学位論文要旨



No 124552
著者(漢字) 井口,裕道
著者(英字)
著者(カナ) イノクチ,ヒロミチ
標題(和) 連続的標識分離機能を有するマイクロ磁気細胞分離システムの開発
標題(洋)
報告番号 124552
報告番号 甲24552
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6986号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠木,伸英
 東京大学 准教授 鈴木,雄二
 東京大学 准教授 鹿園,直毅
 東京大学 准教授 古川,克子
 東京大学 講師 小穴,英廣
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,体性幹細胞の再生医療臨床応用のため,稀少な細胞を高速,高純度に分離する連続型マイクロ磁気細胞分離システムの開発について書いた.

磁気分離法は幹細胞の一般的な分離法である.細胞に磁気粒子を結合させる標識プロセスと,磁気粒子が結合した目的細胞を磁場で分離する分離プロセスによって主に構成される.マイクロ磁気細胞分離システムは,この二つのプロセスをマイクロデバイス内にて高度に統合する.連続的な標識分離によってプロセスの高速化をはかる.磁石直下に設けたマイクロ流路内にて強い磁力を付加し,細胞を高純度に分離する.

マイクロ磁気細胞分離システムは,細胞と磁気粒子を混合し,標識するマイクロ混合器と,細胞の磁気分離と回収を同時連続的に行うマイクロ磁気分離器によって構成される.抗原抗体反応陽性の細胞を目的細胞とする.目的細胞を含む細胞懸濁液と,磁気粒子を含む懸濁液がシステムの入口から導入される.磁気粒子は,目的細胞に特異的に発現した抗原と結合する抗体で表面修飾されている.二つの懸濁液は合流し、マイクロ混合器内で混合される.懸濁液内の磁気粒子は流れの作用によって細胞と衝突し,抗原抗体反応によって結合する.その後,磁気分離器内における磁場の付加によって,目的細胞は分離され,出口での分岐によって回収される.

混合器として,高速な混合が難しい低レイノルズ数流れにおいても,細胞と磁気粒子を混合するChaktranond[1]らのラミネーションミキサーを採用した.この混合器は,流れの合流と分岐によって,流体の積層によって細胞と磁気粒子を混合する.n個ユニットの通過によって,流体の層の数は,2nとなり,各層の厚みは1/2nとなる.各層の平均厚みは細胞の直径よりも薄くなり,混合が達成される.ユニットの形状配置を工夫し,流れの周期性に起因する未混合領域を抑制し,流体全体を均質に混合する. 9ユニットの連結で,従来のマイクロ混合器より,高い混合性能が期待される.

細胞に働く分離力は,結合した磁気粒子に働く磁力の合力として表される.高純度分離のため,十分な分離力を得る必要があり,そのために飽和する程の磁気粒子を全ての目的細胞に結合させるのが理想である.しかし,現在の混合器に関する知見では,混合後の懸濁液において,細胞に実際に結合した磁気粒子の個数は不明である.本論文では,マイクロ流路内で結合する磁気粒子の個数について評価するため,連続的標識分離機能を有するマイクロ磁気細胞分離システムを設計した.デバイスを試作し,分離性能を実験により評価した.

混合器通過によって,流体内の細胞と磁気粒子が十分に混合された状態を想定した.マイクロ流路内での細胞と磁気粒子の衝突によって,細胞に結合する磁気粒子の個数を見積った.混合後の流体中でも,細胞と磁気粒子の間には,ブラウン運動の時間スケールにおける粒子拡散距離以上の間隔がある.そのため,両者の結合には時間を必要とする.標識にかかる時間を見積もるため,細胞と磁気粒子の衝突について解析モデルを構築した.

マイクロ流路内での剪断流れ内にある細胞と磁気粒子には,中心位置のずれに伴う相対速度が生じることが知られている.その相対速度は,細胞や磁気粒子のブラウン運動,沈降によって生じる相対速度よりもスケール的に十分大きいと考えられる.細胞と磁気粒子が完全に混合され,磁気粒子の結合が起こっていない状態を初期条件とした.細胞と磁気粒子の衝突断面積を通過する磁気粒子が細胞に結合しうると仮定し,衝突時の結合確率を考慮し,時間に対する磁気粒子の結合個数について解析解を構築した.

