学位論文要旨



No 124564
著者(漢字) 髙尾,みどり
著者(英字)
著者(カナ) タカオ,ミドリ
標題(和) 日本における電子マネーの普及要因の分析
標題(洋) The growth process of e-money in Japan
報告番号 124564
報告番号 甲24564
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第6998号
研究科 工学系研究科
専攻 環境海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松島,克守
 東京大学 教授 影山,和郎
 東京大学 教授 坂田,一郎
 東京大学 准教授 大武,美保子
 東京大学 准教授 松尾,豊
内容要旨 要旨を表示する

電子マネーは現在、我々の生活に深く浸透し始めている。日本における電子マネーの発行枚数は1億枚を超え、年間取引額の推計も7千億円を超えるまでになり、今後も、現金に代わる電子的な決済手段として期待されている。この数字は、世界第1位であり、電子マネーは、日本において最も普及が進んでいるといえる。それではなぜ、日本で、電子マネーが普及しているのであろうか。わが国の電子マネーが、今のような状況に至るまでに、どのようなプロセスが介在していたのであろうか。本論文では、決済に係わる関係者の構造に着目することで、日本における電子マネーの普及の過程を詳細に記述すると共に、その促進要因を明らかにすることを目的としている。決済には支払人と受取人がおり、新たな電子的な決済手段を市場に導入する場合は、両者に新たな仕組みが必要となる。現金の場合は法定通貨であり通用力があるが、新たな決済手段を導入するには、信用と認知度も必要である。このため、決済に関わる強力な推進者がいなければ、普及は進まないはずである。本論文では関係者間の構造に着目して分析を行うことで、日本における電子マネーの普及には、市場を牽引するリーダー的な企業がいるのではないかという独自の視点を提起する。

電子マネーに関しては、これまで経済、法、技術、評価などの観点から研究がなされており、これらの研究の蓄積を本論文の基盤とすることは可能である。しかし、既存研究は、普及過程を研究するという目的に対して、以下の点において不十分であると言える。(1)ある時点の分析であって、時系列での分析を行っていない。(2)特定企業(モンデックス、オクトパス)の事例研究が中心であり、企業間の関係について網羅できていない。先の目的を達成するには、時系列での電子マネーに関する主要な変遷をとらえつつ、工学的な手法を用いて市場構造や企業の関係性を明らかにすることが必要であり、本論文ではネットワーク分析を用いた独自の分析手法を導入することとした。

具体的な分析手法は次のとおりである。第1に、分析データは、電子マネーの時系列での変遷が追跡可能であり、その関係者が記されており、入手可能でかつ分析が可能な量が収集できるという理由から新聞記事を選択した。新聞記事は、国内最大の経済紙である日本経済新聞の記事をデータベースから抽出し、1994年5月から2008年6月までの5,236件を収集した。第2に、収集した新聞記事をすべて読み、電子マネーの主な変遷と関係している企業および団体名をピックアップした。第3に、新聞記事数の年度別の推移と主な変遷を重ね合わせ、傾向をつかみ、特長のある期に分類した。第4に、ネットワーク分析の手法を用い、第2で抽出した企業および団体名をノードとし、企業の関係性を各年度、各期ごとに可視化した。ネットワーク分析を用いることで、電子マネーを強力に推進し、中心に位置するハブ企業の存在を明らかにし、ハブ企業の動きと戦略を分析した。第5に、電子マネー以外の電子決済手段が普及している英国および米国についても同様に第1から第4の方法を用い分析を行うことで、日本との比較分析により、電子マネーの普及要因を議論した。分析のためのデータは各国の最大の経済新聞から電子マネーに関する記事を抽出した。英国はThe Financial Timesの記事で2003年1月から2008年6月までの333件を、米国はThe Wall Street Journalの記事は1984年1月から2008年6月までの470件を利用している。第6に、近年、電子マネーとポイントの交換が盛んになっており、電子マネーとポイントサービスとの融合が普及において何らかの影響を与えているのではないかという視点から、その関係性について第1から第4の手法を用い分析した。分析データは、日本については日本経済新聞記事で1998年1月から2008年6月までの5,236件、英国についてはThe Financial Timesの記事で2003年1月から2008年6月までの437件、米国についてはThe Wall Street Journalの記事は1998年1月から2008年6月までの1,213件を利用している。

以上のような分析から得られた本研究の成果は、次の4点である。第1に、日本の電子マネーは、第1期の実験の時代、第2期の普及の基盤固めの時代、第3期の市場の時代を経て普及に至っていることが分かった。また、第1期では新たな決済手段への期待をもと電子マネーの実験が行われ1度目のピークを迎えるが、その後、実験が商用化には至らず、一旦、落ち込むが、第2期に非接触型ICカードが登用され、新たな時代を迎え、普及が進み、現在が第2のピークになろうとしていることが明らかになった。つまり、日本の電子マネーの普及は、一本調子の平坦な道のりではなかった。第2に、企業の関係性について分析することで、電子マネー事業者を中心に、金融機関、ベンダー、小売業、運輸業、携帯電話会社という多様な企業群が市場を構成していることが分かった。その普及過程においては、電子マネー事業に新たな企業を巻き込むハブリーダー企業の存在があり、そのハブリーダー企業が第2期はソニー、第3期ではJR東日本とNTTドコモであることが判明した。また、第2期のソニーが巻き込んだJR東日本とNTTドコモが第3期のハブリーダー企業に育つという連鎖が起きている。ハブリーダー企業は次のような戦略のもとに、新たな企業を市場に巻き込んでいた。ソニーは、非接触型ICカード{Felica}を普及させたかった。「Felica」はJR東日本「Suica」への採用により、コスト低下に直結する量産基盤という武器を得ていた。一方、「Felica」は、ISO規格に採用されておらず、WTO加盟国の公共事業の応札に参加できないという弱点を持っており、世界の市場における競争力が劣後しており、これを挽回したかった。JR東日本は、「Suica」事業を経営の第3の柱として確立する狙いがあり、「Suica」を普及させたかった。このため、JR東日本の知名度と国内最大の輸送量をほこる顧客基盤をベースに大手企業との提携を実現した。さらに、「Suica」による交通乗車券のIC化は、基盤事業のコスト削減につながった。NTTドコモは、「おサイフケータイ」の普及を狙っていた。携帯電話事業は、携帯電話の保有が進み、いずれは加入者数の伸びは鈍化し、料金競争が激化することを予測していた。このため、携帯電話のネットワークを活かしたトランザクションから手数料収入を得る事業モデルの確立を模索していた。携帯電話事業者1社だけでは「おサイフケータイ」の普及が進まないと考え、競合他社さえも電子マネー産業に巻き込んだ。第3に、英国は、第1期の始動の時代であり、米国は第1期の技術の時代、第2期の実験の時代、第3期の始動の時代で構成されている。日本と比較すると英国および米国は日本の第2期の初めくらいにあたる状況であった。企業の関係性については、英国では、小売、行政、ベンダー、米国では運輸、行政、小売業が電子マネー産業に存在していない。ハブリーダー企業については、英国では、ハブリーダー企業は存在するものの同業他社を巻き込むだけで、新規参入企業に広がりがない。また、米国では、第3期にはハブリーダー企業が存在していない状態であった。英国および米国とも日本のようにハブリーダー企業が、他業種から新規企業を巻き込むことはなく、巻き込んだ企業が次期のハブリーダー企業に育つというような連鎖もなかった。日英米の比較において、日本のハブリーダー企業の動きおよびその効果がより明確になり、日本の電子マネーの普及にハブリーダー企業の寄与が重要であったことが明らかになった。第4に、日本のポイントサービスは拡大しており、英国および米国と比較して、ポイントサービスを実施している業種が多い。また、電子マネーとポイントサービスの融合は進んでおり、この融合が電子マネー事業者、ポイントサービス事業者および利用者にもメリットをあたえていることが明らかになった。

