学位論文要旨



No 124556
著者(漢字) 坂東,佳憲
著者(英字)
著者(カナ) バンドウ,ヨシノリ
標題(和) In Vitro実験下での脳動脈瘤内血行動態の計測手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 124556
報告番号 甲24556
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6990号
研究科 工学系研究科
専攻 産業機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大島,まり
 東京大学 教授 金子,成彦
 東京大学 准教授 鈴木,雄二
 東京大学 准教授 高木,周
 東京大学 教授 岡本,孝司
内容要旨 要旨を表示する

1.序論

脳動脈瘤は破裂すると致死率の高いくも膜下出血を引き起こすため,破裂を防ぐための処置が施される.しかし,この処置による死亡などの危険性は破裂の危険性よりも高いため,破裂の危険性を見極めた選択的な治療方針の確立が望まれている.脳動脈瘤のような循環器系疾患の発症・成長には,血流が血管壁におよぼす血行力学的要因,特に壁面せん断応力が深く関わっているとされており,その因果関係を解明するために様々な実験的・数値解析的研究が行われてきた.実験的研究では,生体内の状態を再現した実験環境を構築することが重要な課題である.また,複雑な血管形状の再現は流動構造の3次元化を,血管の弾性の再現は内圧による形状の時間変化をもたらすため,計測しなければならない物理量が増加する.このため,計測手法の改良などが必要になる.

そこで本研究では,血管形状,血流の拍動,血管の弾性を再現した実験に向けて,複雑な内部形状内のステレオPIV(Particle Image Velocimetry)計測手法の確立,壁面せん断応力の空間分布の算出方法の提案,壁の3次元的な変位量の追跡手法の確立を行った.

2.レーザ光を用いたキャリブレーション手法の開発と実血管形状モデル内流れへの適用

実血管形状動脈瘤内の流れは3次元的な流動構造が時間変化しているため,計測手法には平面内の多点の速度3成分同時計測ができるステレオPIVが適している.この計測方法では,複数のカメラを使って速度分布を求めるため,カメラ間の位置の対応付けなどするためのキャリブレーションと呼ばれる作業を行う必要がある.しかし,実血管形状は複雑な内部形状をしているため,従来のプレートを使ったキャリブレーションが困難である.そこで,レーザ光を用いることにより,流路形状に関係なくキャリブレーションができる手法を開発した(図1).

この手法の性能を評価するため,同一実験条件下で,レーザ光.およびプレートを用いた方法でそれぞれキャリブレーションを行い,移動量の算出精度の比較を行った.撮影領域約15mm×15mmにおいて,疑似粒子をx,y,z方向にそれぞれ100μm移動させた画像を撮影した.この画像を用いてPIV解析を行った結果,平均移動量,移動量の分布の傾向に違いは見られなかった.このことから,本手法は従来のプレートを使用したキャリブレーションと同程度の精度を有しているといえる.これにより,動脈瘤内の任意の断面において任意の計測領域でステレオPIVすることができるため,詳細な流れ場の計測が可能になった.

分岐部にアスペクト比0.62の動脈瘤のある中大脳動脈部の剛体壁実血管モデルを作製し,拍動流における動脈瘤内の流れをステレオPIVにより計測した.拍動前半にあたる収縮期の急激な流量変化が流速分布に与える影響を調べるため,最大流量時(T=0.7s,Re =575),収縮期の流量加速期(T=0.3s,Re =287),および流量減速期(T=2.7s,Re =287)における流速分布を比較した.(拍動の無次元数を生体内と実験で合わせた結果,実験での周期は11.17sとなった.)その結果,流量加速期,減速期,最大流量時で異なる流速分布をしており,減速期の速度分布はRe数575の定常流入時の速度分布に似ていた.このことから,動脈瘤内の流動構造は時間と共に変化し,最大流量時においてもまだ発達過程にあり,流量減速期にかけて安定した流動構造になると考えられる.

動脈瘤内の流れは,最大流量時付近において流動構造が大きく変化していると考えられるため,動脈瘤内の流動構造がどのように変化しているかについて詳細に調べた.その結果,収縮期の流量加速期では,動脈瘤のネック側から流れが生じ,時間と共に先端側に向けて流れが発達していく様子が観察された.最大流量時から減速期にかけては動脈瘤先端まで到達する瘤壁に沿った流れが観察された.この流れは,最大流量時直後にかけては動脈瘤の先端に向かう一つ流れと,先端からneck側に向かう2つの流れが存在していたが,流量のピークを越えた後ではこのような複雑な流動構造は見られず,動脈瘤に沿った1つの流れが観察された(図2).

