学位論文要旨



No 124494
著者(漢字) 大坪,瑶子
著者(英字)
著者(カナ) オオツボ,ヨウコ
標題(和) 分裂酵母の有性生殖開始を制御するTOR経路の解析
標題(洋) Analysis of the TOR pathways that regulate the onset of sexual development in fission yeast
報告番号 124494
報告番号 甲24494
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5392号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,雄一
 東京大学 講師 関根,俊一
 東京大学 准教授 大杉,美穂
 東京大学 准教授 前田,達哉
 東京大学 教授 山本,正幸
内容要旨 要旨を表示する

すべての生物は、様々な細胞内情報伝達経路を活用して、細胞外界の環境の変化に対応している。TOR (target of rapamycin)タンパク質は、情報伝達に関わる真核生物に広く保存されたフォスフォイノシチドキナーゼ様の巨大な(~280kDa)キナーゼタンパク質である。

出芽酵母やほ乳類での研究から、TORキナーゼは、インシュリンなどの増殖因子、アミノ酸などの栄養源、エネルギー、ストレスに反応して、転写、翻訳、タンパク質分解、リボソーム生合成、代謝、アクチン骨格形成など、細胞の成長・増殖に関わる様々な機構を調節していることが明らかとなっている。ほ乳類細胞のTOR (mTOR)の下流には、40Sリボソームタンパク質のS6をリン酸化するAGCファミリーキナーゼ S6K1とeIF4E binding proteinの4EBP1が存在することが知られており、アミノ酸やインシュリンなどの増殖刺激に応答して、mTORがこれらをリン酸化し、翻訳制御を行っていることが示されている。しかし、TOR経路の詳細なシグナル伝達機構については未だ不明な点も多い。

ほ乳類、出芽酵母では、TOR は2種類の複合体、TORC1、TORC2を形成していることが知られている。ほ乳類では、Raptor、mLST8、mTORからmTORC1複合体が、Rictor、mSIN1、PRR5 (Protor)、mLST8、mTORからmTORC2複合体が形成され、それぞれ異なる下流の因子にシグナルを伝達することが報告されている(図1)。出芽酵母には2種類のTORタンパク質、Tor1pおよびTor2pが存在し、TORC2はTor2pのみからなるが、TORC1にはTor1pとTor2pの両者が含まれていることが報告されている。これら複合体の構成因子を表1に示した。

mTORの上流に関しては、ヒト結節性硬化症の原因遺伝子産物TSC1-TSC2複合体がGAPとしてsmall G protein Rhebを制御し、Rheb がmTORC1に結合してTOR活性を正に制御していることがわかってきている。出芽酵母はTSCの相同遺伝子を持たないが、分裂酵母には相同遺伝子が存在し、それらの産物はほ乳類細胞と同様にTSC複合体を形成し、Rheb (Rhb1)を制御していることが報告されている。また、ほ乳類で、mTORC2の下流の因子であるAkt/PKBが、TSC2をリン酸化して抑制しているという、mTORC1とmTORC2のクロストークの例が報告されている。

本研究で用いた分裂酵母は、通常、栄養源が豊富な培地では一倍体として分裂を繰り返し、増殖する。栄養源が枯渇すると体細胞分裂をG1期で停止し、異なる接合型の細胞間でフェロモンの授受を行い、接合して二倍体となり、減数分裂を経て胞子形成を行う。

分裂酵母には出芽酵母と同様に、二種類のTORタンパク質、Tor1pおよびTor2pが存在する。分裂酵母のTor1pは、生育に必須ではないが、Tor1pを欠く細胞は、栄養源が枯渇してもG1期で停止できず、有性生殖不能の表現型を示す。また、ストレス条件下での生育にも欠損が生じる。分裂酵母が有性生殖の初期にG1期で停止するということに注目して、当研究室の先行研究でG1期停止に欠損のある変異株の単離とその解析が行われ、その中の一つgad2変異株の原因遺伝子がtor1であると突き止められた。さらに、Tor1pの標的としてAGCファミリーキナーゼであるGad8pが同定された。ほ乳類ではAGCファミリーキナーゼがPDK1様キナーゼによってリン酸化され活性化されることが知られていたが、分裂酵母でもPDK1様キナーゼのKsg1pがTor1pと協調してGad8pを活性化することが示され、TOR-PDK1-AGCファミリーキナーゼによるシグナル伝達経路が、真核生物で広く保存されている可能性が提唱された。ほ乳類と同じようにTSC1/TSC2-Rheb-TOR経路、TOR-PDK1-AGCファミーリーキナーゼ経路が分裂酵母に存在することから、分裂酵母のTOR経路の研究成果が、他の真核生物のTOR経路の解明につながっていくことも期待できる。

分裂酵母のもう一つのTOR、Tor2pは生育に必須である。当研究室で、Tor2pの解析を進めるためにTor2pの温度感受性株が作製された。この温度感受性株は、制限温度に移すと富栄養条件下で細胞周期をG1期で停止し、接合を開始することがわかった。また、当研究室で、分裂酵母の減数分裂開始制御因子Mei2pを抑制する因子のスクリーニングでとられたMip1pが、その後、mTORC1複合体構成因子Raptorのホモログであることが判明していた。

