学位論文要旨



No 124559
著者(漢字) 北,佳保里
著者(英字)
著者(カナ) キタ,カホリ
標題(和) 筋電制御機器への習熟状態に応じた自己組織的動作識別法
標題(洋)
報告番号 124559
報告番号 甲24559
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6993号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 横井,浩史
 東京大学 教授 新井,民夫
 東京大学 教授 鈴木,宏正
 東京大学 教授 淺間,一
 東京大学 教授 満渕,邦彦
内容要旨 要旨を表示する

本論文の主題は,身体の運動制御に不自由を有する人の運動補助を目的として,これを外部動力によって実現するために必要となる,表面筋電位を用いた動作意図の識別法の開発である.

一般に,表面筋電位には,多数の筋肉の活動に関する情報が重畳されているため,複数の動作意図を識別できる可能性が残されている.これまでにも,表面筋電位の識別技術への研究アプローチは,数多く試みられてきているが,長時間安定して複数の動作意図を抽出する機能の実現には,未だ多くの問題が存在することが指摘されてきた.このような問題に対して,ここで取り扱った主要な課題は,表面筋電位から識別する動作数を増加させ,複雑な日常生活動作(ADL)のための運動補助の可能性を向上させようとするものである.多種の動作を識別しようとした場合に生じる課題は,以下の2つに大別される.

(I) 動作と筋電位との対応関係の複雑さに影響されない動作識別を構成する課題

(II) 人の筋電制御機器の操作運動に対する習熟の評価の課題

本論文では,課題(I)に対しては,表面筋電位を用いた自己組織的な動作識別法,課題(II)に対しては,表面筋電位を用いた運動習熟度の評価法を提案している.本論文の独創的な点は,筋電制御機器から多くの動作を安定して識別する際に生じる課題に対して,上述の2つの方法論を統合し,人の筋電制御機器の操作運動に対する習熟状態を評価し,それを考慮した自己組織的な動作識別法を提案したことに集約される.

本論文は,序論と結論のほか四つの章から構成される.以下に各章における要約を記述する.

序論においては,本論文の意義と目的,および,研究背景を詳述している.これまでに筋電制御機器で実現された識別能力を概観し,日常生活上不可欠な動作を上肢6動作,下肢4動作と規定し,これらを本論文おいて最低限達成しなければならない識別動作数として設定している.また,筋電制御機器で多種の動作を実現しようとする場合に生じる課題を上述の課題(I),(II)に大別している.

課題(I)に関して,表面筋電位は非定常な性質を持つ信号であるため,ある動作を行ったときに計測される信号は一意ではない.また,筋疲労や発汗による皮膚インピーダンスの変化といった生理特性の変化等により,時間経過とともに計測される信号の特性が変化することが知られている.安定して多くの動作を識別するためには,筋電制御機器は,このような動作と筋電位との対応関係の複雑さに対処する必要がある.

課題(II)に関して,筋電制御機器を自在に取り扱うことができるかどうかは個人によって大きく異なる.筋電制御機器の扱いに習熟した人は,数多くの筋電位のパターンを出力でき,筋電制御機器の有する運動の種類を巧みに使い分けられるが,習熟していない人では,最初から多くの筋電位のパターンを出せるわけではない.すなわち,習熟の程度(習熟度)は,筋電制御機器の使い方の巧みさと強く関連しているため,習熟状態に応じて機器の特性を変更しなければ各個人にとって使いやすいシステムは構築されない.このことから,人の習熟度合いの評価,習熟度に応じた動作識別が主たる課題となることを示している.

さらに,課題(I),(II)の関連研究として,筋電位から動作識別を行う方法と,人の運動に対する習熟状態の評価方法に関する研究動向を詳しく述べ,問題点を整理している.

第二章においては,表面筋電位を用いた動作識別の一般的な方法について説明し,序論において述べた2つの課題の定義を行っている.さらに,これらの課題に対する本研究のアプローチを示し,それらを統合する提案システムの全体像を明らかにしている.

課題(I)は,人が同一の動作意図で動作を行った際に発生する,異なる筋電位パターンを識別する際に,それぞれの識別動作が一致するような識別関数パラメータが決定されるように訓練データを生成する課題,課題(II)は,目標とする動作と実際に出力される機器の動作との差を評価する課題と定義している.

これらの課題に対するアプローチとして,課題(I)に対しては,表面筋電位を用いた自己組織的な動作識別法(第三章にて詳述),課題(II)に対しては,表面筋電位を用いた運動習熟度の評価法(第四章にて詳述)を示している.さらに,これらのアプローチを実現するために,従来の動作識別を行う識別フェーズに加えて,分離性の高い訓練データを生成する学習フェーズと,操作者の動作識別に対する習熟状態を評価することで識別可能な動作種・動作数を特定し,動作識別とトレーニングを可能にするプロセスを提供する訓練フェーズで構成する動作識別法(第五章にて詳述)を提案している.

