学位論文要旨



No 124541
著者(漢字) 李,景林
著者(英字)
著者(カナ) イ,キョンリム
標題(和) 高齢者の居室における深夜照明に関する研究
標題(洋)
報告番号 124541
報告番号 甲24541
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6975号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平手,小太郎
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 教授 西出,和彦
 東京大学 准教授 前,真之
 東京大学 准教授 佐久間,哲哉
内容要旨 要旨を表示する

現代社会は、その急速な変化や科学技術の発達によって、複雑化、都市化、高齢化が進んできています。 このような社会の変動は、高齢者の自立や健康に対する関心を高め、高齢者の住居空間においての特別な配慮の重要性や必要性の認識が高まってきています。すなわち、家族から世話を受けることができない高齢者のための安全かつ快適な住居空間に対する研究が要求されているといえます。高齢者は、加齢に伴う健康障害や機能低下により、若年者とは異なる種々の生理的悩みをかかえています。その一つが深夜のトイレ問題でありますが、一晩に少なくとも1回、多くは2~3回トイレに行く高齢者もいるといわれています。夜中目が覚め、トイレまで移動し、トイレに入り、ベッドまで戻り、再入眠するという一連の行動を一晩1~3回繰り返すと、その分、睡眠時間が圧迫されていることが推測されます。また、明るすぎる照明の中移動する場合、覚醒水準の上昇とともにまぶしさといった不快感を感じることとなり、再入眠への悪影響が危惧されます。しかし、もっと深刻な問題点として、適切ではない照明環境の中、トイレまで移動すると、転倒の危険性が高くなるということが挙げられます。高齢者の場合、若年者と違い、転倒してしまうと重傷化あるいは致死など、深刻な状況まで至る可能性が高いので、上記のような問題点は看過できない問題だといえます。つまり、再入眠に支障をきたずかつ安全な移動のための視認性が確保された照明が求められています。最近ではこのような認識に基づき、高齢者の居住空間の照明計画についての関心が高まっており、高齢者の移動や睡眠に関する様々な研究が行われています。秋月ら(1996)は、深夜時の歩行に適した照度レベルを明らかにするための実験を行い、深夜での廊下照明における適切照度範囲は1~10 lx,最適照度値は5 lxであることを報告し、本論文で現行のJIS照度基準では深夜照明に必要な照度への工夫が欠けていることを指摘しています。 しかし、これらの研究は、深夜の中途覚醒状態で行った実験ではないので、実際の深夜の歩行時の心理状態や覚醒状態への評価が十分だとはいえません。本研究では、高齢者の深夜のトイレへの移動という行為に着目し、深夜の高齢者の居室における深夜照明の現状調査及び高齢者の実際の居室を用いた実験を行い、一連の行動の流れ(ベッドに入る、目がさめる、トイレに移動する、トイレに入る、ベッドに戻る、再入眠する)ごとに問題点を抽出し、具体的にはそのまわりの照明環境(ベッドのまわり、通路、廊下、トイレ)における深夜照明の実態を調べることにより、安全な移動、心理的安心感、そして円滑な再入眠を促す照明条件を提案することを目的とします。

審査要旨 要旨を表示する

排尿機能の低下によって、高齢者は深夜の中途覚醒の頻度が高く、トイレへの移動時の安全性に加え、過度な照明による覚醒がもたらす睡眠の質の低下による健康障害などが問題となっている。一人暮らしの高齢者が増えていく中、より安全性や健康性に留意した適度な照明環境が求められている。以上の背景より、本研究は,深夜の照明環境についての高齢者の不満や要求を把握し、深夜の時間帯の行動および空間に適合した照明の物理量を把握することで、深夜照明の推奨照度値など,安全な移動・心理的安心感・円滑な再入眠を促す照明条件を提案すること。.今後の高齢者の深夜照明環境の方向性を提案すること。などを目的とし、各種調査および被験者実験を行ったものである。

第1章では、身体機能、生理・感覚機能、心理特性の変化によって高齢者が抱えている問題の中で、中途覚醒の問題を取り上げた背景,および高齢者の居室における深夜照明の重要度を明らかにし、前述した研究の目的を記述している。また、高齢者対象の意識調査や深夜照明・中途覚醒に関する既往研究をとりまとめ、本研究の位置づけを行っている。