以上のような背景のもとに、本研究でMip1pの温度感受性株を新たに作製したところ、この株はtor2温度感受性株と同様の表現型を示すことが明らかとなった。Mip1pに加え、mTORC複合体構成因子であるRictorホモログのSte20pと、hSin1ホモログのSin1pと、mLst8ホモログのWat1pが分裂酵母にも保存されていたので、これらの因子とTor1pおよびTor2pとの相互作用を調べた。その結果、Mip1pは主にTor2pと、Ste20pとSin1pは主にTor1pと、Wat1pはTor1p、Tor2p両方と結合していることがわかった。さらに、ste20破壊株とtor1破壊株は非常に類似した表現型を示すことがわかり、このことからもSte20pがTORC2 の構成因子であると考えられた。以上の結果から、分裂酵母においてもTORC1、TORC2の2つの複合体が存在することが確認され(表1)、G1期停止して有性生殖を開始する制御において、TORC2 (Tor1p)は正に、TORC1 (Tor2p)は負に働いていることが明らかとなった。

Tor1pとTor2pは高い相同性を持つにも関わらず、対照的な機能を示した。そこでこの機能の違いがどこから生じているかを検討した。tor1破壊とtor2温度感受性変異が互いに抑圧するということはなかった。次に、Tor1pとTor2pの機能の違いを構造的に探るために、キメラタンパク質を作製した。TORには、いくつかの保存されたドメインが存在し、N末端側にはタンパク質相互作用に関わるとされているHEATリピート構造が広がっており、C末端側には、FATドメイン、FRBドメイン、キナーゼドメイン、FATCドメインを持つ。Tor1pとTor2pのN末側HEATリピート部位を入れ替えたキメラタンパク質と、Tor1pとTor2pのキナーゼドメインを含むC末側を入れ替えたキメラタンパク質をつくり、tor2温度感受性株およびtor1破壊株の表現型を相補できるかを調べた。その結果、N末側HEATリピート部位がTor1pあるいはTor2pとして機能するために重要であることがわかった。また、Tor1pの下流で働くGad8pの活性化型をtor2温度感受性株に高発現させると、半制限温度で抑圧が見られたことから、分裂酵母のTor1p、Tor2p経路にも何らかのクロストークがある可能性が考えられた。

当研究室では二種類のtor2温度感受性株、tor2-ts6とts10が単離されていた。これらの変異部位を決定したところ、ts6ではHEATリピート部位の変異が、ts10ではキナーゼドメインとFATドメインの変異が温度感受性に重要であることがわかった。また、これらの変異タンパク質は性質も異なっており、Tor2-ts6pはMip1pとの結合能が弱くなっていたのに対し、Tor2-ts10pは不安定で壊れやすくなっていることが明らかとなった。

分裂酵母では、Tor2pの下流の因子は未同定である。本研究では、Tor2p経路上の新規因子を単離することを目的として、いくつかのスクリーニングを行った。キメラタンパク質の解析などから、異なる機能が損われていると予想されるHEATリピート部位に変異が入ったtor2温度感受性株とキナーゼドメインに変異が入ったtor2温度感受性株を使い、それぞれ高温感受性を抑圧する因子のスクリーニングを行った。その結果、キナーゼドメインに変異が入ったtor2温度感受性の抑圧因子として、TORC複合体構成因子のWat1pが得られ、HEATリピート部位に変異が入ったtor2温度感受性の抑圧因子として、新規の因子Spr1pが単離された。Spr1pとTor2p経路の関係について詳細に検討した結果、ミトコンドリアの機能とつながりがある可能性が示された。また、Tor2pの局在を観察したところ、ミトコンドリアに局在していることがわかった。

さらに、tor2温度感受性株と同様な表現型を示す変異株(高温感受性かつ富栄養培地上でも接合)が当研究室で単離されていたが、それらの原因遺伝子をクローニングしたところ、アミノアシルtRNA合成酵素、tRNAの修飾酵素、RNA polymerase IIIサブユニットなど、tRNAと関係した因子をコードする遺伝子であることが判明した。tRNAはアミノアシルtRNA合成酵素によってアミノアシル化され、翻訳伸長因子eEF1によって翻訳伸長が行われているリボソーム上に運ばれて行く。スクリーニングで単離されなかった他のアミノアシルtRNA合成酵素の温度感受性変異株を作製したところ、これらの変異株もtor2温度感受性株と同様の表現型を示すことがわかった。また、アミノアシルtRNA合成酵素とTor2pが物理的に相互作用している可能性が示された。さらに、Wat1pを使ったツーハイブリッドスクリーニングを行ったところ、eEF1の構成因子であるeEF1aが単離された。eEF1aの破壊株を作製したところ、この破壊株もtor2温度感受性株と同様の表現型を示すことがわかり、tRNAや翻訳機構が有性生殖開始の制御と関わっている可能性が示唆された。

