学位論文要旨



No 124500
著者(漢字) 原口,健
著者(英字)
著者(カナ) ハラグチ,タケシ
標題(和) miRNAを長期間、高効率で阻害するDecoy RNA発現ベクターの開発
標題(洋) Vectors expressing efficient RNA decoys achieve the long-term suppression of specific microRNA activity in mammalian cells
報告番号 124500
報告番号 甲24500
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5398号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 程,久美子
 東京大学 教授 宮島,篤
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 中村,義一
 東京大学 教授 伊庭,英夫
内容要旨 要旨を表示する

1998年にAndrew FireとCraig Melloによって、C.elegansにおいて、double-strand RNA(dsRNA)が、特異的かつ効率的に遺伝子発現を阻害し得ることが発見された。この現象はRNA interference(RNA干渉)と名付けられた。この現象を利用することにより、線虫に限らず植物、脊椎動物においても目的の遺伝子を発現抑制することができるため遺伝子機能解析において非常に有用であった。そのため今日の分子細胞生物学における必須のツールとなっている。現在ではこのRNA干渉は、外来の遺伝子やウイルスに対する防御機構のために細胞が内蔵している代謝系であると理解されていて、それ故この現象の機構解明は現代生物学の重要な課題となっている。さらに内在性の小さなnon coding RNAによってもRNA干渉が誘導されることがC.elegansにおいて発見され、当初はsmall temporal RNAと名付けられたが、後にmicroRNA(miRNA)という名が提唱された。

miRNAは内在性に発現される小さな(20~25nt)調節性の非コードRNAである。ほぼ全てのmiRNAはRNA polymerase IIによって長い1本鎖RNAとして転写され、ヘアピンループ構造をとる。これをprimary miRNA(pri-miRNA)という。核内にあるDroshaがこのpri-miRNA分子を切断してprecursor miRNA(pre-miRNA)を作る。このpre-miRNAはキャリアタンパク質であるExportin-5によって核外に輸送され、細胞質においてDicerにより20-25ntのmiRNA配列が切り出される。このmiRNAはRNA-induced silencing complex(RISC)の成分として転写後レベルで数多くの標的遺伝子の発現を調節している。miRNAによる抑制にはいくつかの様式がある。あるmiRNAとmRNA中にあるその標的配列とが完全に相補的である場合は、miRNAはそのmRNAの切断を誘導し、mRNAレベルの急速な減少を引き起こす。しかしながら、哺乳動物のmiRNAの大半は、3'-UTRに位置する標的配列と限られたレベルの相補性しか持たず、翻訳抑制またはP-bodiesにおける標的mRNAの急速な脱アデニル化による急速なdegradationを引き起こすと考えられている。ヒトコード遺伝子の1/3以上がmiRNAの標的であると予想されており、発生、分化、および感染に対する細胞防御、腫瘍形成において、重要な役割を果たしているとの報告が数多くなされている。しかし、miRNAの標的認識については完全には解明されていないこともあり、ほとんどのmiRNAは標的遺伝子が見つかっておらず機能未知である。そこでmiRNAの包括的な機能解析が必要になる。そのためにはmiRNAを特異的に阻害する技術が不可欠である。miRNAの機能を阻害する方法は既に存在しており、例えば、2'-O methyl RNA、locked nucleic acidおよびantagomirsが存在する。これらはmiRNAに対して相補配列を持つ修飾オリゴヌクレオチドまたは核酸類縁体で、細胞性のヌクレアーゼに耐性であり、RISCに切断されない基質として機能するが阻害活性は一過性である。最近、miRNAを阻害するmicroRNA spongeベクターが報告された。このベクターの一過的発現はmiRNAの機能を効率的に阻害するが、その阻害効果は期間経過により大幅に低下してしまうといった欠点があった。この他にantagomir,microRNA eraserというmiRNA阻害ベクターも報告されているがいずれも十分な抑制効果を得られていない。従って、より長期間にわたって効果的にmiRNAを阻害する方法の確立が望まれていた。そこで本研究において効果的にmiRNAの機能を阻害するベクターの開発を行った。

