学位論文要旨



No 124573
著者(漢字) 西尾,真由子
著者(英字)
著者(カナ) ニシオ,マユコ
標題(和) 分布ひずみデータの形状特性評価に基づくモデル状態変化にロバストなCFRP構造の変位同定法に関する研究
標題(洋)
報告番号 124573
報告番号 甲24573
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7007号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,展雄
 東京大学 教授 青木,隆平
 東京大学 教授 樋口,健
 東京大学 准教授 岡部,洋二
 東京大学 講師 横関,智弘
内容要旨 要旨を表示する

炭素繊維強化複合材料(CFRP)は,比強度・比剛性が高く,軽量な構造が可能となるため,特に航空宇宙機において,適用が進む材料である.機体の軽量化は,運行エネルギーとコストの低減につながるほか,航空機としての高機能化も図ることができる.一方でこのCFRPは,損傷形態が複雑であることから,供用時における構造の安全性と信頼性を保障するため,光ファイバセンサを用いた構造健全性モニタリングの適用が積極的に取り組まれてきた.光ファイバセンサは,軽量で繊維状であるため,CFRP内に材料特性の低下なく埋め込むことができる.すると,材料内部のひずみや温度の計測が可能となり,局所的な内部損傷などの検知に,その有効性が示されてきた.このように,モニタリングシステムを一体化させることで構造の信頼性が向上すると,機体メンテナンスの効率化と低コスト化が実現するほか,CFRPの材料特性をより生かした設計が可能となり,さらなる機体軽量化も期待できる.そして近年では,航空機の翼や胴体といった大型構造部材がCFRPで製造されるようになり,その構造は大型化が進んでいる.このことから,モニタリングシステムにおいても,大型構造全体でデータを取得し,グローバルな構造状態を,定量的に把握できることが求められている.

このようなモニタリングシステムを実現する光ファイバセンサとして,本研究で用いたのが,ブリルアン散乱現象を用いた分布型センサの一つである,Pulse-prepump Brillouin optical time domain analysis (PPP-BOTDA)システムである.従来の多くのひずみセンサは,加工が施されたゲージ部で離散的に値を取得するのに対し,分布型光ファイバセンサは,光ファイバ上のサンプリング間隔が任意に設定でき,離散型センサでは実現が不可能な密な間隔でデータ値を取得することが可能となる.さらに,これまでこのブリルアン散乱式センサは,1mもの空間分解能があったが,近年では,その高分解能化が著しく進んでいる.PPP-BOTDAシステムにおいても,空間分解能100 mm,サンプリング間隔50 mmの分布データが取得可能であり,さらに,一度の計測で数kmもの光ファイバに対して計測を行うことができる.本研究では,この新しいデータ形式である分布ひずみデータを逆解析に用い,そのデータ特性を生かした構造モニタリングシステムの構築を行うこととした.その中でも,ひずみデータから変位を同定するアルゴリズムを取り扱い,構造のライフサイクルにおけるさまざまな場面において,変形状態を高精度で把握できるシステムとして,その有効性を示すことを目的とした.

分布ひずみデータを逆解析に用いるにあたって最も留意しなければならない特性は,一本の光ファイバ上で得られるデータ値の信頼性が,各サンプリング点によって異なることである.この要因は二つ挙げられる.一つ目は,分布データの空間分解能の影響によって,光ファイバ上に負荷されるひずみ分布が不均一である箇所ほど,その分布形状の解像度が低下し,データ値の真値再現度が低下する点である.二つ目は,先と同様に,ひずみ分布が不均一である箇所のサンプリング点ほど,計測段階で得られるブリルアンゲインスペクトルの形状が広がることで,ひずみ計測精度が低くなるという,ブリルアン散乱現象を用いた計測手法に固有の要因である.そこで第2章ではまず,これら二つの要因において共通に関連している,ひずみ分布形状の不均一度を表す指標として,規格化ラプラス値(NLV: Normalized laplacian value)を定義した.この指標は,分布形状の二階微分値を表し,その不均一度が高いほど大きい値を示す.そしてこのNLVに対する,分布ひずみデータの真値再現度,およびひずみ計測精度の関係を,それぞれ実験によって検証し,統計的なデータ処理によって考察を行った.その結果,二つの要因それぞれについて,ひずみ分布形状指標NLVとデータ信頼性低下度の関係を,定量的に記述することができた.ここで得られた結果は,第3章で構築した変位同定アルゴリズム内で用いることとなる.