第三章においては,二章で述べた筋電位と動作との対応関係の複雑さの課題に対して,ある意図した動作を行ったときの筋活動パターンから,筋電位の変動があっても,他の動作と重複しないような代表的なパターンを抽出し,その対応関係を学習することで,安定的な動作識別を実現する自己組織的動作識別法を提案している.提案手法は,ベクトル量子化を用いた分離性の高い代表的な特徴パターンの抽出と,動作姿勢に基づく動作意図の割り当てによる訓練データの生成から成り立つ.

提案手法を用いて動作識別を行った結果,従来手法のように,人が動作を明示的に機器に学習させ動作識別を行うよりも,8動作中6~7動作で識別率が向上し,従来法に比べて多くの動作を高識別率で識別可能であることを示している.さらに,初期に生成された訓練データが,時間経過があっても識別率を低下させないことを示している.このことから,提案手法の動作と筋電位との対応関係の複雑さへの有効性を明らかにしている.

第四章においては,二章で述べた人の機器操作への習熟を評価する課題を運動学習の課題として捉え,表面筋電位から得られる運動パターンの再現度と精度から習熟を評価する方法論を提案している.実験課題として,運動学習の様子を解析するのに有効である上肢到達運動によるターゲットトラッキングを用い,提案する習熟度の有効性を検証している.この結果,ターゲットトラッキングの軌跡誤差を用いたパフォーマンス評価が向上する場合に,表面筋電位から算出された再現度を用いることによって,人が習熟過程において運動パターンの探索と収束を繰り返す様子を明らかにしている.このことから,習熟度を用いて運動に対する習熟を評価可能であることを示している.

第五章においては,三章で提案した自己組織的動作識別法と四章で提案した習熟度評価を統合し,筋電制御機器の操作運動に対する習熟に応じた動作識別法(統合システム)を提案し,その要素技術について詳細を述べ,最後にシステムの有効性を検証している.統合システムは,習熟度から現状における識別可能動作数を特定し,その識別可能動作数において人がトレーニングを行い,その後習熟度を判定し,習熟していると判定された場合,動作の追加を行うような訓練フェーズを新たに提案している.筋電制御機器への操作運動の習熟度は四章の運動習熟度評価を転用し,再現度をある動作を繰り返し行ったときの筋活動パターンのばらつき,精度を識別対象となる全動作の筋活動パターンの特徴空間上での重複度として再定義している.筋電義手の操作中に習熟度と動作識別率を算出した結果,2者間に高い相関が見られることを示し,その結果,機器の操作運動への習熟状態の評価に関する提案手法の有効性を示している.

また,識別可能動作の特定方法として,習熟度がある一定以上になるまで精度が最も低い動作を削減する方法を提案し,その有効性を検証している.その結果,精度が低い動作を削除することで,全体の精度と識別率が向上することを確認し,統合システムにおける識別可能動作の特定法として採用している.

以上のような要素技術を統合してシステムを構築し,これを用いて動作識別トレーニングを行った結果,動作識別に対して十分習熟しており動作識別率が安定していると考えられる熟練した操作者においても,トレーニング前後で平均動作識別率が向上し,日常生活動作の実現に不可欠な動作数(上肢6動作)を満たす9動作で平均識別率70%以上を確認した.

結論においては,各章の要約および本論文の成果を述べるものである.本論文における重要な成果を以下に示す.

・表面筋電位からの自己組織的な動作識別法を確立し,従来法と比較して,多くの動作で高い識別率で識別可能であることを示した.

・表面筋電位を用いた運動に対する習熟度評価法を確立し,筋電制御機器の操作運動に対する人の習熟状態を評価可能であることを示した.

・人の習熟度評価に基づく表面筋電位を用いた動作識別法(統合システム)の構築を行い,有効性を検証した結果,筋電位の変動を吸収し,人がどのような習熟状態であっても,それに応じた動作識別トレーニングのプロセスを提供することで,筋電制御機器を最大パフォーマンスで操作することが可能であり,日常生活に必要な動作数を識別可能であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

北 佳保里(きた かほり)提出の本論文は「筋電制御機器への習熟状態に応じた自己組織的動作識別法」と題して全6章で構成され,身体の運動制御に不自由を有する人の運動補助を外部動力によって実現するために必要となる,表面筋電位を用いた動作意図の識別法を開発することを目的として執筆した論文である.

特筆すべき成果としては,本論文で提案した習熟度を考慮した自己組織的動作識別法(統合システム)を用いて動作識別を行った結果,筋電位の変動を吸収し,人の習熟状態に応じた動作識別トレーニングのプロセスを提供することで,従来法と比較して高精度で多くの動作を識別可能であり,これに対する詳しい解析結果が述べられていることである.

