学位論文要旨



No 124508
著者(漢字) 青山,晋
著者(英字)
著者(カナ) アオヤマ,ススム
標題(和) 軸糸ダイニン-微小管間で発生する新奇な運動に関する研究
標題(洋) Studies on the novel movements produced by axonemal dynein-microtubule interaction
報告番号 124508
報告番号 甲24508
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5406号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 准教授 真行寺,千佳子
 東京大学 准教授 奥野,誠
 中央大学 教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

真核生物の鞭毛・繊毛は、生物間で広く保存された運動性の細胞小器官である。鞭毛・繊毛特有の周期的な屈曲波は、それらの中核構造である軸糸から発生する。軸糸の基本骨格は2本の中心対微小管を9本の周辺微小管が取り囲んだ9+2構造である。それぞれの微小管上に200種類以上の蛋白質が規則的に結合し、一つの複雑な構造体を形成している。この軸糸をATP存在下に置くと、それだけで自律的に屈曲波を発生することから、軸糸には屈曲波発生に必要な要素が全て含まれていると考えられている。

軸糸の波動運動の原動力を発生しているのは、周辺微小管上に規則的に並んだモーター蛋白質ダイニンである。軸糸ダイニンは、外腕ダイニン1種と内腕ダイニン複数種に分類され、それぞれ重鎖・中間鎖・軽鎖と呼ばれる複数のサブユニットから形成されている。この中で、力発生において中心的な働きをしているのが、ダイニン重鎖である。ダイニン重鎖は、ATP加水分解サイクルに応じて構造変化するとともに、ストークと呼ばれる突起で微小管と結合・解離を繰り返す。それによって、隣の微小管をプラス端方向(軸糸先端方向)に向かうように滑らせる。in vitro gliding assay(スライドグラス上にコートしたダイニンの上で微小管を滑らせる運動性検定)によって調べられた各種ダイニンの運動性は、微小管をプラス端方向へ滑らせる(すなわち、ダイニン自体は微小管のマイナス端方向に滑る)という点では共通しているが、運動速度、微小管を回転させる性質の有無、ADPによる運動調節の有無などについて、ダイニン分子種ごとに異なることが分かっている。

軸糸が屈曲波を発生するためには、9本の周辺微小管上に並んだ複数種のダイニンの滑り力が適切に制御される必要がある。軸糸ダイニンは規則的にその力発生をオン・オフすることで各微小管の一方向性の滑り運動を軸糸全体の屈曲・振動運動に組織化していると考えられているが、その制御メカニズムは良く分かっていない。また、軸糸微小管上の同じ位置にある複数のダイニンは、全てが同じ速度で微小管を滑らせており、その速度は最大20 μm/秒に達するはずであるが、in vitro gliding assayではどのようなダイニンにおいてもそのような高速運動は見られておらず、軸糸内で高速滑り運動が発生する理由は分かっていない。このように、鞭毛運動発生の際にダイニンがどのように軸糸中で機能し、協調しているのかが大きな謎となっている。本研究では、このような軸糸中のダイニンの運動が制御される仕組みを探るため、ダイニンと微小管からなる2種類の単純化したモデル実験系を用い、その運動を解析した。一つは、軸糸を解体して得られる2本の周辺微小管からなる系、もう一つはダイニンと微小管から再構成された微小管束の系である。

第1章では、解体した軸糸中における2本の微小管間で発生する振動運動について述べる。以前の研究により、軸糸は部分的に解体しても周期的な運動を発生しうることが示されていた。そこで本研究では、プロテアーゼを使って軸糸を解体し、軸糸ダイニンと微小管から周期的運動が発現する最小の単位を探った。脱膜したクラミドモナス軸糸をATP存在下で軽くプロテアーゼ処理すると、軸糸を構成する9本の周辺微小管が軸糸の根元で繋がったまま1本ずつに分かれる。この解体軸糸をATP存在下に置くと、2本の周辺微小管間で結合と解離を繰り返すことが分かった。高速記録した運動画像から、この振動運動は、次のようなメカニズムで発生していると結論された(図)。微小管上の複数のダイニンは2本の微小管間で滑り力を発生するが、その力は、固定された根元の部分で最大となり、その力により2本の微小管の解離が起こる。一度発生した解離部分は、微小管滑り力によって先端方向へ拡大し、ついには微小管全体の解離にいたる。全体が解離すると、根元のダイニンと微小管が相互作用できる距離にまで接近し、再び微小管同士が結合して滑り力の発生が始まる。この振動運動機構の要点は、ダイニンの発生する滑り力が微小管間の解離を引き起こし、ダイニン-微小管間の相互作用が切れるという、負のフィードバックが存在することである。この現象は、軸糸でダイニンの滑り力がオン・オフされるメカニズムと同一の機構によるものである可能性があり、軸糸の振動運動発生機構のモデルになり得ると考えられる。

