学位論文要旨



No 124561
著者(漢字) 緒方,大樹
著者(英字)
著者(カナ) オガタ,タイキ
標題(和) 環境との相互作用を介した人間の創発的リズム生成に関する研究
標題(洋)
報告番号 124561
報告番号 甲24561
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6995号
研究科 工学系研究科
専攻 精密機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,完次
 東京大学 教授 古田,一雄
 東京大学 教授 淺間,一
 東京大学 准教授 横井,浩史
 東京大学 准教授 高橋,哲
 東京工業大学 准教授 三宅,美博
内容要旨 要旨を表示する

人間の知覚,運動および認知には,空間的な側面と時間的な側面がある.本研究では時間的な側面を対象とし,時間情報に関わる知覚,運動,認知(本論文ではこれを時間的行動と呼ぶ)を,人間が環境と相互作用することで創発するものと捉える.そして,時間的行動の創発における複数感覚の効果,および,自己と他者の生成する時間情報の役割を明らかにすることを主たる目的とする.具体的には,基礎的な時間的行動のひとつであるリズム生成に着目し,ペースメーカもしくは他者の作りだす視聴覚刺激に基づく指タッピング課題を用いた協調的リズム生成実験により考察を進める.

リズム生成に関する研究はこれまで,認知心理学とダイナミック・システム・アプローチの分野で主になされてきたが,他者との協調的リズム生成における用いる感覚の影響やそのメカニズムについては陽に扱われてこなかった.そこで本研究では,ペースメーカもしくは他者との協調過程の観察,および,協調的リズム生成メカニズムのモデル化を行なう.また,提案モデルを実装し,人間との相互作用を観察することで,モデルの検証と協調過程の内的メカニズムの考察を行なう.

本論文で行なった行動実験は次の5つである:(1)視覚特性を考慮した周期的にテンポが変化するペースメーカとの交互タッピング,(2)感覚情報の統合過程観察のための異なる時系列をもつ視聴覚メトロノームとの交互タッピング,(3)二者間の協調過程の観察のための二者間交互タッピング,および比較対象として一者タッピング,ペースメーカ,もしくは,一定時間遅れをもつフィードバック(FB)情報との交互タッピング,(4)自己の反応の視聴覚FB情報の効果を調べる実験,(5)一方は視覚,もう一方は聴覚で相手の情報を受け取るという視聴覚混合交互タッピング.ついで,協調的リズム生成のメカニズムを調べるために,人間の内的リズム生成メカニズムのモデル化を行なった.その際,これまでペースメーカとの協調過程の研究で提案されてきた同期誤差修正機構と内的タイムキーパの周期修正機構に加えて,新たに,自己の基準とする内的なテンポを用いたタイムキーパの修正機構を提案し,導入した.また,安定性解析と計算機実験による解析を行ない,さらに,提案モデルの妥当性を調べるために,モデルを実装したシステムと人間の間のリズム生成の観察を行なった.

結果は以下のように考察される.二者間のリズム生成は,外界刺激なしに一人で行なうリズム生成,もしくは,一定テンポのメトロノームとのリズム生成と比較して,刺激-反応時間間隔(Difference between stimulus and response; d)を,目標値により近い値で生成可能であること,および,自己の反応の時間間隔(Inter-tap interval; ITI)とd のばらつきが抑えられることが分かった.このような二者間リズム生成の特徴は,自己と他者のITIを一致させるように修正すること,および自己と他者のd を相互補完的に修正することで達成されていることが示された.また,用いる感覚のリズム生成に対する影響については,聴覚を用いたときは,人間は即応的に反応し,また,視覚を用いたときはより長い時間スケールで反応タイミングを修正していることが示唆された.また,二者間において視聴覚を混合した場合,二者間で視覚のみ,もしくは,聴覚のみを用いた場合よりも作り出されるテンポが早まる傾向があることを見出した.人間のリズム生成は,目標とするタイミングよりも早まる傾向が知られており,それは感覚間の処理時間の差のためとする仮説があるが,この結果はその仮説に反するものであった.二者間のリズム生成における自己の反応の視聴覚FB については,自己と他者の作りだすd の差を小さくする働きがあることを明らかにした.これは,同じ感覚によって自己と他者のd を比較することができるようになるためと考えられる.