miRNAの生合成過程はほとんど全てのmiRNAに共通しているため、特異的なmiRNA阻害を達成するのにこの過程を阻害するのは適当でない。そこでmiRNAの抑制様式に着目し、miRNAと相補な配列を持つDecoy RNAを発現させる方法を選択した。Decoy RNAを発現するプロモーターとして、転写開始点および転写終結点を厳密に制御でき、かつ転写活性の高いRNA polymerase III系mouseU6プロモーターを使用した。Decoy RNAは、その標的であるmiRNAが機能する細胞質に輸送される必要がある。また、これまでにステムーループ構造を持つsmall RNAのExportin-5による核外輸送が詳細に調べられている。そこでステムーループ構造を持つsmall RNAをDecoy RNAの基本構造とし、そこからDecoy RNAの二次構造やmiRNA結合配列(MBS)の至適化を行い、miRNA阻害ベクターの作製を進めた。また、miRNA阻害ベクターの至適化を行うためにmiRNA阻害効果を測定するためのアッセイ系として、miR-140-3pと完全に相補的な21bpの配列をGFP遺伝子のすぐ下流に持つGFPレポーターベクターと、miR140-5p/140-3p発現ベクターを、内在性のmiR140-5p/140-3pをほとんど発現していないHeLaS3細胞に導入し、GFPがmiR-140-3pにより抑制されている状態の細胞を作製、使用した。その結果、図Aに示した構造のRNA(Tough Decoy RNA;TuD RNAと名付けた)が高い阻害効果を持つことが分かった。TuD RNAは18bp長のステム構造、miRNAに完全相補な配列に4nt挿入した配列であるMBSを2つ、この2つのMBSをつなぐステムループ構造、MBSとステム構造の間の3nt長のリンカー配列から構成されており、それぞれ核外輸送、miRNA-RISC複合体による切断の回避、RNaseやmiRNA-RISC複合体による分解への耐性、MBSとmiRNAの結合しやすさに寄与していて、それ故高いmiRNA阻害効果を発揮していると考えられる。

TuD RNAの阻害効果の汎用性および特異性を調べるため、miR-140-3pに対するアッセイ系と同様にしてmiR-140-5pのためのレポーター細胞系を構築した。TuD-miR-140-3pおよびTuD-miR-140-5pの阻害効果を、これらのレポーター細胞系の両方を使用して決定した。miR-140-3pレポーター系においては、TuD-miR-140-3pの導入はGFP発現の完全な回復を示したが、TuD-miR-140-5pの発現では効果を示さなかった(図B)。miR-140-5pレポーター系においては、TuD-miR-140-5pベクターの導入は、GFP発現の完全な回復を示したが、TuD-miR-140-3pベクターの導入では、このレポーターに対して効果を示さなかった(図C)。これらの結果は、TuD RNAの阻害効果が標的miRNAに対して効率的、特異的であり、かつTuD RNA事をが汎用性を有することを示している。さらに、TuD-miR-140-3pベクターをmiR-140-3pに対するアッセイ系に導入し、GFP発現レベルの経時変化をモニターし、TuD-miR-140-3pがmiR-140-3pを一ヵ月を超えて効率的に阻害し、TuD-miR-140-5pでは一切阻害しない状態が維持されることを観測した(図D)。

TuD RNAの阻害能が汎用性を有することをさらに確かめるため内在性のmiR-21についてPA-1細胞およびHCT116細胞においてルシフェラーゼレポーターアッセイを行ったところ、TuD RNAは内在性のmiR-21に対しても高い阻害効果を示した。TuD-miR21を導入したPA-1細胞において細胞増殖の強い抑制が見られ、さらにアポトーシスも誘導されていた。以上より、TuD RNAがmiRNAの機能を十分に抑制して、これまでに報告されていたmiR-21の増殖刺激活性、アポトーシス抑制活性を阻害したことが示された。

TuD RNAを用いることでmiRNAを効率的、特異的かつに長期間安定に阻害することができる。また、TuD RNAは標的miRNAを長期間安定的に抑制し、生物的活性を誘導しうることを示した。そのためTuD RNAを用いることでmiRNAとその標的遺伝子間のネットワークの解明が可能であると考えている。また、ノックダウンマウスのようなin vivoアッセイやCre-loxPを利用した時間特異的かつ組織特異的なmiRNAノックダウンを実施することも可能であると考える。TuD RNA発現カセットは容易に構築することができるので、miRNAを包括的に解析するためのライブラリーを構築することもできる。このように、本成果はmiRNAの研究に極めて有用なツールを提供するものである。