第2章では、軸糸ダイニンと微小管から再構成したダイニン-微小管複合体で発生する運動について述べる。過去の研究から、ダイニンと微小管を混合すると外腕ダイニンが微小管上に軸糸内配置と同じように24 nmの間隔で並んで結合することが知られていた。ATP非存在下では、ダイニンが微小管間にクロスブリッジを形成するため、微小管の束が形成される。ここにATPを添加するとクロスブリッジが切れて束は解離するが、その際に何らかの運動が起こるかどうかはほとんど調べられていなかった。第1章の研究により、ダイニンと微小管だけからなる単純な構造から前述のような振動現象が発生することが分かったので、次の課題として、この人為的に作製した微小管の束でもそのような運動が発生するか否かを検討した。本研究では、Caged ATPを使うことで、微小管束の解離の瞬間に起こる現象を効率的に観察できるようにした。

まず、微小管束にATPを添加すると、束中の微小管が滑り運動を起こすことが見いだされた。さらに、微小管の一部がガラス上に固定されているとき、2本程度の微小管の間で、解体軸糸で見られたものと同様の振動運動が発生することが分かった。この運動は、解体軸糸の運動ほど安定ではないが、数サイクルから数十サイクルに渡って持続した。また、軸糸断片を利用し、微小管に固定端を作って同様に実験すると、さらに高頻度で振動運動が発生した。これによって、固定端のある微小管とダイニンさえあれば振動運動が発生することを示された。すなわち、微小管とダイニンの組み合わせそのものに滑り力を振動運動に変換する機構が備わっていると結論された。

次に、1本の微小管上を別の1本の微小管が滑走する際、その速度が30 μm/秒もの高速に達するという思いがけない事実が観察された。これまで、クラミドモナスの外腕ダイニンは軸糸内では高速で運動するモーターであることが示唆されていたにもかかわらず、in vitro gliding assayでは、最大でも5 μm/秒程度の速度でしか運動しないことが示されていた。今回の結果は、外腕ダイニンが微小管上へ配列している場合には、速い微小管滑り運動を発生できることを示している。そのようなことが起こる理由として、ダイニンが一方向に並んでいることやダイニンが密に並んでいて隣同士で相互作用することなどの可能性が考えられる。

クラミドモナスの外腕ダイニンは3つの重鎖を含んでおり、そのうちの1つを欠損した変異株では鞭毛の運動性が低下することが知られている。これらの鞭毛から抽出した軸糸ダイニンには、野生株のダイニンと同様に、微小管束を形成する活性がある。それらの束における滑り運動を調べたところ、意外なことに、これらはすべて野生株ダイニンと同程度の速い速度を示すことが分かった。このことは、重鎖の1つを欠損した外腕ダイニンは、屈曲運動する軸糸内のような負荷のある条件下で運動する際には力が十分でないために速い運動ができないが、微小管束のような無負荷の条件下では速く運動できることを示している。

軸糸をプロテアーゼ処理すると軸糸微小管同士をつなぐ構造が切断され、その後ATPを添加すると微小管の滑り運動を発生させることができる。この運動は、これまで無負荷時の運動と考えられていた。しかし、今回、caged ATPを用いて各種軸糸における滑り速度を測定したところ、野生株軸糸における微小管の滑り速度は20 μm/秒と微小管束解体時に見られた滑り運動より遅く、変異株軸糸における滑り速度は8~16 μm/秒とさらに遅かった。この結果から、プロテアーゼ処理後の軸糸中にも外腕ダイニンの運動に対して負荷となる摩擦が存在することが示唆された。

本研究によって、軸糸ダイニンと微小管が一定の構造として組み合わされると、振動運動を発生させることができること、および、高速の微小管滑り運動を発生できることが分かった。これまでのダイニン研究では、軸糸ダイニンだけを取り出してその性質を調べるものが多かったが、軸糸ダイニンの機能の解明には、微小管との複合体の構造を考慮することが不可欠であると考えられる。今回の研究で用いたようなダイニン-微小管からなる単純化された実験系により、今後さらに多くの知見がもたらされることが期待できる。

(上)結合・解離を繰り返す2本の微小管の暗視野像(ATP 500 μM, 50 フレーム/秒, bar 5 μm)

