学位論文要旨



No 124509
著者(漢字) 大森,良弘
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,ヨシヒロ
標題(和) イネDROOPING LEAF遺伝子の発現制御と葉の中肋形成に関する研究
標題(洋) Studies on regulation of DROOPING LEAF gene expression and midrib formation in Oryza sativa
報告番号 124509
報告番号 甲24509
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5407号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平野,博之
 東京大学 教授 福田,裕穂
 東京大学 教授 塚谷,裕一
 東京大学 教授 馳澤,盛一郎
 東京大学 准教授 川口,正代司
内容要旨 要旨を表示する

〈序論〉

イネ科植物の葉では,中肋と呼ばれる構造が,薄く細長い葉を直立させるために重要な役割を担っている.中肋とは葉の主脈部に沿って形成される強い構造体である.イネ (Oryza sativa) では,DROOPING LEAF (DL) 遺伝子が中肋形成に必須な遺伝子として単離されている.dl変異体では完全に中肋が欠失し,著しく垂れ葉になるとともに,心皮 (雌ずい)が雄ずいにホメオティックに変異する.DLは,中肋予定領域と心皮予定領域で特異的に発現し,それぞれの細胞の運命を決定すると考えられている (Yamaguchi et al., 2004).博士課程では,2つの特異的な領域で発現するユニークなDLの発現制御機構,および,DLの発現制御と中肋形成との関連を解明することを目的に研究を行った.

〈結果および考察〉

1.イネ科植物におけるDLオーソログの発現パターン解析と phylogenetic footprinting 法による非コード領域保存配列の検出

DLは種子植物に特異的なYABBY 遺伝子ファミリーに属し,シロイヌナズナではCRABS CLAW (CRC) 遺伝子が対応するオーソログである.シロイヌナズナのCRCの発現パターンや機能は,イネのDLとは大きく異なっている.そこで,イネ科内でのDLオーソログの保存性を確かめるために,キビ亜科に属するソルガム (Sorghum bicolor) からDLオーソログ (SbDL) を単離し,その空間的発現パターンを解析した.その結果,SbDLもイネのDLと同様に中肋予定領域と心皮予定領域で特異的に発現することが明らかとなった.この結果は,これまで当研究室が明らかにしてきたトウモロコシ (Zea mays) やコムギ (Triticum aestivum) のDLオーソログの発現パターンとも一致しており,DLの発現制御機構がイネ科植物の間で広く共通していることを示し,DLの機能が保存されていることを強く示唆している (2).

次章では,DLの時間的・空間的発現パターンを制御するシス領域の同定を試みた.イネは世代時間が長く,形質転換植物作製にも相当の期間を要する.そこで.phylogenetic footprinting 法により,イネ科DLオーソログの非コード領域保存配列 (conserved non-coding sequence; CNS) の検出を試みた.CNSが存在すれば,その配列は発現制御に関わっている可能性があると考えられる.その結果,プロモーター領域に3カ所,第1イントロンおよび第2イントロンにそれぞれ1カ所,計5カ所,4種の DL で CNS が検出された.

2. DLの中肋予定領域特異的発現を制御するシス領域の探索

Phylogenetic footprinting 法により検出されたCNSを指標にGUSレポーターコンストラクトを作製し,DLの中肋予定領域特異的な発現を制御する因子の探索を行った.その結果,プロモーター領域を -147 bpまで欠失させても中肋予定領域特異的なGUSの染色パターンは維持されること,第1イントロンを欠失させた場合にはGUSの染色が弱くなること,第2イントロンを欠失させた場合には初期発現や中肋予定領域特異性が失われることが明らかとなった.一方で,これまでのコンストラクトでは維管束において異所的なGUSの染色が見られた.そこで,約6 kb上流に検出された保存領域をも含む,大きなGUSレポーターコンストラクトを作製し導入したところ,維管束におけるGUSの染色が抑制された.以上の結果から,DLの中肋予定領域特異的発現には,葉原基初期の発現誘導,中肋予定領域特異的発現,発現量の維持,ならびに維管束における発現抑制が存在することが明らかとなった. 一方,DG1を用いた場合でも,心皮におけるGUSの染色は見られなかった.このことから,心皮特異的な発現を制御する領域は,コード領域の遥か上流,あるいは,下流に存在すると考えられる.