これらの分析結果を考察すると、結論として、日本における電子マネーの普及は3つの期間を経て実験、技術革新、進化により成し遂げられたものであることが明らかである。その普及の要因としては、電子マネーを普及させたいという明確な戦略もつハブリーダー企業が各期に存在し、そのハブリーダー企業が重要な役割を果たしていること、第2期のハブリーダー企業であるソニーが、第3期のハブリーダー企業であるJR東日本、NTTドコモを巻き込むという連鎖があったことが判明した。また、電子マネーとポイントサービスとの融合も普及に寄与していることを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

我が国における電子マネーは現在、我々の生活に深く浸透するとともに、その普及戦略・波及効果に関して様々な議論がなされている。本論文の目的は、日本の電子マネーの普及過程を各種記事・データから多面的に分析し、海外における事例と比較検討することで、日本における電子マネーの普及要因を明らかにすることである。

第1章では、国内外の電子マネーの現状、および先行研究を整理し、世界の中で日本は最も電子マネーが普及している国の一つであること、また、米欧における関連の先行研究においては、電子マネーの普及について十分なものがないことを明らかにした。このため、日本における電子マネーの普及過程を明らかにすることで、海外に電子マネーを導入するための知見を多く導くことが出来るであろうと議論を展開している。

第2章では、日本における電子マネーの普及過程を詳しく検討している。その結果、日本の電子マネー産業は、第1期の接触型ICカードを利用した実験の時代、第2期前期の非接触型ICカードの利用を開始した時代、第2期後期の携帯電話にも電子マネーを搭載し、発行者が違う電子マネーの相互利用を開始した時代を経て構築されていることが明らかになった。産業が普及していく過程における企業間の関係性について分析することで、電子マネー事業者を中心に、金融機関、ベンダー、小売業、運輸業、携帯電話会社といった様々な業種の企業群が市場を構成していること、普及が拡大した第2期において、電子マネー産業に新たな企業を巻き込むハブリーダー企業が存在すること、ハブリーダー企業は明確な戦略のもとに、多数の既存顧客や店舗を保有する新たな企業を市場に巻き込んでいたこと、さらにハブリーダー企業が第1期の実験の時代で明らかになった課題を積極的に解決していたことを、膨大な量の記事データおよびそれらに対するネットワーク分析を用いて、論証している。

第3章では、英国、米国の電子マネーの現状を明らかするとともに、日本との違いを論じている。産業を構成する企業群を日本におけるそれと比較することで、英国では、小売、行政、ベンダー、米国では運輸、行政、小売業が電子マネー産業に存在しないことを明らかにしている。また、ハブリーダー企業については、英国では、ハブリーダー企業は存在するものの同業他社を巻き込むだけで、新規参入企業に広がりがないこと、米国では、現在ハブリーダー企業が存在していない状態であること、英国および米国とも日本のようにハブリーダー企業が、他業種から多数の既存顧客や店舗の保有や決済の局面をもつ新規企業を巻き込むことはなく、巻き込んだ企業が次期のハブリーダー企業に育つというような連鎖もなかったこと、普及への課題をハブリーダー企業が解決しているわけではなかったことを論証している。

第4章では、日本におけるポイントサービスに焦点をあて、電子マネーとの関連を論じている。日本のポイントサービスは拡大しており、英国および米国と比較して、ポイントサービスを実施している業種が多いこと、また、電子マネーとポイントサービスの融合が進んでいることを明らかにしている。また、この融合が電子マネー事業者、ポイントサービス事業者および利用者にもメリットをあたえ、電子マネーの普及に貢献していることを論証している。

そして、第5章では、第1章から第4章までの分析結果を整理し、電子マネーの普及におけるハブリーダー企業の位置づけと役割、ポイントサービスとの融合がもたらす影響について論じている。

第6章では、電子マネーの普及過程における電子マネーに関わる企業の関係性に着目することの重要性を提案している。すなわち、電子マネーを普及させるためには、ハブリーダー企業となる企業群が利用促進のための課題を主体的に解決し、さらに、明確な普及戦略を持って、既存顧客や店舗を保有する企業を巻き込み、普及を構成する利用者と店舗の拡大に寄与する必要があると結論付けている。本論文によって得られる知見は海外において電子マネーを普及させる際に有効であると考える。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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