学位論文要旨



No 124574
著者(漢字) 横田,茂
著者(英字)
著者(カナ) ヨコタ,シゲル
標題(和) ホールスラスタ中空陽極の放電振動抑制機構
標題(洋)
報告番号 124574
報告番号 甲24574
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7008号
研究科 工学系研究科
専攻 航空宇宙工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 小紫,公也
 東京大学 教授 荒川,義博
 東京大学 教授 國中,均
 東京大学 教授 津江,光洋
 東京大学 教授 岩崎,晃
内容要旨 要旨を表示する

ホールスラスタは電気推進機の一つで,比推力が1000~3000 sにおいて50 %以上という高い推進効率が得られ,イオンエンジンと比較すると空間電荷電流制限則を受けないため,非常にコンパクトであるという利点をもつ将来有望な推進機である.作動原理は,軸方向電場と周方向磁場のクロスフィールドにて推進剤を電離,加速,排出し,その反作用で推進力を得る,というものである.

このホールスラスタの中でも,アノードレイヤ型と呼ばれるタイプは,放電加速室における壁面へのイオンおよび電子の損失を小さくするために,放電室長を幅に比べて短くしており,より高い推力密度およびより長い寿命を期待できる.しかしながら,ホールスラスタは電離振動と呼ばれる1種の放電振動が存在し,アノードレイヤ型ではこの電離振動が起きる作動領域が広い.この放電振動によって,放電電流の最大値が大きくなることから,電源の許容電力値を大きくとる必要があり,これは電源の重量の増加を意味し,宇宙機にとって非常に不利な条件となるため,抑制する必要がある.

この電離振動を抑えるために,一般的に中空形状の陽極が用いられる.しかしながら,この形状の陽極を用いてさえも,振動の収まらない作動領域が存在する.これまで,この陽極形状が振動を抑制するメカニズムは明らかにされてこなかった.本研究の目的は,この中空陽極の安定化のメカニズムおよびその限界を明らかにすることである.このため,数値解析によってアノードレイヤ型ホールスラスタ内部の数値解析を行った.

数値解析にはPIC-DSMC法を用いた.この数値解析においては,全ての中性粒子,電子およびイオンのすべてを粒子として扱った.電位はポアッソン方程式を用いて解いた.これにより,アノードレイヤと呼ばれる陽極付近の非線形領域を解くことが可能となる.

この計算手法を用いて,まず通常ホールスラスタにて用いられている平面形状の陽極を用いた際の推進機内部の放電状態を調べるため,推進機内部について1D3Vの数値解析を行った.解析の対象としたのは,東京大学にて開発された1 kW級のアノードレイヤ型ホールスラスタである.この数値解析によって,放電電流の振動のおおよその電流値および周波数が,また,作動パラメータによらず放電振動が起こることも再現された.

この数値解析により以下のような放電振動の様子が明らかになった.まず,中性粒子が放電室に入りこむと徐々に電離が始まり,放電室一帯にプラズマ生成領域が広がる.この際,アノードレイヤと呼ばれるように陽極付近に常に電子シースができるわけではなく,急激な電位勾配は電離領域よりも下流に存在し,振動時最も電離量が大きくなる時刻においては,電位勾配は推進機出口付近に存在することがわかった.その後,電離は放電室内の中性粒子が枯渇するまでつづき,したがって電離量は次第に小さくなり,粒子の数密度分布,プラズマの電位分布ともに電離前の状態に戻る.電離振動はこれの繰り返しであった.

次に,この数値解析手法を元に,中空陽極内部も含めた2D3Vの数値解析をおこなった.過去の実験より印加磁束密度が低い場合は振動がおさまり,ある一定の磁束密度よりも高くなると大きな放電振動が発生することが分かっている.この数値解析によって,この特徴まで再現された.

この数値解析から以下のことが明らかとなった.まず,低磁束密度の際には,電離が中空陽極内部から放電室内部まで広がっており,イオンを加速排出するための電位勾配は推進機出口付近に存在した.この際,プラズマの電位は陽極よりも高く,陽極付近にはイオンシースができていることが観測された.一方,高磁束密度で振動が起きている際には,中空陽極内部にまでプラズマが存在していないことがわかった.この際,平面陽極を用いた際と同様の現象で放電振動が起きていた.このとき,時間平均をとると,プラズマの電位は陽極よりも低く,陽極表面には電子シースが存在していることがわかった.

これらのシース電圧の陽極に対する正負に関しては,レーザー誘起蛍光法を用いて,推進機内部のイオンの軸方向速度を計測することで検証を行った.この結果,低磁束密度の場合は陽極内部にてイオンの軸方向の加速は認められず,放電室内部から出口にかけてイオンが加速されていることがわかった.一方で,高磁束密度の場合は,陽極内部にてイオンの加速が既に行われていることが明らかになった.これらの結果から,高磁束密度においてはプラズマの電位が陽極よりも低いことが分かり,電子シースが表れていることが示唆され,数値解析の結果と一致することがわかった.