中肋予定領域での発現を制御する領域を絞り込むため,第2イントロン内を欠失させたコンストラクトを作製し,同様のGUSレポーター解析を行った.その結果,第2イントロン内のCNSの中でも,200 bpからなる R, S 領域に,葉原基初期から中肋予定領域で特異的に発現を制御するシス因子が存在することが明らかとなった (3).現在,これら塩基配列に結合するトランス因子を解析中である.

3.中肋形成におけるDL遺伝子の機能解析

これまでのイネDLの研究から,「DLは,葉原基の中央領域で向背軸に沿った細胞増殖を制御し,その増殖した細胞から中肋が形成される」という仮説が立てられている.本研究では,この仮説をさらに確証するために, 2つの弱いdl変異体とDLタンパク質の人為的機能増強形質転換体を用いて,発生遺伝学的な解析を行った.

まず,新たに弱い垂れ葉を示す変異体を単離し,dl-5と名付けた (1).dl-5では DLの第4イントロンにトランスポゾンPingが挿入していることが判明した.これは,Pingが植物体で転移することを示す初めての証拠でもある. DLの発現を解析した結果, dl-5ではPingの挿入によりスプライシング効率が低下し,正常なDL mRNAの量が低下していることが明らかになった.また,これまでに報告されている弱いdl変異体であるdl-1では,dl-5よりもさらにDLの発現量が低いことを示した.野生型とこれら2つの弱い dl 変異体の茎頂部横断切片を作製し観察したところ,これらの系統間では,葉の向背軸に沿った細胞増殖程度が異なっており,その程度はDLの発現量と相関していることが明らかになった.また,最終的に形成される中肋の大きさは,細胞増殖の程度と発現量とも関連していた.以上の結果は,DLが向背軸に沿った細胞増殖を制御しているという仮説を強く支持するとともに,DL の活性に依存して中肋の大きさが決定されることを示唆している.

そこで,人為的に中肋構造を強化することを目的として,ヘルペスウイルス由来の強い転写活性化機能を持つVP16ドメインとDLとの融合タンパク質 (DL-VP16) を作製し,2章で明らかにした中肋予定領域特異的発現制御領域を用いて形質転換体を作出した.その結果,形質転換体は野生型よりも直立した草型を示した.葉身の横断切片を作製したところ,形質転換体では形成される中肋が野生型よりも大きくなり,野生型では中肋が見られない葉の先端部まで中肋を持つことを明らかにした.この結果は,DLの機能を制御することにより,中肋構造の大きさや葉の直立性を改変することが可能であることを示している.

〈結論および展望〉

本研究では分子生物学的,遺伝学的手法を用いて,イネの中肋形成に関わるDLの発現制御機構の解析を行った.その結果,DLの機能はイネ科植物に広く保存されていることを示唆した.また,中肋予定領域特異的な遺伝子発現は第2イントロン内の200 bpの領域により制御されることを明らかにした.今後はこの200 bpに作用するトランス因子を単離することで,中肋形成機構が明らかになっていくと期待される.葉の直立性は,日光の有効な利用,耐倒伏性,栽培面積の縮小とも関連しているため,本研究成果は,イネの分子育種による収量増加という応用面でも役立つと考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなる.第1章は,序論であり,本研究の学問的背景とその目的について述べられている.第2章から第4章までは,イネ科,特にイネの DROOPING LEAF (DL) 遺伝子の発現制御機構と葉の中肋形成に関する研究結果とその考察について述べられている.第5章では,得られたすべての結果を受けて,イネ DL 遺伝子の発現制御や機能に関し包括的考察を行うとともに,その遺伝子の活性と中肋形成との関連を考察し,応用面への展望について述べている.

イネ科の葉は,薄く細長い.そのため,葉の中央には中肋と呼ばれる強い構造体が形成され,薄い葉を直立させるように役立っている.この中肋の形成には,DL 遺伝子が重要な役割を果たしており,この遺伝子の完全な機能喪失変異体では,中肋が形成されないため,葉は直立できず,しな垂れる.また,DL 遺伝子は,花においても,心皮の発生に重要な働きをしている.本論文において,論文提出者は,分子遺伝学的研究に適したイネを主な研究材料とし,DL 遺伝子の発現制御機構と中肋形成に関する機能を明らかにする目的で研究を行った.