本論文は,序論と結論のほか四つの章から構成される.

序論においては,本論文の意義と目的,および研究背景について述べられている.特に,筋電制御機器において多種の動作を識別する際に生じる課題が,動作と筋電位との対応関係の複雑さに影響されない動作識別を構成する課題(課題I),人の筋電制御機器の操作運動に対する習熟の評価の課題(課題II)に大別され,それぞれの課題に関する研究動向を詳述すると共に,問題点が整理されている.

第二章においては,序論で述べた2つの課題を定義し,これらに対する本論文のアプローチを示している.課題Iに対しては,表面筋電位を用いた自己組織的な動作識別法,課題IIに対しては表面筋電位を用いた運動習熟度の評価法が示されている.さらに,2つの課題に対するアプローチを実現するために,従来の動作識別を行う識別フェーズに加えて,分離性の高い訓練データを生成する学習フェーズと,操作者の動作識別に対する習熟状態を評価することで識別可能な動作種・動作数を特定し,動作識別トレーニングを可能にするプロセスを提供する訓練フェーズで構成する動作識別法が提案されている.

第三章においては,課題Iに対して,ある意図した動作を行ったときの筋活動パターンから,筋電位の変動があっても,他の動作と重複しないような代表的なパターンを抽出し,その対応関係を学習することで,安定的な動作識別を実現する自己組織的動作識別法が提案されている.提案手法は,ベクトル量子化を用いた分離性の高い代表的な特徴パターンの抽出と,動作姿勢に基づく動作意図の割り当てによる訓練データの生成から成り立つ.提案手法の性能評価は前腕動作の識別率を用いて行われており,人が動作を明示的に機器に学習させる従来法と比較して,8動作中6~7動作で識別率が向上し,従来法に比べて多くの動作を高い識別率で識別可能であることが示されている.

第四章においては,課題IIを運動学習の課題として捉え,表面筋電位から得られる運動パターンの再現度と精度から習熟を評価する方法論を提案している.上肢到達運動における運動習熟を評価した結果,習熟度を用いることによって,習熟過程において運動パターンの探索と収束を繰り返す様子を明らかにし,運動に対する習熟を評価可能であることを示している.

第五章においては,三章で提案した自己組織的動作識別法と四章で提案した習熟度評価を統合し,筋電制御機器の操作運動に対する習熟に応じた動作識別法(統合システム)を提案し,その有効性が示されている.統合システムは,習熟度から現状における識別可能動作数を特定し,その識別可能動作数において人がトレーニングを行い,その後習熟度を判定し,習熟していると判定された場合,動作の追加を行うような訓練フェーズが新たに提案されている.筋電制御機器の操作運動に対する習熟度は四章の習熟度評価を転用し,再現度をある動作を繰り返し行ったときの筋活動パターンのばらつき,精度を識別対象となる全動作の筋活動パターンの特徴空間上での重複度として再定義している.また,識別可能動作の特定方法として,習熟度がある一定以上になるまで精度が最も低い動作を削減する方法を提案している.統合システムを用いて動作識別トレーニングを行った結果,トレーニング前後で識別率が向上し,日常生活動作の実現に不可欠な動作数(上肢6動作)を満たす9動作で,平均識別率70%以上で識別可能であることを示している.

第六章では,論文全体に亘る結論として以下のことを述べている.

・表面筋電位からの自己組織的な動作識別法を確立し,人が明示的に機器に動作を教示する従来法と比較して,多くの動作で高い識別率で識別可能であることから,提案手法の動作と筋電位との対応関係の複雑さへ有効性を示した

・筋電制御機器の操作運動への習熟を運動学習の問題として捉え,表面筋電位から得られる運動パターンの再現度と精度で習熟を評価する習熟度評価法を確立し,筋電制御機器の操作運動に対する人の習熟状態を評価可能であることを示した.

・人の習熟度評価に基づく表面筋電位を用いた動作識別法(統合システム)を構築した.

(1)人がどのような習熟状態であっても,それに応じた動作識別トレーニングのプロセスを提供することで,筋電制御機器を最大パフォーマンスで操作することが可能であり,日常生活に必要な動作数を識別可能であることを示した.

(2)習熟度を定量化したことにより,現状における識別可能な動作種・動作数,すなわち人の操作能力を客観的に算出可能であり,また習熟過程において生じる人の内部状態の変化をより詳細に捉えることが可能であることを示した.

(3)統合システムを用いて動作識別トレーニングを行うことにより,他の識別方法においても識別率が向上し,統合システムを用いたトレーニングの有効性を示した.

本論文は,肢体不自由者の運動機能再建のために,習熟度を考慮した自己組織的動作識別法を構築し,その有効性を示した.このような方法論は世界的に見ても類はなく,医工学分野において価値ある成果を得たと評価でき,また工学全般の発展に寄与するところが大である.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク