学位論文要旨



No 124527
著者(漢字) 千々和,伸浩
著者(英字)
著者(カナ) チヂワ,ノブヒロ
標題(和) 定着部に損傷を有するRC部材の残存構造性能評価と補強に関する研究
標題(洋) Structural Performance Assessment and Strengthening of Reinforced Concrete with Damaged Anchorage
報告番号 124527
報告番号 甲24527
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6961号
研究科 工学系研究科
専攻 社会基盤学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前川,宏一
 東京大学 教授 藤野,陽三
 東京大学 准教授 岸,利治
 東京大学 准教授 石田,哲也
 東京大学 准教授 小国,健二
内容要旨 要旨を表示する

戦後復興・高度経済成長期の建設ラッシュを経て,わが国の社会基盤施設の量は一定水準に達した.以後の安定成長期においては社会基盤施設を適切に維持管理し,次世代へと引き継いでいかねばならない.しかし経済成長率の低迷,少子高齢化,地方の過疎化などによって維持管理を取り巻く状況は年々厳しくなっている.この状況を克服するには,合理的に維持管理を行える技術体系を整備することが喫緊の課題である.世界的な趨勢としても,大量生産大量消費の時代は終焉を迎え,持続的開発・環境共生を新規範とする時代が到来しつつある.維持管理技術の開発は新時代を支える基盤技術として,一層重要な位置を占めるものである.

鉄筋コンクリート構造の維持管理に視点を充てると,重大な劣化事象の一つにコンクリート中の鋼材腐食が挙げられる.この問題については古くから研究がなされ,腐食発生機構の概要はほぼ解明され,この腐食が曲げ耐力に与える影響についての知見が蓄積されてきた.しかし,鋼材腐食がせん断耐力に与える影響と定量評価については,研究実績は少ない状況にある.鋼材腐食によってひび割れが発生すると,せん断耐荷力が急激に変化する場合が存在することが示されているが,せん断スパン内に限定した腐食では,タイドアーチ機構が形成されることで終局耐力は増進する.一方,主鉄筋の定着部に腐食ひび割れが選択的に発生した場合は,鉄筋コンクリート構造の耐荷機構が著しく損なわれ,安全性能が大幅に低下する事実が明らかにされつつある.既往の研究は定着が確保されている前提に基づくものが大半であり,定着領域の選択的損傷を有する構造部材の残存性能定量評価手法は,研究の緒についたばかりといえる.ゆえに損傷定着領域を有する部材の有効な補強法は皆無に近い.

本論文第1章では,上述の背景・既往の研究について整理し,これらを踏まえて主鉄筋定着部に損傷を有する鉄筋コンクリート部材を合理的に維持管理し,長寿命化する方法を開発することに目標を定めた.具体的には以下の4点である.