第2章は,ソルガム (Sorghum bicolor) の DL オーソログの解析とイネ科4種の植物の発現制御領域の解析について述べられている.ソルガムは,イネ科キビ亜科に属し,最近ゲノム解析が急速に進んでいる植物である.論文提出者は,ソルガムから,DL 遺伝子のオーソログを単離し,その空間的発現パターンを解析した.その結果,この遺伝子の発現パターンは,葉および花の発生過程で,イネの DL 遺伝子の発現パターンとよく類似していることが明らかになり,イネ科内で DL の発現制御機構がが保存されていることが示された.そこで,イネ科内の4種の植物の DL オーソログの配列を比較し,非コード領域に存在する保存配列 (conserved non-coding sequence; CNS) を見いだした.CNSは,5'上流域に3つ,第1イントロンと第2イントロンに,それぞれ1つずつ存在していた.これらは,DL オーソログの発現制御に重要な働きをしていると考えている.

第3章では,イネ DL 遺伝子の空間的発現制御に関わるシス領域を,GUSレポーター遺伝子を用いて実験的に解析した結果について述べられている.まず,第2章で明らかにしたCNSを参考に,5'上流域や第1,第2イントロンの一部を様々に欠失したコンストラクトを作製し,これらをイネの細胞に導入し,形質転換植物を作製した.形質転換体のGUSの染色パターンの解析から,DL 遺伝子の発現に必要ないくつかの制御領域を見いだした.中肋の予定領域における発現には,第2イントロンに存在するCNS内の 200 bp の配列が必須であること,第1イントロンには発現量を正に制御する因子が存在すること,5'上流域 (-7,390~-3,300) には維管束や厚壁機械組織における異所的発現を抑制する因子が存在することなどを,明らかにした.一方,中肋予定領域で発現を正確に再現する最も長い制御領域を用いても,心皮での発現は検出されなかった.心皮の発生時に必要な発現制御領域は,コード領域のはるか上流あるいは下流に位置すると考えられる.発現制御領域が2つのイントロンにまたがることは,これまで植物の遺伝子では報告されておらず,イネの DL 遺伝子の発現には,ユニークかつ複雑な発現制御機構が存在することが判明した.

さらに,DL の転写因子としての機能を増強した融合タンパク質を,中肋予定領域で正確に誘導する制御領域を用いて,発現させた.その結果,通常中肋が形成されない先端部まで中肋が形成されるようになり,全体の中肋も大きくなり,野生型と比べても,葉がより直立するようになった.葉の直立性は,重要な農業形質であることから, DL 遺伝子の機能改変は応用面にも利用できる可能性が示唆された.

第4章では, DL 遺伝子の発現と中肋形成との関連の解析について述べられている.表現型の異常が軽微な,新たな dl 変異体 (dl-5) を単離し,その解析を行った結果,トランスポゾン Ping が第4イントロンに挿入されていること,この挿入によりDL mRNAのスプライシング効率が低下すること,を明らかにした.また,dl-5 の細胞から誘導されるカルスでは,Ping が DL 遺伝子から切り出されることが示され,このPing は転移活性を保ち続けていることが判明した.つづいて,DL 遺伝子が発生初期の葉原基において中央部分の細胞増殖を制御すること,DL 遺伝子の発現量が最終的に形成される中肋構造の大きさと強く関連していることを示した.

本論文第4章は,すでに,論文提出者が第一著者の論文として印刷公表されている.その論文は安彦真文,堀端章,平野博之氏との共同研究であるが,本論文提出者が主体となって解析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.第3章は,論文提出者が第一著者として印刷公表予定であり,第2章は,他の解析結果とあわせ,論文提出者が共同第一著者である論文として印刷公表予定である.

本研究により得られた知見は,高等植物の遺伝子発現制御機構の解明に貢献するものであり,学術上,極めて高い価値をもつものと考えられる.

したがって,博士(理学)の学位を授与できると認める.

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