この解析解を用いて磁気粒子の結合個数を見積もった結果,結合確率が100 %となる場合,10 s程度の滞留時間で,飽和する程十分な磁気粒子の結合が得られることを示した.しかし,結合確率が1から減少したとき,滞留時間に対して得られる結合個数は,大きく減少した.結合確率が未知数であるため,混合器と分離器の区間流路内での反応に必要な時間は,数秒から数十分の値をとりうる.そこで,混合器と分離器の接続に関して設計指針を得るため,システムを設計した.区間流路での滞留時間が出口での分離性能に及ぼす影響について,試作デバイスを用いて実験し,評価した.

Chaktranond[1]の混合器と組み合わせ可能で,同流量条件で細胞を短時間に分離する連続型マイクロ磁気分離器を設計した.

本論文では,集積が容易な電磁石を磁場発生源とし,コイル近傍の強磁力を効率的に細胞に付加する分離流路を設計した.分離流路では,流路の下側を流れる細胞に,流路上方にある電磁石で磁場を加え.細胞を沈降力に逆らって上方向に分離する.流路断面において,下半分の任意の位置にある細胞を,滞留時間内に流路上半分に分離できる分離流路断面形状を設計した.定常電流がコイルを流れるときの周囲磁場は,ビオ-サバールの法則から求まる.細胞に加わる磁力は,その細胞に結合している磁気粒子に加わる磁力の合力である.細胞の緩和時間が非常に短いため,細胞の速度は終端速度に等しいと仮定できる.磁力と浮力の合力をストークス方程式に代入した.得られる分離速度をもとに,流路とコイルの形状配置を決定した.

本論文では,Fluent 6を用いて流れ場を計算した.入口から導入した粒子の軌跡を,ONE-WAYカップリングによって追跡した.その結果,分離流路の下方に細胞を導入するための入口形状と,上下二群に分かれた細胞を流れの分岐によって別途回収する出口形状を得た.

磁気分離器を混合器と組み合わせ,システムを設計した.システムは,5層のPDMS層と,銅コイルによって構成される.混合器と分離器はそれぞれ三層ずつであり,3層を介して,それぞれのデバイスが接続される.混合器は, Chaktranond[1]らと同様の形状配置を持つ.磁気分離器は,設計したものを用いた.混合後分離器に導入までの反応時間の違いによって得られる出口での分離性能を評価するため,混合器と分離器の間の流路長さが異なる二種類のシステムを設計した.分離器までの滞留時間は,それぞれ1 sと10 sである.結合確率が1の場合,およそ30 個, 80個の磁気粒子の結合がそれぞれ予想される.システムは,5層の構造と,コイルからなる.ソフトリソグラフィ技術を用いて,各層の構造をPDMSに転写した.リソグラフィ処理し,エッチングによってコイルを製作した.このコイルと各PDMS層を,表面処理後,位置合わせし,貼り合わせた.試作デバイスを製作した.

モデル細胞を用いて分離実験を行った.結合反応モデルにストレプトアビジン-ビオチンを用いた.モデル細胞として,細胞と同程度の直径を持ち,ビオチンで表面修飾されたマイクロビーズを選択した.磁気粒子には,ストレプトアビジンで修飾された直径 1μm の微粒子を選択した.評価指標として,二つの出口で回収されたマイクロビーズの総数に対し,目的細胞側出口で回収されたマイクロビーズの比率を分離率と定義した.

本論文では連続的標識分離の評価のため,二種類の実験を行った.

まず,磁気分離器単体の分離性能評価を行った.あらかじめ磁気粒子を結合させてあるマイクロビーズをデバイスに導入し,出口での分離率を評価した.動作確認のため,磁気粒子の結合個数分布が異なる二つの状態のマイクロビーズでそれぞれ実験した.ひとつは,磁気粒子の平均結合数が 77 で,標準偏差が 14 である.もうひとつは,平均結合数が 30 で標準偏差が 12 である.