【図】(A)TuD RNAの構造。MBSはmiRNA結合部位を表す。(B)GFPレポーター細胞系により検出したTuD-miR140-5pおよびTuD-miR140-3pのmiR140-3p活性に対する効果。(C)TuD-miR140-5pまたはTuD-miR140-3pのmiR140-5p活性に対する効果。(D)TuD-miR140-3pのmiR140-3p活性に対する阻害効果の経時変化。Relative GFP expressionは、miR-140-3pレポーターのみを保持するHeLaS3細胞に対して正規化した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる。第1章はイントロダクションであり、RNA干渉機構についての研究背景が説明されている。特に最近明らかになりつつあるmicroRNA(miRNA)の生物学的重要性、miRNA解析におけるmiRNA阻害法の必要性、既存技術の問題点、そしてmiRNA阻害ベクターの必要性について述べられており、本論文の目的を示している。

第2章はmiRNA阻害ベクターの開発の手順と開発したmiRNA阻害ベクターの特長について述べられている。まずmiRNAの阻害方法としてmiRNAと相補な配列を持つDecoy RNAを細胞核内で発現させる方法を選択している。そしてDecoy RNAを発現するプロモーターとして、転写開始点および転写終結点を厳密に制御でき、かつ転写活性の高いRNA polymerase III系のプロモーターであるマウスU6プロモーターを使用している。このDecoy RNAは、その標的であるmiRNAが機能する細胞質に輸送される必要があることから、これまでにExportin-5による核外輸送が詳細に調べられているステム-ループ構造を持つsmall RNAをDecoy RNAの基本構造とし、Decoy RNAの二次構造やmiRNA結合配列(MBS)の至適化を行いmiRNA阻害活性の高いRNA構造を絞り込んでいる。こうしたmiRNA阻害ベクターの検索の結果、特に高いmiRNA阻害効果を示したDecoy RNAをTough Decoy RNA; TuD RNAと名付け、その構造・配列の持つ特性について述べている。既存のmiRNA阻害ベクターはどれもDecoy RNAを発現させる手法であるが、Decoy RNAの2次構造の詳細にまで注目して設計されたものはこれまでにはなく、この点において本論文は独創的である。またその斬新な試みが後で述べられるような成果につながっており評価できる。

さらに開発したTuD RNAについて独自に開発したassay系を使用して詳細な解析を行っている。まずはTuD RNAが様々なmiRNAにたいして特異的に阻害効果を示し、さらにその効果が長期間持続することを示している。従来よく使用されていたmiRNA阻害法は2'-OMeやLNAといった合成化合物を用いたものであるため持続性がないという欠点があった。そのためこのTuD RNAのもつ阻害効果の持続性はmiRNA解析において特に重要である。そしてTuD RNAには核外移行能や細胞内での分解への耐性といった性質があることを明確に示しており、TuD RNAが設計時に期待したとおりの性質を持っていることを実証している。そして、これがmiRNA阻害効果を有し、それに伴って強い生物的活性が発揮されることを示している。これはTuD RNAが生物的活性を誘導し得るだけの強力な阻害能を持っているということであり、またTuD RNAの使用例を示したという点で高く評価できる。このmiRNA阻害効果については既存の手法との比較も行っている。その結果、TuD RNAが既存の手法と比べはるかに高いmiRNA阻害効果を持っていることを示しており、この点が本研究において最も評価できる点である。最後にTuD RNAが標的miRNAの属するfamilyの他のmemberに対して阻害効果を示すかどうかについて検討している。すなわちmiRNAにはseed配列が同一であり、共通の標的遺伝子を有すると考えられているmiRNA familyが存在する。標的認識において重要な配列が同一であるため特異性があるかどうかが注目されるが、解析の結果TuD RNAはmiRNA family間では区別をせずに阻害すると結論している。本論文ではこの性質を相補的に働くと考えられるmiRNA familyを一括して阻害できるという利点もあると考察している。たしかに個々のmiRNAを特異的に阻害できないという点においては欠点であるが、ノックアウト技術にはない性質であることを考慮すると、miRNA解析方法の幅が広がるという点において意義があると考えられる。以上のように本論文第2章は新規で、極めて強力なmiRNA阻害方法を提供するものである。

第3章は結論と今後の展望について、本論文において開発した技術の応用面での今後の展開に関して述べられている。本論文の第2章において述べられているこの技術の特長を考えると、基礎化学におけるmiRNAの機能解析において大いに役立つと考えられる。また将来的にはmiRNAを標的とした創薬としても充分に期待できる。

第4章は謝辞であり、第5章は参考文献について書かれている。

なお、本論文は原口 健・尾崎 由佳・伊庭 英夫との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(理学)の学位を授与できると認める。

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