレン(BzDHP,11)を採用し、11の9, 10位にFc、及びペンタメチルフェロセン(PentaFc)をエチニル基で連結した新規錯体12, 13を創製した。光異性化挙動とレドックス反応、電子的相互作用の可逆変換を詳細に検討した。12, 13ではUV-visスペクトルの帰属を11およびエチニル基を導入した化合物14, 15と比較して行った。13は光異性化が進行しなかったが、12では578 nmの可視光照射および303 nmの紫外光照射により、閉環体12cと開環体12oの間の可逆な光異性化を観測した(UV-visスペクトル、1H NMRスペクトル、光定常状態における異性化率97%、THF溶液中)。12c, 13cのCV測定において、2個のFc及びPentaFc部位由来の2電子酸化還元波およびBzDHP部位由来の1電子酸化還元波が観測された(図8)。Fc間電子的相互作用の大きさを示す酸化還元電位差ΔE0'(= E0'2 - E0'1)は12cでは109 mV、13cでは53 mVと見積もられた(図8)。

12cのCV測定(0.1 M Bu4NClO4-1,3-ジクロロプロパン, 218 K)では2個のFc部位に由来するブロードな酸化還元波が観測された(図9)。可視光照射(510 nm-700 nm)により12oへ変換したあとのCV測定では、アノード掃引においてブロードニングの減少を伴った2個のFc部位の酸化波が観測されたが、カソード掃引においては12cと同様、ブロードニングが復活した還元波が観測された(図9)。この現象は12oの酸化体(12o+, 12o(2+))が電極表面上で速やかに12cの酸化体(12c+, 12c(2+))に変化するためと推察した。Fc部位12oUV-vis-NIR12c+図12+12o+→12c+、12o2+→122+た。12c、CV(2)2Fc0'0'0'のシミュレーションから見積もった(図10)。12cではΔE0' = 63 mV、12oではΔE0' = 16 mVと算出された。両状態において架橋部位を介したFc間の電子的相互作用の存在が示されたが、その程度はレドックス活性なBzDHP部位を有する12cのほうが大きいことがわかった。また、12c+のCH2Cl2溶液中のUV-vis-NIRスペクトルでは、Fc間の原子価間電子移動(IVCT)遷移に加え、BzDHPからFc+へのCT遷移、および電子移動が起こった化学種(12+、BzDHPのラジカルカチオン)に帰属されるピークが観測され、12c+が熱力学的安定な化学種であることを示した。以上より、12において架橋部位の可逆な光異性化により、Fc間の電子的相互作用を可逆に制御できることが示されたと同時に、12のFc部位のみの酸化によるBzCPD→BzDHPの新規な間接的閉環反応を見出した(スキーム2)。

【第5章:結論】 電子の動きに摂動を与えることが可能な架橋部位(active briding unit)を組み込んだレドックス多核遷移金属錯体系を新規に創製し、基礎的な物性を解明した。電極電子移動のプロセス(SET、MET)の変換、レドックス核間の電子的相互作用の制御に成功し、そのメカニズムを解明した。

図1.異種金属三核錯体[M2Mo] (1: M=Co, 2: M=Rh)。

図2.2のORTEP図。

図3.(a,b) 2のCVとΔE0'。(c-f) 1のCVとΔE0'。(a,c: 0.1 M Bu4NClO4-MeCN/toluene [1:1 (v/v)], b,f: 0.1 M NaBPh4-THF, d: 0.1 M Bu4NClO4-THF, e: 0.1 M NaBPh4-MeCN/toluene [1:1 (v/v)], a,b,f: ΔE0'はシミュレーションより算出, 100 mVs-1)

図4.(a) 2(2-)の最安定構造[DFT(B3LYP)]。(b) 2の印加電圧-1.85V (vs Fc+/Fc)における電気化学還元IRスペクトル(差スペクトル。0.1 M NaBPh(4-)THF)。

図5.DHP(5)、新規配位子及び錯体

図6.10のCV(0.1 M Bu4NClO4-CH2Cl2, 298 K, 100 mVs(-1))と酸化還元電位差ΔE0'。

図7.BzDHP(11)及び新規化合物12-15。

図812、13のCV(0.1 Mu4NClO4-CH2Cl2, 298 K, 100 mVs(-1))と酸化還元電位差ΔE0'。

図9.12c、12oのCV(0.1 M Bu4NClO(4-)1,3-dichloropropane, 218 K, 100 mVs(-1))。

図10.光照射後のCVシミュレーションと電位差ΔE0'。酸化側12o、還元側12cとしたスキーム2による。

図11.12c+のUV-vis-NIRスペクトル、及び12oの溶液中に酸化剤[Fc(η5-C5H4Cl)2]PF6を1当量添加したときのUV-vis-NIRスペクトル。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章と付録からなり、第1章は研究の背景と目的、第2章はジチオラト架橋異種金属三核錯体の多電子移動反応と構造、電子状態変化、第3章はジメチルジヒドロピレンを架橋部位として用いた遷移金属錯体の光、電気化学特性、第4章はビス(フェロセニル)ベンゾジメチルジヒドロピレンのフェロセン(Fc)間電子的相互作用制御とFc酸化誘起閉環反応、第5章は研究成果のまとめと展望について述べられている。以下に各章の概要を示す。