混合器の動作条件に対応する粒子濃度と流量条件において,濃度電流変化時の分離率変化を計測した.電流が 0 Aのとき,分離率はおよそ 0 %である.電流の増加に伴い,分離率は増加し,一定値以上の電流ではほぼ 100 %に達する.磁気粒子結合数が多いマイクロビーズほど磁気駆動力が強いため,同じ電流値でも高い分離率が得られた.平均値を μ,標準偏差を σ とすると,二つの実験結果のどちらでも実験値は設計値の μ±2σ の範囲にあり,設計値は実験値とよく一致した.この結果をもって,磁気分離器の動作確認が得られた.

次に,連続的標識分離実験を行った.出口での分離率をもとに,連続的標識分離時の磁気粒子結合個数を評価した.細胞入口,磁気粒子入口,バッファ溶液入口から,マイクロビーズ,磁気粒子,バッファ溶液をそれぞれ導入した.マイクロビーズの磁気粒子 の結合を混合器と区間流路で行い,磁気分離した.解析解による見積もりに対応する実験条件で,電流変化時の分離率変化を計測した.前回の実験と同様に,最初は0 %であった分離率が電流の増加に伴い,増加する.連続的標識分離の原理実証がなされた.しかし,得られる分離率は想定よりも少なく,増加量は緩やかであった.この結果は,磁気粒子が想定よりも結合していないこと,磁気粒子の結合個数は幅広く分布を持つことを示す.そのため,高純度分離のために,混合後に,より長い反応時間が必要と考えられる.また,均一な結合個数を得るために,一定の剪断率下で細胞と磁気粒子を結合させる必要が考えられる.そのために,細胞と磁気粒子を流路壁面近傍によせる必要があると考えられる.

連続的標識分離を有するマイクロ磁気分離システムを設計し,試作デバイスを用いて,モデル分離性能評価実験を行った.その結果,連続的標識分離による原理実証を行った.混合器と分離機の間の区間流路が長い方が,滞留時間内に結合する磁気粒子個数が多く,より多くの目的粒子を,続く磁気分離器で分離できることを示した.また,細胞と磁気粒子の結合確率は1よりも低く,結合個数の分散が大きい可能性が得られる可能性を示した. そのため,十分な磁気粒子を全ての細胞に結合させるため,一定の剪断率下で,より長い区間流路内滞留時間が必要であると考えられる.

[1] Chaktranond, C., Fukagata, K. and Kasagi, N., 2008, "Performance assessment and improvement of a split-and-recombine micromixer for immunomagnetic cell sorting," J. Fluid Sci. Technol., 3, 1008-1019.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「連続的標識分離機能を有するマイクロ磁気細胞分離システムの開発」と題し,5章より成っている.

再生医療や医療生体検査をはじめ様々な次世代医療技術において,高い精度と低コストで生体液から目的の細胞を分離抽出する技術の開発が望まれている.特に,様々な組織に分化可能な幹細胞をいかにして入手するかは,重要な課題である.倫理的な問題を伴う胚性幹細胞に対して,成人の体内から得る幹細胞を利用することが望ましいが,後者は未だ充分に確立した技術とは言えない.骨髄に直接アクセスして間葉系幹細胞を得ることはすでに実現しているが,ドナーや患者への侵襲が大きいので,むしろ患者本人の末梢血から幹細胞を得ることが望ましい.しかし,末梢血中の幹細胞の数は,全ての単核細胞の中で,108~109の中にひとつある程度であり,こうした希少な細胞を健全な状態で効率よく抽出する低コストデバイスが必要である.本論文では,こうした事情を背景に,MEMS技術を用いたオンチップ型の細胞分離器を構想し,設計,製作,性能評価を行い,こうしたデバイスの設計指針を得ることを試みたものである.

第一章は序論であり,再生医学の現状,幹細胞に関わる既存の知識,幹細胞の分離法に関する従来の研究と技術開発などを概観している.目的細胞の標識法として,抗体抗原反応によってマイクロ磁気ビーズを目的細胞に付着させ,その後,外部磁場の印可によって目的細胞を分離する方法を研究の対象とすることが述べられている.そのため,構想するシステムとしては,磁気ビーズと生体液の混合付着を促進する混合器,そして外部磁場によって磁気ビーズ付着の目的細胞を抽出する磁気分離器の二つの要素が必要であり,また,それらのマイクロ化システムの開発を本論文の目的とすることが述べられている.