3. 壁の向きを考慮した壁面せん断応力の算出と数値シミュレーション結果との比較

壁面せん断応力は,壁に平行な速度の壁面での勾配と粘度の積で求められるため,速度算出点と壁の位置,速度算出点での速度と壁の向きが必要である.ステレオPIVの計測結果から速度算出点の位置と速度を取得することはできるが,壁の正確な位置と正確な向きの取得は難しい.そこで,モデル製作時に作製した低融点金属モデルの形状を計測し,その形状データを用いて,これらの情報を取得する方法を考案した.

拍動による壁面せん断応力の時間変化を調べるため,この手法を動脈瘤内の流れの計測結果に適用し,最大流量時(T=0.7s,Re =575),収縮期の流量加速期(T=0.3s,Re =287),および流量減速期(T=2.7s,Re =287)の壁面せん断応力の空間分布の算出した.その結果,最大流量時では,血管壁の形状変化によって動脈瘤に流入した流れが向きを変化させている領域と,この向きを変えた流れが再度血管壁にぶつかる領域で壁面せん断応力が高くなっていた.しかし,流量減速期では動脈瘤の先端側を経由した動脈瘤から流出する流れが存在する領域で,壁面せん断応力が高くなっており,最大流量時とは異なる流れによって壁面せん断応力が高くなっていた.

この算出された壁面せん断応力の値を評価するため,文部科学省次世代IT 基盤構築のための研究開発「革新的シミュレーションソフトウェアの研究開発」にて開発・公開されている「MC-BFlow」による3次元血流数値解析結果との比較を行った.まず速度分布について比較を行った結果,定性的に良い一致を示した(図3).この結果を踏まえ,壁面せん断応力の分布について比較を行った結果,低壁面せん断応力領域などの応力の分布は定性的に一致していた(図4).しかし,壁面せん断応力の値は実験結果の方が小さく算出されていた.この原因としては,一般的なFFTによる相互相関法を解析手法として使っているため,壁近傍のように相関領域内に速度勾配があると速度算出の精度が低くなる点,また,速度算出点が壁から離れているため,速度の線形変化の仮定により速度勾配が過小に評価される点などが考えられる.

4.壁変形と流れ場の同時計測システムの開発と適用

血管の弾性を再現したモデルを用いる場合,内圧や流体圧による壁の変形も計測しなければならない重要な物理量の一つである.この壁の変形は実血管形状をした弾性壁モデルでは場所によって向きや大きさが異なる.そこで,壁に粒子を分散させてPIV計測することにより,壁の3次元的変形を追跡する方法を提案した.

この方法ではPIVの粒子画像には壁部の粒子と流体部の粒子が混在し,それぞれが独立に移動するため,両者を分離する必要がある.そこで,壁部を蛍光染色することにより,蛍光画像の輝度分布による壁部と流体部の統一的な領域分割の可能性を調べた.カメラに対する壁の傾きを変えた画像を撮影し,背景部の輝度を0%,壁部内の最大輝度を100%として輝度値を規格化したところ,どの壁の傾きにおいても輝度値50%付近で急峻な輝度の変化が見られた.さらに50%以上の領域の厚みを求めたところ,計測モデルの壁厚から算出した画面内での厚みとよい一致を示した.このことから,壁部と流体部の境界面を輝度値50%と設定することで,領域の分割が可能なことが分かった.

この手法を単純弾性円筒管内の流れ場に2次元PIV計測に適用した.相関領域64×64ピクセルで壁の移動量を求めた結果,内圧から求めた壁の移動量とよく一致しており(図5),撮影画面における移動量が0.1ピクセル以下~十数ピクセル程度で移動を追跡できることが検証された.

5.結論

以上の研究により,in vitroにおいて,血管の形状・弾性,血液の拍動を再現した実験環境で求められる,動脈瘤内の流れ場,壁面せん断応力の分布,内圧に対する壁の移動量の計測手法の開発を行った.その結果,従来のキャリブレーションプレートと使った場合と同程度の性能を有し,流路形状の制約を受けないステレオPIV計測手法の開発に成功した.また,計測モデル製作時に作製した低融点金属モデルの形状データを使用することによって,定性的な壁面せん断応力の分布を算出することが可能であることを確認した.さらに,モデル壁部に粒子を分散させPIV計測することにより,拍動と共に変化する壁の挙動の計測が可能であることを示した.加えて,それぞれの課題点を考察し,次のステップである実血管形状を再現した弾性壁モデルを使った計測における課題を示した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,「In Vitro実験下での脳動脈瘤内血行動態の計測手法に関する研究」と題して,5章から構成されている.