第1章では、研究の背景と目的について述べている。電子移動反応は生体内における光合成システム、多電子触媒反応など様々な系において重要な役割を果たしている。電子移動を支配する要因、機構に関する研究が複合分子系、特に架橋部位を有するレドックス多核錯体系において精力的になされてきた。次のステップでは電子移動を自在に制御できる系の創製が分子デバイス創製の観点からも求められている。本研究では、分子内電子移動の能動的制御を最終目標とし、電子の動きに摂動を与えることが可能な架橋部位を組み込んだレドックス多核遷移金属錯体を新規に創製した。レドックス核間の電子的相互作用(酸化還元電位差ΔE0'の値)を利用した多電子移動系の構築、及び混合原子価状態における電子的相互作用(ΔE0')の光による可逆変換を目指した。

第2章では新規多電子移動系の構築、制御に焦点を当てた。2個のメタラジチオレン錯体がモリブデンカルボニル錯体で架橋された2種類の新規異種金属三核錯体[M2Mo] (M= Co, Rh) が、レドックス核であるジチオレン錯体の9族金属の違い及び支持電解質-溶媒系の違いにより多様なレドックス反応(ΔE0'<0の1段階2電子還元/ΔE0'>0の2段階2電子還元)が可能であること、及びレドックス反応前後の構造、電子状態変化を初めて明らかにした研究について述べている。両錯体の構造を比較検討した後、Rh2Moでは支持電解質-溶媒系によらずΔE0'<0となる1段階2電子還元が起こり、架橋部位のカルボニル基の架橋構造変化及び基底スピン状態変化が関与することを理論的、実験的に明らかにした。Co2Moでは支持電解質-溶媒系の組み合わせによりΔE0'>0からΔE0'<0まで段階的に変化できることを示し、この現象にもカルボニル基の構造変化が関与することを示した。

第3章、第4章では混合原子価状態におけるレドックス核間電子的相互作用の可逆変換に焦点を当てた。第3章では可逆な光異性化により自身の酸化還元活性のOn/Offが可能なフォトミック分子、ジメチルジヒドロピレン(DHP)を架橋部位として利用した種々の新規配位子及び複核錯体を創製し、光異性化により架橋部位の酸化還元活性のOn/Offによるレドックス核間の電子的相互作用の可逆変換を目指した研究について述べている。特に、フェロセニルエチニル基を有する複核錯体において、光異性化不活性であったもののDHPがFc間の電子的相互作用を発現する有用な架橋部位であることを示した。

第4章では、架橋部位にDHPのフォトクロミック性能を改良したベンゾジメチルジヒドロピレン(BzDHP)を架橋部位として用い、Fcをエチニル基で連結したビス(フェロセニル)ベンゾジメチルジヒドロピレンを新規に創製し、光異性化に連動したレドックス核間の電子的相互作用の可逆変換を達成した研究について述べている。種々の類縁体との比較検討により当錯体の基礎物性、特に新規なフォトクロミック錯体であることを明らかにした。続いて可逆な光異性化によるFc間の電子的相互作用の可逆な変化をΔE0'の値の変化として観測することに成功し、架橋部位が酸化還元活性なBzDHP構造にてより大きな値をとることを示した。加えてFc部位のみの酸化による架橋部位の開環体から閉環体への間接的クロミック反応の存在を新たに見出した。

第5章では、以上の結果を総括し、今後の研究展望を述べている。

以上、本論文では、異なるコンセプトで架橋部位設計を行った複核錯体において、レドックス核間の電子的相互作用の能動的な操作、制御に成功したことを記述している。本博士論文において解明された新規錯体の電子的相互作用制御の基となるレドックス反応-構造変化の関連性は、錯体化学、電気化学の分野に基礎的な貢献をするのみならず電子移動が関与する機能分子化学の分野を大きく進展させると期待される。なお、本論文第2章は袖山慶太郎、北村房男、杉本 学、常行真司、宮下精二、加藤立久、西原 寛との共同研究、第3章、第4章は久米晶子、西原 寛との共同研究であり、一部はすでに学術雑誌として出版されたものであるが、論文提出者が主体となって実験、解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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