学位論文要旨



No 124492
著者(漢字) 山田,康嗣
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,コウジ
標題(和) 線虫C. elegansにおける嗅覚順応異常変異体の単離と解析
標題(洋) Isolation of mutants defective in olfactory adaptation in C. elegans
報告番号 124492
報告番号 甲24492
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5390号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深田,吉孝
 東京大学 教授 石浦,章一
 国立遺伝学研究所 教授 桂,勲
 東京大学 准教授 榎森,康文
 東京大学 教授 飯野,雄一
内容要旨 要旨を表示する

動物は、様々な感覚により周囲の環境を認識し、それに対する応答を示す。その中で嗅覚は、広く動物に保存された感覚であり、餌の匂いや危険を知らせる匂いなど、生存、繁殖に直接結びつくような重要な情報を与える。嗅覚応答の可塑性である嗅覚順応は、匂いに連続的に曝されることによって匂いに対する応答が減弱する現象である。これは、動物が匂いに対する感度を調節するためのメカニズムであり、様々な濃度の匂いを適切に感知するために必要である。嗅覚順応は神経の性質の短時間での可塑的な変化の結果であり、哺乳類では感覚神経内でのCa2+シグナルを介したフィードバックなどが関与することが知られる。

線虫C.elegansは寒天プレート上で、好きな匂いに対して寄って行く行動を示すが、あらかじめその匂いを嗅がせておくと、その後には匂いに寄らなくなる。この行動変化が線虫における嗅覚順応である。これまで、遺伝学的解析に適する実験動物であるという利点をもとに、線虫の嗅覚順応に関与する新たな分子、メカニズムが明らかにされてきた。例えば、ベンズアルデヒドによる嗅覚順応には、EGL-4(cGMP依存性キナーゼ)、GOA-l/EGL-30(Gαo/Gαq)、TBX-2(TBX2/TBX3転写因子)ARR-l(β-アレスチン)などが必要であり、これらの分子は匂いを受容する嗅覚神経内で働くことが報告されている。一方、介在神経でのRas-MAPK経路の働きが必要であることも報告されており、線虫の嗅覚順応は神経回路レベルでの制御も受けていることが示唆される。しかしながら、線虫の嗅覚順応のメカニズムは、まだ不明なことが多く、他にも未知の分子が関与していると考えられる。そのため、本研究では嗅覚順応のメカニズムをより詳細に理解するために、ベンズアルデヒドを匂いとして用いたときの嗅覚順応の順遺伝学的な解析を行い、関与する新奇の遺伝子の探索を行った。その結果、gpc-1とnep-2を嗅覚順応に必要な遺伝子として新たに同定した。

gpc-1はGγ(Gタンパク質γサブユニット)の一つをコードする遺伝子であった。線虫のゲノムにはGγをコードする遺伝子としてgpc-1とgpc-2の二つがあり、gpc-2は全神経、筋肉で発現するのに対して、gpc-1は感覚神経特異的に発現することが知られている。細胞特異的発現によるレスキュー実験の結果、gpc-1は匂いを受容する感覚神経内で働くことがわかった。Gγは通常Gβ(Gタンパク質βサブユニット)とGβγ二量体を形成して働く。線虫は2つのGβ、GPB-1とGPB-2を持つが、GPC-1はGPB-1と共にGβγ二量体を形成し嗅覚順応を制御していることを遺伝学的に示した。GPB-1は、GPC-2ともGβγ二量体を形成することができ、細胞分裂の際に紡錘体の配向の決定に働くことが知られる。発生の完了した神経細胞内でのGPC-2の働きは知られていなかったが、細胞特異的RNAiの結果、GPB-1とGPC-2からなるGβγ二量体は匂いの感知に必要であることが示唆された。つまり、GPB-1はGPC-1、GPC-2のそれぞれに結合して、結合したGγによって嗅覚順応と匂いの感知の両方の機能を発揮することができる。また、それぞれのGβγ二量体は、他方の機能も弱く補うことも示唆された。Gβγ二量体は様々なエフェクターをとることが知られているが、結合するGαの機能を促進、または抑制することも報告されている。既知の嗅覚順応に関連する遺伝子との遺伝学的関係を調べた結果、GβγGPB-1/GPc-1はGαoGoA-1と並行してGαq EGL-30の働きを抑えることによって嗅覚順応を制御していることが示唆された。