第3章で構築した変位同定アルゴリズムは,大きく二つのプロセスからなる.はじめに,取得した分布ひずみデータより,光ファイバネットワークの埋め込み面内における,ひずみ関数を推定する.ここで,第2章の結果である,規格化ラプラス値NLVで表されたデータ信頼性を用いることとなる.ここでは,NLVより求められたデータ信頼性に基づき,各データ点に重みを設定し,重み付き最小二乗法によって関数フィッティングを行う.この重みを考慮することで,信頼性の低いデータ点の推定結果への影響を少なくすることができ,真値に近いひずみ分布関数を得ることができる.次に,対象構造の有限要素モデルを構築し,そのひずみ値と節点変位の関係式から,変位の同定を行う.ここで用いるひずみ値は,はじめのプロセスで推定したひずみ関数に,構造上の任意の位置座標を代入して得られる値としている.このように,有限要素モデルのひずみ-変位関係式を取り扱う際に,直接分布ひずみデータを用いるのではなく,一旦,連続的なひずみ関数を推定し,その代入値を用いることで,さまざまな形状の構造に適用可能なアルゴリズムとしている.すなわち,同定パラメータである節点変位の数に応じて,ひずみ値の数が設定できるため,構造要素の数や種類が変化しても,十分な数のひずみ値をピックアップすることができる.構築したアルゴリズムは,片持ち板の曲げ変形における,たわみ量同定に適用し,その妥当性を検証した.ここでは,光ファイバネットワークを埋め込んだCFRP積層板供試体を作製し,曲げ試験によってデータを取得した.そして同定の結果,実測変位に対する誤差が1%以下と,高い精度でたわみ変形を同定することができた.またこの結果を,各データ点の信頼性低下を無視し,重みを付与せずに同定を行った場合での同定変位と比較したところ,信頼性低下を考慮した場合のほうが,50%程度も高い精度を示した.この結果から,構築した同定アルゴリズムにおける,分布ひずみデータ特性の考慮が妥当であることが示された.

逆解析において高い同定精度を得るには,計測データの精度・信頼性を把握しておくことの他に,構造の有限要素モデルが,実構造を適切に記述していることも重要となる.そのため,モデル構築においては,寸法や形状,適用する構造要素や境界条件といった点に留意しなければならない.しかし,実際に構造を供用していると,これらの既知条件,特に構造の固定部や荷重条件といった境界条件が変化してしまうことが考えられる.第4章では,分布ひずみデータの形状特性評価よりこの境界条件変化を検知し,構造モデルに対する先験情報として用いることで,構造状態の変化にロバストな逆解析が可能であると考え,検証を行った.はじめに,規格化ラプラス値NLVの外れ値検出を行うことで,板供試体の固定端部や荷重点といった境界条件付与箇所の抽出が可能であることを示した.これを用いると,荷重点位置を変化させた際にも,その情報を検知することができた.そして,取得した位置情報より,供試体のたわみ形状の滑らかさに関する先験情報を設定し,それを考慮した変位同定を行った結果,実際のたわみ形状により合致する解を得ることができた.一方,変位境界条件に関する検証では,板供試体固定端部の領域を少しずつ変化させ,各状態で曲げ変形時のデータを取得した.ここから,固定端部付近に位置する分布データのNLV値を調べることで,固定条件の変化領域が的確に診断できることが示された.そして,検知結果を有限要素モデルに反映させ,実際の固定条件にあったモデルへとアップデートさせた上で変位同定を行った結果,すべての状態で妥当なたわみ形状が高精度で同定された.この結果から,境界条件付与部のひずみ分布形状評価によって,構造の荷重境界条件,および変位境界条件の変化が検知可能であり,逆解析における先験情報として用いることで,妥当な同定解が得られることが示された.

第5章では,構築した変位同定アルゴリズムを,CFRP構造の製造段階に生じる,熱残留ひずみによる変形のモニタリングに適用した.CFRP構造の製造では,炭素繊維の積層過程において,その配向方向に誤差が生じると,熱膨張係数の中立面に対する対称性が崩れることがある.すると,成型時の温度変化によって生じる熱残留ひずみによって予期しない変形が生じ,構造の寸法精度が低下してしまうことがしばしば問題となっている.検証では,同じメカニズムで特徴的な変形を示す逆対称積層板を用い,構築した変位同定アルゴリズムによってその変形を同定し,製造段階における変形モニタリングへの適用可能性を示すことを目的とした.ただし,逆対称積層板のひずみ-変位関係は,板の大変形問題における関係式と等しく,節点変位に対して非線形な式となる.そこで,構築した変位同定アルゴリズムを,カルマンフィルタをもとにした反復計算アルゴリズムへと拡張し,非線形逆解析システムを作成した.そこに,実験によって得られた逆対称積層板の分布ひずみデータを適用した結果,実測変位に対して,概ね良好な同定精度で変形を求めることができた.

本研究では,分布ひずみデータの形状特性指標を,データ信頼性評価から構造モデルの境界条件変化の検知にまで幅広く用いることで,これまでにない変位同定アルゴリズムの構築を行うことができた.そして,成型時におけるアプリケーションへの適用性や,境界条件変化に対するロバスト性を実証したことで,構築したアルゴリズムが,CFRP構造のライフサイクルを通じて有用なモニタリングシステムであることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)西尾 真由子 提出の論文は,「分布ひずみデータの形状特性評価に基づくモデル状態変化にロバストなCFRP構造の変位同定法に関する研究」と題し,6章よりなる.