(1)定着部に発生した損傷が耐荷機構に及ぼす影響に関する,力学的視点に基づく分析

(2)定着部に損傷を内在する構造部材の残存安全構造性能を定量評価する手法の開発

(3)補修補強が一般には困難な定着部損傷に対して有効な補修補強法を考案し,現構造の供用可能期間を延長する方法の開発

(4)(3)で開発した方法を発展させ,コストと施工性を犠牲にすることなく,定着部損傷に起因する潜在リスクを補償できる補強補修法を追求

第2章では,定着部に損傷を有する鉄筋コンクリートはり部材のせん断耐荷機構の観点から,腐食に伴うひび割れ損傷を力学的に数値計算で再現する方法を考案した.定着部損傷の影響が大きく実験結果に影響するような試験体を作成して耐荷特性を分析したところ,定着部において,主鉄筋にそったひび割れ損傷を有する梁では,損傷の先端を起点にせん断ひび割れが発生し,変形がここに局所集中することが確認された.この梁と同諸元の梁部材を用いて定着部に直接,鋼材を配置する補強を施したが,いずれも最大耐力を健全な構造部材の強度レベルまで回復させるには至らなかった.主鉄筋定着部でのコンクリートひび割れ損傷は,鉄筋コンクリート中に展開する圧縮力と引張力が合流するノードを破壊するため,原状の耐荷機構までに復帰することは困難となった.以上の検討の結果,損傷部材の残存性能を機構に忠実に評価するためには,ひび割れ開口方向に拘束の小さい状況下でも精度の高いせん断伝達モデルの導入が必要なことを明らかにした.本研究では,拡張型接触面密度関数モデルを非線形有限要素解析システムに導入することとした.その結果,コンクリートのひび割れに沿ったせん断伝達の低下が合理的に表現されることとなり,最大耐力後の残存耐力の急落を現実に則して表現できるように改良がなされた.また同残存性能評価にあたり,主鉄筋定着部の腐食損傷を摩擦力学モデルによって代表しても,現象を忠実に表現することが可能なことも示すことができた.定着部に強制的な電食によるひび割れを導入した梁においても,本手法によって精度よく実験結果を再現できることがわかった.この手法を用いて,損傷領域の大きさや梁部材の寸法を変化させて定着部損傷の影響を定量分析したところ,腐食ひび割れのせん断スパン内への浸入が終局耐力を急激に劣化させる限界状態が存在すること,しかし,さらに腐食ひび割れ損傷が部材中に進展すると,せん断ひび割れ形成を阻害することにもつながり,逆に最大強度が上昇に転じる第二の限界状態が存在することが,実験および解析で実証されたのである.

第3章では,定着部に損傷を有する梁の耐荷特性の分析結果(第2章)に基づき,施工性やコストの観点からも有効な補強法を考案した.すなわち,定着部損傷部位に対する直接的な補強を放棄し,今後の外力作用によって損傷が進展・侵入すると想定される個所に外部から補強材を充てるという補強コンセプトである.材料損傷に対して原状への復帰を目指すのではなく,ひび割れ損傷の残留を許容し,損傷を含めた構造に,設計時とは異なる新たな耐荷機構を形成することで耐力の回復を目指す点に,本補強法の眼目がある.基本方針に則って,定着部に導入されたひび割れ損傷の先端にせん断補強筋を配置した梁を作成し,曲げせん断載荷実験を実施した.剛性の急変をもたらすほどの多量の補強材を部材外面から添付した結果,ひび割れは補強部分を回避する結果となり,補強材がかえって構造欠陥を引き込む,あるいは加速することが示された.すなわち,本補強手法を用いる場合は剛性の急変を避けつつ,せん断抵抗力の源泉である斜め圧縮力の展開を可能な限り維持するのがよい.そのためには,剛性が低く伸び能力の高い繊維や膜材を用いることが有効であることが示された.

第4章は第3章で提示された補強法の実用化に向けた適用要件を検討したものである.すなわち,特定の鉄筋コンクリート梁部材を対象にして,補強材と定着部ひび割れとの位置関係,ひび割れ損傷面の応力伝達特性の影響,最適な補強量の検討をそれぞれに行った.補強材の塗布・設置は,斜めせん断ひび割れが構造体に発生する前に施工する必要があること,腐食ひび割れ面に沿ったせん断応力伝達が高い程に構造耐力の増強が見込めること,靱性の高い補強材料を適時用いるのが有効であること,が明らかになった.以上の検討を元に補強材料を決定し,定着部損傷をスチレンボードによる模擬損傷で与えた梁部材,電食によって腐食ひび割れ面を人工的に形成した部材の2通りで載荷実験を行った.その結果,両者において実験で観察された事象を,非線形解析でほぼ再現できていることがわかった.本解析手法を用いて,圧縮鉄筋の影響,補強材の塗布領域を限定して補強効果を得る可能性,最適補強材添加量の検討,梁寸法が変わった際の補強効果の推移について検討を行った.その結果,補強材と圧縮鉄筋が相互に影響することで,斜めせん断ひび割れの圧縮縁貫通が阻害され,残存せん断耐力が大きく回復,あるいは原設計よりも強度増進することも示されたのである.また,シート等によって損傷面先端から有効高さの範囲を補強材で限定的に補強した場合でも,全スパンを補強した場合と同等の効果が得られることが明らかになった.また,シート材による補強には最適量が存在し,その値を超えるとかえって補強効果は低下すること,この最適補強量は定着部損傷のせん断応力伝達特性に依存し,これが大きいほど最適補強量も多くなり,補強で得られる部材の補強効果も高くなることが明らかになった.梁寸法を変えた検討では,ひび割れ損傷がせん断スパン内まで延伸し,載荷点と支点を結ぶ直線と主鉄筋の交差点から,載荷点直下から支点に向かって有効高さだけ移動した主鉄筋上の点に至るまでの間で本補強が高い効果を発揮することがわかった.