NEP-2は哺乳類ネプリライシンと全長にわたって相同な分子であった。ネプリライシンは750アミノ酸からなるII型膜貫通タンパク質であり、N末の短い細胞内ドメインと膜貫通領域、そして大きな細胞外ドメインからなる。細胞外ドメインにはZnメタロプロテアーゼに共通するモチーフであるHExxHとExxA/GDが存在しており、さらに活性中心部分が別のドメインに覆われているため、基質としてペプチドだけをとる細胞外ペプチダーゼとして働くとされている。実際に、ネプリライシンはエンケファリンやサブスタンスPなどを分解することが生化学的に示されている。このため線虫でも、嗅覚順応を抑制するペプチドが存在し、NEP-2はそのペプチドを分解することによって嗅覚順応を制御している可能性が考えられた。ネプリライシンのHExxHモチーフは、活性中心にZn2+を保持するために必須であり、このモチーフのヒスチジンをフェニルアラニンに置換するとペプチダーゼ活性が完全に無くなることが生化学的に示されている。NEP-2でもこのモチーフが存在したので、同様の置換を施したnep-2遺伝子を発現させ、nep-2変異体のレスキュー実験を行ったところ、NEP-2は置換により完全に機能を失うことが確認された。このことから、嗅覚順応の制御においてNEP-2のペプチダーゼ活性が重要であることが示唆された。nep-2のプロモーターが発現を誘導する細胞を、Venusをレポーターとして使い確認すると、筋肉と一部の神経で発現が誘導されることがわかった。さらに、細胞特異的プロモーターを用いてnep-2変異体のレスキュー実験をすると、神経での機能が重要であることがわかった。しかしながら、特定の神経に発現していることが必要なわけではなく、不特定の神経で発現していれば十分であった。これはNEP-2の基質が体腔全体に広がるホルモン様のペプチドであることを示唆する。

NEP-2の嗅覚順応に関与する機能をより詳細に知るために、nep-2変異体の嗅覚順応異常を抑圧する変異を獲得した。その結果、nep-2の異常を抑圧する遺伝子としてsnet-1とSnet-2を同定した。Snet-2は線虫にだけ存在するタンパク質をコードする遺伝子であり、下皮で発現し機能することがわかった。一方snet-1は101アミノ酸からなるタンパク質をコードする遺伝子であり、アメフラシのL11 precursorに一部相同である。L11 precursorは前半部分が切り出され、神経ペプチドとして働くことが示唆されている。SNET-1はL11 precursorのうちペプチドとして切り出されると予想されている部分と相同性があり、ペプチドが切り出されるための塩基性アミノ酸が連続した配列と、細胞外に放出されるためのシグナル配列とが存在する。このため、SNET-1もL11 precursorと同様に神経ペプチドとして働くことが予想された。Venusを融合させたSNET-1を発現させると、体腔に存在する貪食細胞であるシーロモサイトにVenusの蛍光が見られた。一方で、snet-1のプロモーターは、感覚神経ASKと介在神経AIB、AIM、PVQなどに発現を誘導したが、シーロモサイトに発現を誘導しなかった。このことから、SNET-1のシグナル配列は実際に機能し、細胞外への放出に働くことがわかった。nep-2;snet-1二重変異体において細胞特異的レスキュー実験を行うと、snet-1は本来発現するどの細胞で発現させても嗅覚順応が抑圧された状態から回復することがわかった。このことから、SNET-1はシナプスで働くシグナル分子ではなく、ホルモン様に働くことが予想される。SNET-1ペプチドをNEP-2の基質と仮定するとNEP-2の基質がホルモン様に働くという予想と一致する結果である。さらに、SNET-1のcDNAを様々に欠失させ、それを用いてレスキュー実験を行った。その結果アメフラシのL11 precursorと相同性のある前半部分だけで機能することができ、後半部分は必須ではないことがわかった。このことは前半部分がペプチドとして切り出されてシグナルとして機能することを示唆する。Snet-1が発現する細胞のうち、感覚神経ASKと介在神経AIM、PVQはギャップ結合や化学シナプスにより、密接に関連している。線虫の嗅覚順応は、餌の存在や、味などの手がかりの影響を受けることが報告されているので、SNET-1は主に感覚神経ASKへ入力された情報に応答して分泌される環境シグナルと予想される。近年、感覚神経ASKでは餌の情報を感知することが示唆されており、SNET-1が餌シグナルとして働く可能性が考えられる。実際にsnet-1変異体では、嗅覚順応に対する餌シグナルの影響が小さくなっている結果が得られた。

