学位論文要旨



No 124514
著者(漢字) 古田,茜
著者(英字)
著者(カナ) フルタ,アカネ
標題(和) クラミドモナス軸糸外腕ダイニンのin vitro運動特性に関する研究
標題(洋) Studies on the in vitro motile properties of Chlamydomonas outer-arm dynein
報告番号 124514
報告番号 甲24514
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5412号
研究科 理学系研究科
専攻 生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 豊島,陽子
 東京大学 准教授 真行寺,千佳子
 東京大学 准教授 奥野,誠
 中央大学 教授 上村,慎治
内容要旨 要旨を表示する

序論

真核生物の鞭毛・繊毛の屈曲運動は,軸糸微小管上に周期的に並ぶモータータンパク質ダイニンが力を発生し,隣り合う微小管との間で"滑り"を生じることで作り出される.複数種からなる軸糸ダイニンの中でも,軸糸中に最も多く存在する外腕ダイニンは,微小管の速い滑りに重要であると考えられている.外腕ダイニンは,2~3個の異なる重鎖からなる複合体であり,各重鎖にATPを加水分解し,微小管と相互作用して力を発生する機能がある.キネシンやミオシン,細胞質ダイニンといった他の多くのモータータンパク質は,同じ重鎖を2つ持つホモダイマー構造をとるが,鞭毛・繊毛の外腕ダイニンはヘテロな重鎖の複合体であることが知られている.それぞれの重鎖が複合体の中でどのような役割をもつのかを明らかにすることは,外腕ダイニンの動作機構を理解する上でも興味深い課題である.本研究に先立ち,我々の研究室では,外腕ダイニンの3つの重鎖(α、β、γ)のそれぞれ1つを欠失する3種のクラミドモナス変異体の単離に成功しており,これらを用いた軸糸レベルの研究により,重鎖ごとに運動への寄与の程度が異なることが示された.しかし,3つの重鎖の分子レベルの性質の違いについては明らかにされていない.そこで本研究では,野生型の外腕ダイニン(αβγと呼ぶ)のin vitroにおける運動特性を調べるとともに,特定の1つの重鎖を欠く変異型のダイニン(αβ、αγ、βγと呼ぶ)をそれらの変異株から単離して,野生型と活性を比較した.これらの外腕ダイニンは微小管滑り運動活性,ATPase活性ともに大きく異なり,3つの重鎖が異なる性質を持つことが直接的に示された.

結果・考察

1.ビオチンタグ付外腕ダイニンの作製

運動活性を測定する方法として,蛍光標識したダイニンの微小管上の挙動を観察する方法と,ガラス上にダイニンを吸着させ,その上で微小管の滑り運動を発生させるGliding assay法を用いた.ここで,本研究では野生型と変異型の外腕ダイニンの活性を同じ条件で比較するために,全てのダイニンを同一の部位(尾部)で標識,固定する必要がある.この目的のため,外腕ダイニンを特異的に標識する新規な方法を開発した.外腕ダイニン複合体の尾部に結合することが分かっている軽鎖LC2に着目し,ビオチン化タグBCCP(Biotin Carboxyl Carrier Protein)を融合したLC2を発現する株を作製した.変異型の外腕ダイニンを発現する株についても同様のタグを導入し,ビオチンタグ付きの野生型および全種類の変異型外腕ダイニンを単離・精製することに成功した.これらのダイニンと,重合微小管を用いて,それぞれの運動活性を測定した.

2.野生型ダイニンの運動特性

野生型3頭ダイニンによる微小管滑り速度は,ATP濃度およびダイニン密度の増加とともに上昇した.滑り速度のダイニン密度依存性から,duty ratio (一回のATP加水分解サイクルに占める,微小管との結合時間の割合)は0.08と算出された.この値は細胞内の物質輸送に関わるキネシン(duty ratio = ~1)や,細胞質ダイニン(duty ratio = 0.6)に比べて非常に小さい.また,ビオチン化ダイニンに量子ドット-アビジンを結合して,微小管上の一分子のダイニンの挙動を観察したところ,ATP依存的な微小管への結合・解離は見られるものの,微小管上の一方向の連続的な運動は作り出せないことが分かった.これらの結果から,外腕ダイニンは,多数の分子が共同して速い運動を発生するのに適したモーターであると考えられる.

3.ADPによる微小管滑り活性の上昇

過去の研究により,数種の軸糸ダイニン(クラミドモナス内腕ダイニン,ウニ精子外腕ダイニンなど)において, 運動性がADP存在下で上昇することが示されている.このメカニズムとして,重鎖に存在する4つのATP結合サイト(P1~P4)のうち,モーター活性に必要なATP 加水分解に関わるヌクレオチド結合部位はP1であり,それ以外の3つのサイトはダイニンの調節に関わるサイトで,そこにADPが結合することで,ダイニンが活性化するという考えが提唱されている.しかし,その調節現象の一般性や,その実際の機構は明らかになっていない.そこで,クラミドモナスの野生型外腕ダイニンについてもADPによる活性の上昇が見られるかを調べた.あらかじめガラスに固定したダイニンを様々な濃度のADPでインキュベートしたのち,ATPと微小管を流して,滑り速度の経時変化を調べたところ,ADP濃度の上昇と共に,微小管滑り速度および運動の持続時間が上昇した.以上の結果から,クラミドモナス外腕ダイニンにおいても,ADPによる運動の活性化が見られることが明らかになった.

4.野生型と変異型外腕ダイニンの活性比較

以上の結果をふまえて,野生型と3種の変異型外腕ダイニンについて,微小管滑り速度と,ATP加水分解活性を測定した.その際,各ダイニンのin vitro gliding 速度は,野生型ダイニンが最大微小管滑り速度を起こす条件に統一して測定した.その結果,β重鎖を欠失すると滑り速度もATP加水分解活性も低下するが,γ重鎖を欠失すると両者共に上昇することが分かった.興味深いことに,α重鎖を欠失すると,野生型に比べて滑り速度は著しく低下するが,ATP加水分解活性は上昇した.このin vitro 運動の系では,α重鎖が,3頭ダイニンの中で,全体のATP加水分解活性を抑えつつ,速い微小管滑り運動を作り出していること,すなわち,効率的な運動の発生に寄与していることが示唆される.これらの結果から,外腕ダイニンを構成する3つの重鎖はそれぞれ異なる役割をもつことが明らになった.

結論

以上のように、本研究では,様々な種類のダイニンのin vitro 運動活性を同一条件で比較することにはじめて成功した.外腕ダイニンの活性は,異なる3つの重鎖の活性の単純な足し合わせではなく,重鎖間の抑制などの相互作用の結果として現れていることが明確に示された.一方、今回観察された各種外腕の運動活性は、それらの外腕を持つ軸糸の運動性とは必ずしも一致しないことも明らかになった。軸糸構造中では,外腕ダイニンは高い密度で整列し,隣り合うダイニンと協調することによって,このin vitro系で見られた運動性とは異なる性質を持つものと考えられる.今回の研究は、個々のダイニン外腕それ自体が示す性質を測定したものとして重要であり,今回示唆された分子内の調節の機構と,軸糸内における分子間の相互作用の実体を明らかにすることは,今後の課題である.

審査要旨 要旨を表示する

真核生物の鞭毛(繊毛)は多くの生物種に存在する細胞運動器官で、運動、発生、感覚受容などの機能に重要な役割を果たしている。鞭毛の内部構造(軸糸)は9本の周辺微小管が2本の中心対微小管を囲んだ円筒状構造を持ち、周辺微小管上に配列した運動性タンパク質ダイニンが隣接する微小管間に局所的滑り運動を発生することによって、屈曲波を発生する。この運動機構の理解のためには、多数のダイニンの力発生とその制御機構を解明する必要があるが、現在のところ、複雑なダイニン分子の運動特性に関してはまだきわめて不十分な情報しか得られていない。鞭毛のダイニン(軸糸ダイニン)には大別して外腕ダイニンと内腕ダイニンの2種がある。外腕は2-3種の力発生タンパク質(重鎖)を含み、内腕は1-2種の重鎖を含むものが複数種存在するという、複雑な構成を持つ。したがって、各重鎖がどのような特性を持ち、鞭毛運動発生においてどのように協調してはたらいているのかは、重要な問題である。