図1. ほ乳類のTOR経路

表1. TORC1、TORC2複合体構成因子

審査要旨 要旨を表示する

TORは真核生物に広く保存されたセリン/スレオニンキナーゼで、栄養源などの細胞外界の環境の変化に応じて、細胞の成長・増殖に関わる様々な機構を調節している。ほ乳類、出芽酵母では、TOR は2種類の複合体、TORC1、TORC2を形成している。ほ乳類では、Raptor、mLST8、mTORからmTORC1複合体が、Rictor、mSIN1、PRR5 (Protor)、mLST8、mTORからmTORC2複合体が形成され、それぞれ異なる下流の因子にシグナルを伝達することが報告されている。

学位申請者が本研究で用いた分裂酵母は、栄養源が豊富な培地では分裂で増殖する。栄養源が枯渇すると細胞周期をG1期で停止し、接合、減数分裂、胞子形成という有性生殖過程へと移行する。分裂酵母には、二種類のTORタンパク質Tor1pおよびTor2pが存在する。Tor1pを欠く細胞は、栄養源が枯渇してもG1期停止できず有性生殖不能である。またストレス条件下での生育にも欠損が生じる。一方Tor2pを欠くと生育できない。共同研究者により作製されたTor2pの温度感受性株は、富栄養条件下でも制限温度ではG1期で停止し、接合を開始した。また、所属研究室の先行研究で、mTORC1複合体構成因子RaptorのホモログであるMip1pが単離されていた。

以上の背景のもとに、申請者はMip1pの温度感受性株を新たに作製し、tor2温度感受性株と同様の表現型を示すことを明らかにした。さらに、Mip1p、RictorホモログのSte20p、mSIN1ホモログのSin1p、mLST8ホモログのWat1pの4因子について、Tor1pおよびTor2pとの相互作用を調べた。その結果、Mip1pは主にTor2pと、Ste20pとSin1pは主にTor1pと、Wat1pはTor1p、Tor2p両方と結合していることが明らかとなった。ste20破壊株とtor1破壊株が非常に類似した表現型を示すことも示された。以上の結果から、申請者は分裂酵母においてもTORC1、TORC2の2つの複合体が存在すること、G1期停止から有性生殖を開始する制御において、TORC2 (Tor1p)は正に、TORC1 (Tor2p)は負に働いていることを明らかにした。

有性生殖に対するTor1pとTor2pの機能の違いを構造的に探るために、申請者はTor1pとTor2pのN末側HEATリピート部位を入れ替えたキメラタンパク質と、Tor1pとTor2pのキナーゼドメインを含むC末側を入れ替えたキメラタンパク質をつくり、tor2温度感受性株およびtor1破壊株の相補を調べた。その結果、N末側HEATリピート部位がTor1pあるいはTor2pとして機能するために重要であると結論した。

申請者はさらに、Tor2p経路上の新規因子を単離することを目的として、いくつかのスクリーニングを行った。異なる機能が損われていると予想される、HEATリピート部位に変異が入ったtor2温度感受性株とキナーゼドメインに変異が入ったtor2温度感受性株を使い、それぞれ高温感受性を抑圧する因子のスクリーニングを行った。前者からTORC複合体構成因子のWat1pが得られ、後者からは新規の因子Spr1pが単離された。Spr1pとTor2p経路の関係について詳細に検討した結果、それらがミトコンドリアの機能とつながりがある可能性が示された。

申請者は、共同研究者が単離したtor2温度感受性株と同様な表現型を示す変異株の原因遺伝子を広範にクローニングした。その結果、それらはアミノアシルtRNA合成酵素、tRNAの修飾酵素、RNA polymerase IIIサブユニットなど、tRNAと関係した因子をコードすることが判明した。さらに、Wat1pを使ったツーハイブリッドスクリーニングから、翻訳伸長因子eEF1の構成因子であるeEF1aが単離された。eEF1aの破壊株もtor2温度感受性株と同様の表現型を示した。また、アミノアシルtRNA合成酵素やeEF1の構成因子がTor2p と相互作用することもわかった。これらの結果から、tRNAや翻訳機構が有性生殖開始の制御と関わっている可能性が示唆された。

以上、大坪瑶子は本研究において、分裂酵母のTORキナーゼの基本的な性格付けを完了し、有性生殖に対する2種のTOR複合体の対照的な役割を明らかにした。またTOR経路とミトコンドリア、あるいはtRNAや翻訳機構との関わりを示唆する先駆的な結果を得ている。これらの研究成果は、細胞が外界条件に応答する際にTORキナーゼが果たす機能の解明に向けて重要な寄与をなすものであり、学位申請者の業績は博士(理学)の称号を受けるにふさわしいと審査員全員が判定した。なお本論文は松尾朋彦、Jun Urano、玉野井冬彦、山本正幸との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、大坪瑶子に博士(理学)の学位を授与できると認める。

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