また,提案モデルの解析結果から,他者と協調してリズムを創発するためには,他者に追従するだけではなく,内的に自己のテンポを保持する必要があることが示唆された.また,計算機実験から予想される自己の内的テンポの大きさと二者間のd の関係が,モデルを実装したシステムと人間の間のリズム生成においても観察された.また,自己の基準とする内的なテンポは,先行ペースメーカのテンポの記憶,および,心理学において議論されているパーソナル・テンポが関係していると考えられる.

以上,本研究では,環境と自己の時間情報の相互作用を通して創発する人間のリズムについて観察とモデル化を行ない,環境との時間的協調とそれを支えるメカニズムを取り扱った.人間の時間的行動を,環境と自己の時間情報の相互作用を介した創発と捉える本研究の立場は,人間と人工物の柔軟な時間的協調を達成する上で有効と考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

緒方大樹(おがたたいき)提出の本論文は「環境との相互作用を介した人間の創発的リズム生成に関する研究」と題し,全6章より成り,行動実験を用いた人間のリズムの観察と分析,および,その結果に基づくリズム生成の内的メカニズムのモデル化とその妥当性の検証,さらには,それらを通して得られた知見に基づく人工物設計への発展可能性について述べている.

第1章には,研究の背景および目的と,論文の構成を記している.人間の行動を環境との相互作用を介した創発現象として捉え,その過程の時間的側面に着目し,感覚統合の問題,および,環境として他者を考慮したときの自己と他者の問題の重要性を指摘している.本論文は,リズム生成課題を用いた行動実験と,リズム生成を支える内的メカニズムのモデル化を用いてそれらの問題に取り組むものである.

第2章では,異なる時間スケールでテンポが変化する視聴覚ペースメーカとの指タッピング課題を用いた2つの行動実験を行っている.その結果,視覚は聴覚よりも長い時間スケールでリズム生成に関わっており,感覚統合過程においても視聴覚情報の時間スケールが重要であることを見出している.この結果は,リズム生成において視聴覚の統合はみられないとしてきたこれまでの知見を覆すものである.

第3章では,他者とのリズム生成課題を用いた3つの行動実験を行なっている.他者との協調的なリズム生成を観察するために,新たに二者間の交互タッピング課題を提案している.その結果,他者の時間情報は,生成されるタイミングを目標とする値に近づけること,および,タイミングのばらつきを抑えることを発見し,また,時系列解析から生成されるタイミングの動的特徴についても分析を行なっている.この結果は,リズム生成において他者の時間情報はタイミング生成の正確さに寄与しないとする先行研究の結果を覆す新しい知見である.

第4章では,人間のリズム生成の内的メカニズムのモデル化を行ない,安定性解析と計算機実験によってモデルの挙動について分析を行なっている.また,モデル化においては,行動実験の結果をもとに,人間が自己の基準とする内的なテンポをもっていると仮説をおき,そのテンポに基づくタイミング修正機構を提案している.その結果,他者との協調的なリズムの創発は,他者へ追従する機構だけでは再現されず,自己の基準とするテンポという主体的な要素が必要であることを示している.

第5章では,提案モデルを実装したシステムと人間の間におけるリズム生成を観察し,モデルの妥当性について検証している.その結果,自己の基準とする内的なテンポの大きさと生成されるタイミングの関係が,計算機実験から予想される結果と一致することを示している.また,生成されるタイミングの動的な特徴が,システムと人間の間と,人間同士の間で,全体的な傾向が一致することを示している.これらの結果よりモデルの妥当性を示している.また,システムと人間,および,人間同士のリズム生成における差異についても考察を行ない,今後のモデルの展開についても述べている.

第6章では結論として,本論文を纏めている.また,リズム生成を支える脳神経学的基盤,および,ヒューマン・インタフェース研究への展望を述べている.特に,人工物に時間的な主体性を与えることが,人間と人工物の間において,人間同士のような時間的協調を達成する上で重要であることを示唆している.

本研究は,人間の行動を創発現象として捉え,行動実験と内的メカニズムのモデル化を通して,複数の感覚情報の統合,および,自己と他者の生成する情報の役割について明らかにしている.また,人間の行動を環境,その中でも,特に他者との相互作用を介した創発現象として捉えた本研究のアプローチは,ヒューマン・インタフェースなどの人間と人工物のインタラクションが問題となる工学の分野において,今後,有用なアプローチの一つになると期待される.

よって本論文は博士(工学)学位請求論文として合格と認められる.

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