学位論文要旨



No 124488
著者(漢字) 阿部,真典
著者(英字)
著者(カナ) アベ,マサノリ
標題(和) 巻貝Lymnaea stagnalisの巻型決定遺伝子同定を目指した遺伝マーカーの探索と外来遺伝子発現系の構築
標題(洋) Towards positional cloning of handedness determinant gene of Lymnaea stagnalis : Identification of genetic markers and development of the foreign gene expression system
報告番号 124488
報告番号 甲24488
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5386号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 多羽田,哲也
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 黒田,玲子
内容要旨 要旨を表示する

多くの動物のからだは左右非対称性を示しているが、これは発生初期に確立された左右軸に従って、左右非対称な遺伝子発現が行われた結果であり、左右の極性が決定するメカニズムの解明は発生学の重要な課題になっている。巻貝の巻型決定機構は、発生初期における左右非対称性の獲得が、個体レベルのキラリティーにつながる非常に興味深いテーマであり、生物の左右対称性の破れを分子レベルからの解明するのに非常に適している。

淡水産巻貝Lymnaea stagnalis(L. stagnalis)は天然に同一種内で殻の巻型が右巻の個体と左巻の個体が集団で存在する極めて稀な生物種である。左右巻貝系統間の違いは胚発生の非常に早い時期から顕著に現れる。L. stagnalisは螺旋卵割と呼ばれる卵割様式で初期発生が進行し、第一卵割、第二卵割は等割で同じ大きさの4つの割球を生じ、第3卵割では同一平面に並んだ4つの割球から動物極側にそれぞれ小割球を生じる。その小割球は右巻貝では右旋性卵割をし、左巻貝では左旋性卵割を行う。それ以降の形態形成はすべて鏡像対称的に進行し、最終的には個体レベルで左右の巻型の違いになって現れる。この左右の巻型の違いは、一対の対立遺伝子座により決定され、右巻が優性で、巻型は母貝の遺伝子型によって決定される遅滞遺伝によって次世代に伝わることが明らかとなっている。また、右巻貝の発生初期卵の細胞質を、左巻貝の発生初期卵に移植すると、第3卵割での小割球の回転方向が右旋化することが近縁種のL. peregraによる研究により明らかにされている。このことから、巻型決定遺伝子は右巻優性で、巻型決定因子が発生初期の卵割過程で機能することにより、その後の形態形成を制御し、最種的に個体レベルの左右の巻型の違いになって現れていると考えられる。この巻貝の巻型決定機構の解明は、発生初期における左右非対称性の獲得が、個体レベルのキラリティーにつながる非常に興味深いテーマである。

そこで、本研究では、ポジショナルクローニングによる巻型決定遺伝子の同定を目指し、第一章では、amplified fragment length polymorphism (AFLP)によって巻型決定遺伝子近傍の連鎖マーカーの組み換え個体を探索し、巻型決定遺伝子の存在するゲノム領域の連鎖地図の作成を行った。第二章では、ポジショナルクローニングで見つかってくると思われる候補遺伝子から、巻型決定遺伝子を同定するための実験方法として、マイクロインジェクションによる発生初期胚への遺伝子導入法を利用した外来遺伝子発現系の構築を行った。