第5章ではカナダケベック州で2006年に崩落事故を起こしたde la Concorde橋を仮想対象としたケーススタディを行った.具体的には本研究において整備した定着部に損傷を有する梁の残存構造性能評価手法を用いた事故再現と,本研究が提案する補強法を用いることによる事故直前の変状発見時点からの復旧可能性である.事故調査委員会の報告書を元に残存構造性能について分析したところ,せん断鉄筋の定着不良によって耐荷性能は約半分に低下することが明らかになった.事故調査委員会によって報告されたように,事故時点でかなり深い個所にまでひび割れが発生していたと考えられる.これはせん断筋の定着不良等の諸要因が複合した結果と考えられるが,この効果をせん断スパン半分にまで主鉄筋に沿ったひび割れが生じていると仮定で代表して解析を行ったところ,耐荷力は設計の6分の1程度にまで低下することが明らかになった.事故直前での変状発見時点における梁の状態はこれに近いものであったと考えられることから,この状態を起点とした補強を行ったところ,剛性は約半分にまで低下するものの,耐荷力は設計レベルにまで回復できることが明らかになった.

第6章では本研究において検討した事項をまとめ,実際の維持管理業務上で本成果に期待できる事項,今後の課題について述べた.本研究では,原状復帰を目指すのではなく,新たな耐荷機構形成することで耐力回復を図るという補強方針の有効性を示した.このことは既存構造物長寿命化の可能性を広げるものである.また定着部に発生したひび割れの調査は困難な場合が多い.膨大な橋梁構造を対象とする場合,定着部に発生する鉄筋腐食と,それによって導入されるコンクリートの損傷を点検で確実に見出すには限界がある.本補強手法を適用する場合,損傷度や幅に関わらず,定着部ひび割れ問題を包括的に取り扱い,対処することが可能となる.今後は補強材自体の劣化や補強後の鋼材劣化をどう抑制するのかといった材料面での問題を克服するとともに,様々な荷重パターンに対する補強構造物の応答を分析し,補強法としての信頼度をさらに深めていく必要がある.

審査要旨 要旨を表示する

膨大な社会基盤施設の適切な維持管理には,現時点での保有性能の検証と将来の性能予測が不可欠となる。持続可能な社会の実現に向けた低コストで的確な補修補強事業を実現することは,高齢化社会の抱える切実な問題である。社会基盤施設の経年劣化に伴う損傷が鉄筋コンクリート部材の主鉄筋定着部に集中的に発生した場合には,急激に構造安全性が損なわれることが解明されつつある。海外では突然の橋梁上部構造の崩壊につながり,死傷事故が発生するに至っている。定着部の損傷は点検で位置と程度を確認することが一般に困難であり,たとえ損傷が判明しても従来施工法による補修・補強効果は低い。本研究は定着部損傷の原復旧を求めず,損傷の存在を許容しつつ,健全部に付加的な補強対策を講じることによって,当初設計とは異なる耐荷機構を新たに形成し,損なわれた安全性能の回復を総合的に図る補修補強法を開発した。この予防保全の観点基づく補修補強法を解析と実証実験の両面から見出し,効果的な補強システムを具体的に提示することに成功した。以下に各章の概要を取りまとめる。