本研究の計測対象である脳動脈瘤の破裂は致死率の高いくも膜下出血の主原因である.脳動脈瘤の発生・成長・破裂においては血行力学的な刺激が関与していると考えられており,実験,数値シミュレーションなどの様々な方法での研究がなされている.本研究が対象としているin vitroでの実験においては「生体内の流れ場を再現」し,そのような条件下で「流動構造・壁の変形を計測」することが必要である.実験において「生体内の流れ場を再現」をするためには,血管の形状・変形や血流の拍動の再現が必要である.拍動と血管形状の再現については多数の研究が行われており,3次元的な流れ場が再現されている.一方,血管の変形については,変形可能な弾性材料を用いて単純形状における実験的研究が行われているが,血管の形状・弾性の両方の再現した3次元的なモデルについては,モデル製作自体が課題となっているため,実験が困難である.流動構造の計測については,空間解像度の不足や撮影領域の固定など,流れ場の計測技術が実血管形状に十分かつ柔軟に対応しておらず,得られる速度情報量に制限がある.また壁の変形については,拍動に伴って形状が変化するため,流れ場と共に3次元的な壁の変形を追跡できる手法の開発が重要である.

本論文では,血管の形状・弾性の両方を再現したモデルにおける「流動構造・壁の変形を計測」することに着目し,そのような研究において必要不可欠となる3次元的な流れ場および形状変化の計測手法の開発を目的としている.具体的には「複雑な内部形状に柔軟に対応できる3次元的な流れ場の計測手法の開発」と「流体と構造の連成によって変形する血管壁の追跡と流れ場の計測手法の開発」に取り組んでいる.その際に「生体内の状態を再現したin vitro実験環境の構築」を行い,動脈瘤内全体の流動構造を把握することのできる計測手法を開発し,その手法の有用性について検証している.また,3次元的な流れ場が計測できる利点を生かし,血管の3次元的な形状を考慮した壁面せん断応力の分布の算出と検証を行っている.

第1章では,本研究で計測対象としている脳動脈瘤,および脳動脈瘤の破裂によって引き起こされるくも膜下出血の特徴と実態について述べている.その後,脳動脈瘤の発症等における血行力学的要因について説明し,それらの関連性を流体力学的観点から探る従来研究について述べている.さらに,流れ場の計測技術とin vitroにおける流動構造の計測の現状について述べ,流れ場計測における従来研究の課題点を明らかにしている.最後に本研究の目的について述べている.

第2章では,流れ場の計測手法としてステレオPIVに着目し,複雑な内部形状に対応できるように開発したレーザ光を用いたキャリブレーション手法について説明している.さらに,移動量が既知の粒子画像を用いて従来のプレートを使ったキャリブレーション手法と算出精度の比較することで開発した手法の精度の評価を行っており,開発した手法が従来の手法と同程度の精度を有していること確認している.

第3章では,剛体壁の実血管形状脳動脈瘤モデルを作製し,開発した計測手法を用いて動脈瘤全体の流動構造の計測を行った.また,計測結果を定性的・定量的に評価するために,不確かさ解析を行い,計測された速度分布と過去の一般的な動脈瘤内の流動構造の研究例,および数値シミュレーションの結果との比較を行った.その結果,流動構造は過去の研究や数値シミュレーションの結果と定性的に一致し,数値シミュレーションとの比較では血管部で定量的にも一致することを示している.これにより,複雑な内部形状に対応した流れ場の計測手法として本手法が有用であることが示されている.

またこの章では,3次元的な流れ場が計測されていること,血管形状の3次元データを利用し,血管形状を考慮した壁面せん断応力の算出を行っている.流れ場において計測結果と数値シミュレーション結果がよい一致していることを踏まえて,壁面せん断応力について両者の比較を行い,算出精度について検証している.また,不確かさ解析を行い,壁面せん断応力の算出における誤差要因の検討を行った.数値シミュレーション結果と比較して,本研究で提案した方法では壁面せん断応力は低く算出される傾向にあり,その要因としては壁から離れた場所の速度を用いて壁面せん断応力を算出していることが考えられる.

第4章では,PIV技術に着目し,壁部にもトレーサ粒子を分散させることにより,流体構造連成によって変形する血管壁の追跡と流れ場の計測手法の開発について説明している.本手法の実用性について検証するため,弾性直円筒管内の流れ場と壁の変形量の計測に適用し,理論解と比較した.速度場は,定常流では理論解と一致している.また,壁の変形量については,定常流では内圧支配の変形の特徴が得られている.また,拍動流では壁の変形の時間変化と内圧の時間変化では同様な波形が得られているが,定量的な評価については今後検討する必要がある.

第5章は結論であり,本研究において開発した手法と流れ場および壁の変形量の計測に適用した際の精度についてまとめ,今後の展望と課題点について述べている.

以上より,血管の形状・変形を再現した実血管形状の弾性壁モデルを使用した計測における課題点である,3次元流れ場の計測,壁の変形と流れ場の計測に対する有効な手法が提案された.今後は,実血管形状をした弾性壁モデルに本手法を適用することにより,血管の形状の変化が流動構造に与える影響についての研究が期待される.また,動脈瘤に限らず血管内治療全般において,血管モデルに実際の治療の施し,治療後の流動構造の計測することによって,術後のシミュレーションや効率的な治療方針に関する研究への利用が期待される.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク