No | 124497 | |
著者(漢字) | 金,尚宏 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | コン,ナオヒロ | |
標題(和) | 概日時計のリセット機構 | |
標題(洋) | Resetting Mechanism of Circadian Clock | |
報告番号 | 124497 | |
報告番号 | 甲24497 | |
学位授与日 | 2009.03.23 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第5395号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 生物化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 哺乳類のほぼ全ての細胞には概日時計が存在し、様々な生理現象を制御している。この時計の重要な特性のひとつとして、細胞外シグナルを利用して時計の時刻をリセットする入力系を持つことがあげられる。視床下部の視交叉上核の中枢時計においては、光による位相(時刻)シフトにPer遺伝子の急性な転写活性化が重要であることが知られている。一方で、各末梢組織に存在する末梢時計においては、Per非依存型の時計リセット機構が存在することが示唆されていたが、その分子機構は不明であった。この課題にアプローチするため、私は分子時計の研究モデルであるRat-1繊維芽細胞に着目した。 Rat-1細胞における概日時計をリアルタイムで時刻可視化するシステム(図1)を構築している過程で私は、培養培地のpHの微弱なアルカリ化によって、細胞時計の時刻がリセットすることを見いだした。この時計リセットの分子機構を明らかにするため、アルカリ化直後の時計関連遺伝子の発現変化を網羅的に解析した。その結果、アルカリ化による時計リセットの直後にはPer遺伝子の発現変化が観察されないことから、この時計リセットが新規の分子機構によって媒介されていることが示唆された。興味深いことに、培地pHのアルカリ化はbHLH型転写因子をコードするDec1遺伝子の急性発現を誘導することがわかった。 DEC1は細胞レベルでの過剰発現実験から時計制御因子として報告されていたが、その欠損マウスはほぼ正常な時計発振機能を示すことから、時計システムにおける生理的な役割は不明であった。私は、DEC1は時計リセットに関与する因子なのではないかと考え、RNAi法によるDec1のノックダウン実験を行った。その結果、Dec1の誘導阻害によって、アルカリ化による時計リセットが大きく減弱することがわかった。すなわち、上記のPer誘導非依存型の時計リセットにおいてDec1が必須であることが明らかとなった。 アルカリ化によるDec1依存型の時計リセットを媒介する細胞内シグナル伝達系を明らかにするため、様々のキナーゼ阻害剤を用いて薬理学的な解析を行った。その結果、多くの阻害剤が効果を示さなかったのに対し、Activin receptorlike kinase (ALK) 5の阻害剤であるSB431542とD4476がアルカリ化による時計リセットおよびDec1誘導を阻害することが分かった。ALK5は膜貫通型のセリン/スレオニンキナーゼであり、Transforming Growth Factor (TGF)-β受容体として機能する。そこで、ALK5の活性化状態の指標として転写因子SMAD2/3のリン酸化状態を解析したところ、培地pHのアルカリ化によって、SMAD2/3のリン酸化レベルが大きく上昇することがわかった。さらに、培地中の活性型TGF-βレベルを定量したところ、培地のアルカリ化によってそのレベルが増加することがわかった。すなわち、培地のpHのアルカリ化は、TGF-βシグナリングを活性化してDec1依存型の時計リセットを引き起こすことがわかった。 次に、TGF-βスーパーファミリーに属するアゴニストであるTGF-β, アクチビン、Bone Morphogenetic Protein (BMP)-2が細胞時計に及ぼす影響を解析した。ALK5のアゴニストであるTGF-βあるいはALK4/7のアゴニストであるアクチビンABのRat-1細胞への投与は、アルカリ刺激と同様にPerの転写活性化を伴わずにDec1の誘導を引き起こすことがわかった。一方、ALK1/2/3/6のアゴニストであるBMP-2の投与はDec1を誘導しなかった。すなわち、特異的なALKサブタイプ(ALK4/5/7)がDec1の誘導に重要であることがわかった。また、TGF-βあるいはアクチビンのRat-1細胞への投与は、細胞時計を時刻依存的にリセットすることが分かった。TGF-βによるDec1誘導と時計リセットに必要な分子を探索するため、受容体制御型SMADであるSMAD2とSMAD3、そして共通SMADであるSMAD4に対してRNAi法によるノックダウン実験を行った。その結果、TGF-βによるDec1の誘導および時計リセットにはSMAD3とSMAD4が必須であることがわかった。加えて、クロマチン免疫沈降法により、TGF-β依存的にSMAD2/3がDec1プロモーター領域に結合することが明らかとなった。すなわち、TGF-β-ALK5-SMAD3/4という細胞内シグナリングは、Dec1の転写を活性化して細胞時計の位相を制御すると結論された(図2)。 TGF-βによる時計入力系が生きた動物個体においても機能するかどうかを調べるため、マウス腹腔内へのTGF-β投与実験を行った。その結果、TGF-βは腎臓などの組織においてDec1を誘導し、末梢時計の位相シフトを引き起こすことがわかった(図3)。一方、Dec1欠損マウスにおいてはこの位相シフトが認められないことから(図3)、生体においてTGF-beta-Dec1入力系は末梢時計の時刻制御シグナリングとして重要な役割を果たすことがわかった。 図1 細胞時計の時刻可視化システム 図2 細胞時計の新規時計入力経路 図3 TGF-βによる末梢時計の位相シフト | |