第1章は本論文の研究目的について述べ、既往の研究の整理を行っている。鋼材腐食に伴う鉄筋断面欠損や周辺コンクリートに導入される腐食ひび割れに対する既往の構造工学的対処は,建設当初の原設計復帰が原則である。これに対して本研究は損傷を内在した新たな構造システムに耐荷機構を転換することで安全性能を向上させることを目しており,補修補強の戦略上の大きな違いがあることを示している。

第2章では,主鉄筋定着部に極端に厳しい損傷を人工的に発生させた鉄筋コンクリート部材の耐力と変形性能に関する系統的な実験を行い,定着部損傷によって励起される部材の終局限界状態を見極めている。損傷部に直接、補強鋼材を後配置する従来の補修方法では、原設計の耐力まで機能回復させることが出来なかった。1cmを越えるひび割れに沿ったズレや開口が発生することから、高次ひび割れ非線形性に追随可能な接触面密度関数モデルを用いた非線形解析を試み、損傷部材の挙動をほぼ正確に再現可能であることを示している。定着部損傷ひび割れの先端から進展するひび割れが部材耐力を支配すること、非損傷部へのひび割れ進展の阻止が補修補強に不可欠であることを明らかにした。

第3章では施工の効率性を念頭に置いて、鋼材を損傷進展領域に集中して配置する予防的な補修を健全なせん断スパン内に施し、部材性能への影響を実験と解析両面から検討している。鋼材の集中配置によって,定着部の既存ひび割れから新たに進展するひび割れは,先行して配置された補強鋼材を回避して進展する結果となり,むしろ部材耐力は低下した。この機構は数値解析によって再現され,剛性の集中配置が問題であることが明らかにされた。そこで健全部のみに先行的な補強を施す場合の補強材の靱性,補強範囲,量を解析により検討した結果,補強材の剛性を面的に分散させることが必要条件であることを明らかにした。

第4章ではシート材料を用いた先行補強について検討を行っている。剛性と靱性が大きく異なるカーボンシートとSFR材を補強材の対象とし,コンクリート部材との付着の程度と補強量の二面から有効性を検討した。有効性の検証には,定着部に過剰な損傷を与える目的でスチレンボードを主鉄筋近傍に設置した。これにより既存損傷部を放置しても,予防保全の観点から健全部をシート材で補強することで部材性能を回復させることを実証した。鋼材に強制的な腐食を発生させて腐食ひび割れを与えた部材に対しても有効性の検討を行ったところ,部材耐荷力は主鉄筋降伏を伴う曲げ耐力まで向上する結果を得た。非線形有限要素解析による系統的な分析を行い,健全部に対する補強範囲をある程度限定しても,効果を十分に発揮することを示している。

第5章では,定着部の損傷によって崩落した橋梁の事例を取り上げている。崩壊事故後の橋梁上部構造の主鉄筋定着部のひび割れ進展状況が,本研究による数値解析によっても再現できることを示している。さらに予防保全の観点から,健全部のみに補強材を配置する本研究の補強システムが有効に機能することを明示した。

第6章で本研究の結論をまとめ、今後の課題について概括している。

本研究は、点検が困難かつ損傷が発見されても補修が困難を極める橋梁上部構造の定着部に着目し,予防保全の観点から健全部に柔らかな補強を施すことで部材安全性能の回復が可能であることを示すことに成功したものである。これは当初設計とは異なる耐荷機構に損傷部材を転換し,設計で求められる安全性能を担保するものであり,従来の補強設計の概念を拡張したものである。社会基盤施設の維持管理に要する費用の大幅な削減とリスク回避を可能とする要素技術に発展することが期待され,その工学上の貢献は大である。よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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