ポジショナルクローニングにより巻貝L. stagnalisの左右巻型決定遺伝子を同定するために目的遺伝子近傍の詳細な連鎖地図を作成し、巻型決定遺伝子の存在するゲノム領域を、最初に決定することが必要である。連鎖地図を描く上で最も重要なのが、より巻型決定遺伝子の近傍で組み換えを起こしている、組み換え個体を得ることと、その位置情報を正確に知ることができる連鎖マーカーを作成することである。そのための交配実験に連続もどし交配を行い、組み換え個体を探索する連鎖マーカーの作成にはAFLP法を用いた。巻型決定遺伝子は遅滞遺伝するため、もどし交配個体の遺伝子型を次世代の殻の巻型を確認することで判定し、遺伝子型の判明した個体から多数のパネルを作成した。もどし交配個体から作成したF6、F7パネルの中から、先行研究で作成されたEcoRI/MseI-AFLP連鎖マーカーの探索を行い、多数の組み換え個体を得ることができた。しかし、EcoRI/MseI-AFLPマーカーの遺伝学的距離が遠いため、詳しい組み換え位置を特定することができなかった。そのため、本研究では新たにPstI/MseI-AFLPによる連鎖マーカーの作成を行った。PstI/MseI-AFLPによる連鎖マーカーの作成では、256通りのプライマーペアのスクリーニングを、もどし交配個体をうまく利用して行い、短期間で大量の巻型決定遺伝子連鎖マーカーを効率的に見つけることができた。さらに、EcoRI/MseI-AFLPマーカーによる探索で見つかっていた組み換え個体について、PstI/MseI-AFLPで連鎖解析を行った結果、より詳細な組み換え位置の特定を行うことができた。また、それにより、巻型決定遺伝子に強く連鎖したPstI/MseI-AFLPマーカーを見つけ出すことができ、EcoRI/MseI-AFLPマーカーを含む、すべての巻型決定遺伝子近傍で連鎖が確認されたマーカーの遺伝学的距離が判明し、巻型決定遺伝子を挟んで、その領域に詳細な連鎖地図(1 cM以内に7個の連鎖マーカー)を作成することができた。こうして、ゲノム情報が皆無のL. stagnalisにおいて、AFLP法を利用した連鎖マーカーの作成を、迅速かつ、簡便に作成することに成功した。この連鎖地図と得られた組み換え個体を基に、当研究室ではクロモソーマルウォーキングを行い、BACライブラリーのコンティグを作成し、巻型決定遺伝子の存在する領域をすべてカバーしたクローンを得ることができた。一方、その領域の全長が明らかになると、特定された領域の範囲はまだ広く、巻型決定遺伝子の同定が難航することが予想されている。組み換え個体による領域の絞込みは、遺伝子情報とは全く無関係に行われるので、非常に効果的で大きな決め手になる。そのため、今後も継続して行う必要がある。

一方、今後、巻型決定遺伝子領域のポジショニングにより、多くの候補遺伝子があげられてくるはずである。これらの中から、目的の遺伝子を同定するためには、実験的に遺伝子産物の活性を巻貝個体レベルにおいて評価する必要がある。そこで本研究では、翻訳が活発に起きているL. stagnalisの1細胞期胚に、マイクロインジェクションにより外来遺伝子をmRNAのかたちで導入することで、胚発生の極めて早い段階から翻訳させ、機能させることが可能であるかを試みた。そして、様々な実験条件を検討した結果、産卵直後の1st PB放出前の受精卵に、蛍光タンパク質のmRNAをマイクロインジェクション法により導入することで、1細胞期のうちに蛍光を観察することが可能な実験系を構築することができた。さらに、蛍光タンパク質遺伝子と転写テンプレートベクターの組み合わせを変えたmRNAインジェクション実験を行った。その結果、L. stagnalisの初期発生胚に導入された蛍光タンパク質mRNAの翻訳は、発生に全く影響を与えることはなく、導入後の時間経過に従って、一定レベルで行われること、翻訳量はインジェクションされたmRNAの量に依存しているという結果が得られた。このことは、胚の発生段階とmRNAの濃度を選択する事で、外来遺伝子の翻訳量と、発現時期をコントロールすることが可能であることを示唆する。この手法は他の淡水産巻貝胚にも応用することができ、これら生物の胚発生過程を研究するための普遍的なツールとなることが期待できる。本研究で開発したL. stagnalis発生初期胚へのマイクロインジェクションによる外来遺伝子導入法を用いて、今後、巻型決定遺伝子の同定に向けた遺伝子解析を行っていきたい。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は五章からなる。第一章は序論であり、これまでに明らかとなっている動物の左右軸形成についてと、研究対象の巻貝L. stagnalisについての知見を述べ、ポジショナルクローニングによる巻型決定遺伝子の同定を目指した計画のなかで、学位申請者の行った研究の位置づけを明らかにしている。第二章、第三章、第四章において、それぞれの研究について、序文、実験の部、結果と考察に従って述べられている。第五章に全体の結論と今後の展望について述べられている。