本研究ではgpc-1が感覚神経内において働き、Go/Gq経路との遺伝学的相互作用により嗅覚順応を制御することが示唆された。またnep-2とsnet-1の嗅覚順応への関与を示すことにより、嗅覚順応が神経回路レベルの制御を受けることが確認され、NEP-2とSNETは他の感覚シグナルが嗅覚順応に影響を与えるための経路であることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は序、材料と方法、結果、考察と結論よりなる。結果の第一章では、線虫C. エレガンスにおいて嗅覚順応行動異常変異体の単離とその原因遺伝子の同定を行った結果について述べられている。第二章では、新しく嗅覚順応に関与することを明らかにした三量体型Gタンパク質γサブユニットをコードする遺伝子、gpc-1について行った解析の結果が述べられている。この中で、嗅覚順応においてGPC-1は匂いを受容する感覚神経AWCにおいて、Gタンパク質γサブユニットであるGPB-1と二量体を形成して機能することを示している。また、gpc-1と、既に嗅覚順応に関与することが知られていたGタンパク質γサブユニットをコードする遺伝子goa-1やegl-30との遺伝学的関係を明らかにしている。第三章では、同じく嗅覚順応に関与することを明らかにした、哺乳類のネプリライシンのホモログをコードする遺伝子、nep-2について行った解析の結果が述べられている。この中で、NEP-2が細胞外においてペプチダーゼとして機能すること、NEP-2の基質がホルモン様に働くペプチドであることが明らかにされ、以降の実験へとつながっている。第四章では、既知のペプチド遺伝子の中から、NEP-2の基質をスクリーニングすることを試みている。この中では、実際にNEP-2の基質であるペプチドは発見するには至っていないが、複数の嗅覚順応に関与している可能性のあるペプチドを発見している。第五章では、NEP-2の基質、若しくは関連のある分子を同定する目的で、nep-2変異体の嗅覚順応異常を抑圧する変異体を単離し、解析している。その結果、二つの遺伝子snet-1とsnet-2における変異がnep-2の嗅覚順応異常を抑圧することを明らかにしている。その内でSNET-1は細胞外に放出され、ペプチドとして機能することが示され、NEP-2の基質であることが示唆されている。

本論文により、線虫の嗅覚順応行動において新たに複数の遺伝子、gpc-1、nep-2、snet-1などが関与することが明らかになり、それぞれの遺伝子と既知の嗅覚順応関連遺伝子との遺伝学的関係が示された。特に、nep-2とsnet-1が嗅覚順応に関与することから、線虫の嗅覚順応がホルモン様ペプチドシグナルによって制御されることが明らかになった。また、哺乳類ネプリライシンは様々な病気に関連が報告され、近年注目が集まる分子であるが、そのホモログであるNEP-2が線虫において行動を制御していることを示したことは、意義のある発見であるといえる。したがって、本論文は学位論文として十分な内容を含んでいると判断された。

なお、本論文は、広津崇亮、松木正尋、國友博文、飯野雄一との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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