第2章では、夜間の照明環境のあり方を提案することを目的とした、異なる種類の複数の高齢者施設における、現場調査、入居者と介護者に対する観察調査、照明器具の設置実験,アンケート調査について述べている。実験前後の印象評価調査とアンケート調査から、現状の高齢者施設の居室の照明は、入居者自身で制御できる範囲が極めて少なく、一律的であること。個別に制御可能で雰囲気を演出できる照明が求められていること。このような照明器具の導入は,心理的面でも肯定的影響を与え、能動的な姿勢へと変化する傾向が見られること。介護者にとっても、手もと暗がりが解消されるなど肯定的な結果をもたらすこと。などの知見を得ている。

第3章では、高齢者の深夜の光環境の実態把握を目的とした、東京及び東京周辺の地域に居住している高齢者を対象としたアンケート調査について述べている。高齢者の中途覚醒の頻度、就寝前から中途覚醒時の照明の点灯状況、トイレまでの移動通路の物理的危険要素、居住環境による違い、深夜照明への要求、深夜の照明環境による再入眠への影響など,行動の流れ別、住居の形態別、物理的環境別に結果をまとめている。高齢者はほとんど中途覚醒を意識し,就寝時の照明は薄暗い状態が好まれること。中途覚醒の回数は平均6.7時間,睡眠時間の中で2.3回であり、睡眠時間が圧迫されていること。中途覚醒してトイレまで移動の際、 安全な移動のための照明、手元で簡単に操作できる照明への要求が多くみられたこと。現状より少し暗くしてほしいという意見が比較的多く見られたこと。などの知見を導いている。

第4章では,居室内の深夜の動別の所要照度の把握及び照明要素(明るさ、照明の位置、照明の大きさ、光色、照明の照らす方向、明るさ調節の機能)の望ましい条件を把握することを目的とし、住み慣れた空間の中で実験用照明器具を設置し自由に制御させる実験を行っている。実験1では,被験者の自室において普段の状態に近い環境を与え,明るさの制御が可能な実験用照明器具を設置し、実際の深夜のトイレ移動時の状況から得られるデータを取るように工夫している。実験2では,深夜の心理・視覚の状態との違いを明らかにすることを目的とし,同じ空間の中で深夜の中途覚醒時の状況を再現する実験を行っている。さらに,第5章の分析・考察の前提となる,照度の測定値,雰囲気評価,被験者の自由記述などの結果をまとめている。

第5章では、深夜照明環境に適切な物理量及び心理量の把握,すなわち深夜の各々の状況に合わせて適切な明るさに調光する際の照度値及び雰囲気評価の結果を分析・考察している。高齢者は視覚能力の個人差が大きいため、把握された行動の中で被験者らの点灯パターンという共通要素に着目し、深夜の各々の状況における物理量と心理量の検討を行っている。現行照度基準および既往研究との比較検討により、実際の生活空間で必要な照度範囲を把握し、深夜の推奨照度範囲として、入眠時は0.2~1 lx、中途覚醒後のトイレに移動時は0.2~2 lx、トイレ利用時は10~20 lxを提案する可能性を示している。また、これらの値が,現行の照度基準および既往研究よりは低い値となったことについて、照明方式の違いによる影響、被験者の住み慣れた空間での実験、自由な調光などの実験条件から,考察を加えている。

第6章では、本研究の総合考察を行った上、今後の研究の方向を提示している。

以上,本論文では,高齢者の居室における深夜照明の望ましいあり方を提案するため、多様でかつ系統的な調査および実験を行っており,特に、被験者の自室を用いて調査・実験を行い、高齢者の現実の生活に極めて近い形でデータを得たことは,既往研究ではその例がなく,本研究の最大の特徴であるといえる。また,一連の結果によって,深夜照明における不満や要求の実態、被験者の入眠時や中途覚醒時の点灯パターンという概念の導入、被験者群別の傾向の把握,行動別の推奨照度範囲の提案の可能性への言及,現場実験と実験室の実験の差異の明確化など、建築照明分野における数々の新たな知見を導いており、総じて本論文の工学に対する寄与は大きいといえる。

よって,本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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