淡水産巻貝L. stagnalisは、天然に同一種内で殻の巻型が右巻と左巻の個体が集団で存在する極めて稀な生物種である。この左右の巻型の違いは、一対の対立遺伝子座により決定され、右巻が優性で、巻型は母貝の遺伝子型によって決定されている。優性巻型決定遺伝子を持つ母貝が産卵した卵では右旋化因子が作られており、発生初期の卵割過程で機能することで、最終的に個体の左右巻型の違いが現れると考えられている。この巻貝の巻型決定機構の解明は、発生初期において、分子レベルで決定した左右極性が、個体レベルのキラリティーにつながる非常に興味深いテーマである。本論文ではポジショナルクローニングによる巻貝L. stagnalisの巻型決定遺伝子の同定を目指し、そのために必要な研究を行っている。

第二章では、ポジショナルクローニングを行うために必要な、巻型決定遺伝子近傍の連鎖地図の作成について述べている。最初に、連続もどし交配実験から得られたF6パネルを用いて、EccR I /Mse I-AFLP連鎖マーカーの探索を行い、多数の組み換え個体を得ることができた。しかし、EccR I /Mse I AFLPマーカーの巻型決定遺伝子からの遺伝学的距離が遠いため、得られた組み換え個体の詳しい組み換え位置を特定することができなかった。そこで、本研究では新たにPst I / Mse I -AFLPによる連鎖マーカーの作成を行い、もどし交配個体とEccR I / Mse I -AFLPで見つかっていた組み換え個体をうまく利用することで、効率的に巻型決定遺伝子に強く連鎖したPst I / Mse I -AFLPマーカーを作成することに成功している。それによって、すべての巻型決定遺伝子に連鎖したマーカーの遺伝学的距離が判明することとなり、巻型決定遺伝子を挟んで、その領域に詳細な連鎖地図を作成することができている点で非常に意義がある。この連鎖地図と得られた組み換え個体を基に、ゲノムDNAライブラリーを用いたクロモソーマルウォーキングが行われており、ポジショナルクローニングがさらに推し進められることにつながった。

第三章では、さらに今後の分子生物学的研究に必要となる、遺伝的背景の均一な純系とコンジェニック系統の作成も同時に進められており、遺伝子レベルで解析を行っていくうえでの、実験系の整備がなされつつある。

第四章では、候補遺伝子から目的遺伝子を同定するための、遺伝子導入発現系の開発を行っており、産卵直後の第一極体放出前の受精卵に、蛍光タンパク質のmRNAをマイクロインジェクション法により導入することで、1細胞期のうちに蛍光を観察することが可能な実験系を構築している。はじめて、巻貝種の初期発生胚で外来遺伝子を発現させることに成功しており、初期卵割過程の発生メカニズムが分子生物学的な手法で解析可能であることを示している。さらに、導入された蛍光タンパク質mRNAの翻訳は、導入後の時間経過に従って一定レベルで行われ、翻訳量はインジェクションされたmRNAの量に依存しているという結果を得ている。それにより、胚の発生段階とmRNAの濃度を選択することで、外来遺伝子の翻訳量と、発現時期をコントロールすることが可能であり、今後、巻型決定遺伝子の同定に向けた遺伝子機能解析に応用されるものと考えられる。また、この手法は他の淡水産巻貝の初期発生胚においても適用可能であることを見出しており、これらの胚発生過程を研究するための普遍的なツールとなることが期待される。

以上、本研究では巻型決定遺伝子の同定を目指し、ポジショナルクローニングを行うための連鎖地図の作成と、今後の機能解析に必要な遺伝子導入発現系の開発、および純系個体、コンジェニック系統の作出を行った。なお、本論文は、細入勇二、藤倉航平、清水美穂、黒田玲子との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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