(下)2本の微小管間で発生する振動運動のモデル

審査要旨 要旨を表示する

真核生物の鞭毛・繊毛は、生物間で広く保存された細胞運動器官である。鞭毛・繊毛特有の周期的な屈曲波は、それらの中核構造である軸糸が発生する。その原動力を発生しているのは、周辺微小管上に規則的に並んだモーター蛋白質ダイニンである。軸糸ダイニンは規則的にその力発生をオン・オフすることで各微小管の一方向性の滑り運動を軸糸全体の屈曲・振動運動に組織化していると考えられているが、その制御メカニズムは良く分かっていない。申請者は、このような軸糸中のダイニンの運動が制御される仕組みを探るため、微小管とダイニンからなる2種類の単純化したモデル実験系を用い、その運動を解析した。

本論文は2つの章からなる。第1章では、解体した軸糸中における2本の微小管間で発生する振動運動について述べられている。クラミドモナスの軸糸を軽くプロテアーゼ処理すると、軸糸を構成する9本の周辺微小管が軸糸の根元で繋がったまま1本ずつに分かれる。この解体軸糸をATP存在下に置くと、2本の周辺微小管間で結合と解離を繰り返すことが見いだされた。高速記録画像から、この振動運動機構の要点は、ダイニンの発生する滑り力によってダイニン-微小管間の相互作用が切られるという、負のフィードバックにあると結論された。この現象は、軸糸でダイニンの滑り力がオン・オフされるメカニズムと同一の機構によるものである可能性があり、軸糸の振動運動発生機構のモデルになり得る。

第2章では、軸糸ダイニンと微小管から再構成したダイニン-微小管複合体で発生する運動について述べられている。ダイニンと微小管を混合すると、外腕ダイニンが微小管上に軸糸内配置と同じように24 nmの間隔で並んで結合し、微小管の束が形成される。ここにATPを添加するとクロスブリッジが切れて束は解離するが、その際に何らかの運動が起こるかどうかはほとんど調べられていない。本研究では、Caged ATPの光分解によってATPを添加すると、束中の微小管が滑り運動を起こすことが観察され、さらに、微小管の一部が固定されているとき、2本の微小管の間で振動運動が発生することが分かった。これにより、固定端のある微小管とダイニンさえあれば振動運動が発生することが示された。

次に、1本の微小管上を別の1本の微小管が滑走する際、その速度が30 μm/秒もの高速に達するという思いがけない事実が観察された。これまで、クラミドモナスの外腕ダイニンは軸糸内では高速の運動を行うと考えられていたが、in vitro の運動系では、最大でも5 μm/秒程度の速度でしか運動しないことが示されていた。今回の結果は、外腕ダイニンが軸糸内におけるように微小管上で密に配列している場合には、速い微小管滑り運動を発生できることを示している。

クラミドモナスの外腕ダイニンは3つの重鎖を含んでおり、そのうちの1つを欠損した変異株では鞭毛の運動性が低下することが知られている。これらの鞭毛から抽出した軸糸ダイニンによって形成された微小管束において滑り運動を調べたところ、意外なことに、これらはすべて野生株ダイニンと同程度の速い速度を示すことが分かった。このことは、重鎖の1つを欠損した外腕ダイニンは、屈曲運動する軸糸内のような負荷のある条件下で運動するには力が十分ではなく速く滑れないが、微小管束のような無負荷の条件下では速く運動できることを示唆している。また、軸糸をプロテアーゼ処理してからATPを添加すると微小管の滑り運動を発生させることができるが、そのような実験系で滑り運動を調べたところ、野生株軸糸における微小管の滑り速度は20μm/秒と微小管束解体時に見られた滑り運動より遅く、変異株軸糸における滑り速度は8~16 μm/秒とさらに遅かった。これまで、プロテアーゼ処理した軸糸で発生する滑り運動は無負荷と考えられていたが、この結果から、プロテアーゼ処理後の軸糸中にも外腕ダイニンの運動に対して抵抗となる摩擦が存在することが示された。

以上のように、本研究は、軸糸ダイニンと2本の微小管だけで振動運動を発生させることができること、および、微小管上に配列したダイニンは、高速の微小管滑り運動を発生できることを示した。これらは本研究において初めて明瞭に示されたものである。本研究は今後の鞭毛の運動機構の研究において、きわめて重要であり、博士論文としての十分な内容を持つものと認められる。本研究は指導教員との共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、審査員全員一致で、申請者に博士〔理学)の学位を授与できるものと認める。

UTokyo Repositoryリンク