第二章では,構想するマイクロ磁気細胞分離システムが所定の性能を得るための原理的な検討を進めている.連続型の分離抽出を可能とするために,まず磁気分離器において要請される磁場の設計を行い,さらに従来高い混合性能が認められているラミネーション混合器を採用して,目的細胞と磁気ビーズが十分な衝突付着を達成するために必要な設計仕様を導いている.

第三章では,外部磁場を利用したマイクロ磁気細胞分離器の詳細設計と実際の製作を試みている.集積が容易な電磁石を磁場発生源とし,コイル近傍の強磁力を効率的に細胞に付加する分離流路を設計している.磁場下のマイクロチャネル流において,磁力と浮力を受ける細胞の運動を運動方程式に基づいて解析し,流線と垂直方向の分離速度から流路とコイルの形状配置を決定している.計算には,汎用コードFluent 6を用い,入口から導入された粒子の軌跡を,ONE-WAYカップリングによって求めている.その結果,分離流路の入口形状と,上下二層に分かれた流れの中の細胞を分離回収する出口形状を設計している.

これらを基に,磁気分離器を混合器と組み合わせ,全体システムを設計している.システムは,5層のPDMS層と,銅コイルによって構成される.ただし,混合後分離器に導入するまでの反応時間の違いに対する依存性を評価するため,混合器と分離器の間の流路長さが異なる二種類のシステムを製作している.製作は,ソフトリソグラフィ技術を用いて,各層の構造をPDMSに転写,その後リソグラフィ処理,エッチングによってコイルが製作される.このコイルと各PDMS層を表面処理後,位置を合わせ,貼り合わせて試作デバイスを製作している.

第四章では,製作されたデバイスとモデル細胞を用いて分離実験を行っている.結合反応モデルにストレプトアビジン-ビオチンを用い,モデル細胞として,細胞と同程度の直径を持ち,ビオチンで表面修飾されたマイクロビーズを採用している.磁気粒子には,ストレプトアビジンで修飾された直径 1 μmの微粒子を用いている.デバイスの二つの出口で回収されたマイクロビーズの総数に対し,目的細胞側出口で回収されたマイクロビーズの比率を分離率と定義し,評価指標としている.

まず,磁気分離器単体の分離性能評価を行うため,あらかじめ磁気粒子を結合させてあるマイクロビーズをデバイスに導入し,出口での分離率を評価している.コイルへの電流値を変化させ,分離器出口での粒子分離割合を計測し,実験値と設計値の良い一致を得て,磁気分離器の動作確認を果たしている.

さらに,連続的標識分離実験を行っている.デバイスの各入口から,マイクロビーズ,磁気粒子,バッファ溶液がそれぞれ導入され,マイクロビーズと磁気粒子の結合を混合器と区間流路で行い,磁気分離が達成される.設計上期待されたように,分離率は電流の増加に伴い増加し,連続的標識分離の原理が確認されている.ただし,得られた分離率は設計値よりも小さく,増加量は緩やかであった.この結果から,高純度分離のためには,混合後により長い反応時間の確保が必要と考察している.

最後に,連続的標識分離を有するマイクロ磁気分離システムを設計し,試作デバイスを用いて,モデル分離性能評価実験を行っている.その結果,混合器と分離機の間の区間流路が長い方が,滞留時間内に結合する磁気粒子個数が多く,より多くの目的粒子を分離できることを再確認している.また,細胞と磁気粒子の結合確率は1よりも小さく,結合個数の分散が大きい可能性を指摘し,一定の剪断率の下でより長い流路内滞留時間が必要であることを指摘している.

第五章は結論であり,本論文で得られた成果をまとめている.

以上,本論文では,再生医療に求められる,高い精度と低コストで連続的に幹細胞を抽出できる,MEMS技術を用いたオンチップ型の細胞分離器を構想し,設計,製作,性能評価を行い,その設計指針について新たな基礎的知見を得たもので,生体医療工学や機械工学の学術の上で寄与するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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