炭素繊維強化複合材料(CFRP)は,航空機等の主構造部材への適用率が向上し,大型化が進んでいる.このことから,その構造モニタリングシステムにおいても,大型構造全体でデータを取得し,グローバルな構造状態を定量的に把握できることが求められている.本研究ではこのようなモニタリングシステムとして,構造全体より得られるひずみデータから変位同定を行う変形モニタリングシステムの構築を行った.ここで用いたひずみセンサは,ブリルアン散乱現象を用いた分布型光ファイバセンサの一つであるPulse-prepump Brillouin optical time domain analysis (PPP-BOTDA)システムである.このシステムでは,一本の光ファイバに沿ってのひずみ値を空間分解能100 mm,サンプリング間隔50 mmで得ることができる.センサ部でのみ,値を取得する従来形のひずみセンサでは実現困難な密なサンプリング間隔で,多数のひずみ値が得られることに大きな特長がある.本研究では,この分布ひずみデータを用いた逆解析を行い,その特性を適切に考慮した変位同定アルゴリズムを構築した.さらに荷重状態や構造の固定条件が変化するような場合でも常に高い精度で変位が得られることを示し,CFRP構造の製造時から供用中まで,ライフサイクルにおける様々な場面で変形状態を把握できるシステムとしての有効性を示した.

第1章は「序論」であり,研究の背景についてまとめ,従来研究の課題を総括し,本研究の目的と論文構成について述べている.

第2章は,「分布ひずみデータの形状特性評価によるデータ信頼性検証」であり,本研究で用いるPPP-BOTDAシステムのデータ特性を定量的に評価した.ここでは,「空間分解能の影響による真値再現性低下」と,「不均一ひずみ下でのブリルアンゲインスペクトルの広がりによる計測精度低下」を大きな特性として挙げ,それぞれに対して,実験より得られたデータの統計的な考察より定量的な評価を行った.ひずみ分布形状の不均一度を表す指標として規格化ラプラス値(NLV: Normalized Laplacian Value)を定義し,上記各特性によるデータ信頼性低下度との関係を求めた.

第3章は,「変位同定アルゴリズムの構築とCFRP積層板のたわみ同定」である.アルゴリズムには,対象構造の有限要素モデルを用い,様々な構造要素に適用しても逆解析における解の一意性が保障される,汎用性の高いものとした.ここでは,第2章の結果に基づき,NLVによってデータ信頼性に応じた重みを決定し各データ点に付与することで,分布ひずみデータの特性を考慮している.構築したアルゴリズムは,光ファイバネットワークを埋め込んだCFRP積層板供試体の曲げたわみ同定に適用した.その結果,データ特性の考慮を適切に行うことで,高い精度でたわみが同定可能であることを示した.

第4章は,「ひずみ分布形状特性評価による構造モデル既知条件変化にロバストな変位同定」である.ここでは,実構造の供用中に想定される,荷重条件および固定部や接合部における変位境界条件の変化を,NLVのモニタリングによって検知し,同定パラメータである変位の先験情報や,有限要素モデルのアップデート情報として用いることで,常に高い精度で同定値を得る手法を提案している.検証では,CFRP積層板供試体のたわみ同定を対象に,荷重条件と変位境界条件それぞれの変化を取り扱った.NLVの変化より,各々の境界条件変化位置を適切に検知することが可能であり,それらを有限要素モデルに反映させることで,条件変化後も高い同定精度が得られることを示した.本章では,豊富なデータ点数より分布形状の不均一度評価が可能となるという,PPP-BOTDAデータの特長を積極的に生かしており,逆解析でしばしば問題となる「モデル変化」への新しいアプローチを行ったこととなる.

第5章は,「CFRP成型時に生じる熱残留ひずみ分布推定と変形同定」である.大型CFRP構造では,成型後の熱残留ひずみから予期しない変形が生じ,構造の寸法精度が低下することがしばしば問題となっている.検証では,特徴的な変形を示す逆対称積層板を用い,変形同定を行った.支配方程式であるひずみ-変位関係式が非線形となるため,構築したアルゴリズムを反復計算アルゴリズムへと拡張し,非線形同定を行った.また,実験より得られた逆対称積層板の分布ひずみデータに適用した結果,概ね良好な精度で変位が得られ,構造製造時における変形モニタリングの有効性を示した.

第6章は「結論」であり,本研究で得られた結論をまとめ,今後の展望と課題を示している.

以上本論文では,埋め込み光ファイバネットワークより得られる分布ひずみデータを変位同定に用いることで,ライフサイクルを通じてCFRP構造の変形状態を高精度で把握することを可能とした.また,分布型光ファイバセンサの特長を生かすことで,データ点数の制限やモデル変化による精度低下といった,既往の物理量同定で生じる問題点を解決する新しいアプローチを提案・実証した.これらの研究成果は軽量航空宇宙構造力学,複合材料工学,非破壊評価工学の新しい発展に大いに寄与する有益な知見を与えている.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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