このシースの正負に着目すると,磁束密度の変化とともに,シースの正負が反転し,その境目がちょうど閾値となる磁束密度であった.そこで,何がもとでシースの正負が反転するのかを明らかにするために,1次元のシース解析を行った.この結果,放電電流と陽極に当たるイオンの量のバランスによって,シースの正負が反転することがわかった.陽極に当たるイオンの量は,中空陽極を用いて低磁束密度である際には大きいが,平面陽極を用いた際および中空陽極を用いて高磁束密度である際には小さい.これが中空陽極を用いた際の放電振動安定化のメカニズムとその限界であると考えられる.

審査要旨 要旨を表示する

修士(工学)横田茂提出の論文は「ホールスラスタ中空陽極の放電振動抑制機構」と題し, 6章から成っている.

電気推進機の一種であるホールスラスタには,アノードレイヤ型とマグネティックレイヤ型があり,アノードレイヤ型はマグネティックレイヤ型に比べ高効率,長寿命の利点を持つため,実用化が望まれている.しかし,電離振動に起因する放電電流の振動が大きく,実用化にはこの抑制が課題となっている.これまでの研究で,陽極内部に大きな中空の推進剤流路を有する中空陽極を用いることで放電振動が低減されてきたが,その放電安定化の物理原理や機構は現在も明らかになっておらず,陽極形状の最適化を目指す上でこの機構を明らかにすることが重要となっている.

本研究では,中空陽極及び放電チャンネル内部のプラズマ及びシース構造と放電振動の関係に着目し,空間2次元,速度場3次元のFully-kinetic PIC DSMC粒子法を用いてプラズマ流の数値解析を行って,中空陽極を用いることによって放電振動が抑制される機構を解明している.

第1章は序論であり,研究の背景及び目的を述べている.アノードレイヤ型とマグネティックレイヤ型では内部のプラズマ構造が異なり,アノードレイヤ型では電離振動が起こりやすい電位分布構造であることを紹介している.

第2章では,本研究で対象とした1キロワット級アノードレイヤ型ホールスラスタの推進機構造,試験環境,及び得られた推進性能と放電電流振動特性について述べている.この推進機の推進効率は,アノードレイヤ型の代表的な開発例の一つであるロシアTsNIIMASH研究所のTAL-55と呼ばれる同出力の推進機と同程度の高いものであること,またその放電電流振動の大きさは,重要な作動パラメータである磁束密度に敏感であり,ある閾値以上の磁束密度で放電電流振動が非線形的に増大することを紹介している.

第3章では,数値解析手法について説明するとともに,中空陽極を用いない場合,すなわち一般的な平面形状の陽極を用いた場合の放電チャンネル内部のプラズマ及びシース構造の数値解析を行なっている.その結果, 1次元定常理論解析で得られる結果に相似な,電離振動の起きやすいプラズマ構造が再現されることが示されている.しかし一方で,定常解は存在せず,すべての作動領域において非定常な構造が得られることを明らかにしており,これは第2章の実験結果とも良く一致している.

第4章では,中空陽極を用いた場合のプラズマ及びシース構造の数値解析を行っている.得られた解析結果は,実験で得られた放電電流振動波形,及び閾値磁束密度をよく再現しており,閾値磁束密度以下の安定作動領域では,中空陽極内部にて主たる電離反応・イオン生成が生じ,陽極表面にはイオンシースが形成されること,この電位分布はマグネティックレイヤ型の構造と相似であり,そのため電離振動を回避できていると述べている.一方で,閾値磁束密度よりも大きな振動作動領域では,中空陽極内部でほとんど電離反応・イオン生成が起こらず,陽極表面には電子シースが形成されることが示されている.これは第3章に示した平面陽極を用いたアノードレイヤ型のプラズマ構造と相似であり,中空陽極が機能していない状態であると説明している.また,その振動の有無の閾値となる磁束密度は,陽極表面に形成されるシース構造がイオンシースから電子シースへと反転する作動条件でもあることも示している.

第5章では,レーザー誘起蛍光法によるプラズマ内部診断を用いて数値解析結果を検証し,また,シース理論モデルを用いて数値解析結果の解釈を試みている.放電チャンネル部の内部診断により得られたイオン数密度・速度分布の計測結果は,数値解析結果と合致することを示している.また,数値解析結果に見られた磁束密度増大に伴う陽極表面のシース電位勾配の反転は,シース理論モデルで表現すると,陽極への電子電流とイオン損失電流の比によってシース電位勾配の正負が変化することに起因すると説明している.さらに,陽極形状の設計指針として,安定な放電作動領域を広げるには電離・イオン生成領域が陽極表面と接する面積の大きな陽極形状が望ましいと結論付けている.

第6章は結論であり,本研究で得られた結果を要約している.

以上要するに,本論文はアノードレイヤ型ホールスラスタの中空陽極が放電を安定化する機構とその限界について,数値解析を用いて明らかにしたものであり,これらの結果は,アノードレイヤ型ホールスラスタの設計最適化に応用でき,航空宇宙工学上貢献するところが大きい.

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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