審査要旨 | 本論文は四章から構成されている。第一章は、イントロダクションであり、ほ乳類の概日時計システムの背景知識として、(1)概日時計の発振を担う転写・翻訳を介したフィードバックモデル、(2)中枢時計と末梢時計、(3)概日時計の位相(時刻)リセット機構について概説している。加えて、当該分野において『Period遺伝子の転写誘導に依存しない時計リセットの分子機構』が重要な研究課題として残されていることが記述されている。 第二章は、実験手順であり、(1)時計遺伝子Bmal1のプロモーター配列を用いた細胞時計の時刻可視化システム、(2)定量的RT-PCR法、(3)ELISA法によるTransforming Growth Factor (TGF)-βの定量解析法、(4)RNA干渉による遺伝子のノックダウン法、(5)イムノブロット法、(6)クロマチン免疫沈降法、(7)マウスを用いた薬理実験に関して記述されている。 第三章は、時計リセットを誘導する新規の細胞内シグナリングを同定した結果が記述されている。論文提出者は、細胞時計の時刻をリアルタイムで可視化する実験系を構築し、その過程で培地のpHの変化が細胞時計の時刻をリセットすることを見いだした。pHシグナルに応答する時計関連遺伝子を網羅的に解析した結果、様々な時計リセットの際に転写誘導が観察されるPeriod遺伝子の転写活性化は観察されない一方、アルカリ刺激によってDec1遺伝子が急性に転写活性化されることを見いだした。Dec1は、細胞レベルでの過剰発現実験から時計制御因子である可能性が示された因子であった [Honma et al., Nature 419, 841-844 (2002)]。しかしながら、その後Dec1欠損マウスが作成されたが、そのマウスはほぼ正常な行動リズムを示すことから [Grechez-Cassiau et al., J Biol Chem. 279, 1141-1150 (2004); Nakashima et al., Mol Cell Biol. 28, 4080-4092 (2008)]、Dec1がどういった局面で時計制御因子として機能するのかは謎に包まれていた。本論文では、RNA干渉法によるDec1の転写誘導の阻害によって、アルカリ刺激による時計の時刻リセットが大きく減弱したことが記述されている。この結果は、Dec1が時計の時刻リセットにおいて機能する因子であることを見いだした点に加え、Period遺伝子の誘導を伴わない時計リセットの分子機構を初めて解き明かした点で非常に斬新である。本章ではさらに、アルカリ刺激によるDec1依存型の時計リセットを誘導する細胞内シグナル伝達経路を探索している。その結果、培地pHのアルカリ化によるTGF-βシグナリングの活性化が時計リセットを担うことが見いだされている。さらに、TGF-βやアクチビンといったタンパク質因子の投与によってDec1が転写誘導され、時刻依存的に細胞時計がリセットされることや、その細胞内シグナリングには転写因子SMAD3とSMAD4が重要であることが記述されている。また、野生型マウス個体へのTGF-βの腹腔内投与は肝臓や副腎などの末梢組織の時計の位相シフトを引き起こす一方、Dec1欠損マウスにおいてはこの位相シフトが観察されないことから、生体内においてもTGF-β-Dec1入力経路が時計制御に重要であることが証明されている。TGF-βが概日時計の制御を担うという知見は全く新規のものであり、当該研究分野に新しい視点をもたらしたと言える。 第四章はディスカッションであり、本研究結果から同定したTGF-βやアクチビンによる時計入力シグナルが、どういった生理的局面で機能しているのかに関して、先行知見に基づいて考えが述べられている。また、臨床医科学への応用として、慢性疲労症候群とリズム異常に関しても議論されている。最後に、Dec1がさまざまな環境因子によって転写誘導されるという知見から、今後の研究課題を提示している。 なお、本論文の第2章は、広田 毅、河本 健、加藤 幸夫、坪田 匡史、深田 吉孝との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究計画を考案し、分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分と判断する。 審査時点での本論文は、当該研究分野の背景知識についての説明が乏しい点や実験結果の掲載を省略していた点があったため、審査委員会は論文の改編を要求した。それを受けて論文申請者は、イントロダクションに十分な説明を付け足し、要求された実験結果を論文中に掲載した。改編後の論文は十分な内容が補足されてあり、審査委員は全員一致で合格と判断した。したがって審査委員会は、論文提出者に博士(理学)の学位を授与できると認める。 | |
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