そのような問題に迫るため、申請者は、緑藻類クラミドモナスの外腕ダイニンの運動特性を、顕微鏡下で運動を発生させる実験系(in vitro運動系)を用いて詳細に検討した。この生物の外腕はα、β、γの3重鎖を含むが、各重鎖を欠失した変異株が得られている。そこで、野生株ダイニン(αβγ)と、3種のミュータントのαβ、βγ、γαの運動特性を比較することを主な目的とした。その目的のために、各ダイニンを再現性良くガラス面上に吸着させる新たな方法が開発された。

まず、これまで知られていなかった野生株ダイニンの運動特性の詳細な解析が行われた。滑り速度のATP濃度依存性から、最大滑り速度は約5μm/秒と決定された。この速度は、軸糸中で微小管が滑る速度の約1/4である。滑り速度のダイニン密度依存性から、duty ratio (一回のATP加水分解サイクルに占める微小管との結合時間の割合)は0.08と算出された。この値は細胞内の物質輸送に関わるキネシン(duty ratio = ~1)や、細胞質ダイニン(duty ratio = 0.6)に比べて非常に小さい。このことから、外腕ダイニンは、多数の分子が共同して速い運動を発生するのに適したモーターであると結論された。また、これまで、数種の軸糸ダイニンにおいて、 運動性がADP存在下で上昇することが示されているが、クラミドモナス外腕ダイニンにおいても、ADPによる微小管滑り運動活性の上昇が見られることが明らかになった。

このように野生型ダイニンの最適運動条件を決定したのち、その条件で3種の変異型外腕ダイニンについて、微小管滑り速度と、ATP加水分解活性を測定した。その結果、β重鎖を欠失すると滑り速度もATP加水分解活性も低下するが、γ重鎖を欠失すると両者共に上昇することが分かった。興味深いことに、α重鎖を欠失すると野生型に比べて滑り速度は著しく低下するが、ATP加水分解活性は上昇した。野生型のαβγダイニン中で、α重鎖は、全体のATP加水分解活性を抑えつつ速い微小管滑り運動を作り出すことにより、運動の効率的化に寄与していることが示唆される。

これらの結果から、本研究は、外腕ダイニンの運動活性は異なる3つの重鎖の活性の単純な足し合わせではなく、重鎖間で抑制などの相互作用があり、全体として効率の良い微小管滑り運動が作り出されていると結論した。このように明瞭に重鎖間の機能的相互作用の存在が示されたのはこれが初めてである。また、興味深いことに、in vitroの運動系では、外腕ダイニンの最大滑り速度は軸糸中の滑りよりはるかに遅かった。これは、運動系の問題というよりは、ダイニンの特性の問題である可能性が大きい。鞭毛軸糸構造中では外腕ダイニンは高い密度で整列しており、外腕同士、および他のタンパク質と相互作用しながら機能していると考えられる。そのような相互作用によって、in vitro で見られる以上の高速運動が可能になっているものと考えられ、軸糸ダイニンの新たな興味深い性質が浮き彫りになったと言える。

総合すると、本論文で述べられた研究は、ダイニン機能研究のための新たな方法を開発するとともに、外腕ダイニンにおける重鎖間の相互作用に関する重要な知見を提供するものである。本論文は外腕ダイニン研究の今後の方向について重要な示唆を与えるものであり、博士課程としての十分な内容を持つものと認められる。また、本研究は論文提出者を含めて5人の共同研究であるが、論文提出者が主体となって行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって、審査員全員一致で、申請者に博士〔理学)の学位を授与できるものと認める。

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